駒井元刑事 3
「やあ、これは良い雰囲気の店ですね」
駒井は大西と会った数日後。面会時間の取れたS警察署の相馬刑事を、土居の喫茶店に招いた。
相馬刑事は一歩入るなり落ち着いた内装の喫茶店を素直に褒めたたえた。南国でよく見かけるような観葉植物の葉を指で無遠慮に触って、本物かどうかを確認している。
彼はどうにも感情を表に出しすぎる。大柄で目立つから、彼と会った者は信頼を寄せるか反感を感じるか両極端に分かれてしまう。もうすこしポーカーフェイスに振る舞えば、良い刑事に見えるのかもしれないのにと、駒井は少し残念に思った。
駒井と相馬が席に座ると、注文をしていないのにマスターが飲み物を持ってきた。駒井には濃い目のコーヒー。相馬には香ばしい香りのする紅茶だ。不思議な顔をしてカップを見つめる相馬に対して、礼儀正しく一礼すると、マスターはカウンターへと去っていった。
「ああ、駒井さんが先に注文してくれていたんですね」カップから立ち上る香りを楽しみながら、相馬が一人で頷いた。一口啜り、その風味にまた感動している。「これは、セイロンに何かが混ざってますね。ロイヤルブレンドかな? 質も良い」にんまりとして味を楽しんでいる。
相馬は昔から甘党で、洋菓子と紅茶に拘りを持っている。土居は相馬が警察に採用された直後に退職したはずだが、よく末端刑事の食の好みまで知っているものだなと駒井は感心した。どこからそんな情報を仕入れているのやら。
「気に入ってくれたようで何よりだよ」
「ええ。さっきの大柄なマスターってただ者じゃないですね。並の経営者じゃこの味は出せません」
実際にただ者じゃない刑事だった。相馬の言っていることは当たっているが、彼の感動は別の方角を向いている。駒井は柔らかく笑みを浮かべるだけで受け流した。
「それで、何か聞きたい話があるんだとか?」せっかちな相馬から話を切り出してきた。
「ええ。五年前の花火大会の事故死について。相馬君が担当でしたよね」
「五年前……ああ、女子中学生が事故死した件ですね。たしか、初動の時に当直だった僕と駒井さんであたった件」
「はい。あれです」当夜、未成年が事故にあったとのことで、駒井は相馬を支援する形で駆り出された。後に被害者、松村美々の手術が成功したことにより、事件性の低い事故案件とされて相馬の担当となっていた。
「随分古いこと聞きますね。何かあったんですか?」興味は無いがただなんとなく。そんな感じで相馬は駒井に聞いてきた。
この相馬の質問を聞いて、駒井は相馬が田鳥殺害事件が松村美々に関係していると気付いていないことが分かった。彼が知らないということは、S警察署の中でも噂にすら出ていないということだろう。A区はかなり慎重に情報を抑えているようだ。
もしかしたらS警察署内で田鳥の事件を認識しているのは、橋本だけなのかもしれない。未成年の女児がたくさん関わっている以上、噂が広まらないに越したことはない。
駒井はそのまま、田鳥の事件のことを相馬に気取られないように話を聞き出すことにした。
「実は、再就職先であの事故の遺族の方と同じ職場になってね。なんとなくどんな捜査をされたのかに興味があるみたいで。僕に頼まれちゃったんだよね。聞いてきてくれって」
「へえ。まだ納得されていないんですか? たしか、S区役所が全面的に過失責任を認めて、多額の賠償金を支払って手打ちにしたはずですが」
「区役所や警察にとっては終わった事でも、遺族は事故をずっと忘れないものだよ」
「……そうですね。その通りです」相馬は脇に置いたカバンからノートパソコンを取り出すと、何度かキーを叩いた。どうやら自分の捜査資料の概略を保存しているようだ。
「まず、警備員を誘い出した日焼けした少年と、その先にいた病人の成人男性。彼らについて、何か気付いたことは無いかな」
