駒井元刑事 14
T都M区。皇居からほど近いオフィス街に、その病院はあった。都心を走る地下鉄の駅から降りて三十秒。国内でも一等地にある帝正会病院の一階ロビーが、成川の指定した待ち合わせ場所だった。
駒井は手をかざして病院を見上げた。外観は周囲のビルと違和感が無く、銀行や証券会社の本店のようにも見える。最上階の角にビルの外壁と同じ目立たない色で帝正会病院と書かれた銘板がある。それさえ無ければそこが病院だと判断できるものはいないだろう。
車が途切れるのを待ち片側二車線の道路を走って渡ると、入り口と思わしきドアを開けて奥へと進んだ。
駒井は中に入って驚いた。そこは全く病院らしくない。三階まで吹き抜け構造になっていて、柔らかいクリーム色の照明が建物内を照らしている。観葉植物がバランス良く配置されており、ほどよいボリュームでクラシック音楽が流れていた。受付と思われる場所は高級ホテルのロビーを思わせる雰囲気で、病院らしい無機質な感じが全く無い。入院服を着た患者が全く見当たらず、スーツ姿の背筋を伸ばした健康体にしか見えない男が、受付の女性に礼を言って入り口から出て行った。
常識離れした病院のロビーに、成川信佳は溶け込んでいた。向こうから声をかけられるまで駒井は気付くことができなかった。
「駒井刑事」
ふり向くと、中性的だが逞しさも合わせ持つ雰囲気の男、成川信佳が立っていた。
石田が持ってきた小学校の卒業アルバムでは、まだあどけなさの残る少年だったが、今の成川は大人を飛び越えて老成したかのような雰囲気を纏っていた。例えるなら熟練の剣士だろうか。目つきが険しく美男子の部類に入るが、十代の若々しさが全く無い。写真で見た田鳥も美男ではあったが、あっちは色白で外国人クオーターらしい外見だった。目の前の成川とは対照的だ。
「わざわざご足労頂いてすみません」
「いえ。待たせてしまいましたかな?」
「僕はかまいません。立ち話も何ですので、座りましょうか」
まるで商談でも進めるかのような流れで、駒井と成川はロビーの椅子に腰を降ろした。
駒井が驚いたのは、成川の座る所作までもが完璧だった点だ。椅子に座った時に衣擦れの音一つ出さずに、背筋は張り顎は引いている。茶道か華道のようなものを習熟している者の動きだった。出会って数十秒だが、駒井は成川に対し畏怖と好意を抱いた。邪さは全く感じられない。だから彼の第一声には耳を疑った。
「一連の全ての不幸。松村さんの事故は当然のこと、菊池君の死やレオによる田鳥の殺害だけではなく、田鳥の被害にあった少女についても、全て僕に責任があります」
駒井は口を開けたまま固まってしまった。
美々の事故死は、死んだ菊池君の頼みで、彼女を事故現場まで連れてきたからではなかったのか?
それに、田鳥の被害にあった少女?
彼が田鳥に少女を紹介していたとでも言いたいのであろうか?
「僕はこれから全てを話すつもりです。ですがその前に、二つ約束してほしいのです。一つ目は、相良環についてこれ以上詮索しないで下さい。彼女は僕に引き摺られたことにより不幸になりました。僕が彼女の人生を掻き乱したために、彼女の心は蝕まれてしまったのです。駒井刑事は松村家の方々に頼まれて調査をしているのですよね?」
「元刑事です。五年前の事故の後に退職したので。たしかに、成川君のおっしゃる通り、松村家の方々のために動いています」
「そうですか。失礼しました。松村家の方々のお怒りは無理もありません。ですが、相良についてだけは見逃してほしいのです。彼女が美々さんの事故に関わった部分や、美々さんのご兄弟に与えた迷惑の咎は、全て僕が引き受けます」成川は真っすぐに頭を下げた。「この通りです。そうでなければ、田鳥を殺害したレオの想いも無駄になってしまう。彼は先ほど自首しましたが、相良のことは口に出さないつもりです。情状酌量を受けられず重い刑を背負うことになるでしょうが、彼もそれを望んでいます」
松久保が自首? 駒井が驚くと同時に、懐のスマートフォンから着信音が響いた。
らしくない内装だが一応は病院の中だ。駒井は素早くメールを確認した。
〈橋本〉 松久保が自首しました。取り急ぎご報告します。
橋本からのメールは、今まさに成川が言った事の証明だった。事前に松久保と相談していたのだ。彼が逮捕された後の事を。
「どうか、約束して下さい」成川は頭を下げたまま動かない。
「私が口約束を破る可能性は考えないのですか?」
「仮にそうなったとしても、その後に起きる事も全て背負う覚悟です」
成川は実に堂々としている。良い意味であきれる少年だ。
「わかりました。あなたの男気を信じます。私は今後、相良環さんの擁護を最優先に考えます。ただし、彼女が心の芯まで悪だと判断した場合、この約束を破ります。それで良ければ」
駒井の言葉を聞くと、成川はようやく頭を上げてにっこり微笑んだ。その笑顔は年相応の幼さが残っていた。
「それで、二つ目の約束というのは?」
「それは、後にしましょう。今は先に僕の犯した罪を告白します」成川の顔が暗く沈んだ。
「松久保と相良をペアにさせたのは僕なんです。彼らとは小学生の頃からの付き合いですが、松久保はスポーツ学部、相良は芸能学部、僕は一般学部と分かれていて、顔は知っていても付き合いはありませんでした。ある時、相良がレオに片想いしているという事を知りました。レオについて調べると、典型的なサッカー馬鹿というやつで、サッカー以外の事に興味を示さない奴でした。僕は相良を手助けすることにより、相良の想いを叶えることに成功しました。その時に知ったのです。人助けをする楽しさと、人の喜ぶ姿を見る事の幸せを。
