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駒井元刑事 2

優太と会った翌日、駒井は仕事の合間を見つけては関係各所に電話をかけ続けた。そして月も変わった二日後の朝。休日を使って一気に調べを進めるつもりで、気合を入れて家を出た。

 一度都心のほうまで行き、遠回りして電車を乗り換え、隣のK県Y市までやって来た。タクシーに行き先を告げると、わずか三分で目的の場所に着いた。歩けば良かったかなと駒井の胸に後悔がよぎる。一万円札を渡して「大きくてすみません」と謝罪しつつお釣りを受け取ると、車から降りてそのビルを見上げた。

 片側二車線の道路の角地に建つそのビルは、二階と三階にテレビでも有名なプロボクサーの所属するジムがあった。更にその上の四階部分に目的の『後藤ごとうセキュリティ』がある。

 白い下地に緑色の文字で目立つ案内が出ている。首都圏のイベント警備を中心に請け負う、民間警備会社の中堅企業。五年前のS区花火大会で警備業務を請け負った会社だ。

 真新しいビルに入り、エレベーターで四階まで行くと、目の前にデフォルメされた二頭身の警備員が笑顔で誘導棒をかざしている看板があった。芸の細かい作りになってて、指で触ると誘導棒が左右に揺れる。

 小さな警備員と遊んだ駒井は、横にある自動扉から中へと進んだ。

「すみません。副島ふくしまさんはいらっしゃいますか?」受付にいる中年女性に声をかけた途端、すぐ後ろで机に向かっていた三十歳前後の男が駒井を見て、立ち上がり手を上げた。

「すみません。夜勤上がりでお疲れでしょうに」

「いえ。眠らないことには慣れているんで」

 花火大会の日に日焼けした少年に引っ張られて、持ち場を離れてしまった警備員の副島は、歯を見せずに口元だけで笑った。小柄だが細身で、髪を茶色く染めているが真面目で利発そうな雰囲気だ。

「それで、五年前のことについてお聞きしたいことがあるとか?」

「ええ。副島さんが見た、木の根元にいた成人男性を確認して頂きたくて参りました」

「はあ……」副島の表情に変化は無く、微妙な顔をしている。

 駒井は、橋本から入手していた田鳥の写真と、それ以外に田鳥に似た風貌の三人の男の写真、計四枚の写真を副島の前に並べて見せた。田鳥以外の三人は、都内のローカル劇団のホームページからダウンロードした無名の俳優や、地方の大学の学園祭の様子をアップロードしてあったホームページから、田鳥に似た男を見つけて勝手に拝借したものだ。

「失礼します」副島は四枚の写真をそれぞれ手に取り、目を近づけたり遠ざけたりしながら、慎重に一枚ずつ確認した。

「どうでしょう。副島さんの見た男はその中にいるでしょうか?」

「しいて言うなら、これですかねえ」副島は駒井の用意した無関係な男の写真を指さした。

「そうですか」

 駒井は落胆を表情に出さないようにしたが、副島は間違った相手を指摘したことに気付いたようだ。

「ええと。すみません。少ししか顔を見なかったもので。五年前となると俺の記憶もちょっと自信なくて」

「いえ。ちなみに、二番手に選ぶとしたら誰を選びますか?」

「ううん。色白で手足の長い男としか覚えていなくて。これのような気もするんですが」今度は田鳥の写真を指さした。

 とても判断に困る反応だ。まあ、田鳥の写真は撮られて間もない。五年も経過していると、外見にも多少は変化があっただろう。体重が増えたり、髪型を変えたりした可能性もある。副島から調べを進める線は途切れたと駒井は悟った。

「ところで、なんで今更五年前の件を調べているんですか?」副島の目がぱっちりと開いている。好奇心旺盛な目だ。駒井は、以前家で飼っていたチワワのムリちゃんを思い出した。

「ええ。最近になって少々気になることが出てきまして」

「気になること?」

 駒井はどこまで話して良いか計算した。田鳥の殺害事件は、事件から五日以上経過していることにより、殺人ではなく不審死としてテレビでも報じられていた。A区の特別捜査本部や耳ざといメディアの人間は暴行殺人と知っているが、一般には知られていない。副島の様子から、A区A警察の人間が彼に聞き込みをやっていないことが分かる。花火大会の一件との繋がりを疑っていないのだろう。

