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駒井元刑事 4

 入り組んだ住宅街に迷いながら、駒井は白い外壁の一軒家に辿りついた。約束の時間より十分ほど遅れている。

 松村家は若干古いが周囲よりは大きい三階建ての家だった。道路側にはとても小さいが花壇があり、隣家との境界にある壁の手前には綺麗に剪定された庭木がある。一階部分は車庫だが、二台の車を停めるスペースは無いようだ。いつも健二が乗っている中型車が奥に停められ、シャッターを閉めないことによりできた手前のスペースに軽自動車が停めてある。都内でこれなら、裕福な生活を送っている部類に入るはずだ。

 花壇の花と庭木の並びを見て、駒井の脳裏をくすぐる何かがあった。たしか、松村美々が携帯電話で撮影した写真に、花火大会当日に友達を撮った写真があった。

 背景に見覚えがある。あれはこの位置で撮ったのだなと気付いた。

 駒井が北側にある外階段を登りチャイムを鳴らすと、中からドアが開けられ松村健二が顔を出した。時間に遅れた詫びをいれ、駒井は母子二人で住む広い家に足を上げた。

「すみませんねお母さん。本日はわざわざお時間を取らせてしまって」

「いえ。こちらこそ息子共々世話になりっぱなしで」

 駒井が頭を下げると澄美子も頭を下げる。更に駒井が頭を下げると、澄美子もまた更に頭を下げる。

 五年前、病院の廊下で見た憔悴した印象とはやはり違った。松村澄美子は、貫禄ある体格をしているが、腰の低い性質なのだろう。優太や健二と纏う雰囲気が似ている。

 大西と相馬から情報を得て、A区で起きた菊池翔空の自殺の件や、I区の盗撮冤罪の件にも関心を持った駒井は、警察時代の古いツテを辿って、調べ直すために手を回した。

 しばらく手が空いて思考を整理していると、ふと全ての出来事の発端と思える被害者本人、松村美々についてあまり調べていないなと考えた。

 今日は平日の仕事が終わった空き時間を利用して、松村家へと訪れてみたのであった。

「とりあえず居間でお茶でもどうですか? 駒井さん」

「そう、ですね。では一杯だけ」道に迷って少し歩き疲れた。それに期待していないが二人に聞きたいこともある。

 二階の居間に通されると、澄美子がお茶を入れる間に健二と世間話をした。健二は調査の内容をしきりに聞きたがったが、まだ推理推測だらけの状態で口を滑らせるわけにもいかない。「もう少しお時間を下さい」と謝っておいた。

 二人が向かい側のソファーに腰掛けると、駒井は三枚の写真を取り出した。「この顔に見覚えはありませんか?」一枚目はは田鳥の写真。二枚目は菊池君の写真。最後の一枚は相馬から貰ったビデオカメラ男の拡大写真だ。

 テーブルに置くと、二人は交互に食い入るように見つめた。だが、表情に変化が全く無いまま、澄美子は首を横に振った。

「これが、この前見せてもらった、美々の写真を持っていた教諭ってのは覚えています。で、他の二つは見たことないけど、多分、こっちが菊池君ですか?」健二は一重瞼の少年を指さした。

 駒井は静かに頷く。

「こっちの防犯カメラか何かの映像ですか? これは誰なんです?」画質が荒いからだろう。健二は勘違いした。

「事件を知っているかもしれない人物。としか分かっていません」駒井は曖昧に答えた。

「どういう風に関わっているんです? 年齢は?」

「健二君」駒井は健二を遮った。「私に任せた以上、私を信用して下さい。今はお兄さん共々仕事をしていて、円花ちゃんという守らなければならない存在もいます。私に全て託して下さい」人が殺されている事件だ。思わぬところで危険な目に遭う可能性も捨てきれない。

 健二は尚も何か問いたげな顔をしていたが、やがて頷き「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 駒井はにっこり微笑むと、本来の目的を思い出した。壁にかかっている時計を見ると、早い家庭なら夕飯を食べる時間だ。「では早速、美々さんの部屋を見せていただけますか」



