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松村優太 10

 意外にも、澄美子と優太は涙を見せなかった。優太は起きた不幸を信じたくない心が現実の受け入れを拒否しただけだが、澄美子はある程度の覚悟を決めていたらしい。一人だけ号泣していた健二は、今は涙が枯れてきたのかすすり泣きへと変わっている。線香のツンとした臭いを嗅ぎながら、優太は澄美子を見て、女はやっぱり強いな。などとぼんやり思った。

 学の到着した夜に通夜、翌日に葬儀を行った。どこからか現れた町内会の人間が学と打ち合わせをして、全て滞り無く淡々と進んだ。どこかで見たことのある顔だなと思っていたら、なっちゃんの親父さんだった。きっとどこかできんちゃんやなっちゃんもいて悲しんでいるのだろうなと、数百人は入っている広い葬儀会場を見て思った。

 葬儀が終わると、澄美子が眩暈を訴えた。気丈に振る舞っているが、やはり疲れているようだ。健二が付き添って先に家へと帰した。

 学と優太で翌日の火葬手続きについて相談している時、二人の男が現れた。一人の大柄な体には見覚えがある。S警察署の相馬刑事だ。ブラックスーツだが喪服ではなく、葬儀に来ていたわけではないようだ。もう一人の細身の男には見覚えが無い。

「お久しぶりです。松村優太さん。お父さんとは初めましてですね。昨日お電話しましたS警察の相馬です。こっちはA区A警察署の荒木あらきです」

 荒木と呼ばれた男が頭を下げた。彼はなぜか喪服を着ている。

 A区はS区の北部で接している。松村家と何か縁があって葬儀に参列していたのだろうか。

「昨日の電話?」優太は学をちらりと見たが、学は目を合わせようとしない。学は目線で相馬に話の先を求めているようだ。目にかすかな怒りがある。

「三日前の夜、美々さんが亡くなる数時間前のことになりますが、菊池君という少年が自殺しました。その少年はどうやら、花火大会の日に美々さんと一緒にいた少年のようです」

「え?」

 優太は学を見るが、動揺が全く無い。先に知っていたみたいだ。

「名前が菊池翔空。翔ける空と書いてカケラ君。自殺した日がちょうど誕生日だったので、美々さんと同じ十四歳です」荒木はポケットから手帳を取り出してページをめくった。「夜八時頃、A区にあるマンションで飛び降り自殺。即死でした。目撃者が無く、通行人が気付いて通報した後、現場を調べて分かったのですが、十階の踊り場に菊池君のコートと手袋がありました。すぐ横に彼の携帯電話があって、遺書が打ちこんでありました。文面は、『花火大会でミミさんに怪我をさせたのは僕です。死んで責任をとります』とありました」

 ……、優太はただ、絶句した。

 なんだそれは。死んで責任を取る?

 何身勝手なことを言ってるんだそいつは。

「花火大会と松村美々さんの事故については、我々で調べました。担当の相馬刑事からお話を伺い、美々さんの携帯電話に写っていた写真と照らし合わせた結果、同一人物と判断しました。ちなみに、これが菊池君の生前の写真です」封筒の中から数枚の写真を取り出した。学と二人で交互に確認する。正面から撮った写真が一枚と、美々の撮った写真と同じ角度から撮影された、斜め右後ろから撮られた写真が三枚。髪型こそわずかに違うものの、目元や頭の形がそっくりだった。

「おとといが通夜、昨日が葬儀で、本日の午前に火葬が済んでいます。その時に菊池君の御両親や仲の良かった同級生、担任教諭やクラスメートにも話を伺ったところ、花火大会のあった夏休み前の時点で、菊池君が松村美々さんに好意を寄せていたらしい事実と、花火大会後、明らかに様子がおかしくなっていた事実を確認できました。まずクラスメートの証言ですが。授業の合間に隣の席の生徒が、ニヤニヤと携帯電話を見ている菊池君に気付き、取り上げて見たところ、複数人の女生徒が写った待ち受け画像があったそうです。その時、菊池君は顔を真っ赤にして怒り、携帯電話を取り返しました。それが夏休みが終わり、ふと待ち受け画像を見たところ、無地になっていたそうです。ご家族に許可を頂き、携帯電話のデータを頂きました。これが待ち受け画像にあった写真の拡大コピーです」手帳の間に折りたたまれ入っていた二枚の紙を取り出して学に渡した。「美々さんに間違いありませんね?」