「先日亡くなった方が、副島さんの見た成人男性と同じ可能性があると考えました」駒井は結局、殺人事件という言葉を使わずに説明した。

 だが、副島は駒井の一言だけで事件性を憶測したようだ。「へえ。亡くなった方ですか」と言い、目がキラキラと輝き出した。

 目の前の彼にはあまりにも邪気が無いため、駒井はここで疑問を抱いた。

「副島さんは、あの事件の関係者に恨みのようなものは無いのですか?」

「え? 恨み?」

「はい。あの事故が起きる前までは、S区の支店に勤務していたわけですよね。それが、あの事故をきっかけにして、こちらの店舗に異動になったのでは?」

「ああ。そんなことですか」副島は初めて歯を見せて笑った。犬歯が大きくて、駒井の頭の中で再びムリちゃんとイメージが重なる。「いえ。異動は予定通りというか、栄転です。俺は元々こっちに実家がありまして。就職した時、S区に人手が足りなかったからあっちに配属されていただけで、あの事故のずっと前から実家に近いこっちの支店に異動願いを出していました。駒井さんは事故をきっかけに俺が飛ばされたと考えたんですね?」

 駒井は頷いた。

「それは勘違いですよ。会社はきちんと審査した上で、あの時俺が持ち場を離れた行為は完全に不問と判断しました。証拠ですけど、ほら」副島は胸に付けているバッジを指でつまんだ。「今はイベント警備よりも重要度の高い、特別警備部門に配属されています。これを見れば左遷された訳じゃないことはお分かりになるでしょう」



 結局、四十分ほどで成果の無いまま後藤セキュリティを後にした駒井は、そのままトンボ帰りしてS区へと戻って来た。

 Y市へ行った時と逆回りにルートを進み、都心からS区へと向かう時、朝に使った路線とは別の私鉄に乗り、一つ進んですぐに降りる。そのまま八分程歩いて、古びた建物のS区役所へと着いた。

 狭い玄関を抜けて混雑する窓口を通り過ぎ、階段手前にある案内図から、地域産業振興課の文字を探す。その中にあるS区花火大会実行委員会事務局が目的の場所だ。

 一応は前日に運営担当者との面会を申し込んでおいたのだが、予定より三十分近く早い。ダメで元々のつもりで五年前の責任者だった水野を捕まえてみるつもりだった。

 三階への階段を足腰の痛みを我慢して昇り、階段横にある案内図を再び確認して目的の課を探した。すると、手前にいた総務課の立て札そばにいる女性職員が親切にも声をかけてきた。駒井は地域産業振興課の場所を教えてもらい、礼を言って奥へと進んだ。

「すみません。生田さんはいらっしゃいますか?」

 駒井がカウンター手前にいる男性職員に声をかけると、奥にいる眼鏡をかけた壮年の男が声を聞きつけて立ち上がった。

「昨日電話しました駒井と申します。少々早いですが、お時間よろしいですか」駒井が挨拶をすると、現在のS区花火大会運営担当者の生田は渋い顔をした。

「ああ、すみません。一本電話がかかってくる予定なので、あちらにお座りになってお待ちいただけませんか」と、総務課の前にある長椅子を示された。

 お詫びを言い、椅子に座って素直に待っていると、結局は予定通りの時間になるまで声がかかることはなかった。

「いやあ、すみませんね。お待たせしてしまって」生田は謝罪しつつも悪びれる様子を見せずに、総務課横にある相談室の椅子を薦めた。

「いえ。こちらこそお時間を取らせてしまい申し訳ありません」自分を歓迎していない態度を感じ取り、居心地の悪さを我慢して駒井は席に着いた。

「それで、花火大会の運営についてお尋ねしたいことがあるとかで」

「はい。ところで、こちらに水野さんという方がいらっしゃるはずなのですが」

「ああ、水野」生田は明らかに作っていると思われる笑顔を浮かべた。「申し訳ありません。水野は別の課に異動になりまして。今はちょっと」

「そうですか。それでしたら結構です。ええと、聞きたいのは五年前の花火大会における事故についてなんですが」

 その途端に生田の顔から笑みが消えた。

「事故の時に、第一発見者の救助を要請してきた少年と顔を合わせた関係者にお話しを伺いたいのですが」

「駒井さん、でしたか。元々S警察署に勤めていらした方なのですよね」

「ええ」

「失礼ですが、今更あの事故について何をお調べになっているんですか?」

 駒井は返答に窮した。自殺した菊池君と殺された田鳥にどのような接点があるのかを探していて、最初に松村美々を発見した花火大会の関係者ならば何らかの目撃情報があるのではと期待したのだが、田鳥の殺人事件についてどこまで話して良いのかを考えていなかった。

