駒井元刑事 1
健二が去ると、駒井と橋本も場所を変えることにした。
駒井と健二の勤務地を出て五分ほど歩き、半地下の立地で営業している喫茶店へと入った。運良く空いていた一番奥の目立たない席に着く。駒井はこの席をとても気に入っている。実際、現役刑事時代に一般人から捜査情報を内密に聞き取る時は、大概この席を利用していた。
「良い場所ですね。ここ」
「穴場なんですよ。今入ってきた入り口以外に、奥にも出入り口があり、ビルの駐車場と繋がっていて尾行を撒けます。防音もしっかりしているし、マスターは地獄耳だが口は堅い」
駒井が言うと、離れた所にいる店主らしき白髪の大男が口角を上げた。
橋本が注文したコーヒーに一口つけると、駒井は前置き無く事件について質問を始めた。
「さて。暴行殺人でしたかな。その前のわいせつ事件発覚の経緯あたりから聞いても宜しいですか」
橋本の眉の片側がピンと跳ねる。「あれ? 私、殺人事件としか言ってませんよね。なぜ暴行があったと?」
「健二君の人柄を言い表す時、『暴力をふるうような男じゃない』って言いましたからね。暴力を含んだ殺人事件なのだと推測しました」
橋本はおおと呟き「相変わらず鋭いですね」と、称賛を送った。「その通りです。被害者は激しく蹴りつけられており、発見時は頸椎を骨折していてほぼ即死状態でした。そうですね、順を追ってわいせつ事件から説明したほうが理解しやすいと思います。事件についてはご存知ですか?」
「家じゃ新聞を三つ取ってるからね」
「わかりました。じゃあ事件のさわりだけで。事が起きたのは一か月ほど前の祝日。T県にある遊園地に訪れていた母娘二人が、折悪くあるカップルと出くわした。娘のA子はカップルの男、田鳥輝巳と交際していると考えていて、その場で痴話喧嘩が始まった。そして、カップルの女であるB子が、持っていた荷物を振り回してA子の顔に当たり、娘が殴られたと母親が警察に通報して大事になりました。問題が、A子は小学六年生で、B子が中学二年生、田鳥が小学校の教諭であったことです。
調べたら、A子は田鳥が教鞭をとる学校の生徒で、B子もそこの卒業生でした。話が校長のところまで届き、双方の両親も交えて面談が開かれました。A子はずっと田鳥と交際していると主張していたが、田鳥はどちらとも交際していないと否定。また、B子も田鳥との交際を否定。遊園地には一人で訪れて、偶然田鳥教諭と会っただけだと主張したそうです。やがて、田鳥が警察に逮捕されることになりそうだとわかると、A子も田鳥との交際を否定し始めます。A子とB子、双方が交際を否定して田鳥を庇うようになったので、ぎりぎりで警察沙汰にはならずに懲戒免職で済ませることになりました。ここまでがわいせつ事件の内容です」
駒井が新聞記事から得た記憶よりも、それなりに詳しい話だった。遊園地で自分の学校の卒業生と二人で遊んでいて、偶然会った教え子と卒業生が喧嘩。
これだけでは懲戒免職はありえない。
交際の証拠になるメールのやり取りや何らかの目撃証言があったのを、教育委員会が握り潰したのだろうと、駒井は想像した。
「そして約一週間後、田鳥は夜の公園で暴行されて死亡していました。この件は当初、A子とB子、それぞれの家族が関わっている可能性が非常に高いと見られました。共に父親や兄がいるので、家族や親族が恨みを募らせて殺害に至ったという意見が本部の主流です。そのため、報道されると女児達の今後の生活に悪影響を及ぼす可能性があるため、今はまだ規制されております。次はこの件について説明します。
事件後、自宅を週刊誌の記者に嗅ぎつけられた田鳥は、日中は出歩かず、深夜にコンビニなどで買い物をして、隠れるように生活を続けていました。その日午前一時半頃、田鳥は自宅を出て近道になる公園を通り、コンビニで買い物を済ませました。そこから自宅へ戻る途中、何者かに襲われて死亡したと考えられております。発見したのは、深夜二時過ぎに近くのファミリーレストランの勤務が終わり自宅へ帰る途中の学生アルバイト二人でした。二人はすぐに警察に通報。A区の調べによると、遺体は全身を蹴りつけられており、最初は暴走族あたりに襲われたのではないかと考えました。ところが、田鳥の身元が分かり、財布などの貴重品が盗まれていない点、更に被害者の体についた靴跡が一種類しか無い事から、単独犯の怨恨による暴行殺人ではないかとの見解になりました」
娘、もしくは妹にちょっかいを出された家族や親族が、激昂し復讐。
