君のいちばんに
瞳と言う文字はレンズと読んで下さい。
「ねー架唯くん」
「んー?」
「わたしが大きくなってプロのカメラマンになったらモデルになってくれる?」
ずっとずっと...
君の瞳に写りたかった...
【君のいちばんに】
幼い頃の記憶。そして約束。
笑いながら僕にカメラを向けて来た君。
凄く凄く楽しそうに、毎日肌身放さず持っていた。本当に幼い頃の僕ら。
僕の学校帰りに向かう場所は、決まっている。
幼馴染のいる病院。
毎日毎日鬱陶しいぐらいに通い詰める。
見舞い通いなんてしたくないよ、僕だって。
でも彼女が毎日退屈にしているのを思うと如何しても足が向いてしまう。
消毒の匂いに包まれた病院内。彼女の病棟は2階。
階段を上って突き当たりがすぐ病室。
薄暗い階段を上り終え角を曲がろうとする。
看護婦が慌てて目の前を走り去る。そして病室に飛び込む。
ガッシャンッ――――――――!!!!!!...................
足元に花瓶が飛んで来る。見るも無残。
綺麗に生けられたばかりの鮮やかな花が一瞬にしてゴミと化した。
病室の目の前。この部屋から飛んで来たんだ。そしてこの病室は紛れもなく、彼女の病室。
「何っ、これはっ!」
「千佳...これは違うのよっ」
「違うわけないでしょっ!じゃあ何で隠し持ってるのよっ!!!」
慌てて中を覗くと、酷く荒れた千佳の姿。
千佳の母親と看護婦が止めに掛かる。
言い争う彼女の目は濁っていた。別人を見ているようだ。
「...千佳っ!...」
名前を叫んだ。濁った目で睨み付ける。
荒い息を立てて僕の方に向かって来る。ふらっとバランスを崩して凭れ込む。
体勢を直して病室から出ようとする千佳の体を思いっきり引き止める。
息はどんどん荒くなる。
「ちょっ千佳っ!なぁ如何したんだよ...!」
ハーハーともう呼吸の仕方を知らない人のように。呼吸はまともに出来ていない。
もう虫の息に近いようだ。
ずるずると体が下に下がってくる。
やっと落ち着いたかと思いゆっくり後を向く。
荒れた部屋。無残に床に落ちている本の数々。
その本の表紙のタイトルを見た時...。
頼む。頼む。夢なら覚めてくれ。
「そん...な...」
「ごめん...ね...っ如何してもお母さん言えなかったのよぉ...」
「...そだ...嘘だ!嘘だっ!全部嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁっ――――――――――っ........!!!!!!!!!」
泣いて謝る母親を後目に千佳は暴れ出す。
もう食止めるのが精一杯の状況で涙が溢れ出す。
『ガン』
これが彼女に伸し掛かった病名だった。
誰か、もう誰でもいい。
悪魔だっていい。
言ってくれ、全部全部。
嘘でもいいから嘘だと言って...。
ようやく落ち着いて来た千佳をベッドに戻す。
虚ろな目をする彼女に掛けてあげる言葉が見付からない。
ただ沈黙だけが流れる。
「林檎剥こうか?」
ゆっくりと首を横に振る。
流れるカーテンをただ見詰めてただ首を横に振る。
林檎を剥く事が此処に来てからの僕の日課になっていた。
なんて悲しい日課。
「あっそうだ。千佳にいいモノ持って来てあげたよ」
「....?」
鞄の中から取り出したのは一枚の広告。と安物のカメラ。
広告はただで手に入るけどカメラは非常に高い。
彼女には悪いけど中古のカメラが僕にとっては精一杯の値段。
千佳は虚ろな目で差し出したカメラと広告を見る。
『アマチュア写真募集 テーマ・かけがえのないもの達』
「これは絶対チャンスだよ!これに受賞されればこの会社の宣伝とかに利用されるんだよ。これは千佳の夢への第一歩に...」
「ありがとう...でももういいよ」
「え...?」
「決めたんだ。写真の道は諦める、もう...いいの」
「そ...そんな事言わずに頑張ろうよっ!テーマはかけがえのないもの達だよ」
何とか説得する僕を横目に彼女は口を開いた。
「じゃあ則椰がいい...写真はもうやめる、でも最後に則椰を撮りたい...彼を撮りたい...」
「判った」
―――則椰とは...高校に入ってからの千佳の彼氏。
そして僕の大親友。
千佳は則椰を望んだ。僕はそれにただ従って手伝えればそれだけでいい。
彼女に彼を撮らせてあげたい...。
「だから、千佳も則椰の顔を見れば大分違うと思うんだ。千佳今凄く大変なんだ。だから」
「俺だって千佳には逢いたい...ケド...逢えない」
「如何して...?」
