接近、それは事の始まり
転校生が特異で貴重な存在とされるのは、そんなに長く続きはしないものだった。私、沢木由香はそれを直に体験した張本人だ。
転校してきた当初は皆にチヤホヤされ、休み時間は質問やメアド交換の嵐。忙しいけど、楽しい時間に変わりはなかったのでむしろ好んですらいた。けれど……。
「まさか一週間でこれとは」
人知れず呟く。転校してはや一週間。休み時間に私の元へやってくるのはいつもの三人に定着してきた。
長身で美形とも言える風間花香に、小柄で眼鏡が真面目な印象を与える月島こずえ。そして、幼児体型だけでなく中身も子供並にハイテンションな鳥居紗耶香の三人だ。ここに私が加わって四人グループが公認となっている。
最近気付いたけれどこの三人、名前から一字ずつ取ると『花鳥風月』になる。たしかにニーズは押さえてあるからある意味花鳥風月だけど。そんなところにいる私はすごく惨めなのだけれども。
「そういえば由香、あいつとは友達になれたの?」
花香が笑いながらそんなことを聞いてくる。あいつ、とはもちろん憎き縁間之兎のことである。
「いやいやそれがもう聞いてくださいよお三方」
私は力無く机に突っ伏すと机の周りに立っている三人を見上げた。
「なになに、また『友達なんぞ興味ない』みたいに言われちった?」
サヤが楽しそうに言ってくる。縁間君の物まねが少し似ているのが妙に腹立たしい。しかも言っていることもそのままだから尚更だ。私はサヤに目だけで肯定を示す。
「というか、由香ってもうかなり有名人よね」
突然、こずえがそんなことを言った。どういうことなのだろうか。
「そりゃ私は転入生だし、有名にもなるでしょ?」
私がそう言うと、こずえは私が意味を分かっていないことに驚いたような表情になった。なんなんだろう。
「ほら、アレだよアレ!」
サヤが楽しそうに言う。アレと言われてもピンと来るものが無いのだけれども。すると、花香が笑顔で迫ってきた。
「アンタが縁間に気があるって噂になってんの」
「…………」
思考が止まる。アンタって誰だ? 私か。アンタが縁間に気がある? つまり私が縁間君に気があるとな?
「えぇぇえぇえぇぇぇ!?」
思わず絶叫する。休み時間で談笑していたクラスメートの視線を一挙に集めてしまった。そのことが少し恥ずかしく、私は声を潜めて三人に聞いた。
「そ、それはどのような情報源から……?」
「なんと言うか……言葉通り風の噂?」
笑いながら花香が答える。笑い事ではないんだけど。私はただ皆と友達になりたいわけで、誰かに対して特別な感情があるわけではない。こずえはそれを察知したのか、優しい声で話しかけてくれた。
「由香はどうしたいの?」
「私は……」
聞かれて、初めてかもしれないが本当に真面目に考えてみる。
私はまだ転校してきて一週間だし、そんな短期間で恋愛感情なんて芽生えていない。これは断言できる。
それよりも、知り合いのいないこの学校に来て、自分が本当に望んでいたこと。前の学校の友達は大切。だけど、この学校で新しく友達になる人も大切なことに変わりはない。
転校することが決まった時に、密かに心に決めたたった一つの目標。
「……私は、クラスの人皆と友達になりたいの」
私の言葉を聞くと、こずえは満足そうに頷いた。花香とサヤもその顔に明るい笑みを浮かべている。
「でも、そろそろアイツが問題だよね」
「あー、確かに!」
ふと、花香がそんな言葉を漏らし、サヤも同意する。『アイツ』が何なのか分からず、私はこずえに助けを求めた。
「あぁ、由香は知らないのね。アイツっていうのは隣のクラスの……」
こずえが説明を始めた時だった。教室の扉がけたたましい音を立てて開かれる。休み時間で談笑している者や予習をしている者の視線を浴びているが、その人物は気にも留めない様子で入り口に立っていた。
「……あの人」
こずえはめんどくさそうにその人物を指差すと、深いため息を一つついた。
普段は真面目で和やかな雰囲気のこずえがそんな反応をしたことが気になり、私はその人物に着目した。
