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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
弐の章 【御影之石】
37/74

2-7 屋烏之愛

 一般の病院と比べると清潔さに劣る診察室のなかで、美影は右腕とわき腹の治療を受けていた。それぞれ銃傷と打撲である。

 この田辺医院の経営者かつ唯一の医者でもある田辺は、五十過ぎの男性だった。しかし、かなり恰幅がよく、年のわりには若々しい顔つきをしているので、その気になれば四十代前半ぐらいと言っても通じそうだった。

 美影は年季の入った丸椅子に腰掛けていた。治療のため、上半身にはブラジャーしか着用を許されていないが、それを恥らう様子はない。適当な普段着のうえに白衣をまとっただけの田辺は、美影の右腕を注意深く、鋭い目つきで診察していた。


「なるほど、こりゃ銃弾が掠ったのか。……ふん、珍しいじゃねえか、ヤクザものに遅れを取るなんてよ。こんな失態、おめえの両親が知ったらどう思うかね」


 医者とは思えぬ横柄な言葉遣い。まあ非合法を地でいく彼に礼儀を求めるほうが間違っているのだろう。美影は澄ました顔を崩さない。


「親とかどうでもいい。早くして」

「へいへい。まあ確かに、おまえの母親は――千鳥ちどりのやつぁ、娘がくたばっても顔色一つ変えねえだろうけどよ」


 秘密裏、非合法とはいえ、田辺医院は二十年以上も前から営業している。それゆえに田辺は、美影の母親である壱識千鳥とも面識、交友があった。


「それに」

「あん?」


 黙って治療を受けていた美影が、ぽつりと漏らす。


「父親は、初めからいない」

「……そういや、そうだったなぁ」


 現在において美影の母親は存命しているが、父親はすでに鬼籍に入っている。その詳細を、美影本人は知らない。ただ物心ついた頃には母しかいなかったし、父がいないことを疑問に思うだけの時間と余裕はすべて鍛錬に費やしてきたので、美影は父親のことについて何一つ知らない。

 それは奇しくも萩原夕貴と似たような境遇であった。しかし、出会うことすら適わなかった父を尊敬している夕貴とは違い、美影は『父親』という存在に何の憧れも持っていなかった。

 ただ、まったく好奇心の類がないか、と聞かれて即答できるほど、興味がないわけでもない。


「……田辺は、私の父親のこと、知ってる?」


 どうでもよさそうに美影は言う。事実、どうでもよかった。ただ治療の間、患者である自分にはすることがないから、暇つぶしとして質問したつもりだった。

 田辺はぴたりと手を止めて、眉間にしわを寄せる。その顔には隠し切れなかった葛藤がにじみ出ている。母の知人ということもあり、美影はそれなりに昔から田辺のことを知っていたが、こんな苦々しい表情を見るのは初めてだった。


「……さあな。知らねえよ」

「そう」

「仮に俺が知ってたら、どうするつもりだったんだ?」

「どうもしない。父親とかどうでもいい」

「千鳥がいれば、親父はいらねえのか?」

「べつに母親もどうでもいい」

「これはもしもの話だが」


 右腕の治療を一通り済ませ、清潔な包帯を優しく巻きながら、田辺は続けた。


「もしも俺がおめえの父親だったら……どうする?」

「…………」


 ぼんやりとしていた美影の目に怜悧な光が宿る。普段の怠惰な気質を除けば、もともと彼女は頭の回転が早いほうだ。人のつく嘘なんて簡単に見破れる。

 だが田辺は数十年近くもの間、裏の人間を相手に商売を続けてきた男だ。その半分も生きていない美影に、田辺の真意を読めるはずもなかった。


「……なんてな。いまのは冗談だよ。俺とおめえに血の繋がりはねえさ」


 冗談。ようやく自分がからかわれたと理解した美影は、むっとした顔でそっぽを向いた。


「……田辺、嫌い」


「はん、俺だって発育の悪いガキに興味はねえ。おめえの母親は、そりゃあもういい女なのによ。どこで遺伝子に不備が出たのか知りたいもんだ」

「……てい」


 軽くイラっとした美影は、田辺のすねを蹴り上げた。いくら鍛え上げたとしても、発生する痛みを軽減するのには限界がある。それゆえの泣きどころだ。


「痛ってえな、なにしやがる、この貧乳のクソガキが!」

「ふん」


 かすかに頬を膨らませる美影。これは本人も半分ぐらいしか自覚していないことだが、彼女は胸が小さいことに密かなコンプレックスを持っていた。

 腕の治療が終わったところで、今度はわき腹の診察が始まった。待合室で夕貴と波美が謎の交友を深めている頃、美影と田辺は親子のような会話を繰り広げていた。



****



 はっきり言って、辻風波美という女性は未知の生物に等しいと思う。少なくとも俺のなかでは。

 瀕死の兵隊さんのような顔をして蹲り、ごほごほと吐血の仕草をする彼女からは、もはやヘンなオーラを感じるぐらいである。

 間もなく活気、というか正気を取り戻した辻風さんは、その場で立ち上がり、拳を握り締めて、ソファに片足を乗せた。

 また乱心したのかよ、と嘆息する俺に、彼女は小さくウインクをする。


「さあさあっ! なんか機嫌のよくなった波美ちゃんが、出血大サービスで、凄惨な裏社会で起こった感動的なエピソードを一つ語っちゃうらしいよ! 持ってけそこのイケメン!」