「色々あるけど、これ千佳に渡しといてもらえるか」
渡されたのは白い封筒。多分紙切れ一枚の手紙だろう。
則椰が千佳に逢いにいけない事はよく判った。だけど。
此処で引き下がる訳にはいかない。
手紙を受け取り鞄に仕舞い手紙と入れ替えにカメラを取り出し則椰にレンズを向ける。
「条件が一つ。....笑って....!」
夕日が沈んで暗くなって来た空。
則椰から預かった手紙を片手に。グシャッと握る。
手の中で親友の手紙はグシャグシャの紙になった。
――――笑ってよ...千佳...。
翌日、グシャグシャになった親友から千佳への手紙を家に置去りにして病院に向かう。
病室の目の前に立ち、ゆっくり深呼吸をしてノック。
「入るよ」
「...架唯...」
「何?僕じゃ不満なの...?」
彼女は首を横に振る。腕には点滴の針が刺さっている。
「人がせっかくいいモノ持って来てあげたのに」
「何...」
彼女に差し出したのは白い封筒。
昨日則椰から預かったものとはまったく違うもの。
中には一枚の写真。
「則椰、逢いたがってたけど色々忙しくて逢いに来れないから一日一枚写真送るから暫くは写真でやり取りしよーだってさ」
写真に写っているのは則椰の顔。則椰の顔写真。
その写真を見るなり千佳の表情が一転。
枯れかけた花に水をやったら一瞬で回復したような感じ。
「千佳が喜ぶなら頼りない僕だけど手伝うから」
「あ...うん...」
「則椰も千佳の為に張り切ってるから、千佳もちゃんと写真撮って、則椰の事喜ばしてやれよ?」
「うん、私頑張るよ」
彼女の笑顔を見た時、僕に襲い掛かって来たのは。
罪悪感。
.......でも......。
―――――――――――――笑っててほしいから............。
ごめんね。
見舞いの帰り道に何回も何回もシャッターを切る。
千佳の為にインスタントカメラから撮ったらすぐに写真が出てくる機種に変えた。
少々値は張ったが彼女の為なら手段は選ばない。
カシャッ...。
家に帰ってすぐに自分の部屋の中に飛び込む。
写真だけを送るのだったらいいのだけど、メッセージもつけなければ絶対バレル。
机の上に放置された、則椰の手紙。
恐る恐る封筒を破いて中の手紙を取り出す。
ビリ...ビリ...。
『千佳、ごめんな。好きだけど俺達終わりにしよう。本当にごめん』
「んなの渡せる訳ないだろっ!....」
あまりにも綺麗過ぎる字。うまく再現出来るかが心配。
溢れ出す涙を必死に堪えて、一枚の写真を選んでペンを持つ...。
ペンを持った瞬間に千佳の今日の嬉しそうな顔が浮かび上がる。
手紙の文字を元に字を書く。
『千佳、頑張れー!』
嘘をつく事を許してくれ。
――――僕は。
千佳の事を何時も想ってる。
「あはは、これ凄くいい。可愛いし、お母さんも見てよ」
「あら本当、可愛いわね」
伸し掛かるのは罪悪感のみ。
笑っていてほしいけど根を出してしまえば笑ってほしくない。
その笑顔を見てると僕は嬉しくもなる。でも逆に。
謝りたくもなる。
「じゃ僕はこれで...」
「架唯待って」
ベッドから起き上がりカメラを持つ。
「大丈夫なのっ!」
「平気だよ、それより...私も写真撮らなきゃ」
病室を出て近くにいた子供達を集めてシャッターを何度も切る。
いきいきとしている表情。凄く明るい。
子供達もはしゃいで写真に集中する。
僕も自然に彼女の姿を見ていて微笑んでいた。
「...私も救われたわ...一時はどうなるかと思ったけどあの子最近は本当によく笑ってくれるの。則椰君って子のお蔭ね」
「そうですね」
「本当によかった....!勿論架唯君にも感謝してるわ。貴方達物心ついた時から一緒にいるでしょ?」
「えぇ...」
「キョーダイ同然で育って来たものね。これからも千佳のいいお友達でいてくれる?」
「..................ハイ.........」
返事をするのが恐かった。
でも僕は、千佳の“いいお友達”の姿でいられるのならそれで十分。
家に着いたらすぐさま千佳から預かった封筒を破いて中を見る。
「本当によく撮れてるな...。小さい頃からずっと撮ってたから当然か」
ひらっと封筒から紙が一枚。
ひらひらと足元に落ちる。拾い上げて内容を読む。
『写真ありがとう。忙しいのにごめんね、でも凄く嬉しいよ。今はこんな状態だけど必ず回復して戻るから。則椰』
好きだよ
胸がズキッと軋んだ。
僕は千佳の望む則椰じゃない。
偽者とも程遠い、犯罪者。
カシャッ!