なかなかの長身で、切れ長の鋭いけれど優しそうな瞳。整った顔立ちをしており、茶色がかった髪の毛はサラサラと揺れている。
「……普通のイケメン?」
見たところ、これと言ってこずえの反応に合点のいくようなことは無い。私は花香とサヤに助けを求めてみた。ところが二人ともこずえと同じようになんだか引いているような雰囲気がある。まさかイケメン故の無類の女好きとかそういう類の人間なのだろうか。そう思っているとこずえが続けて説明してくれた。
「あの人は天月竜星君。たしかに顔はいいけど、そのせいなのか女性関係で黒い噂があとを絶たなかったり……。それと、たしかこの学校唯一の物理部員だったはず……」
説明しているこずえが急に私の後ろを見て目を丸くした。何事かと振り返ると、そこにはたった今話題に上がっていた張本人、天月君が笑顔のままで立っていた。鼻が当たる程の距離に。
「どわわぁ! 近い! 初対面が本来取るべきでないほどに距離を詰めてる!」
思わず女の子らしくないツッコミを入れてしまった。これは仕方ないの。本能がそうさせたんだから。
私は気を取り直して、天月君の方を向いて立ち上がった。
「えっと……何か用ですか?」
私が少し緊張気味に話すと、天月君は笑顔を崩さずに答えた。
「沢木由香さんですね? ボクは天月竜星です」
今の話が聞こえていたであろうにも関わらず、律儀にも自己紹介から始められ、私は『あ、はぁ』と気の抜けた返事しかできなかった。
「天月、まーた勧誘? 懲りないねーアンタも」
「おや、風間さん。どうです、貴女もバスケ部など辞めてうちに……」
「却下だ。由香もやらんし教室に帰れって」
「ふむ、随分と辛辣ですね……。仕方ない」
私が呆気にとられている間に、花香と天月君で何やらやりとりがあったが何のことなのかわからず呆然としていると、天月君が顔を近付けてきた。突然の事態に赤面する私。
「今日の放課後、物理実験室で待ってます」
そうとだけ言い残すと、天月君はニコリと笑って教室を出て行った。
今日の放課後に、あんなイケメンと物理実験室に二人っきり? 転校して早々フラグ立てちゃったの私? よっしゃーい!
「あー……由香?」
私が心の中で歓喜の声を上げていると、こずえに声をかけられた。
「彼に放課後呼ばれたの?」
「そうそう! これはもう私の春到来ってやつだよね!」
私が嬉々としてそう言うと、三人はなんだか気まずそうな顔をした。何かあるのだろうか。
「まぁ由香は転校してきたばっかだししょうがないよねー。天月くんはあんな感じで女子をたらし込んで物理部の部員を増やしつつ部を存続させてるんだー」
サヤがいつもの調子で説明してきてくれた。そういえばさっき学校唯一の物理部員だとかなんとか……。
「でもなんでそうまでして物理部を残したいの? 物理部に自主的に入りたい人はいないってことでしょ?」
「それはわからないけど……。でも、彼中学の頃海外の雑誌に載ったくらい物理に関してはずば抜けてて、それに部としてなら実験器具とかも貸出してもらえるし」
なるほど。要するにイケメンで物理大好きで女子には大して興味がないと。
「よし、放課後行ってくる」
「え? いやいや、どうせ由香も数合わせに使われるだけだよ?」
花香に止められるも、私の意思は変わらない。
「そんな自分本位の考えで女の子を傷つけるなんて許せないよ。私がちゃんと文句言ってくる」
サヤは嬉しそうに笑っていたが、こずえと花香は解せないような表情を浮かべていた。
「由香、今さっきまであんなに喜んでたのに切り替え早いな……」
「そう? 正直私はそこまで面食いじゃないしどうでもいいよー」
笑いながら答える。実際本当のことだし、仮にあんなイケメンと付き合えても周りの目が怖くて別れるのが関の山だろう。
そんなことを考えていると予鈴が鳴り響いた。談笑でざわついていた教室で、バタバタと次の時間の準備をする生徒が出始める。ちらりと窓際の席に目をやるが、縁間君は今日もサボりのようだった。そういえば、物理実験室ってどこだろう。