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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
零の章 【消えない想い】
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0-6 忍び寄る影

 ――お父さん、お兄ちゃん。これからよろしくね。

 そう少女は笑いました。



 ****



 すっかりと日の落ちた住宅街を、俺はのんびり歩いていた。

 大学での講義をすべて終えたあと、俺と託哉は駅前に繰り出して、若者らしく自由気ままに時間を潰した。そのおかげで、ここ数日ナベリウスのせいで溜まっていたストレスを発散できた。あの自称悪魔は、暇を見つけては色仕掛けをしてくるのだ。健全な若い男としては、ストレスが大変なことになる。

 心機一転、というやつだろう。

 これからはナベリウスのやつからイニシアチブを奪い取ってみせる。今までは、ちょっと落ち着きが足りなかった。もう少し冷静に対処すれば、きっと俺にも勝機があるに違いない。

 ……ふと。

 いつの間にか、あの少女を当たり前のように受け入れている自分に気付いた。

 まだ出会って数日しか経っていないのに、体感的には何年もの時間を共に過ごしてきた気もする。

 本当、よく分からない。いったいなんなんだ、あの女は。


「……はぁ」


 空を見上げると、そこには見事な三日月と、まばらな星々が顔を覗かせていた。携帯電話で時刻を確認してみると、午後七時半を回ったところだった。

 駅前で託哉と別れた俺は、一人で帰路についていた。仕事を終えたサラリーマンも、街に繰り出していた学生も、みんな完全に帰宅したのだろうか。住宅街は、しんと耳鳴りが聞こえてきそうなほどに静まり返っていた。

 街の中心部。それこそ駅前とか繁華街は、この時間帯でも大層な賑わいを見せているものだが、これといったアミューズメント施設がない住宅街は例外だ。

 娯楽がないのだから、必要以上に人が寄り付かない。

 出歩く人間も皆無。きっと今頃、各家庭では夕食が始まっていることだろう。

 だから早く帰らなくちゃいけない。

 きっと家では、ナベリウスが晩御飯を作ってくれているはずだから。

 べつに楽しみなんかじゃないけど、俺が「美味しい」って言うたびに、あいつが嬉しそうに笑うもんだから……つまり、その締まりのない顔を見たいだけなのだ。他意はないのだ。本当なのだ。

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 人気のない道を。

 無音の住宅街を。

 誰一人として見当たらず、俺一人の足音しかしない夜を、歩く。

 犬の鳴き声も、一家団欒の気配も、しない。


「……おかしいな」


 独り言だった。

 夜の帳に放たれた声は、ほんの少しだけ静寂と拮抗したあと、霧散して消えていった。

 そう。

 完全と言ってもいい、完璧と呼んでもいい――それほど人がいない。犬もいない。虫もいない。鳥もいない。人間がいない。動物がいない。



 誰も、いない。



 ゾクリと背筋に何かが這い上がる。

 なんとも言えない危機感のようなものを感じて、俺は立ち止まっていた。

 周囲を見渡す。

 そこらの民家には明かりが付いている――けれど人の気配を感じない。

 どうなってるんだ。

 どうして誰ともすれ違わない。

 ここまで来ると、おかしくなったのは世界のほうではなく、俺のような気がしてきた。

 ……おかしい、か。

 そういや今朝のニュースで言ってたっけな。この街で殺人事件が起こったとか。被害者は高校生、しかも女の子。凶器は刃物のようなもの。犯人は不明。動機も不明。手がかりは今のところなし。