 階段を上がり三階手前にある部屋のドアを開けると、無機質な印象の部屋が現れた。松村美々の部屋だ。

 澄美子が明かりを点ける。「娘の部屋は、事故の日からほとんど手を付けていません。定期的にほこりを取る程度で」

 健二も後ろから賛同する。「美々は勉強の虫だったから、部屋の装飾やおしゃれにはあまり関心が無かったんですよ」

 二人の言葉がどうにも言い訳がましい。どうやら、駒井に見られるのを恥ずかしいと捉えているようだ。その気持ちも少しわかる。

 勉強机の上にも本棚、その横にもまた本棚。それも、スペースができないよう、ブロック積みゲームのように隙間なく本が詰め込まれている。ベッドの花柄以外に若い少女の部屋である気配が見当たらない。美々の部屋は、偏屈な大学教授の研究室といった様子だ。

 本棚の一つに目を向けると、その不揃いな集まりにクラクラする。『映写機の進歩と歴史について』『世界時計図鑑』『茶器から推察する武将の戦略思考』『土器入門』。

「娘は歴史や考古学が好きでして。中学でも歴史研究部って部活に入ってたんです」澄美子が説明した。

「ほう。頭の良い娘だとは聞いたことがありましたが。なるほど。多彩な事に興味を持たれていたのですね」少なくとも、この部屋の印象では、小児性愛者の教師と隠れて付き合うような女生徒であるわけがないと思えた。

『世界の王室 ティーカップ図鑑』これは、土居が欲しがりそうな図鑑だ。彼は茶器にもこだわりがある。

「ちょっとこれ見て良いですか?」駒井が言いながら本棚から本を抜こうとしたら、本全体が崩れそうな感触があった。あわてて押し戻し「やっぱりいいです」と呟く。

 美々は普段、どうやって本を抜き出していたんだと駒井は疑問に思いつつ、気持ちを切り替えて捜査に集中することにした。

 他に目立つものといったら、机の上にある充電器に差した携帯電話と、大きいクローゼットだった。携帯電話はひとまず後回しにして、駒井はクローゼットの取っ手に触れた。澄美子に断りをいれて両開きの戸を開くと、制服や私服、更に本棚に入りきらなかったらしい本があった。手元の一冊を手に取って見ると、小学校時代のアルバムだった。どうやら、貴重な本や高価な本は、クローゼットに仕舞っていたようだ。

 アルバムを開いてパラパラとめくると、見た覚えのある少女達がちらほら写っていた。家も近くて幼馴染のきんちゃんなっちゃん。中学生になって以降の写真もあるが、数はとても少ない。

「写真は大抵、携帯電話の中に保存してました。優太の部屋に高機能のプリンターがあるので、アルバムに保存したい画像は、大抵それで印刷してましたね。あと、パソコンは海外赴任している亭主の意向で、高校に入学してから買い与えるつもりでした」澄美子が駒井の手元を背後から覗きこんで説明した。

「携帯電話、拝見してよろしいですかな?」駒井が言うと、健二が素早く充電器から外して手渡した。

 五年前、事故の起きる直前あたりからの着信履歴やメールを確認したが、特に怪しい点は無い。「やっぱり、きんちゃんとなっちゃんと呼んでいた友人が、一番親しいようですね」事故の日の夜、永体会病院でも見かけたし、優太からも話は聞いていた。

「そうです。後は歴史研究部の後輩の子と、えりりんっていう家がちょっと遠い子と仲が良かったですね」

 Tシャツにジーンズで背の高い子、ナミッペと呼ばれていた腰の低い子は覚えている。病院でも騒ぐきんちゃんを宥めていた。ただ、えりりんという子は知らない。一度は話を聞いてみたい。駒井は頭の片隅に赤文字でメモした。

「画像フォルダにはロックがかかっていますね」

「ああ、それは」澄美子と健二が顔を合わせて苦笑いを浮かべている。「いつか専門の業者に頼もうと思っていました。美々の友達が悪乗りした画像を送ったりしているとかで、見ないようにしていたんですが。私が適当にパスワードを打ちこんだら、ロックがかかっちゃって。結局そのままにしてしまってます」澄美子が言った。

「ふむ。じゃあ、これ警察でなんとかしましょうか?」

「頼めるんですか?」

「ええ。一日経たずに可能なはずです」

「ううん。お気持ちはありがたいんですけど、その」澄美子は言いづらそうにしている。「悪乗りした画像っていうのが、友達が送りつけてきた、自撮りした裸の画像だったりするそうで。できれば、女性のそういった専門の方に頼みたいのですが」