「おい架唯!毎日毎日何撮ってんだよ」
「いいのいいの、気にしない」
「何の為に撮ってるんだよ?」
「『愛』の為かな?」
「なんじゃそりゃー!!!」
学校の中でも外でも何処でも。
毎日毎日シャッターを押し続ける。
人、物、風景...色々。
「はい、則椰から」
「ありがとう」
毎日彼女の笑顔を見て、胸が軋む。
―――痛くはない。
彼女もまた病院内でシャッターを押す。
毎日楽しく。いきいきと。
「則椰に...」
白い封筒の交換。
辛くはない。痛くもない。
僕は嘘吐きでも構わない。
この罪が消えなくても。全然構わない。
彼女の体はどんどん病魔に蝕まれて行く。
「千佳っ!おばさん千佳は」
「疲れきって眠ってるわ」
「そんな...最近は凄く元気そうにしてたのに」
「移転が見つかったのよ...足に出来た悪性腫瘍がね...肺にまで移転してきたの...」
おばさんの声は微かに震えていた。
最愛の娘の病気。恐いのだろう。
出来るなら代わってあげたいとかよく言うけど、そんな事僕には言えない。
そんな事言ったらきっと千佳は怒るだろう。
そんな事軽々しく言ったってどうせ現実は変わらないのよって。
「駄目だって!今は安静にしてないと!」
「大丈夫だよ...写真...撮るだけだし...」
無理にでも写真を撮ろうとする千佳を必死に押えるおばさん。
苦しそうな息をしてるのに、写真を撮ろうとする意思。
きっとこれは僕のせいなのだろう。
ただ2人の光景をじっと見詰めるだけ。
「駄目よっ!」
僕に...。
何が出来るのかな...?
「....と........のに.....なぁ....」
「何......?」
「...用意されてると思ってたんだよ。当たり前の未来が...私にも...」
当たり前の未来...?当たり前の現実...。
何もなきゃ当たり前に時は過ぎて行く。
何も考えずに当たり前に当たり前に。
千佳はすっと微笑んで僕に言った。
「ホントになーんにも判ってなかったんだよ....」
「僕...―――っ!」
「ん?」
「ごめっ...僕帰る、用事思い出したから...またね」
「バイバイ」
微笑んだと言うよりあれは苦笑いに近い。
あんな風に笑ってほしくないのに...。
彼女を変えてしまったのはこの僕なのか。
病室の前で座り込む。
部屋の中では、机の引出しからカメラと今まで撮り続けてきた写真と貰った写真、そして。
『アマチュア』写真募集の広告を手にしている千佳がいた。
千佳の目は何かを目指しているように輝いていた。
ある日、千佳に頼まれ屋上に行った。
もう自らの足では自由に歩けなくなって来ていた千佳を車椅子に乗せ、屋上に向かう。
心地良い風に靡かれる白いシーツ。
柵の向こう側の景色を見詰めて...。
「え...今のホント?」
「本気でプロのカメラマン目指す。こう言うのはやつぱり気持ちの問題でしょ?もう弱音は吐かないよ」
言葉に感動したのか涙が零れて来た。
見せてはいけないと思い少し顔を逸らして涙を拭き取り千佳に微笑む。
「そっか頑張れ!きっと則椰も喜ぶよ!」
一瞬無表情になった千佳。それでもすぐに微笑んだ。
「あのさ...」
千佳が口を開いたその瞬間。
あーっと幼い子供達の声が僕達の耳に届く。
遊び道具を持って近付いてくる。
「写真のおねーちゃんだ!おねーちゃん遊ぼーっ」
「おねーちゃん今歩けないからかわりににーちゃんが遊んであげるね?」
「うんっ!」
昔の自分を見ているようだった。
子供達に引っ張られて行く僕を見て微笑み手を振る千佳。
頑張って千佳。
大丈夫、きっと君なら上手くいくから。
僕がついてるから...。
カシャッ―――――――ッ!
