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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
弐の章 【御影之石】
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2-8 遠慮会釈

 俺と美影は、ダンタリオンを倒すまでの間、一時的に共同戦線を張ることになった。

 ダンタリオンに狙われている俺。ダンタリオンを倒したい美影。俺と美影を欲しているダンタリオン。差し迫った脅威を打倒するためには、俺たちが手を組むのが一番だった。

 本来ならナベリウスに連絡を取るのが最善なのだが、なにがあったのか、あの銀髪悪魔は家を空けているらしく、萩原邸に電話しても誰も出ない。かといって暴力団に追われている現状では家に帰る気も起きず、彼女の所在をこの目で確かめるのは無理だった。

 とにかく方針としては、身を潜めて情報収集をしつつ、ナベリウスと連絡が取れるまでじっとしているに尽きる。あんなバケモノに自分から喧嘩を売るのは自殺行為だ。

 そうと決まれば、次に必要となってくるのが活動の拠点。萩原邸は使えない。ホテルも金銭的に無理。であれば、美影が暮らしている家が選ばれるのは自明の理だった。




 美影は現在、実家を離れて一人暮らしをしているらしい。それ自体はとても素晴らしいことである。これっぽっちも異論はない。

 親元を離れることは、自主性や責任感の醸成、そして精神的な面での成長が望める。俺も一度ぐらいは母さんと離れて暮らしてみるべきだとは思うが、それは普通に寂しいのでパスである。

 ただし男子と違い、女子の一人暮らしには多くの危険が付きまとう。その代表的なものが性犯罪だろう。パッと思いつくだけでも、痴漢、強姦、ストーカー、盗聴、盗撮など枚挙に暇がない。それが美影のように見目麗しい少女ならば、なおさら犯罪に巻き込まれる可能性は上がる。

 だから、まあ、美影が一人暮らしをしてるって聞いたときは、俺はそこそこセキュリティのしっかりしたところに住んでるんだろうなぁ、と勝手に想像していたんだけど、それは間違いだったらしい。


 街外れの閑散とした区画に居を構えていた『田辺医院』から、徒歩で三十分ほど歩いた場所にそのアパートは存在した。距離的にはそう遠くない。すぐ向こうに工業地帯があるせいか、あたりの空気は淀んでおり、呼吸をすると喉と肺がイガイガする。

 ギャグなのか真面目なのか、アパートの名前は『住めば都』というらしい。もし笑いを取ろうとしているなら、そいつはきっとセンスがないと思う。

 アパートの周囲には、ボロボロの廃墟が立ち並んでいる。ほかにも穴の空きまくった金網や、『立ち入り禁止』などの看板があちらこちらに乱立していた。

 そんな排他的な場所のど真ん中に、一つだけぽつんと小奇麗なアパートがあるのだ。どう見ても異常である。

 この『住めば都』というアパートは、鉄筋構造の二階建てだった。築十五年ほど、1LDK、ユニットバス完備、という見事なラインナップ。おまけに家賃は相場よりも五割ほど低いという、目玉が飛び出るような超優良物件である。

 明らかに裏があるのでは、と疑うだけの好条件だが、実際そのとおりだった。

 美影曰く、このアパートは裏の人間しか入居を許可されないらしく、下は薬物の売人から、上は異端を専門的に排除する殺し屋さんまで住んでいるとのことだ。

 要するに、美影が住んでいるのは裏の人間の、裏の人間による、裏の人間のためのアパートなのだった。まあいまの俺たちの隠れ家としては最適なので、文句は言うまい。


「……そういえば」

「ん」


 ぴたりと立ち止まった俺を、美影は振り返った。


「こんなことを聞くのは野暮かもしれないけど……おまえ、俺を部屋に入れてもいいのか?」

「……?」

「いや、ほら。俺は男で、おまえは女じゃないか。もちろん自制はするけど、なにかの拍子に間違いが起きるかもしれないし」

「間違い。なにそれ?」


 美影がぼぉーとした目を向けてくる。徹夜明けで眠いのか、ひっきりなしにまたたきをしている。


「いや、だから間違いっていうのは……」

「うん」


 ちょこん、と俺の前に立って、目を逸らすことなく真っ直ぐに見つめてくる。あまりにも純真無垢な瞳である。どうやらこいつは、俺のことを男として認識していないらしい。


「夕貴?」


 いきなり閉口した俺を不審に思ったのか、美影が変わらず覇気のない顔で小首を傾げた。そうだよな、ちょっと心配しすぎだよな。俺は無防備な女の子を襲うような男じゃないし、美影は必要以上に男を忌避するような女の子じゃないもんな。俺たちは戦友みたいな関係なんだし、間違いなんて起こるわけがない。