 まさかとは思うが、S区の運営に携わった誰かが、花火大会で事故を起こされた逆恨みで田鳥を殺した。そんな可能性も捨てきれない。

「申し訳ありませんが駒井さん、あの事故については、S区役所選任弁護士と遺族の間で既に和解が済んでいるのです。例え元警察官といえども、我々にも守秘義務がございますので、何か尋ねたいことがあるのなら当時の弁護士の元へ先に行っていただかないと」

 駒井が言い淀んだ隙に、生田がたたみかけてきた。生田の言い分ももっともで、たしかに弁護士……たしか、優太の話では尾井という女性弁護士だったか。彼女の元に先に行くのが筋だ。

 弁護士から話を引き出すとなると、一筋縄ではいかない。何か別の手は無いだろうか。

「あの、他にお話が無いようでしたら、私はそろそろ」

「ああ、すみません。もう少しだけ」

 腰を浮かしかけた生田を、駒井は慌てて手のひらで止める。

「そうだな。水野さんの移られた課はどこでしょうか」彼ならば駒井と面識もあることだし、何か聞き出せるのではと期待した。

「ああ、水野ですか……」生田が言い淀んでいる。どうも水野の事になると歯切れが悪い。

「彼に何かあったのですかな?」 

「ええ。実は彼は一身上の都合により、既に退職していまして」

「退職。それはいつ頃の話でしょうか」

「ええと。いつだったかなあ。記録を確認してみないことには何とも」

 生田の態度は不審だ。何かを隠している。

「すみませんが、どうしても彼と話をする必要があるんです。できれば連絡先だけでも教えていただけませんか」

 しつこく食い下がる駒井に対して、生田も根負けしたようだ。「すみませんが、しばらくお待ちいただけますか。いくつか確認して参りますので」と言い、駒井からしきりで見えない位置に生田は消えた。

 それから更にしばらく待たされた。あまりにも遅いので、駒井はハッカ飴を取り出して舐め終わるまで考え続けた。

 生田は、駒井に対する扱いについて関係各所と対応を協議しているのではないだろうか。もしかしたら、弁護士の尾井に尋ねたり、S警察署に身元の照会を行っているのかもしれない。

「大変お待たせいたしました。こちらの小会議室まで来ていただけますか?」

 三十分ほど後、生田に案内され、駒井は三階のエレベーター裏にある小部屋に移動した。電気を付けて長テーブルの前にパイプ椅子を用意して、「お座り下さい」と手で示され、駒井が座ると生田も向かい側にパイプ椅子を開いて座った。

「ええと。駒井さん。できればこの話は内密にして頂きたいのですが」

「お話にもよりますが、私が知りたいのは花火大会の最中に起きた出来事だけですので。水野さんやS区役所さんの不利益になるようなことは、一切口外しないと誓いますよ」

「それならば良いです。ええ。水野についてなのですが」

 駒井は息を飲んだ。

「自主退職ではなく、事実上のクビなんです」

 クビ?「はあ。と、言いますと?」

「実は、五年前の事故をきっかけに、警備態勢も含めた予算配分の見直しや点検が行われたんです。その調べの最中に、水野が長年携わってきた緑地化事業の公金横流しが発覚しまして」

 そこまで言われて、駒井は瞬時に四年近く前に見た新聞記事を思い出した。大手紙の一面片隅に『公金の不正流用で区役所員を免職』とあった。あれが水野だったのか。新聞には名前が載っていなかったので全く気付かなかった。S警察でも聞いたことの無い話なので、おそらくS区役所が内密に処理したのだろう。

「そういう訳ですので、彼も今は既に他所に再就職しているかもしれません。ですので、S区役所と致しましては彼の情報についてはこれ以上は……」

 駒井の肩に一気に疲労がのしかかった。生田が思わせぶりに話を隠していたから粘ったが、単に不祥事を知られたくなかっただけのようだ。

 どうやらS区役所の側からも、何も有益な話を引き出すことができそうにない。

駒井は五年という時間の壁の高さを感じ始めていた。



 駒井は丸一日歩き続けた末に、四階建てビルの前に辿りついた。繁華街と住宅街のちょうど中間にあるそれは、すっかり日が暮れた街並みを下品なほど煌々と照らしている。

「相変わらず景気が良さそうだな」有名弁護士が出演する討論番組の垂れ幕を見て、駒井は呟いた。

 そこは喫茶店で読んだ、田鳥輝巳連続わいせつ事件を記事にしていた週刊誌の本社ビルだった。アメリカ大統領の不倫問題から原子力発電所の安全神話まで、叩けるものは何でも叩く、闇鍋のような週刊誌だ。