 駒井は呆れ笑いを浮かべた。「そうですか。それなら、女性の刑事に渡します。そうなるとしばらく時間がかかりそうですけど、宜しいですか?」

「はい。お願いします」駒井の言葉を聞いた澄美子が安堵した。

 駒井は携帯電話を受け取り電源を切ると、スーツの内ポケットに仕舞った。

 引き続きクローゼットの中を見回すが、吊るされている服以外は衣装ケースしか見当たらない。透明な箱を覗き込んだ。

「ああ、それはシャツや下着の類です」

 たしかに、下着が雑に入れられている。「おっと失礼」駒井は目をそらした。

「一度意識が回復した時に、下着を用意したんです。意識不明の時は入院着を羽織るだけでしたが、目が覚めてるなら付けたほうが良いと思って」澄美子の声が若干沈む。

 そういえば、駒井が署で勤務中に美々の意識が回復したことを噂で聞いた。病院から連絡があったそうだ。その時は一時、署内が明るい雰囲気に包まれたが、一夜明けて翌日には訃報が届いており、感じた無念を覚えている。

「その時に、何か事故に関することで会話はありませんでしたか?」

「ええ。私が一番長く美々と会話したのですが、おかしいことは何も。事故の時の記憶ははっきりしていたので、『なんで危ない所へ入りこんだの?』って聞いたら、『滑って転んじゃった。ごめんなさい』って。どうやら、花火の欠片が当たったことに気付いていないようで、滑って転んで頭を打ったと思い込んでたみたいです。『男の子と一緒にいたんじゃないの?』とも聞いたんですけど、『知らない』『よくわからない』と言ってましたが、あれは知っててとぼけている感じでした」

 知っててとぼけている、か。澄美子の直感通り、松村美々が菊池翔空を知っていたら問題だ。二人で示し合わせて、危険地帯に入り込み花火を見ていた可能性が生まれる。

 だが、それは有り得るのだろうか。少なくとも、今まで二人に面識があったという証拠や証言は無い。

 母親に騒がれるのが嫌だから、適当にはぐらかした。存外その程度の理由でとぼけただけではないのかと、駒井は考えた。

 もう見るものは特に無いかなと思い、駒井がクローゼットを閉めようかと思った時、下着の入った衣装ケースの下にあるビニール袋に気が付いた。「これは何ですか?」

「さあ?」澄美子は首を傾げながら衣装ケースを開けて、手を突っ込んだ。奥から出てきたのはクリーニングされた後の浴衣だった。

「ああ、それ」健二が声をあげた。「事故の時着てた浴衣で、クリーニング屋から貰ってきた後、しばらく出しっぱなしになってたんだけど、葬儀の前後のゴタゴタで、俺が下着と一緒に衣装ケースにまとめて入れたんです」

 青い浴衣は丁寧に折りたたまれて真空パックに入れられていた。中には防虫剤が入っていて、表面に一年有効と書かれている。保存状態は良好なようだ。S警察署のすぐ近くにあるクリーニング店の領収書にハンコが押されてテープで貼られていた。

「これ、古くなりすぎててまずいから、開けて吊るしておいたほうがいいですよ」

「あら、確かに」澄美子は防虫剤の消費期限を見て呟いた。

「古すぎる防虫剤は劣化して嫌な臭いを出すこともあるそうです」

 駒井が言うと、健二が頷き、袋を破り出した。

 美々の浴衣は、折り目のつかない独特の工夫がされているのがわかった。健二が広げると、子供が喜びそうな柄をした、きれいな水色の浴衣が現れた。

 駒井は事故の調査報告書を思い出した。コンクリートの上の血溜まりと、美々の頭にぶつかった黒い玉殻の写真。健二の持つ浴衣は、首回り、袖周りと、血や煤の汚れは何一つ残っていない。臭いもついていなくて新品同然の浴衣だった。

 ハラリと、袖の中から一枚の紙が落ちた。駒井が拾って表を見ると、シミ抜き伝票と書かれていた。受付日や松村優太の氏名、松村家の電話番号が左側に書かれ、右側には服の前後の絵に丸い囲みと注記が書いてある。


