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駒井元刑事 13

 住宅街の中に建てられた比較的新しいマンション。クリーム色の外壁は新しく、正午を過ぎた太陽の光を跳ね返していた。窓の面積がかなり大きくとられている。建物そのものはおそらく耐震基準を厳格化した法改正後に建てられたものだろうから、耐久性能に問題は無いはず。周囲は三階立て以下の低層住宅やアパートが多い。それなりに値が張りそうに見える。

 相良環の住む五階立てマンションを見上げながら、駒井はハッカ飴を噛み潰した。

 数日かけた身辺調査により、彼女の現状は把握していた。警察の張り込みは無い。松久保には四六時中張り付いているだろうから、A警察は彼と相良の交際が今は途切れていて、田鳥殺害の件に関係していないと考えた、もしくは過去の交際に気付いていない可能性が高い。

 一人娘で兄弟は無し。共働きの両親や祖母と住み、祖父は長期入院中。マンションの駐車場に空きが無いため車は保有していないが、祖父母の古い家が徒歩五分ほどの所にあるため、買おうと思えば買ってそちらに停められるだろう。両親とも普段の通勤は公共交通機関を利用しているので、必要な時だけレンタカーを借りれば十分と考えているようだ。そしてこの時間は家事全般を担当している祖母がよく出かける。彼女は高齢者用の手押し車を押してスーパーへと向かうが、買い物の前に長い時は二時間近く、隣の喫茶店で常連の高齢者たちと雑談を楽しむ。つまり、その時間は相良環が家で一人になる。

 二階角にある五LDK住宅の玄関から、待っていた人物が現れた。相良環の祖母だ。彼女はいつものように水玉の手押し車を押しながらエレベーターを降りて、繁華街方面へと向かった。通りの角を過ぎて見えなくなると、駒井は相良家のドアの前に立ち、インターホンを押した。

 数秒待つと「はい?」という、やや不機嫌そうな女の声が聞こえてきた。

 駒井は偽ることなく、正面から対峙する覚悟を決めていた。「S区S警察署で刑事をしていた駒井と申します。松久保玲旺君についてと、五年前の花火大会であった事故についてお話を伺いに参りました」

 彼女の家は角部屋であるため窓が多い。二階だから、その気になれば飛び降りて逃げられる可能性もある。静まり返った住宅街の中、駒井は耳を澄ませて窓の開閉音を聞き逃さないよう注意を向けていたが、それは杞憂に終わった。玄関扉の奥から足音がして、ドアの鍵とチェーンを外す音が聞こえた。そして、中から相良環らしき女が顔を出した。



 居間へと通され、彼女が向かい側のソファーに腰掛けるのを待って、駒井も腰を下ろした。

 相良環の容姿は変わり果てていた。腹周りについた肉は無地のトレーナーを引き裂かんばかりに伸ばし、足の太さは明らかに頭の倍はある。背が高く頭そのものが小さいため、外国人のような体型だ。喉と顎の肉が一つになり、顔に化粧っ気は全く無い。疑い深く光る二つの目が駒井を品定めしていた。

「あなたは、松久保玲旺君と交際していた相良環さんですね」あまりにも別人のような外見だから、念のために尋ねた。

「……そうよ」相良は口をほとんど動かさずに答えた。

「五年前あなたは、菊池翔空君、田鳥輝巳教諭、松久保玲旺君らと共に、S区の花火大会に行きましたね?」成川信佳がビデオを撮影していた意味がどれだけ考えても分からなかったため、あえて曖昧に尋ねた。

 駒井の質問に、相良は何も答えない。頬に肉がついているため目つきが悪く、睨んでいるように見える。

「菊池君は松村美々さんという少女のことが好きだった。彼の恋を叶えるため、あなた達は彼に協力することにした。人気の無い場所で二人きりにさせるつもりだったのでしょう。彼女が一人きりになるタイミングを待ち、あなたは事故を装って彼女の浴衣にイチゴ味のかき氷をかけた。そして、汚してしまった浴衣をなんとかすると話し、手を引いて花火大会の立ち入り禁止区域に誘いこんだ。そこを見張るべき警備員は、田鳥教諭と松久保君が連れ出していたから、侵入は容易だった」

 駒井が喋っても、相良の表情には全く変化が無い。巨大な腹と胸が上下に動いている。

「そこで不運な事故が起きます。花火の玉殻が松村美々さんの頭部に当たり、彼女は意識不明の重体に陥った。あなたたちは救護すること無く、現場から立ち去りましたね?」

 相良は相変わらず何も言わない。

 だが、何も言わないということ自体を、駒井は肯定と捉えた。

「しばらくすると、松村美々さんの兄弟が、彼女の携帯電話に撮影されていた菊池君と、菊池君と年が近い協力者と思われる松久保君を探し始めた。松村さんの兄弟は、菊池君と松久保君の特徴から、年齢の近い友人関係と考えた。そこで、美々さんの知人やインターネットを頼りに、菊池君に似た少年を片っ端から探し始めた。写真に似た一重瞼の少年と松久保君の特徴である日焼けした少年、その二人が一緒にいる所を抑えようと考えたのです。