 連絡を入れてはいないが、今日は疲れた。突撃すれば茶の一杯程度は出してくれるだろうと、正面エントランスに足を向けた時、駒井は遠くから走ってくる年代物のカローラから激しくパッシングされた。手のひらで目を覆い立っていると車が横づけされて、見覚えのある赤い禿げ頭が窓から顔を出した。記者の大西正史だった。

「いやいやお元気そうですねコマさん。禁煙は続いていますか?」

「おかげさまで十一年目に入りました。って、それいつまで聞くねん」駒井は手の甲で、テレビで見る漫才師のように大西の胸を叩いた。お互いにカハハと笑う。

 二人の付き合いは大西が記者を始めた頃からだから、かれこれ三十年近くになる。

 司法試験に合格しながら、『こんなん儂のやりたかった仕事やない。儂はヒーローになりたいんや』と騒ぎ、半年で弁護士を辞めた変人の大西は、当時から全国で五本の指に入る規模を誇る雑誌社へ記者として再就職。以降、S区や都内は当然、必要とあらば海外までも出張することがあるほどの、日本トップクラスの事件記者の地位に君臨していた。

 雑誌記者のフットワークの軽さは侮れない。時として警察以上の収穫を引っ提げてくる。S区で長年刑事をやっていた駒井は、警察が及び腰になるような、本来流してはいけない捜査情報を、道義的に許される範囲で大西に流し続けていた。

 司法で裁けない悪を、メディアの側から社会的に潰してくれるならばそれで結構。そんな思いを大西に託していたのだ。駒井の中で大西の評価は極めて高く、大西もまた駒井を信頼していた。



「やや。ドンさんようやく薄くなってきたんちゃいますか」

 ドンさんと呼ばれた男、喫茶店マスター土居どい元警視正は、はにかんで頭頂部を擦った。

「いかんですな。儂も使ってる育毛剤譲りましょか?」禿上がった額をペシペシ叩いている。

「除草剤と間違っていないよね」

「ひどっ。コマさんひどっ」大西が自分の禿頭を手で隠す。

 土居が珍しくハハハと笑い声をあげた。

 大西の勤める雑誌社の前で顔を合わせた二人は、以前に駒井が橋本を連れてきた喫茶店へと場所を移すことにした。

 土居と大西は、駒井が大西と出会う前から親しい付き合いがあった。土居の部下になった駒井が、土居から大西を紹介されて親密になった経緯がある。歳はそれなりに離れているが、三人には奇妙な共鳴があり、土居が退職した後もずっと交流が続いていた。

 コーヒーが運ばれ口をつけてから、駒井は棚にある雑誌を持ってきてページを開いた。

「さて、ニシちゃん。このわいせつ事件調べてるんだよね」以前に橋本と駒井が訪れた時、土居が渡してきた週刊誌。その巻末にあった田鳥が懲戒免職処分になった記事。その最後にある署名は、大西が複数持つペンネームの内のひとつだった。