そして僕は、恋をしているが想いを打ち明けることができない人を探し、助言を与えるようになりました。そんな時にインターネットの恋愛相談サイトで菊池君を見つけたんです。彼は奥手であるために恋に悩んでいて、誰かの後押しが無ければ前に進めない状態でした。そこで僕は彼に提案したんです。君の恋を手助けするから、代わりに君が恋を叶える様子を撮影させてほしいと。先ほどの電話で駒井さんは盗撮とおっしゃりましたが、松村さんに対してはその通りです。ですが、菊池君に関しては撮影の許可を得ていました」
ああ、と、駒井は納得した。さっきの電話で奇妙な間があったのはそういうことか。盗撮と撮影では意味が違いすぎる。
「僕はその時、田鳥先生とレオや相良に協力を頼みました。松村美々さんのことを慎重に調べ、彼女が友人と花火大会に行くことを知り、事前に花火大会の場所を調べて、撮影しやすいよう立ち入り禁止区域に誘導することを決めたのは、全て僕です。危険を認識はしていましたが、僕が隠れやすくて撮影に最高の場所だったため、計画を進めてしまいました。彼女の浴衣に近くの出店で購入したイチゴのシロップをかけて、田鳥先生とレオが警備員を引き離しているうちに彼女を連れて行くという作戦も、僕がその場で思いついて相良に実行してもらいました。予定ではあそこで正式に別の花火大会へとデートに誘い、次で告白させるつもりでした。ところが、あの事故が起きたことにより全てが狂ってしまったのです」
成川の話は衝撃的だったが、しっくりくる話でもあった。理路整然としていて声に濁りが無い。美々がえりりんとトイレに行く事なんて分かりようが無いはず。彼が咄嗟のアドリブで全てを進めたという言葉には説得力があった。同時に彼の心の痛みも理解できた。恋を叶えてあげようとした菊池君の想い人を怪我させてしまうなんて。
「事故の後、田鳥先生の勧めで逃げることにしました。レオだけは残るべきだと主張したけど、『僕の身にもなってくれ。仕事を失うし、君たち全員の学生生活も続けられなくなるぞ』という言葉により、全員で逃げてしまいました。僕も恐怖に押し潰されてしまっていたんです。
そして数日後、彼女の入院先を調べて、田鳥先生を除く四人でお見舞いに行きました。面会謝絶で会えずに帰ったけど、あの時既に僕たちの考え方も分かれてしまっていました。徹底してとぼけるべきだと主張する田鳥に、相良が従いました。レオは自首して全て告白するべきだと考え、菊池君は田鳥の言い分を認めつつもレオに賛成していました。そのことがレオと相良の間に決定的な亀裂となって、互いに距離を置き始めることになってしまいました。そして、僕だけがどっちつかずで悩み続けていたんです」
実際に面会簿を調べた駒井は、成川が嘘をついていないことがわかった。四人の記名はそれぞれの心の葛藤を如実に表している。
「田鳥先生は……田鳥は、最初に会った時は良い人だと思っていました。だけど、花火大会の事故の後、彼は本性を徐々に隠さなくなっていきました。普段はカリスマ性の溢れる雰囲気というか、行動の全てが魅力的に見える人なのですが、それは全て彼の計算であって、本性は例えるなら花に擬態する蜘蛛のような人間だったんです。相良は少しずつあいつに絡めとられて、レオと距離ができるにつれて田鳥の言いなりになっていきました。その後にあった松村さんの兄弟に対する嫌がらせは、田鳥が主導して二人が動いたものです。菊池君の写真がネットに出回ったら、似たような顔をした少年の写真を大量にばら撒いたのも田鳥でした。あの頃には既に相良の心は壊れてしまっていたんだと思います」
その話なら、駒井は松村優太から聞いたことがある。無関係なハリウッドスターが犯人扱いされていたとか。あれも田鳥の計略だったのか。
「ただ、時間が経つにつれて、菊池君も田鳥の意見に流されていった気はします。そして、松村美々さんの意識が回復した日に起きたことですが……正直、田鳥がそこまでやるとは思いたくないけど、あいつならやれるとは思います。二人の間にどんな会話があったのか今はもう分からないけど、何かがあったとしても不思議じゃないとしか言えません。
中等部を卒業して別々の高校へ進んだ頃には、僕たちの関係は既に崩れていました。そして今になってレオが事件を起こしたのは……色々と思う所があったのでしょう。レオは田鳥をどうしても許せなかったのだと思います。先ほど自首する前に電話がありました。どうか相良を見守ってやってくれと」
駒井は成川の話を聞きながらも頭を働かせ続けていた。彼は嘘を言ってはいないように聞こえるが、話が進むにつれて曖昧な言い回しが増えている。何々だったと思いますと、言葉が断定形から推測ばかりになっていった。
まだ隠していることや言いたくないことがあるようだ。駒井は気付いている矛盾点を突いてみることにした。
「成川君、そもそも、君たちはどうやって田鳥教諭と知り合ったのですか? 彼とは学校が違うし、接点が無かったはずですよね」
駒井の質問に成川は黙り込んだ。
「それに、まだ二つ目の約束というものも聞いておりません。それも聞かないことには、私もどう判断すれば良いのか答えが出ません」
「それは……」成川が黙り込んだ時、病院内に流れるクラシック音楽が途切れて、曲調の違う音楽が流れた。「場所を変えたいんですけど。言葉よりも見たほうが早いです」