 にも関わらず、大学の空気はいつもどおりで――まあ他人が殺されたぐらいで、いちいち生活習慣を変える人も稀だろうけど。

 結局のところ、みんな他人事だと思ってるんだ。それは俺だって同じ――

 だから。

 今このとき。

 背後に何者かの気配を感じたとしても――それは犯人ではないはず。

 ゆっくりと振り返ってみる。誰の姿も見えない。どうやら薄暗い闇の中に、うまく身を隠しているようだった。



 ――俺以外の人間がいた、という安心と。

 ――俺たち以外に人間がいない、という不安。



 長考した末、とりあえず歩いてみることにした。

 こつん、と足音が一つ――いや、二つ。

 百メートルほど適当に歩く。念のため、わざとらしく右に曲がったり左に曲がったりしてみたが、ご丁寧に追いかけてきやがった。

 そろそろいいか、と歩みを止めてみる。すると俺の後ろにいる野郎も足を止めた。

 ……なるほど。

 少なくともストーカー以上、殺人犯以下のやつに俺は尾けられてるらしい。

 でも、だからこそ――こんなときだからこそ、冷静になるべきだろう。

 まずは状況を客観的に分析する。

 周囲に人の気配なし、つまりいざという時の助っ人は期待できない。

 背後に人の気配あり、しかも確実に俺を尾けている。

 手持ちの武器はなし、せいぜい教科書やノートの入った鞄が盾として使用できるぐらいか。

 相手の素性や目的は分からないが、もしもヤツが殺人犯だとしたら、ナイフ以上の装備を持っているだろうことは想像に難くない。

 ……まずい。

 あまりにも分からないことが多すぎる。せめて相手の顔だけでも確認できればイメージも立てられるのだけど、この暗闇の中じゃ贅沢は言えない。

 俺はこう見えても、ガキのときから空手に打ち込んできた。だから徒手空拳の争いならば自信がある。でも相手が刃物を持っていた場合、俺のアドバンテージは一気に崩れ去る。

 だから俺は、つま先で地面をとんとんと叩いたあと、一目散に駆け出した。


 いや、逃げ出した。


 やばくなったから逃げるのではない。やばくならないように逃げるのだ。第一、いくら空手を習っていたからと言っても、殺人犯を敵に回すのは普通に怖い。可愛い女の子が人質になっているとかならまだしも。

 夜の住宅街を駆ける。

 運動能力には多少の自信があるので、本気で走ればそう簡単には追いつかれないつもりだった。

 でも背後からは変わらず足音が聞こえてくる。


「くそっ――!」


 距離は広まるどころか、むしろ縮まっているようだった。 

 やっぱりだ、間違いない、誰かが俺を追いかけてきてるんだ……!

 まだ肌寒さの残る四月の夜なのに、体は熱を持ち、微かに発汗を始めていた。額から流れた汗が頬を伝い、顎を通ってアスファルトの路面へと消えていく。

 おかしな話だが、俺には予感があったのだ。捕まれば殺される、と。だから俺は、体操着でもないのに全力で走っているのかもしれなかった。

 闇夜の鬼ごっこが始まってから、どれほどの時間が経過したのか。ふと気付けば、背後に迫っていた気配は完全に消えていた。それこそ煙のように。

 追ってきたのも突然なら。

 姿を消したのも突然だった。


「……振り切った?」


 汗を拭いながらも警戒を続けていた俺は、そのとき犬の鳴き声を聞いた。それも尋常じゃない声量。怪しい人間を見かけたから吼えた、危害を加えようとしてきたから威嚇した――そんな生易しいものではなく。

 まるで……断末魔に似た泣き声だった。

 止めておけばよかったのに、俺は何かに誘われるようにして犬の声がしたほうへと歩き出した。その途中で、何度か人間とすれ違った。かなりの汗をかいている俺を不審な目で見てきたが、気にしないことにした。

 辿り着いたのは小さな公園だった。ブランコ、シーソー、ジャングルジム、砂場といったメジャーな遊具が目立つ。また敷地を囲うようにして桜の木々が植えてある。なるほど、夜桜も悪くない。

 もう危険の気配も、異常の残滓もなかった。

 しかし。


「……んだよ、これ」


 拳を強く握り締めて、それをまっすぐに見つめる。

 大きな桜の木の下、俺の眼下に広がっていたのは、仔犬の亡骸だった。

 つまり俺が聞いた犬の鳴き声は、この犬の断末魔だったということか……?