だけど...。
神様はそんな彼女の夢を、叶えてはくれなかった。
呆気なく。静かに。
何時ものように彼女のいる病院に足を運ぶ。
今日は何か違っていた。看護婦達が慌しく。医師も慌しく。
僕の目の前を通り、彼女の病室へと入って行く。
「.......!」
「............!?」
「...........!!!」
目の前で行われている事がすべて嘘で夢ならいいのに。
おばさんが泣いてる。医師が首を横に振る。
何も考えなくてもどんどんどんどん涙が溢れる。
ピ―――――――――ッ―――.....―――
それはあまりに呆気なく。
神様は千佳を連れて行ってしまった。
呆気なく...。
「ありがとうね。架唯君」
「いえ...如何かお気を落とさずに...千佳は少し短い人生だったけどしっかり生き抜きました、色んな人に支えられてしっかり生きました。叶わなかった夢だけどプロのカメラマンになりたいって大きな夢を持って最後まで生きました、だから彼女は幸せですよ。如何か千佳を褒めてあげて下さい」
「判ったわ...あとこれ...」
おばさんは差し出したのは白い封筒。
今までずっと交換し続けて来たあの白い封筒。
僕はそっと受け取って胸に押え付ける。
「きっとあの子出しそびれたと思うの、最後の写真...お願い出来る?」
「千佳の最後の願いです...ちゃんと届けますっ!」
満面の晴れ顔とは間逆に裏では土砂降りの雨。
笑っていても涙で腫れた目の下。赤くヒリヒリする。
千佳の最後の写真。最後の嘘。最後の罪。
辺りはもう真っ暗で、街中は賑わっている。
もう限界と、堪えていた土砂降りの雨は大洪水。
ごめんね...ごめん...。
渡された手紙の端を丁寧に破いて写真を取り出す。
中に入っていた写真は千佳のあの笑顔だった。
「本当にごめんな...『則椰』は僕なんだ...ごめっ...う...ぅう...」
僕が泣いているのが不思議なのかあたりの人々がざわつき始める。
如何してか判らない。今はそんな事より悲しみの方が罪悪感の方がでかい。
「ごめんなぁ.....っ....」
封筒の中には手紙が入っていた。
二つ折りにされているのをゆっくりと開いて文字を見る。
千佳の文字...。
『―――ずっと 支えてくれてありがとう
君からの写真と 一言のメッセージが 何時も私を強くしてくれた
ありがとう 架唯
少し右下がりになる架唯の文字
私は誰よりも知っているよ
街にある、巨大スクリーンに人々の注目が集まる。
そして僕にも何か視線が来るのを感じた。
人々の視線の先には.......。
かけがえのない 君だから』
スクリーンに映し出されているのは僕の姿。
満面の笑みの...僕の表情。
「――――....!何で...僕が...えっなん...」
僕の写真と一言のメッセージ。
『君を忘れない。』って....。
スクリーンの端の方に字が映し出されている。
涙で歪んで見えずらいが今ははっきり見えた。
『アマチュア写真コンテスト
グランプリ作品』
「あ...千佳...」
彼女の夢は叶ったのだ。
プロのカメラマンになると言う大きな大きな夢は...。
僕の目の前で叶ったのだ。
―――――...ずっとずっと.......
.........君の瞳に写りたかった―――――――........
笑って 笑って もーっと笑って もーっと もっーと
ハイ!
チ――ズ!
最後まで読んで頂き有難う御座いました。