 【前襟・右肩口】血液の汚れ

 【首の後ろ】黒ずみ

 【臀部】赤い汚れ


 それぞれの具体的対処と、追加料金が記載してあった。

 その伝票を一目見て、駒井は疑問を抱いた。健二から浴衣を借り、広げて臀部に注視する。だが、赤い汚れとやらは全く無い。

 首の後ろの黒ずみ。これは、血液の汚れと分けて書かれている点から、玉殻の焦げが付着した汚れだと分かる。前襟と右肩口に血液の汚れとある。これは、玉殻が頭に当たって倒れた時に付着した血液だろう。おそらく右半身を下にして、横に倒れている時に付着した。間違い無いはずだ。

 だが、となると臀部の赤い汚れとは? 病院へと搬送する時、体をずらした拍子に血溜まりに尻を付けたのだろうか。だとしたら、前襟などには血液の汚れとはっきり記載しているのだから、臀部にも血液の汚れと書くのでは。

 伝票の端には店の電話番号と営業時間が書かれている。時計を見ると、営業時間終了の五分前だった。明日は定休日らしい。

「ちょっと失礼。電話をかけてきます」駒井は二人に断ると、伝票を持ったまま階段を速足で降りて外へ出た。最近機種変更したスマートフォンを取り出し、クリーニング店の番号をプッシュすると、ワンコールで不愛想な男が出た。

「すみません。ちょっと尋ねたいことがあるのですが。五年前の取り扱い記録って残っていますか?」

「ああ。ウチは十年間は全ての記録を保存してあるよ」ぶっきらぼうだが、声に実直さがある。

「確認したいことがあるんですが」駒井は伝票番号と受付者氏名の松村優太を名乗った。

「松村さん? ああ、あの花火大会で不幸のあった方かい」

「ええ。よく覚えておられましたね」

「あの浴衣は痛々しかったからな。念入りに仕上げたのを覚えているよ。その、ご愁傷さまでした」

 クリーニング店の店員は、駒井が松村家の親族と思い違いしたようだ。訂正するのも面倒なので適当に礼を返すと、間をおかずに尋ねた。「あの浴衣にあった汚れについてですが、分かります?」

「ああ。伝票の控えがあるからな。襟首、首の後ろ、臀部とあるね」

「その、臀部の汚れについてですが、赤い汚れってどういう汚れだったのでしょう」

「イチゴのシロップだよ」

「イチゴ?」

「ああ。血の汚れとは全然違って、色が鮮やかだったから着色料だとすぐに分かった。臭いを嗅いだらイチゴの臭いがしたから、ああ、シロップだと思ったよ」

 駒井は会話しながら、空いている片方の手で美々の携帯電話を取り出し、電源を入れて目的のメールを探す。

「花火大会だし、出店いっぱいあっただろ。イチゴのかき氷でも買って、それをこぼした上にでも座っちゃったんじゃないのかな」

 あった。美々が三人の友達の前から消える直前のやりとり。

 

 〈美々〉   ごめん。先行ってて

 〈ナミッペ〉 どうしたんですか先輩?

 〈美々〉   イチゴ位置え~ってなった

 〈ナミッペ〉 ???


 これはたしか、トイレから出た直後のやり取り。

 まさか、トイレの隣にかき氷の屋台があるわけがない。トイレから出ると走ってかき氷を買いに行き、すぐに自分で臀部にこぼしたなんていう話も無理がある。

 クリーニング店に礼を言い電話を切ると、駒井は松村美々の部屋へ戻りながら考えを整理する。

 松村美々は友達を待たせている。よほどのことが無い限り単独で行動しようとは思わないはず。

 そして、周囲の人物評は、ナンパされてついて行くような女の子ではないと、誰もが口を揃える。

 だが、尻にかき氷をかけられて、浴衣が汚れたらどうだろう。その相手が男だったなら、逃げるか助けを求めるかしただろう。

 それが女だったら。

 女が謝ってきて、シミを取る、隠せる服を持ってくる、その恰好じゃ恥ずかしいでしょう、こっちで待っててと、人気の無い場所まで手を引かれたとしたら。

 ……。女の協力者。ふわふわと浮いていたパズルが、床に落ちてカチリと嵌った音がした。


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