なるほど。警察が最も考えそうなシナリオだと、駒井も思った。
「A警察は、真っ先にA子とB子の周辺や、学校関係者に話を聞きに向かいました。そして、田鳥の親族の許可を得て田鳥が住むアパートを調べたところ、パソコンの中からかなり問題のある物が出てきました。複数の未成年と思われる女児とのわいせつ行為を自宅で隠し撮りした動画です」
「複数の未成年……」
橋本は眉を顰めて不愉快そうな顔をしている。
駒井はふと、昔一度だけ見せてもらった橋本の娘達の写真を思い出した。橋本には三人の娘がいたはずだ。その娘達が全員無事に就職したので、橋本は交通課から刑事課へと転属したと聞いていた。この女性は女児が被害に遭う事件を非常に嫌う。
「B子は田鳥との交際をずっと否定していました。もしかすると、動画をネタに口止めされていたのかもしれません。また、ざっと確認した分にはA子の動画はありませんでした。しかし、A子よりも小さな複数の少女とのわいせつ動画が見つかりました。それらの少女の数はざっと十名近く。目下のところ、事件の目撃者探し及び隠し撮りされている少女の特定、その親族の洗い出しが捜査の中心となっています」
「なるほど……」
橋本の話はよく纏まっていた。駒井は頭の中で整理する。「そして、パソコンの中にはなぜか松村美々の写真があり、以前に盗撮の疑いがかかったことのある松村健二君に関心が向いたと」
「はい。S区からA区に移った刑事がいて、松村美々の写真を覚えていたので、すぐ気付けたとのことです。未成年少女が被害に遭う犯罪に関わった者同士で交友関係があって、何らかの事態が起きたのではないかと考えたそうです。松村健二君の件については完全な言いがかりですけどね」橋本は乾いた笑い声をあげた。「それと、田鳥の保有していた写真は、自殺した菊池翔空君が携帯電話の待ち受け画像に使っていた写真と全く同じ物だったそうです」
「菊池君と田鳥教諭に面識があったかもしれない、とお考えですか」
「その可能性がありますね。二人は同じA区住まいですが、家も離れていて学校も別々。見落としている接点が無いか一応は調べているそうです。ただ、本腰を入れてはいないみたいですね。本部が突き止めたいのはA区で起きた殺人事件のホシであって、五年以上前に起きた花火大会事故に関するゴタゴタは、S区の別件であるとして軽視されているようです」
「ふうむ」駒井がコーヒーを口に持っていくと、既にぬるくなっていた。
すると、マスターが無言で湯気の立つ香ばしい淹れたてのコーヒーを二人分持ってきてテーブルに置いた。その横に今日発売の週刊誌もそっと添えられる。
「巻末に少し載ってるよ」駒井の耳元でぼそっと言うと、ぬるくなったコーヒーをお盆に乗せて去っていった。
週刊誌の表紙は豊満な胸をした女性モデルの写真で、政治家の不倫やスポーツ選手の年収の内訳といった見出しが縦横に走る。駒井がページをめくっていくと、最後のほうに『また教師のわいせつ事件 食い物にされる少女たち』の見出しで、A区の事件が四ページほどあった。こちらは教育委員会を通した主張や、責任者の謝罪を糾弾している内容だ。
記事にそれほど重要な点は無かったが、最後にある記者の署名に興味がわいた。
「ふむ。私は例の花火大会の事故の担当ではなかったので、全てを知っているわけじゃない。あの件も含めて一から勉強し直してみようかな」
「駒井さんが動いて頂けるのでしたら有難い」
橋本は礼を言いつつ時計をちらりと見た。彼女の予定以上に時間が経っていたようだ。
駒井は気を使い、話を切り上げるように水を向けた。
「何か分かったら連絡くれないかな。こっちも何か分かったら連絡するから」
「はい。そうします」橋本は席を立ち、伝票を手にしようとしたが、駒井は手のひらを広げて制した。
橋本は「ごちそうになります」と笑顔で言い、背筋をピンと伸ばして美しい敬礼をすると、大股で足早に去っていった。
「これはすごいですね」駒井の目の前にいる松村優太は感嘆の声をあげた。
「女房が洋裁教室をやっておりましてね。円花ちゃんに丁度良いかと思いまして」
急に過去の新聞や週刊誌を読み漁るようになった駒井に対して、駒井の妻が何事かと尋ねてきた。
職場の同僚が困っているので手助けしたい。近々赤ちゃんのいるお宅に伺うことになると言ったら、プレゼント用にと、二日で手編みの赤い子供用カーディガンを仕上げたのだ。
「妻が『子供はボタンを飲み込んだりする事故があるので、絶対外れないようにしっかり縫い止めるのがコツだ』なんて得意げに言っておりましたわ」