 唇を噛み締める。鉄のような味が口内に広がったが、だからなんだという話だった。

 この殺害方法には、明らかな悪意がある。うっかりと命を奪ってしまった、という言い訳は利かない。

 ああ、そっか。


「……俺のせい、だよな」


 この犬が殺された現場は見ていないけれど、誰がやったのかは容易に想像がつく。きっと俺を追いかけていた野郎が犯人だ。鬼ごっこの途中で、偶然にも目に入った獲物を気まぐれに惨殺。動機は不明。逃げた俺への当てつけか、あるいは初めから、生き物を殺せるのなら何でもよくて、たまたま最初に見つけた獲物が俺だっただけの話で、第二の獲物を見つけた瞬間、ターゲットはこの子に変わっただけなのかもしれない。

 俺は鞄をベンチの上に放り投げると、桜の木の下を掘りにかかった。当然スコップはないので、素手で土を退けていく。爪のあいだに泥や砂利が入って気持ち悪かったが、そんなのは関係ない。

 ほどなくして、小さな穴が完成した。


「……こんなのしか用意できねえんだ。ごめんな」


 言い訳のように呟きながら、見るも無残な姿となった子犬を穴に埋めていく。最後に、手間をかけて掘り起こした土をもとに戻すと、そこには小さな墓があった。

 墓標もなく、もしかしたら意味すらないのかもしれないけど。

 それでも無駄じゃないと信じたい。

 桜の下に埋められた仔犬の体は、やがて木々の養分となる。あの小さな命は巡り巡って、いつか花を咲かせるのだ。だから絶対に無駄じゃない。

 公園に備え付けてあった水道で手を洗う。四月の夜の水は、ひたすらに冷たかった。





 意識はひどく曖昧だった。

 それでも慣れとは恐ろしいもので、俺は適当に歩いているつもりだったのだが、気付けば家に辿り着いていた。

 あぁ、ようやく帰ってきた。きっとナベリウスのやつ、カンカンに怒ってるだろうな。もう夜の九時を回っちゃってるし。

 でも予想に反して、萩原邸は無人だった。明かりもついていないし、誰の気配もしない。どうやらナベリウスはいないらしかった。

 ……あれだけ留守番してろって釘を刺しておいたのに。

 普段の俺だったら、きっとナベリウスを心配して家の近辺を探し回るぐらいはやっただろうけど、いまはそんな気力もなかった。

 ただ、眠りたい。

 色々と疲れた。

 とりあえず体よりも、頭のほうに休みを与えてやりたい。

 風呂ぐらいは入りたかったが、すこし悩んだ末、やっぱり止めておいた。その代わり濡れタオルで軽く体を拭いて、顔と手を洗う。

 着ていた服を洗濯機の中に放り込んで、タンクトップとジャージを着て、自分の部屋に戻る。そのまま明かりを灯すことなく、倒れるようにしてベッドに飛び込んだ。

 目を瞑ると、すぐに眠気はやってきた。深い奈落の底に落ちていくような感覚が身を包む。意識がたゆたい、現実と夢の境界線があやふやになった。

 ……考えることは山ほどある。

 俺を尾けていたのは誰なのか。そいつは本当にくだんの殺人犯なのか。仔犬を殺したのもそいつの仕業なのか。

 そして、ナベリウスはどこに行ったんだ?

 あれだけ留守番してろって釘を刺したのに。ちゃんと「分かったわ」って笑顔を浮かべながら頷いてくれたのに。

 そういや、あいつ言ってたっけ。


 ――ちょっと用が出来たのよね。


 これまで彼女に私用があったところなんて見たことなかったのに。

 もしかして、その”用”のために、ナベリウスは家を空けているのだろうか。

 ……ああ、きっとそうなんだろう。

 俺の「留守番をたのむ」っていうお願いを破ってまで、こんな夜中に女の子一人で出歩いてまで、どうしても為さなければならない用が、ナベリウスにはあるんだ。

 頭の片隅でぼんやりと思考しながら、いつしか俺は睡魔に身をゆだねていた。


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