 一枚がバス停を離れた所から撮影した画像だ。もう一枚がそれを拡大した画像。拡大した画像には夏の制服を着た美々の横顔、それにきんちゃんとなっちゃんの背中が写っていた。

「また、花火大会のあった日、帰ってきた菊池君のシャツが黒い煤で汚れていたことと、落ち込んでて様子がおかしかった点も、両親が覚えていました。さらに、花火大会の日に救助を要請された区役所の職員に菊池君の写真を見せたところ、このような感じの少年だったとの証言を得ました。以上の点から、菊池君と松村美々さんは一緒にいたことが間違い無いと思われます」

「本当は、その日のうちに松村さんのご家族にお伝えしなければいけなかったんだけど」相馬が話の後を継ぐ。「いや、私も写真の彼について探してはいたんですよ。病院から美々さんの意識が回復したって報せも受けていて、三日も経てば状態も落ち着くはずと考え、その後お話を伺いに行く予定でした。ところが、その日の夜中に菊池君の自殺と美々さんがまた昏睡状態になったって話を同時に受けまして。とりあえずは菊池君に関する裏付けが先と判断しました。確認の済んだ昨日、お父上に連絡した次第です」

 相馬の話を聞いて優太は学が落ち着いていた意味を知った。先に話を聞いて知っていたから、親父は冷静でいられるのだと。

「松村さんご家族も心中お察ししますが、菊池君のご家族もまた混乱の極みにあります。お話をするなら日をあけてからのほうが宜しいと思います」

 葬儀の後でお疲れでしょう。日を改めて伺いますと言い、二人の刑事は去った。

 そして、後には痩せた青白い父親と、肩を丸める優太が残った。



 翌日、美々の火葬が終わった。自宅の祭壇に遺骨を安置して一息ついた頃、相馬と共に見たことの無い女性がやって来た。名刺の肩書きは弁護士で、名前が尾井おい。S区役所内において法律相談業務を委託担当しているらしい。今回、美々が亡くなったことにより遺族との交渉役となったそうだ。

 二人は線香をあげて美々の遺影に手を合わせると、尾井が学と澄美子のほうを向いて膝を床に付けたまま頭を下げた。

「今回の事故につきましては、S区側の過失を全面的に認めます。安全面に極めて深刻な不備があった事により、娘さんを不幸な目に合わせてしまい、まことに申し訳ありませんでした」

 事故の日に会った責任者だと言っていた作業服姿の男、たしか水野だったか。あの男とは真逆の態度だ。

 遺骨のある畳の間に入りきれずに隣の部屋から様子を伺っていた優太と健二は、二人同時に鼻からフンと息を吐いた。今更何言ってんだという気持ちになる。

「つきましては、病院でかかった入院や治療費は当然のこと、ご遺族の方には慰謝料も支払わせて頂きたく思います。それ以外にも菊池家との交渉についても全て私どもが受けることにより、ご遺族の皆様の負担をできるだけ……」

「いや、ちょっと待って下さい。菊池家との交渉ってなんのことですか?」学が口をはさんだ。

「それは私が」相馬が喋ろうとする尾井を制した。「自殺した菊池翔空君の御両親が、花火大会の事故は、翔空君が美々さんを立ち入り禁止区域に連れ込んだのではなく、美々さんが翔空君を連れ込んだのではないかと主張しているのです」