 喉に刺さった小骨が抜けたような清々しい気持ちで、俺はかぶりを振った。


「……いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだよ。忘れてくれ」

「そう」


 興味をなくしたのか、美影の唇がつまらなさそうに引き結ばれた。そのとき。並んで歩いていた俺たちに向けて、一石ならぬ一声が投じられた。


「おかえり。美影ちゃん」


 不思議と心が安らぐような、温かみのある声。どこか耳に優しい発音と言葉遣い。アパートの正面玄関には、俺たちを待ち構えるように一人の男性が佇んでいた。

 無造作に伸びた黒髪と、半端に伸びた無精ひげ。うだつの上がらなさそうな風貌は、しかし庶民的な親近感を相対する者に抱かせる。三十代後半ぐらいの彼は、よれよれの背広に身を包み、こちらに向けて親しげに右手を振っている。

 どこかで見たことあるな、と思ったら、彼は昨夜、俺を重国さんとの待ち合わせ場所まで案内してくれた、あの隻腕の男性だった。

 俺が東京湾に浮かばなかったのは、この人のおかげと言っても過言じゃない。


「……ん?」


 美影のとなりに立つ俺を認めると、彼は人懐っこい笑みを浮かべた。


「やあ、また会ったね。僕のこと、覚えてるかな? こんなことを男性に言うのもおかしいけれど、なぜか君とはまた会えるような気がしてたんだよ」

「はい。もちろん覚えてますけど……」


 この不意の再会を手放しで喜べないのは、場所が場所だから、だろう。美影の話が真実ならば、このアパートには裏社会の人間しか近寄らないはずなのだから。


「夕貴。これと知り合い?」


 どことなく不機嫌そうな顔で、美影が彼を指差した。


「まあ知り合いだな……っていうか、目上の方を”これ”とか言うなよ。失礼だろ」

「べつにいい。だって冴木は、私のストーカーだから」

「……え」


 なんか美影の口から、女子の一人暮らしの天敵ともいえる単語が飛び出したような……。


「ハハハ、こりゃ参ったね。まさかストーカーと認識されてるとは思わなかったよ。相変わらず美影ちゃんは手厳しいな」


 これっぽっちも不快さをあらわにせず、むしろ照れたように頭をかいて彼は苦笑した。それから俺に向き直って、


「紹介が遅れたね。僕は冴木っていうんだ。好きに呼んでくれていいよ」

「分かりました、冴木さん。俺の名前は萩原夕貴って言います。こちらこそ紹介が遅れてすいませんでした」


 愛想笑いを浮かべて名乗りを済ませる。繁華街で会ったときは名前も聞かずに別れちゃったからなぁ。


「……萩原……夕貴」


 冴木さんは思慮深げな顔で、俺の名を何度も呟いていた。


「あの、どうかしましたか?」


 心配になって尋ねてみると、彼はハッとした顔で手を振った。


「ああいや、べつに大したことじゃないよ。ただ素敵な名前だと思ってさ」


 なるほど。母さんのネーミングセンスが分かるなんて、やっぱり冴木さんはいい人だったんだ……!

 俺は緩みきった顔を見られぬように俯いて、ぽりぽりと頬をかいた。


「いやぁ、それほどでもないですけど。ちなみに名付け親は、俺の母さんなんですよ」

「へえ、いいお母さんだね。大事にしてあげなよ。親にとって子供っていうのは宝物なんだから」

「もちろんですよ! 母さんを幸せにするのが俺の夢なんですから!」


 そう宣言する俺を見て、冴木さんは目元を和らげた。

 ……あれ、でもそういえば、繁華街での会話から察するに、冴木さんには家族がいるはずなのだが。冴木さんは多少なりとも裏社会と関わりがあるみたいだし、だとするなら彼の家族はどこでなにを……?


「冴木とかどうでもいい。夕貴、はやく私の部屋に行こ」


 すでに打ち解けた俺と冴木さんの間に割って入ってきた美影が、俺の服の裾をぎゅっと握ってくる。冴木さんが顔色を変えた。


「……ところで、萩原くんは美影ちゃんとどういった関係なんだい? まさか恋人同士なんてことはないよね?」


 なぜかは分からないが、冴木さんの満面に浮かぶ笑顔の中に、かすかな怒気が滲んでいるような。背筋に冷たいものが這い上がった。


「あ、当たり前じゃないですか。俺と美影の関係は、そんなロマンチックなものじゃないですよ」

「そうかい、ならいいんだ。美影ちゃんはこのアパートの紅一点にしてアイドルだからね。一人占めはだめなんだよ。例えば、三号室の住人である渡辺くんは、美影ちゃんを盗撮するぐらいの大ファンだしね」

「は、はぁ……」


 なんか色々と聞き捨てならない情報が漏れたような気もする。

 向こうのほうから見慣れぬ男性が歩いてきた。その男性は、目深にニット帽を被り、安っぽいジャージで上下を固めている。年齢は二十代前半ぐらいで、どこか暗い雰囲気を漂わせていた。


