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駒井元刑事 9

 雨も止み、夕方の日没時間に合わせて、駒井は車を西へと走らせた。川を渡って隣県に入り国道を走り続け、帰宅する車列の渋滞に巻き込まれながら一時間。

 ラブロ不動産から教えられた田鳥輝巳の姉が住むK県O市は、街並みが意外に新しい。防風林や畑の裏側に抜けると、国産高級車がずらりと並ぶ駐車場が見えた。周囲の建物は新しくて奇抜なデザインが目立ち、茶色やピンクといった個性的な家屋がゆとりを持って並んでいる。単身者向けのマンションがポツポツとあり、どれも外壁が夕日で赤く輝いている。

 少々予定より遅れたため、駒井は焦っていた。国道の渋滞に捕まっていなければ、今頃はとっくに着いていたはずの時間だ。仕事帰りから夕飯前のリラックスした時間を狙って、田鳥の姉に聞き込みをするつもりだったのだ。

 小高い丘になっている坂道を登り、門扉や電柱に書かれている住所を目で追いながら、探していた平手ひらてと書かれた表札を見つけると、広い道路の左端に路上駐車した。すぐ隣には内科の個人病院があり、周囲には人っ子一人いない。静かな環境だが、車が無ければかなり不便な場所だと感じた。

 玄関までの砂利道を歩く時に大きめの足音が鳴る。リビングの奥で人が動く気配と視線を感じた。

 インターホンを押すと、すぐに目の前のドアが開いた。カレーの香ばしい匂いがして、中からエプロンをつけた駒井と同年代くらいの女性が現れた。

「はい」

「こんばんは。私、T都S区S警察の駒井と申します。平手ひらて真由子まゆこさんはいらっしゃいますでしょうか」駒井は現役の刑事のフリをした。田鳥が殺された時、アパート捜索に親族の女性が立ち会っていて、非常に協力的だったらしい。警察の名前を出せば、手帳が無くても話をしてくれると賭けた。

 途端に、女性の顔は曇った。

「あの、真由子はまだ大学から……」

「いいって。母さん」

 リビングからトレーナーにスウェットパンツの、リラックスした服を着た女性が現れた。歳は四十前後といったところか。「私が平手です」

「初めまして、駒井と申します。本日は……」

「弟の事を聞きに来られたんでしょう? 回りくどい言い方はされなくて結構です」真由子は、ポケットからマルボロとライターを取り出すと、口にくわえて火をつけた。

 田鳥が殺された後も、A警察の関係者が何度も聞きこみに来ているのだろう。平手真由子は不愉快さを全く隠そうとしない。

「母さん、ちょっと出てくるね」

「マユ、でもお夕飯が」

「外の車の中で話するだけよ。ええと、駒井さん。母はもう田鳥の家とは無関係だってこと知ってるんですよね。だったら話を聞くのは私だけでよろしいでしょう?」

 駒井は返答に窮した。ラブロ不動産の資料には、平手真由子は田鳥と共にグロリアスアイの不動産を所有する権利のあった姉と載っていただけだ。

 駒井が黙り込んだのを見て、真由子は苛立ちを更に募らせたようだ。

「母さんは見ての通り平凡な主婦です。何も知りませんよ。私は何でも答えますから、それで十分でしょう。さあ、行きますよ」

 真由子は駒井を無視してさっさと玄関から外へ出た。なんとなくだが、母親を警察から守るため、遠ざけようとしている印象を抱いた。

 真由子に続いて車庫に入ると、比較的新しいトヨタ車が目に入った。奥にはうっすら汚れた、しばらく乗っていない様子のハーレーダビッドソンがあり、車載工具が床に並べられている。

「このハーレーは真由子さんのものですか?」

「はい。でもしばらく乗ってないから、ボロくなってますけどね」

 マルボロのタバコといい、真由子はかなり男性的な趣味嗜好の持ち主らしい。家の玄関で靴を見たが、パンプスと同じサイズのスニーカー、それに母親の物と思われるマジックテープで止める靴しか無かった。子供用の自転車なども見当たらない。どうやら独身で母と娘の二人暮らしのようだ。

 真由子は運転席のドアを開けてドサリと座ると、タバコを車内の灰皿に押し付けた。駒井も助手席のドアを開けて横に座った。真由子が運転席のドアを開けっ放しにしているため、駒井側の助手席のドアも開けておく。タバコの煙を籠もらせないように気を利かせているようだ。

「それで、今度は何を聞きたいんですか?」

「そうですね。まず、平手さんの事についてお聞きしたいのですが。ご職業などは」

「え? 大学の准教授ですけど」

 准教授。ラブロ不動産の男は、公務員と聞いているとしか言わなかった。五年の間に役職が上がったのかもしれない。

「それは前にも言ったので知ってるはずですよね、って、ああ、そういえばさっきあなた、S警察っておっしゃってましたね。A警察の方じゃないってことは……、そうか。弟の被害にあった女児の関係ですね」