優太は素直にボタンの縫い目を引っ張って確認している。「たしかに丈夫そうです。これは円花や妻も喜ぶと思います。駒井さん、本当に何から何までありがとうございます」狭い居酒屋のカウンター席で、隣の優太が頭を下げた。駒井の膝にぶつかりそうになる。
「いやいや、松村さん、頭を上げて下さい。警察の者が色々と不愉快な思いをさせたでしょう。そのお詫びの意味もあるのです」
橋本は健二だけではなく、優太にも田島の事件について別の刑事が話を聞きに行ったと言っていた。古巣の同僚が、松村美々の事故から立ち直った家族に対して、古傷を抉るようなことをしたのだ。頭を下げられ、かえって駒井のほうが恐縮してしまった。
「健二が盗撮の件で騒ぎになった時も助けて頂いたし、今回もまた手助けして下さるとかで。母からもお礼を言っておくよう言われました」そう言って、メニュー表を持ち上げた。「ささ、何でも好きな物をどうぞ」
腰の低い優太の態度に、駒井は居心地悪く苦笑いを浮かべた。
田鳥の死からしばらくの間、週に三日しか勤務日の無い駒井は、空き時間を利用して松村美々の事故死の一件を洗い直していた。刑事時代の古い同僚を通じて当時の薄い捜査資料をコピーしてもらい、頭に詰め込んでいた。
事故そのものの調べは、松村家遺族がS区役所の全面謝罪を受け入れ、和解することにより被害届を取り下げた。最後のページには菊池翔空のことが友人として書かれており、彼が松村美々を誘って事故現場に立ち入ったことにより悲劇が起き、自殺によって全ての幕が降ろされたことになっている。捜査終了の赤いハンコが真ん中に押されていた。
そして今日、健二を通じて松村優太との面会をセッティングしてもらった。彼の職場から近い大衆向け居酒屋のカウンターにて、事故の後にあった詳しいいきさつを聞き取っていたのだ。
「で、どうです? 何か刑事の勘で思い浮かぶことあります?」
「ううん。そうですねえ」駒井はビールで口を湿らせた。口の中ではじける泡の感触が脳を冴えさせる。「まず、確定的なのが、菊池翔空君には、彼の松村美々さんへの恋を叶えてあげたいと願う仲間がいた。それが、殺された田鳥教諭の可能性がありますね」
田鳥と菊池君は学校は違うが同じA区居住。何か見落としている繋がりがあるのではないか。
「菊池君は自分が隠し撮りした美々さんの写真を宝物のように大事にしていた。その写真を田鳥教諭に渡したということは、菊池君が田鳥教諭に美々さんと二人きりになる場所を作ってほしいと頼みこんだか。もしくは田鳥教諭がおせっかいにもキューピッド役を名乗り出たか」
菊池君の自殺後の調べでは、通っている学校の友人たちに対して、想い人がいることを隠そうとしていたことが判明している。まあ、中学二年生では周りに冷やかされたりするのがオチだ。学校の友人よりは、学校とは無関係な、面識や接点の少ない人に相談したくなるかもしれない。例えば年上の恋愛経験豊富な、田鳥のようなお兄さんとか。
「そしてもう一人、忘れてはならないのが、警備員を誘い出した日焼けした少年ですね」
「警備員の手を引っぱったとかいう少年」
「ええ。日焼けした少年が、警備員を木の側で倒れていたという田鳥の元に連れて行く。その隙に、菊池君が美々さんの手を引いて立ち入り禁止区域に入りこみ、二人きりになる。そして、日焼けした少年と田鳥は姿を消して、菊池君と美々さんは花火を観覧してて、事故にあった……」
駒井の言葉は尻すぼみに小さくなった。
これもまたしっくりこないと、言っている駒井自身が考えたためだ。
優太が抱く美々の印象だと、ナンパされてついて行くような少女ではないとの話だ。面識が無かったと思われる菊池君に、美々がはたしてついて行くだろうか。
それに友達を三人も待たせている。動機が弱い。
駒井は腕を組み、空を見上げて考え込み始めた。
駒井がやろうとしている当面の目標は、健二の田鳥殺害の疑いを晴らすことだ。後で調べたら、田鳥が殺害された日は、不運にも健二は休日だった。アリバイが無い状態だ。
田鳥と健二が小児性愛者として繋がっているというA警察のこじつけを消す。そのための最善策は……。
「やはり、事件の全容を全て暴くのが一番なのかね」
「え?」
「あいや失敬。独り言です。ときに松村さん。健二君は、いつ頃から髪やヒゲを伸ばし始めていたのですか?」