「やあ、渡辺くん。お帰り」


 冴木さんが手を振ると、どこかから帰宅したばかりの男性――渡辺さんはびくっと体を震わせた。


「あ、あぁ……どうも」


 いつ職質されてもおかしくない不審な態度だった。俺たちとは目を合わそうともせず、落ち着きのない様子で絶え間なく周囲を伺っている。

 しかし渡辺さんは、気だるそうに佇む美影に気付くと、かさついた唇を緩めた。それは相手の機嫌を取るための媚びたような笑みだった。


「み、美影、ちゃん……こんにちは」


 名指しされた美影が、ちらりと視線をよこす。でも美影は興味がなさそうに、あるいは気分を害したようにそっぽを向いた。


「美影ちゃん、あの……へ、へへ」


 無視されているのにも関わらず、渡辺さんは幸福に蕩けた笑顔で美影のことを見つめていた。彼は卑下た目で、美影の身体を足先から頭のてっぺんまで舐め回すように凝視している。俺の気のせいでなければ、渡辺さんは性的な興奮を腹のうちに隠しているように見えた。


「……うざい。あっちに行け。ヘンタイ」


 たまりかねた美影が吐き捨てるように呟いた。それでも渡辺さんの表情は曇ることなく、むしろ罵倒されたことによって恍惚とした笑みさえ浮かべて、いやらしく舌なめずりをした。感情をあらわにすることが少ない美影に、ここまで不機嫌そうな顔をさせるのは大したものだが、渡辺さんを賞賛するのはできそうになかった。


「あぁ、美影ちゃんの声、可愛いなぁ……」

「だまれ。もう私に喋りかけるなって忠告したはず。二度は言わない」

「へへへ、ごめんね美影ちゃん。でも、そんなに怒らないでもいいじゃないか。ほら、もっとこっち見てよ」

「しつこい。これ以上、私を怒らせたら殺す」

「美影ちゃんは物騒だなぁ。でも女の子が、そんな言葉遣いをしたらだめだよぉ? 君みたいに綺麗な……」


 そこで初めて、渡辺さんは俺の存在に気付いたようだった。けれどタイミングの悪いことに、美影は俺の服をぎゅっと握ったままである。その実態はどうであれ、美影が俺に寄り添っているように見えることは間違いない。


「…………」


 強い怨嗟の篭った視線が、俺に突き刺さる。渡辺さんは呪詛を抑えるようにぎりぎりと歯軋りをして、それからなにも言わず、アパートにある自室へと姿を消した。


「ハハハ、まあ渡辺くんは美影ちゃんの大ファンだからねぇ」


 剣呑な空気を意に介さず、冴木さんがマイペースにフォローを入れた。もしかして冴木さんは天然なのだろうか。性犯罪者を思わせる渡辺さんの言動に、あの美影ですら激情を堪えるのに必死だったというのに。


「美影。大丈夫か?」

「べつに普通」


 素っ気のない返事。しかし美影はさも面白くなさそうに目を細めていた。

 それから俺たちは冴木さんに見送られて、アパートの二階に位置する美影の部屋に向かった。




****




 カーテンの締め切られた薄暗い部屋は、昏い感情を育てるための醸成場だった。


「ちくしょう……」


 渡辺は、ベッドのうえに四肢を投げ出し天井を見つめていた。ぼんやりとした目は虚空をたゆたい、焦点も合っていない。ここにはない誰かを探し、自分には手に入らない何かを視ようとしていた。


「……どうしてだよ」


 裏切られた気分だった。手に入らなくてもいい、振り向いてくれなくてもいい、話しかけてくれなくてもいい。ただあの少女が誰かのモノにさえならなければ、彼はそれだけで満足だった。

 にも関わらず、これまで微動だにしなかった均衡が崩れ去ってしまったのだ。あっけなく。


「……あの野郎」


 ぎりぎりと歯軋りをする。あまりに強い顎の力が、彼の奥歯を砕いてしまった。欠けた奥歯を吐き出し、渡辺は呪詛を唱えるように連続して呟く。


「許さない……許さない……絶対に許さない……俺の美影ちゃんを奪うやつは絶対に許さない……」


 醜悪な笑みが、渡辺の形相を歪ませる。一人の少女を偏執的に愛していた男は、ここにきて完全に間違った方向に歩を進め始めていた。

 そうだ、どうせ手に入らないんだったら、いっそのこと力づくで奪ってやればいいんだ。幸いにも彼女は、この街に拠点を置く暴力団の一つである鳳鳴会に追われている。彼らに情報を持ち込み、彼女を無力化してもらって、ついでにあの忌々しい女顔の男をぶち殺してもらおう。


 そうだ。


 そうだ。


 それでいいのだ。


 それが、いいのだ。


「ふ、ふふ……美影ちゃん、待っててね……くっ、ククっ」


 生臭い闇の中で、どこまでも倒錯した一つの狂気がいま、ゆっくりと醸成を開始した。


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