 大西はチラリと雑誌を見たが、口元に薄く笑みを浮かべただけだった。この男は平常時から赤ら顔のため、顔色の変化が全くわからない。

「どういうこと? コマさん、警備会社に天下って平和に暮らしてるって噂聞いたけど。なんでこの件調べてるん?」口調は砕けているが、目の奥がギラギラと熱を持っている。

「天下りって言わないでよ。キャリアを活かした真面目な再就職なんだから」駒井はさらりと躱したつもりだったが、大西の目は狩人のような目のままだ。

 ここで駒井は、大西が駒井以上の何かに勘付いているのではと疑った。ありふれた教師によるわいせつ事件を調べている目ではない。

 気心の知れた仲だし、大西相手に腹芸だけで情報を引き出すことは至難の業だ。素直が一番。

「田鳥輝巳。二十九歳」

「あたしの記事の奴ですわな」開いている週刊誌をコツコツと指で突く。

「彼が殺されたことは?」

「酷い蹴殺でしたな」

「シュウサツ?」

「蹴り殺しの蹴殺ですわ。二十回以上蹴られてたみたいで。上着に靴裏の跡が何ヶ所も残ってて、サイズは二十六センチまで分かっておりましたな」

 詳しいなと、駒井は思った。大西はA警察にも情報源があるようだ。

 頸椎骨折がトドメになったことまでは橋本から聞き及んでいたが、数日経って捜査も進んだのだろう。駒井よりも事件に詳しかった。

 大西はじっと駒井が話し出すのを待っている。仕方なく手札を切っていくことにした。「五年前の花火大会で事故死した、松村美々のお兄さんの健二君って知ってる?」

「健二。松村健二……」大きな一重瞼が激しく上下して、カッと見開いた。「ああ、あの海賊みたいな大男ね。ヒゲがすごい」

「そうそう。まあ、今は清潔な好青年になってるけどね。再就職した仕事場で一緒なんだよ」

「へえ! そりゃ運命を感じるね。松村さんの家族と深い因縁があるようだ」

「そうそう。でね、田鳥のパソコンから松村美々の画像が見つかったって知ってる?」

「うん。今は色々と確認してるみたいだね」ニヤニヤしている。

 大西が言いたいのは、保存されていた動画に松村美々がいないか検証しているってことだろう。万が一、田鳥と松村美々に肉体関係があった事を示す物証が出たら大問題だ。

「ああ、なるほど」大西が右手で作った拳を左の手のひらに打ちつけた。「それで、松村健二のために、事件を洗い直しているってわけかい」

「話が早くて助かるよ」

「うんうん。そういうことなら他ならぬコマさんの頼みだ。協力するのはやぶさかでない。でもねえ」大西は両手でお椀の形を作った。何かくれというポーズだ。「世の中ギブアンドテイクですよ。情報が欲しかったら自分からも情報を出さないと」

 駒井は苦笑いを浮かべた。大西は舌を出しヘッヘッと息を荒くして、餌を待つ犬のようにしている。このままでは話が進みそうにない。仕方なく別の手札を切ることにする。

「これは、田鳥の殺害事件とは無関係かもしれないけどね」駒井は松村優太が怪しい婦警に注意された件と、松村健二がI区で盗撮の冤罪を受けて、直後にインターネットに顔が晒されていた件を教えた。話を聞いてるうちに徐々に大西の顔が猟犬のように鋭くなっていく。

「てことは、コマさんは田鳥と謎の女子高生? が組んで、松村兄弟による菊池翔空探しの邪魔をしたって考えてるわけだ」

「確証は全く無いけどね。ただの勘だよ」

「ううん。名刑事の勘か。コマさんは外さないからなあ」 

「元刑事ね」

 大西は腕を組みブツブツと独り言を言って頷いている。禿げ上がった頭をペシペシと叩いた。「菊池翔空君には兄弟がいなかった。その女性の協力者ってのが、また訳わからんね。田鳥の交際相手だったりするのかも」

「あのルックスだからねえ。言うことを聞いてくれる女友達くらいはたくさんいたかもね」

 駒井が言うと、大西は頭を上下に振って貧乏ゆすりを始めた。テーブルにぶつかる寸前まで頭を下げる度に頭頂部がキラリと光る。

「どんだけ追っかけても、配慮や自粛で、記事にはできそうにない類の事件だろうね。こりゃあ」

「うん。まあ、そうなんだろうねえ」

 昨今は少女が被害に遭う事件事故は、名前や学校は表に出ないものだ。報道されてしまう事案はほんの一握りだということを、元刑事の駒井はよく知っていた。

「だからさ、頼むよ。僕が責任持って真相を究明するから、知ってることがあったら教えてよ」

 駒井が両手を合わせると、大西はお手上げのポーズをとった。「分かった。分かりました。他ならぬコマさんの頼みだ。あたしの掴んだとっておきのネタをプレゼントしちゃいますわ。その代わり、最後まできちんと事件終わらせてくださいね。この件は案外根が深い気がします。どこで誰が苦しんでいるのか分かったもんじゃない」

 ありがたい。駒井はコクリと頷いた。

「田鳥と菊池翔空になんらかの接点が無いかと、色々と調べてたんですわ。学校、部活動、翔空君のクラスメート。全部空振りだったんですけど、意外な所で繋がってました。何か分かります?」

 駒井は首を傾げた。

「田鳥は関西の教育大学を卒業して、教諭になるためA区に引っ越してきました。ところが五年前、当時住んでいたマンションで自殺騒ぎが起きて、騒動から避けるために今住んでいるアパートに引っ越したんだそうです」

 五年前の自殺。

 心当たりは一つしか無い。菊池君だ。

「自殺した少年は十階から飛び降りた痕跡があったそうですが、その時の田鳥は十二階に住んでおりました。どうです? ヘドロのように臭いでしょ」


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