「いえ。特に無いですね。そもそも、数十万人の人出があった場所から、その二人だけについて情報を集めること自体不可能ですよ」
もっともだと駒井も思った。「それでも花火大会の関係者や、他の警備員からも聞きこんだりはしたんだろう?」
「そもそも立件しようとしたのは、S区役所の業務上過失致死傷罪についてであって、警備員の不手際は警備会社の問題だから、そっちはS区役所と警備会社が争うべき点だと判断しました」
それもまた適切な判断だ。だが、被害者遺族が聞いたら噴飯ものだろう。警察の怠慢と捉えられかねない。
「じゃあ、松村美々ちゃんの友達から何か聞いていないかな。事故の日の夜に病院で会ったけど、その後何か聞かなかったかい?」
「いえ。そっちも特に。ええと、これだ。一応は誰が花火大会に誘ったのかとか、友達とトイレに行って別れた後に見失ったって点は聞きましたけどね。それ以上の事は特に必要ないかなと」
「彼女が入院した後、その子達には一度も会ってないの?」少し咎める口調になってしまった。
「ええ、はい。さすがに、彼女たちが花火の玉殻を狙って頭に落として殺害なんて無理でしょうし」相馬は少しムッとしたようだ。
駒井は弱った。事故の捜査資料は事前に目を通していた。捜査責任者の相馬に直接聞けば何か書いていない事実が分かるのではと期待していたが、どうにも手ごたえがない。
「ちなみに、被害者の兄弟が、美々ちゃんの携帯電話にあった写真の少年を探してたってのは知ってるよね」
「はい。あの掴みかかってきた兄弟ですね。見た目がアレなのでどうかと思いましたが、さすがに妹が怪我したとあっては冷静じゃいられない気持ちも理解できますから、距離を置いて飽きるまでやらせてやろうってことで地域課にも伝えていました」
「じゃあ、覆面パトカーに乗った婦警が注意して追っ払おうとしたなんてことは無いかな」
「え? そんな報告はありませんよ」相馬がノートパソコンに目を走らせながら答えた。
伝達漏れの可能性もあるが、相馬の記録に無いのなら、婦警が偽物であった可能性はますます高くなった。
「大体、彼らももう少し身だしなみに気を付けて外を歩いてほしかったですね。清潔にしていれば、盗撮犯に間違われて騒がれたりすることも無かったはずなのに。昼間から長髪で無精ひげを生やした大男がうろついていたら、怪しまれて当然ですよ」
今現在、健二の人柄をよく知る駒井は、この言い方は少し不快に感じた。
相馬のこの言い方は、彼なりに健二を心配した上での発言だとわかっている。自分の価値観や思い込みを他人に押し付ける悪癖があり、そこに悪意があるわけではない。
相馬は定年退職した駒井よりはるかに年下なのに、あまりにも若者に厳しい。
「それでも、彼らも妹のためにと一生懸命頑張ったわけだよ。そもそも、我々が先に菊池翔空君に気付いていれば、彼が自殺する前に止められたかもしれないだろう?」
これには相馬も堪えたようで、苦い顔をする。
「我々は庶民の安全を守るために在るわけですよ。それは肉体的な面だけではなく、心の面も含めてね。もうほんのちょっと頑張っていれば、菊池君の心の傷に先に気付いて、何か手を打つことができたんじゃないかな」駒井のセリフの裏には、菊池翔空が田鳥に殺された可能性も含んでいた。花火大会の事故後すぐに菊池君を保護していたならば、田鳥と深く関わる前に止めることができたかもしれない。
駒井の説教は相馬の気分を害したようだ。「それはごもっともですけどね。私だって彼が自殺するほど悩んでいると分かっていたら、もっと重点的に捜査しましたよ。もしかしたら、もう少し時間があったら見つけることができていたかもしれませんし」