 真由子は勘違いをしているようだが、駒井としてはどんな話でも聞いておきたい。とりあえず話を合わせながら色々聞くことにした。

「ええ。その件も含めてですね」

「そうですか。詳しい事は全てA警察に話したんですけどね。私は、いや、平手の家は、田鳥の家と完全に袂を分けているので、もうこれ以上話せることもありませんよ。弟からはマンションを処分した時に連絡が来ただけで、それ以降は事件で殺されるまで一度も電話すらしていません。当然、被害に遭われた女児のことなんて全く分かりませんよ」

 随分冷たい言い方だ。先ほどの母親の身を案じた態度とはかなり印象が違う。

「すみません。S警察では、真由子さんと弟さんが離れて暮らす理由すら把握していないもので。できれば、そこから詳しくご説明願えますか」

「はあ。そうなんですか」真由子はポケットからマルボロの箱を取り出して、新しいタバコを口にくわえた。そして駒井のほうにも箱を向けた。「吸います?」

「いえ。しばらく前に止めているので」駒井はポケットからハッカ飴の入った包み紙を取り出した。「どうですか?」

「いえ、結構。ハッカ飴ですか。大学でもそればかり食べる人いますね。眠気が飛んで頭が回るようになるんだとか」

「ええ。禁煙する時に舐めだしたら癖になったんです」駒井は飴を二個口に放り込んだ。「大学ですか。お勤めの場所はお近くに?」

「ええ。このあたりは二十年ほど前に移転統合した大学を中心に作られた町ですからね。買い物は不便だけど道は空いてて便利ですよ」真由子はタバコの煙を車外に向けて吐いた。「そう。二十年か。ちょうど二十年前に、私と弟の父親が死んだんですよね」

 フロントガラスに真由子のぼんやりした顔が映る。駒井は黙って彼女の話を聞くことにした。

「父と母が結婚したのは、もう四十年以上前になります。すぐに私が生まれたんですけど、父は浮気癖が治らない人だったらしくて。いや、田鳥家の男は、みんな女癖が悪いみたいですね。スペイン人の祖父の影響を受けているんでしょう。父がハーフで、私と弟がクオーターなんです。私の見た目は日本人だけど、弟はかなり外人っぽいでしょう」

 橋本から貰った田鳥の写真を思い出した。たしかに手足が長く色白で、病的だが魅力的な顔立ちだった。

「私が三歳の時に離婚しまして。その後父は別の女と再婚して、またすぐに離婚。弟は三度目の結婚相手との間にできた子供でした。父はその相手とは長く続いたみたいですね。その後子供は出来なかったみたいだけど。で、私が二十歳、弟が九歳の時に、父と再婚相手の女が事故死します。たしか、赤信号で突っ込んできた飲酒運転の車に、夫婦そろって跳ねられただとか。跳ねた男が、グロリアスアイに住む夫婦の息子でね。自賠責保険しか入っていなくて、払えない賠償金はあのマンションを渡すってことになったんです。っと、グロリアスアイって分かります?」

「ええ。今日の昼頃に見てきました。弟さんが住んでいたA区のマンションですね」

「そうです。まあ、住むのは大学卒業して教師になってからですけどね。ええと、そこだな。両親が死んだ後の弟だけど、祖母はその時既に病死してて、祖父はボケて老人ホームに入院中。父には弟が一人、私と弟にとっての叔父がいたので、そこに引き取られることになりました。それで、遺産については、私と弟が保険の金を半々。弟はそれプラス不動産を受け取りました。叔父はO府に住んでいて、グロリアスアイは当時はそこそこの資産だったので、賃貸に出すことにして、弟もO府に住むことになりました。正式に養子にはならなかったそうです。で、自費であっちの大学を卒業して、移住に備えて数年前から空き部屋にしていたグロリアスアイに住み始めました」

 全く隠さずにスラスラと喋っているが、話通りだと、たしかに田鳥のことを弟と呼ぶには関係があまりにも遠い。一緒に過ごしたことも無いし、姉弟の愛情がわかないのも当然かと駒井は思えた。

「とまあ、私は弟とは数えるほどしか会ったことがありません。ですから、事件については何も役に立つことはできないと思いますよ」

「ちなみに、最後に会ったのはいつですか?」 

 真由子は考え出した。そこで、タバコが燃え尽きかけて指が熱くなったのか、慌てて灰皿に押し付けた。ポケットからタバコを取り出したが、最後の一本だったことに気付き箱を握りつぶした。