 そのことを察知したあなたと田鳥は、菊池君達を守るために、彼らの妨害をして諦めさせようとした。松村優太君には田鳥が運転する偽装した覆面パトカーで近づき、あなたが婦警のフリをして彼を脅した。そして、松村健二君に対しては事前にあなたの下着を撮影したデジカメを用意して彼の近くに置き、盗撮魔の汚名を着せようとした。それに失敗すると、健二君が警察に囲まれている様子を撮影した画像をインターネットにばらまいた」

 ふ、と相良が笑ったように見えた。嘲ったような感じだ。

 何か間違った事を言ったのか? と、駒井は自問したが分からない。

 ならば直接聞くまで。「私が何かおかしいことを言いましたかな?」

 再び相良の表情は無くなった。彼女はどうやら徹底して貝になるつもりらしい。ソファーに深く腰掛けている様子から、突然襲い掛かったり逃げ出そうとしたりする気が無いのは窺えた。

「美々さんの意識が回復した後、菊池君は自殺しました。場所は言わなくてもご存知ですね? 直後に美々さんの容態も急変して亡くなられたわけですが、私は菊池君の自殺は殺人事件だと考えております。状況証拠や遺書の存在から自殺として辻褄は合いますけど、殺人の可能性も否定はできない。

 仮に美々さんが怪我から回復したとして、彼女が特定し得るのは菊池君だけという自信があったのでしょう。なぜなら、彼とあなた達は年齢こそ同じだが学校が違うし、菊池君の携帯電話にはあなた達とのやりとりが見つからなかった。おそらくインターネット上で知り合った仲なのですね。そして、菊池君は両親にあなたたちとの交流を知られたくないがために、こまめにログを消していた。そのことをあなた達にも話していたのが仇になった。菊池君の口さえ封じてしまえば、警察はあなた達に辿りつけず、罪に問われることは無い。だから殺した」

 駒井は一気にまくしたてたが、それでも相良の反応は鈍かった。話が聞こえているのだろうかと不安になってくる。

 何とか彼女の口を開かせることができないだろうか。「田鳥教諭が児童にわいせつ行為をした疑いで懲戒免職になったことはご存知ですね?」

 相変わらず顔に変化が無いが、駒井はようやく相良の弱点に気付いた。動揺すると瞳がブレるのだ。

 駒井が訪問して家のドアを開けた直後と、怪我をした美々を救護せずに立ち去ったのかと詰問した時。そして今、わいせつという単語に反応して瞳が揺らいだ。

 おそらく想定外のことが起きたり、強く印象に残っていることを言われたりすると、隠しきれないのだ。美々の事故は本当に想定外だったのだろう。思い出して耐えきれなかったようだ。

 駒井は確信した。相良はそれほど心の強い女性ではない。

「田鳥教諭が殺された事件は?」

 瞳がブレない。

「田鳥のパソコンから、たくさんの女児とのわいせつ動画が見つかったことは?」

 瞳が大きくブレた。間違い無く反応した。

「田鳥殺害の容疑者として、あなたと交際していた松久保玲旺君の名が上がっています。彼の動機に心当たりが……」

 突然、ソファーの横に置いてあった相良のスマートフォンが鳴り出した。相良は駒井をちらりと見たが、何も言わずに画面を見ると、勝手に会話を始めた。相手の声は聞き取れない。

 気勢を削がれた駒井は、言葉少なめに電話している相良から目を離して部屋を見回した。四十インチくらいの液晶テレビの横に観葉植物。採光性の高い窓のため、緑がとても優しく映る。

 二人が向かいあって座るソファーの左側には、大きなカレンダーが壁にかけてあった。


 出張ー金曜日の深夜に帰宅予定

 免許更新ー高齢者講習。夕飯は外で


 家族の名前と予定が書いてある。家族同士の連絡用メモに使っているみたいだ。


 駅前の美容院予約ー帰宅夜九時以降 タマ


 駒井は崩れた文字に見覚えがあった。タマは環のタマだろう。

「うん。今家にS区の元刑事だって奴が来てるんだよね。ジジイがわけわかんないこと言ってる。頭ボケてるみたいでさ」

 突然大きな声が聞こえてきた。駒井が見ると相良は嘲笑うかのような顔でこちらを見ながら、わざと聞こえるように会話をしている。

「もうすぐ帰ると思うからさ、それまでもうちょっと」

 その表情を見た駒井は、相良が自分は何も悪いことをしていないと考えている事を悟った。

 さっきもこの顔を見たことがある。駒井の言ったことのどこがおかしかったのか分からなかったが、彼女はどうやら『菊池君を助けるために、松村兄弟を妨害した』という所を笑ったのではないだろうか。