 健二がいきなり立ち上がった。椅子がガタリと音を立てる。優太が腰のあたりを掴むと、相馬を睨み付けたまま健二はゆっくりと腰掛けた。

「A区とS区、両方で調べた内容から、翔空君が美々さんに一方的な片思いをしていた可能性が極めて高いと思われます。祭りの日、翔空君は一人で出かけたけれど、美々さんは他に三人の女友達と一緒だった。翔空君は美々さんを知っていたようだけど、美々さんの口から翔空君の存在が話に出たことは無い。まあ、翔空君の御両親も、分かってはいるけど事態を冷静に受け入れられずにいるだけでしょう。それに松村さんのご家族から訴訟を起こされたりするのを恐れているのかもしれません。そういった点も含めて、全ての交渉は私に一任して頂ければと思います」

 尾井の態度は誠実だった。松村家だけではなく、菊池家に対してもいたわりの気持ちが見てとれる。

「私にも息子と娘がおります。姉は今年成人になり、弟はまだ高校生で、しょっちゅうケンカしているけど、かわいいものです。それだけに、そんな子供達が急に失われたらどう感じるか。その気持ちを理解した協議が私には可能です。どうか、今後については私にお任せください」

 再び尾井が頭を下げた。学と澄美子を顔を見合わせ考えている。



 その日の夜、五人家族から一人欠けた松村家にて、これからの交渉だけではなく、今後についても含めて話し合った。

 事故から三ヶ月近く経ち、澄美子は精神的にも肉体的にもかなり疲労が溜まっている。優太や健二も表情が抜け落ち、無気力感が松村家全体を包み込んでいるのを見て、学による『後の事は全て尾井に任せよう』という鶴の一声で先が決まった。

 優太は眠る前にテレビで夜のニュースをぼんやり見ていたが、美々の死は報じられなかった。事故からしばらく時間が経っており、真新しさが無かったせいだろうか。

 インターネットのニュースサイトと事件事故の掲示板を見てみたが、大手メディアのニュースサイトでは美々の訃報が報じられていた。優太がマスコミに渡した笑顔の美々の写真が掲載されている。死亡したことにより顔写真の報道が解禁されたようだ。掲示板でも訃報が拡散されていて、全ての書きこみが哀しみに包まれていた。

 だが、菊池翔空の自殺については全く報道されず、掲示板にも名前すら出ていなかった。美々の事故とは違って、未成年者の自殺だから報道が自粛されているのかもしれない。菊池家の遺族の要望もあるのだろう。

 いくつか分かっていないこともあった。日焼けした少年、健二に盗撮の冤罪を押し付けようとした者、もしかしたら、優太に注意してきた婦人警官も偽物だったかもしれない。だが、美々が亡くなったことにより全ての行為が無に帰した。今の優太には虚無感しか残っていない。

 優太が最も重要と考えていた一重瞼の少年、菊池君がいなくなった今は、全て些細で遠い問題としか感じられなくなっていた。

 自分は今までなぜこんなことをやっていたのだろうか。こんなことになるなら、せめて美々のそばで少しでも共に過ごすべきだったんじゃないのか。怒り、後悔、無念。色々な感情が心に刺さり痛みを与える。

 優太はやがて、集めた調査資料をそのまま消去した。



 それから二日後、『四十九日に合わせて戻ってくる』と言い、学が仕事に戻るため海を渡ると、松村家は哀しみに包まれたまま、わずかに広く静かになった。

全ての法事を終えて、冬を超え季節が巡り、優太は大学を卒業して働き始めた。

 松村家はS区役所と和解し、多額の慰謝料を得た。

 学の仕事も順調で、来年には現地を統括するサブマネージャーに昇進する。

 働く必要の無い経済状況だが、澄美子は空き時間の多くなった家にいるのが苦痛なのか、パートで働き始めた。恰幅の良さとおおらかさがあり、体を動かすことが好きなため、あっという間に周りから頼られる存在となった。

 悲しみを乗り越えて母の働く姿を見た健二は、せめて天国の美々に心配をかけない人生を送ろうと決意し、専門学校に通いながら働き始めた。

 一周忌、三回忌と時は流れ、松村家の心の傷も徐々に癒えてゆく。

 そして五回目の美々の命日が過ぎた。


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