「やっぱり、ハッカ飴一個貰っていいですか」

「ええ、どうぞ」駒井は三粒取り出して真由子の手のひらに乗せた。

「ありがとうございます」早速口に含んで舐めだした。「ああ、たしかに鼻がスース―して頭が冷たくなりますねこれ。……ええと、そう。最後に弟と会った時ですね。弟が就職した時だから、七年前かな。東京に戻ってくるって言うから、引っ越し祝い持って手伝いに行ったんですよ。十年以上会っていなかったから、どう育ったのか興味あったんです。母が持っている父の写真と似た感じになっていて、胸がむかついたのを覚えてます。外見は良く見えるんですけどね、生理的にダメなんです。あの手の病んだ感じが」

 真由子は鼻から大きなため息を吐いて、腕を組んだ。

「いや、あいつは実際病んでいたんでしょうね。引き取った叔父ってのが、水商売をやっていて、田鳥家の血筋通り色男らしいが、半ばヒモのような男だったそうで。弟が引き取られた頃は奥さんの稼ぎをあてにしていたとか。娘も二人いたが、商売はうまくいっていなくて、弟を引き取ったのも遺産目当てだったのだろうと、弟自身が言ってました。その叔父のやばい所は、自分の娘と弟を結婚させようとしていたって点ですね。弟は当時十歳くらいで、娘二人ってのが同じ年と年下だったらしいけど、叔父が言うには『おまえの祖父の母国では、十四歳から結婚ができて、セックスも十三歳から可能なんだ。だからおまえもそれまでに腹を決めておけ』って言われ続けていたらしいです。そんな外国の文化を日本で押し付けられちゃたまったもんじゃないって愚痴っていました」

 駒井は新聞で見たことがあった。たしかに、スペインでは結婚可能年齢が十四歳と、世界的に見てとても低かったと。つい最近十六歳に引き上げられたばかりだ。

「結局その後、弟の資産を借りたりしてるうちに、叔父の商売が波に乗ったとかで。結婚話は無くなったけど、弟の雰囲気や口ぶりからいって、いとことの間に肉体関係があったんだと思います。あいつが小学校教師になったのも、昔覚えた歪んだ欲求を満たす目的があったんでしょう」

 真由子は手をパンと打ち鳴らした。

「そういう訳です。戸籍上あいつを弟と呼びましたが、私は父親の面影を持つあいつが嫌いだし、あいつが起こした事件の尻拭いをする義理も無い。弟を殺した犯人にも何の感情もわかないし、弟の被害に遭った少女たちには、そこそこの賠償金を支払う余力があるでしょう。あいつは遺産とマンションを売った金があります。大学に通った費用を引いて、金使いが荒かったとしても一千万以上はあるはず。そのあたりの被害交渉は、叔父一家にお願いしてください。私はその代わり、一円たりとも弟の遺産は受け取りません」

 真由子は『話は終わりだ』という目つきで駒井を睨んでいる。

 彼女の気持ちや平手一家の田鳥家に対する悪印象も理解できる。だが、駒井はまだ聞き出したいことを聞いていない。

「あの、グロリアスアイを売却する頃の事は覚えていますか?」

 真由子が首を傾げた。「五年くらい前だったはずですが」

「売却するきっかけになった事件って覚えてます?」

「はあ。たしか、飛び降り自殺があって気味が悪くなったとか」

「その自殺した人について、なにか聞いたことがありませんか?」

「質問がいまいち分かりませんね。たしか、あの時はマンションを売却すると言って、新住所と連絡先を伝えられた程度です」

 とぼけているようには聞こえない。手ごたえが全く無い。

「単刀直入に言って、自殺者と弟さんが、個人的な友人関係にあったか否かが気になるのですが」

「友人関係。その子は弟の教え子ではないのですか?」

「違います」

「その自殺者ってのは女ですか?」

「いえ。男です」

「歳は?」

「当時十四歳です」

 真由子はフッと笑った。「ありえないですね。あいつは人生で修羅場を潜っていて頭も良いから、友人を必要としないタイプです。ましてや同性、しかも年下なんて。しいて言うなら、その少年と付き合うことに何らかの目的があった。そうとしか考えられません」

 真由子がそのまま運転席から腰を上げようとした。しかし、思い直したかのように再び腰を落とした。

「いや。違うね。あいつは異性の友達は当然のこと、恋人も欲しくなかった。そんな気がしてきた」真由子は顎に手を当てて考えている。准教授らしい、学者の目だ。「あれはあいつの生来の気質というか、原始的感情なのだろう。叔父の家での生活による後天的な影響もあるだろうけど、田鳥の血筋に共通して流れるリビドーだな。他人に興味が無く、女を傷つけることに快楽を感じる。それが田鳥輝巳という生き物さ」


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