黒ドレスの女 3
集団納骨式を終えた後、派遣教会の助祭に資料を請求し、大口の取引ができる鉱石商や神具職人を照会した。
「結構数がいるんだな……」
「これを調べて、その後どうするんです?」
一緒に集団納骨式で一仕事終えたアンが、俺の横で資料を覗いている。
「表と裏を知っている奴に話を聞く。鉱石売買は許可制だからな——裏取引を追えば、自ずとダダーリン兄弟の姿が見えてくるはずだ」
「ほほぅ〜、さすがはゼンです。悪事を追うには悪人を追うのが一番ってことですね!」
「——そんなところだ。お前は雪花亭に行って夕食を買ってきてくれ、シャイナには朝のうちに注文してある」
「りょうかいで〜す!」
上着のポケットから硬貨を数枚取り出し、照会料と羊皮紙の代金をカウンターに置いてリストを書き写し、アンには夕食代を渡して買いに行かせ、俺も派遣教会を出て夕暮れに染まるサイランの街へ溶け込んで行った。
「いらっしゃいませ」
夜の繁華街は日中と雰囲気が変わり、一日の疲れを呑んで騒いで発散しようと多くの男女が店々へ繰り出していた。
その行き先は料理屋だけでなく、娼館や酒場など、この神世界フェティスでは数少ない娯楽場だ。さらに大通りから横道に入り、より怪しい雰囲気が漂う裏路地を歩けば、人の欲望を忠実に実現する店々も並びだす。
それはより過激な性衝動であったり、代替行為による暴力や拷問であったりと、通常の行為では満足できなくなった変態どもが集まる場所——そして、その変態たちの捌け口となるのが、奴隷だ。
俺が訪れたのは、そんな哀れな奴隷たちが押し込められている奴隷商館の一つ。俺の上着を買い取った男——ラガロ・バーガスの店だ。
「バーガスはいるか?」
奴隷商館に入るとすぐに案内の男が近づいてきたが、ここへ来たのは奴隷を買うためでも女を抱くためでもない。
“契約の神プーラン”を信仰するラガロ・バーガスのところには、契約の代償として自ら身を売って奴隷になる者や、代わりに様々な農作物や神具、そして情報を奴隷に変えたい者が集まってくる。
案内の男は商館の主を名指しする俺を訝しんでいるようだが、別の男が俺に気づいて「その人は旦那様のご友人だ」と声を掛けてくれた。
いや——俺はバーガスの友人というわけではないのだがな。
あくまでも、金儲けの為の取引相手でしかない。
「旦那様は奥の部屋にいらっしゃいます。カネガさん、お約束はございましたか?」
「約束はしていないが、俺が買い物に来たと伝えろ」
「……かしこまりました」
案内の男は一礼してロビーの奥へ消えて行くと、程なくしてバーガスが待つプライベートルームへと案内された。
「よぅ、カネガ。やっと俺の奴隷を買う気になったか、墓掃除にはもってこいの大男に、小屋の世話係として女奴隷、どれでも最高品質な奴隷を用意するぜ」
バーガスが待っていた部屋はランタンの明かりによって淡い暖色系に包まれ、キャビネットには多数の蒸留酒の瓶に美しいガラス細工のグラスが並んでいる。
それほど広くない室内の中央に置かれたテーブルを挟み、革張りのソファーの中央に座るバーガスは、左右に美しい女たちを侍らせていた。
琥珀色の蒸留酒が注がれたグラスを傾け、テーブルに組んだ足を投げ出しているバーガスは、俺の顔をみるなり開口一番でそう言った。
「奴隷を買いに来たわけじゃない、情報を買いに来た」
「またそれか……カネガぁ、言っちゃぁなんだが、俺は“契約の神プーラン”を信仰する奴隷商人であって、情報屋ではないんだぞ?」
「今は奴隷に払う金などない」
「そんなこと言って……お前は女も抱きに来ないじゃないか」
この神世界フェティスでは奴隷と娼婦は当然ながら別個の存在であり、人として認められていない奴隷に対し、娼婦は一個の職業として認められている。
そして何よりも重要なことは、娼婦もしくは男娼という職に就くものは“性の神サキュラス”の敬虔なる信徒であり、性交自体が信仰を捧げる行為でもあるのだ。
「まぁ、いい……お前たち、ちょっと席を外してくれ。お祈りはまた後でしよう」
バーガスの言葉に残念そうな表情を浮かべる女たちだったが、部屋を出て行くついでに俺の胸に指を当て、撫で上げるように首筋から耳裏にまで這わせ——。
「またね、ゼン。たまには一緒にサキュラス様へお祈りを捧げましょ」
と、耳打ちをしながら部屋を出て行った。その言葉に惹かれないわけではないが、金儲けをする上での協力関係にある場所での情事は、俺にとって不利な状況を引き寄せかねない。
盗撮、盗聴にハニートラップ、情事を利用した情報収集は基本中の基本でもある。
そういうことは、金儲けとは無関係な場所で楽しむべきなのだ。
女たちが部屋を出て行き、プライベートルームにバーガスと二人だけになったところで、テーブルを挟んで向かい合うように配置された格の落ちるソファーへ腰を下ろす。