 彼女は菊池君を助けるのではなく、自分の身を守るためだけに、田鳥と組んで行動したのだ。女優やモデルとしてのキャリアを潰してしまわないために。自分の身を守るためなら、他人のことなどどうでもいいと考えている。

「あのさあ、駒井さんでしたっけ。さっきからあなたの言ってることって、全部推測ですよね。五年も前のことで、証拠が何一つ無いんじゃないですか? 変な妄想で言いがかりつけられても困るんですけど」相良はふてぶてしく言い放った。

「たしかにあなたのおっしゃる通りです。ですが、亡くなられた方やご家族のためにも、私には全てを明らかにする義務があります。元刑事として」

「おたくの義務なんてどうでもいいし。終わったこといちいち掘り返しても、周りからうざいと思われるだけでしょ」相良はあっけらかんとして、話を終わらせようとしてくる。

「松久保君の事もそうやって放っておくんですか?」

 三度、相良の表情が消えた。

「彼はあなたのために田鳥を手にかけた。違いますか? 彼のこともどうでもいいで終わらせるつもりですか?」

 相良の小さな口が再び閉じたまま動かなくなる。

「警察だって過去の事件を再捜査するとなったら、とことんやります。見落としていた証拠だってかき集めてみせますよ。あなたが菊池君を突き落として殺した事実だって探しあてます」

「はあ?」相良は甲高い声をあげた。

 勿論、駒井は相良が菊池君を殺したとまでは思っていない。このまま問い詰めても相良は口を割りそうにないため、少し脅かすことにしたのだ。

「あなたは松村兄弟やI警察派出所の警官に顔を見られています。再捜査するとなったら、その方々の証言も得られるでしょう。動機は十分だし、状況証拠だけで殺人の有罪にもできるのですよ?」

 これは嘘だ。いくら何でも駒井の集めた情報だけでは、殺人を立件することは不可能だ。

 だが、相良にはいくらか効果があったようだ。徐々に顔色が悪くなってきた。

 駒井はここで、彼女がスマートフォンの通話をまだ切っていないことに気付いた。片手で鷲づかみして指が太いため画面が見えないが、液晶が点灯していることはわかった。

 彼女がこの状況で、駒井の話を聞かれてもかまわないと考える相手は一人しかいない。

「通話の相手は、成川信佳君だね?」

 相良の顔が上がり瞳がブレた。

「さっきからあなたは証拠が無いと言ってるけど、あなたたちが花火大会の事故に繋がりがあることを示す物証はあるんですよ。松村美々さんの見舞いへ来た時に記入した、永体会病院の面会票です。菊池君と松久保君は、逃げも隠れもするつもりが無かったのでしょうね。名前や住所氏名電話番号、全て正直に記入していました。成川君も名前だけは書いていましたが、それでも全部記入するのはまずいと考えたんでしょうね。他の部分は書かれていませんでした。ただ、あなたは違う。あなただけ、前川和美と偽名でしたよね。逃げ切る意思が見てとれます」駒井は壁にあるカレンダーを指さした。「そこには、『駅前の美容院予約』とあります。他には三人のご家族の記名もあって筆跡が違うので、あれを書いたのはあなたで確定です。そこの一文にある『前』と『美』の文字は、面会票にあった前川和美の筆跡と同じに見えます。あれもまた物証になりますよ」

 駒井が捲し立てると、相良の肩が落ちた。最初に向かいあった時よりも巨体が一回り萎んだように見える。

 その時、相良の持つスマートフォンから声が漏れ聞こえてきた。彼女を呼ぶ声らしい。

 相良は受話口を耳にあてると、相手の声をずっと聞き続けていた。時々相槌を打ち、大きくため息を吐くと、駒井にスマートフォンを無言で突き出した。

 受け取って耳にあて返事をすると、男の声が聞こえてきた。

「あんまり相良のことをいじめないであげて下さい」

「君が成川君だね?」

「はい」

「花火大会の夜、ビデオカメラを持って菊池君と松村さんを盗撮していた成川君だね」

「……その通りです」

 若干の戸惑いがあった。

 正直、駒井には彼が事故にどう関わっているのか見当がつかなかった。それだけに不気味な存在だ。

「分からないこと、まだ多いんじゃないですか?」そんな駒井の考えを察したようで、成川から話を切り出してきた。「今日はまだ、時間ありますか?」

 駒井は時計をチラリと見て、はいと答えた。

「今から出て来られませんか。来て頂けたら全てを話しますよ。僕はもう逃げません」

 駒井は相良を見て躊躇った。

「ああ、彼女は逃げたり、ましてや自殺なんて絶対しません。僕が保障します」

 成川の声は落ち着いていて、不思議な説得力があった。駒井は待ち合わせの場所を聞き、スマートフォンを相良に返すと、相良家を後にした。


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