「え? ええと、十八歳くらいからあの身なりでしたね。あいつはしばらくニートの時期があって、身だしなみに無頓着だったから。俺たち兄弟は揃ってフケ顔なんですよね。額が広くてヒゲが濃い。だから日ごろから清潔にしとけって言ってたんだけど聞かなくて……」
駒井は初めて永体会病院で健二と会った時の容姿を思い出していた。就職した今でこそ身だしなみを整えているが、事故のあった日の健二は獣のような外見であった。
「健二がニートになったのも理由がありましてね」優太は、健二が中学生時代にドッヂボールから逃げ出して女子生徒を骨折させてしまった話を説明した。
「ううん。女子にボールを当てるのが嫌で逃げ出したら、関係無い女子を怪我させたってのも、笑えない話ですね」
「ええ。それをきっかけに、不愛想で怒りっぽい性格になった気がします」
駒井は頷く。「ふむ。別に、ご近所から不審者扱いされたりといった事は無かったんですよね?」
「はい。その件以外は、暴力事件とかのトラブルは一切無いですよ」
「なるほど。となると、盗撮の冤罪事件直後にインターネットで騒ぎ立てたのは、やっぱり菊池君やその仲間なのかな。健二君は人から恨みを買うような性格ではありませんものね」
「ああ。たしかに、自分もそれは考えました。一重瞼の少年やその仲間が冤罪事件を引き起こして、騒ぎたてているんじゃないかって。でも、あの直後に美々が意識を回復したからどうでもよくなって。更にその後、美々が亡くなって、S区役所の弁護士がやってきて手打ちにしたがったので、流されるままうやむやになっちゃったんですよね」
事件事故の被害者家族や遺族が、警察や企業の態度が不満だから、自分で動いて調べようとするというのは時々ある。S警察署は最初から不幸な事故と認識しており、本人たちが納得して諦めるのを待とうという意見で、優太や健二の『犯人探し』を見逃していた。優太がS区管内の中学を回って写真の男、菊池君を探していたのは知られていたが、健二がS区を出てI区にまで行き、『犯人探し』をやっている事までは知られていなかった。
「あの、松村さん。あなたを注意してきた婦警ってどんな方でしたか?」
「え? たしか若い婦警さんでしたよ。背が高くて頭も小さい」
「もう少し何か思い出せることありませんか?」
「ううん」優太は腕を組み考えだした。
「例えば、化粧が濃かったとか」
はっと、優太の体が震えた。「ええ。そういえばファンデーションの臭いが強烈でした。化粧が濃かったです」
「ファーストフード店の女生徒とやらが、厚化粧して婦警に変装したっていう松村さんの推理は面白いですね。当時はS警察署だけではなく美々さんの学校近辺でもあなたたち兄弟は有名でしてね。かなり同情されていたんですよ。犯人探しも、暴力沙汰に発展さえしなければ好きにさせて良いと黙認していました。それなのにS警察署の婦警がわざわざ注意に行くってのもちょっとありえないかなと。その婦警ってちゃんとパトカーに乗っていました?」
優太は顎に手を当てて考えている。「ああ、たしか覆面パトカーだったような気が」
「じゃあ決まりですね。不審者の通報を受けた時、大抵は地域課のミニパトが現場に向かうはずで、覆面パトカーは出動しません。車種は覚えていますか?」
「すみません。見た目普通の乗用車としか覚えていないです」
「まあ、普通の自動車にパトランプでも買って乗せて、覆面パトカーを装っただけだと思います。その婦警は運転席に行きましたか? 助手席に座りましたか?」
「すみません。それもちょっと」優太はかぶりを振った。
「まあ、おそらく助手席でしょう。そして、運転席には田鳥がいた」
「ううん」優太は額に手を当てた。「さすがにそこまでは飛躍しすぎてません?」
ニカッと笑って、駒井はポケットからハッカ飴を取り出して口に放り込んだ。「たしかにほとんど推測です。いや、私もいささか酒に飲まれているみたいです。これ食べます? 酔い覚まし効果ありますよ?」
駒井がハッカ飴を優太に差し出すと、優太は一粒だけと言いつつ受け取り、口に含んだ。
「松村さんが婦警から注意を受けた件と、健二さんが冤罪を受けてインターネットで批判された件、両方とも菊池君へと辿りつかせないための工作だったとしたら合理的です。そして、花火大会の事も含めると、三件とも共通しているのは、当事者が逃げるように去ってしまっていて、存在が証明されていない点です」
駒井は考えた。そこまで大人数で秘密を共有していると、仲間割れや諍いも起きかねない。ハッカの風味を楽しみながら、田鳥殺しもひょっとしたらこの件が引き金になっているのでは? と思い始めていた。