ここで、オーナーが新しく湯気の立つカップを二つ持ってきた。相馬は慌てて冷えたロイヤルブレンドティーを飲み干すと、空いたカップを手渡した。再び受け取ったカップに鼻を近づけると、あっという間に冷静さを取り戻したようだ。
駒井は感謝した。土居は本当に空気が読めて気が利く。
「私も、あの兄弟には同情していましたしね。私にも二歳下の妹がいますが、たまに実家に帰っても『汗臭いから戻ってくるな』なんて言われる始末で。憎たらしい奴だけど、生死の境に落ちるような目にあわされたら、頭に血が上って当然ですよ。橋本さんからも『半端な仕事するんじゃないよ』ってハッパかけられてましたからね。努力はしたんですが」そう言うと、再びパソコンを操作し始めた。「松村兄弟が被害届を提出に来た時、松村美々の携帯電話の画像を渡してきたことって知ってますか?」
知ってはいたが、あえて知らないフリをした。
「数枚ほど、花火大会の当日に撮影された写真があって、その中に菊池翔空が写っている写真があったのですが。ああ、これだ」相馬は駒井にも見える角度にパソコンを置いた。
花火を撮影する時に写りこんだ菊池君の写真だ。写真は顔の右上半分だけだが、画像を拡大したり輝度を変化させたりして、耳紋が記録してある。画面下には美々の身長、それに写真の上に写っている橋の下部分、それらの情報と写真撮影の角度から、計算分析した菊池君の推定身長が追記してある。それは死亡した後に測られた身長とほとんど誤差が無いほど正確だった。
そこで思い出した。相馬という刑事は大柄な体格に似合わず、体を使わない科学捜査を好む刑事だった。こうした画像の加工分析や防犯カメラの映像解析が得意だと聞いた覚えがあった。
「さすがにこの耳紋だけじゃ、見つけるのは困難だったと思います。で、もう一枚、彼が写っている写真があるんですけどね」別の画像ファイルを開いた。それは遠景で暗いため、ほとんど意味の無さそうな写真だった。「気付きませんか? これ」相馬は写真を指さした。
駒井は目を凝らすが、相馬の言いたいことが分からない。花火と菊池君の背中が暗く写っているだけに見えた。
「もう一人、ここに人がいるんですよ」
相馬がモニターの真ん中から右の部分を指で示したが、それでも駒井には判別できない。「ちょっと失礼」と言い、相馬が別の画像閲覧ソフトを立ち上げて拡大させた。
その画像を見て、駒井は背筋が冷たくなった。暗がりの中に、カメラを構えた何者かがいる。
相馬は更に別のファイルを開く。「こいつを、解像度を限界まで高めて、光の加減を調節して見やすくしたものがこれです」
その画像には異様な男が写っていた。ビデオカメラを構えて草むらに隠れ、こちらをじっと見ている。髪が長めで顎が細い。画像が不鮮明だが、端正な顔立ちであることはわかる。病的な雰囲気の田鳥とは全く違うタイプの二枚目だった。
「この覗き魔を捕まえるために、全ての時間を割いていたんです。こいつの盗撮しているビデオには、菊池翔空も松村美々も全て映っている。それさえ押収できれば一発で解決だと思っていたのですが」
覗き魔。夏の河原にはたしかに多い。若い学生が夏休みの間は特に増える。睦み合う薄着のカップルが増えれば、それだけ悪い虫も寄ってくる。
「ビデオカメラの機種が解れば、レンズの大きさから顔の大きさが分かるはずだったんだけど、それはさすがに無理でした。印象は見ての通りかなり若いですね。それで、生活安全課にある軽犯罪者の前科リストと照合したり、現場近くで夜間に聞きこんだりしたのですが、結局は見つかりませんでした。まだ前科が無いのかもしれません」
たしかに相馬の言う通り、逮捕されたことの無い覗き魔という可能性もあるだろう。
だが、当日は花火大会で数十万人の人出がある。現場は灰や玉殻が降ってくるような危険地帯だ。人目がない穴場だとしても、そんな日にまで盗撮に精を出すような覗き魔がいるだろうか。