「それで……俺のお楽しみを邪魔して、何の情報を買いに来た?」
俺に確認を取ることなくグラスをキャビネットから取り出し、テーブルに置いてある氷入れに視線を向けて俺に入れるかどうか無言で聞いてくる。
「ストレートだ。美味い酒を薄めるのは、命の価値を薄めるのに等しい」
俺の返答をバーガスは鼻で笑うが、これは俺の楽しみ方のこだわりだ。
蒸留酒が注がれたグラスを受け取り、一気に呷ってテーブルに置く。それに再び蒸留酒が注がれたところで、本題に入って行く。
「鉱石商のサラマイヤーを知っているか?」
「サラマイヤー? あぁ、強盗に入られたって店か、盗るものなんて大してなかっただろうに」
「サラマイヤーが借金を重ねていたことは知っていたのか?」
これはあくまでも確認のための質問でしかない。身を売り、奴隷になるということは、奴隷を買うものが存在する——つまり、ラガロ・バーガスのような男だ。
「もちろんだ。あいつからは数ヶ月前に身売りの相談を受けていた。その後経営状態が改善したのか、身売り話はなかったことになったが、また借金を積み上げていたのか?」
「いや……どうやら資金繰りに困っていたのはずっと続いていたようだが……なら、これについては何か知っているか?」
蒸留酒が注がれたお互いのグラスの中央に、サラマイヤーの寝室で見つけた赤い小石を置くと、バーガスの目が僅かに細く反応し、窺うように俺へ視線を向ける。
「とって確認してくれて構わない」
これが、バーガスを訪ねた本命。鑑定眼で高価なものだとは判っているし、アンの知識でこれが何かはすでに判っている。
「一目見ればこれが何かは判る……だが、お前がこんな物を持ってくるとはな……」
バーガスは赤い小石を摘み上げると、ランタンの明かりにかざして中心で炎のゆらめきにも似た輝きを放つ様を見つめる。
「賢者の石……だな?」
賢者の石——それは“知の神パラケー”と親和性が高く、神具の効果を数倍にも増幅するブースターとして重宝されている希少鉱石されているだ。
だが、その入手難度と効果の高さから、神王国ベネトラでは禁制品として輸出入・売買・譲渡・貸借などが禁止され、扱えるのは枢機卿直下の商会だけとされていた。
「それが判るなら、これを取り扱える場所がどれだけあるかも判るな?」
「そりゃぁ判らなくもないが……」
「この中にあるか?」
派遣教会で書き写してきた鉱石商や神具職人のリストをテーブルに滑らせる。
リストを受け取ったバーガスは、眉を顰めながら確認しているが、俺が望んだ返事はなく。首を横に振ってリストをテーブルへと戻した。
「ないな、ここに載っているのはサイランの主要な鉱石商や工房のようだが、賢者の石ほどの禁制品を扱うようなところじゃぁない。第一、サラマイヤーのことを聞きに来たのに、なんで賢者の石が出てくる? まさか、あの小心者が密輸に手を出していたって言いたいのか?」
「小心者?」
「そうさ、とてもじゃないが悪事ができるような性格はしてない。奴隷として身を売ろうとしていた時も、どこかの大商家に買われることを希望していたしな」
となると、賢者の石はサラマイヤーの意思で隠し持っていたわけじゃなさそうだな——それに、この石のことをメリナ・サラマイヤーが話さなかったのは、やはり裏に後ろめたいことがあるから——か。
バーガスが再び賢者の石に手をばそうとした瞬間にすかさず回収すると、「あっ」と声が上がった瞬間には賢者の石とリストを上着のポケットへ仕舞い込んだ。
そして同時に取り出した硬貨数枚をグラスの中へ落とし込むと、テービルの上を滑らせてバーガスが飲むグラスへと当てた。
「情報料だ」
「何が情ほ——」
情報は得られた。バーガスに俺が賢者の石を持っていることを結果的に知られることとなったが、それを異端審問官に通報することはないだろう。
そんなことをしても、儲けるのは枢機卿の関係者だけだ。バーガスから見れば、俺が持つ賢者の石を買い取りたいと言う方が利益になるに決まっている。
そのチャンスをみすみす逃すような悪手を打つ男ならば、俺もわざわざ情報を聞きに訪れたりはしないが、それを言わせるほど長居するつもりもなかった。
そして、そろそろ墓地に戻らないと夜の巡回に遅れてしまう。便利屋として金儲けもするが、生活の基盤たる墓守の仕事を疎かにするつもりもない。
金儲けは幅広く行わなければ、心地よい充実感は得られないのだ。
バーガスの声は無視し、奴隷商館を出て墓地へと戻った。
サラマイヤーは枢機卿直下の商会などではない。何かを探すように荒らされた屋内に、激しい拷問の痕跡。
そして隠されていた賢者の石——この依頼、ただの復讐や再出発のためじゃない。
何か別の目的があっての依頼。それを直接メリナに問いただしてもいいが、依頼人に何か思惑があるのは当たり前の話だ。
それよりも先に果たすべき金儲けを進める——明日はダダーリン兄弟の追跡だ。