「とりあえず下着が見えそうなんで足を下ろしたほうがいいですよ」


 辻風さんが着ているナース服の裾はとても短いのだ。俺の指摘を受けた彼女は、顔を赤くしてその場に蹲ってしまった。あまり男慣れしていなさそうな反応だった。


「きゃ~! 夕貴くんのえっち、ヘンタイ、強姦魔ー!」

「どう考えても最後のおかしいだろうが! だれが強姦魔だ!」


 辻風さんは、いささかテンションが高いというか、天真爛漫すぎるな。いちおう俺は徹夜した身なので、いまの彼女に付き合うだけの気力がない。ソファに座りなおした辻風さんは、こほん、と咳払いをした。


「さてさて、それでは気を取り直しまして。この新米看護師こと辻風波美ちゃんが、小噺を一つ披露してしんぜましょうぞ」

「まあ聞かせてくれるってんなら、ありがたく聞きますけど」

「ふっ、その心意気、わたしは決して嫌いじゃないよ夕貴くん! このお話はとっても泣けるから、ハンカチを用意して聞いてね!」


 辻風さんはイタズラっ子のように笑って、透明感のある声色で語り始めた。


「あるところにね、一人の殺し屋さんがいたの。彼は小金色の菓子をもらうような悪い政治家とか、なんか怪しいことを企んでる秘密結社のボスとか、そんな数多の要人を恐怖のどん底に叩き落すほどの実力を持った、まあいわゆる凄腕ってやつだったのね。請け負った任務は確実に遂行し、行く手をさえぎる強敵は慈悲もなくボコボコにして海にポイするような、冷酷非道の殺人マシーンみたいな男だったらしいの」

「へえ、そういう話って現実でもあるんですね。でも泣ける要素がないような気がするんですけど」

「おっと、早まっちゃあいけませんぜ旦那! ここからが波美ちゃんの真骨頂なんだから」


 芝居がかった口調で言ってから、彼女は続けた。


「でも、そんな感情のない冷徹な殺し屋さんにも、転機が訪れちゃうだよね。それはね! 万国共通の必殺技と謳われ、人を苦しませる代名詞でもある、あの”愛”よ! さすがの殺し屋さんにも一抹の感情は残っていたらしくて、彼は任務中に出会った女性と恋に落ちるの! どうどう、ロマンチックだと思わない!?」

「たしかにロマンチックだとは思いますけど、ところどころで入る辻風さんのヘンな言い回しのせいで感動はできないですね」

「んもう、きっついなー夕貴くんは。さすがの波美ちゃんも泣いちゃうよ~」


 ぐすんぐすん、とわざとらしく鼻を鳴らす辻風さん。


「でもまあ、ここからは心して聞いてね? 全米どころか、多元宇宙が泣くほどのエピソードが夕貴くんを待ち受けてるんだから」

「それが本当だとしたら、きっと辻風さんは地球から戦争をなくすことができますよ」

「任せてよ! わたしが夕貴くんを涙の海に溺れさせてあげるから!」


 どん、と自称Dカップの胸を叩く辻風さん。揺れた。


「さてさて、とある女性と恋に落ちた殺し屋さんだけど、やっぱり人生ってのは物語のように上手くいかないものなんだよねー。女性のほうが何の仕事をしていたのかは波美ちゃんも知らないけど、二人を取り巻く環境が彼らの愛を阻んだらしくてね。結局、二人は愛し合ったまま離れ離れになっちゃうのよ~!」

「確かに……それは悲しいですね」


 いまの話を、自分と菖蒲に置き換えて想像してみると胸が痛くなった。

 父さんと離れ離れになった母さんも、相当に辛かったはずだ。その証拠に、俺がまだ子供の頃、真夜中のリビングで寂しそうに泣いている母さんを見たことがある。


「夕貴くんが共感してくれるのは嬉しいんだけど、実はこの話には、さらに悲しいオチがあるのよね」


 さっきまで軽口を叩いていた俺は、いつの間にか辻風さんの話を真剣に聞き入っていた。


「愛する女性との別離を経験した殺し屋さんは、それから何年もの間、いままでどおりに人を殺し続けたの。誰かから頼まれて、誰かを殺して、誰かから頼まれて、誰かを殺して。その繰り返しね。

 そんな非生産的な日常の果てに、彼は一つの仕事を請け負うの。正確なところは分からないけど、それは『とある有力な家系の跡取りを殺してほしい』という感じの内容だったらしいわ。もちろん彼は、二つ返事で請け負ったのね。だって、子供だろうと老人だろうと、頼まれれば殺すのが殺し屋さんなんだから。でもね、運命のイタズラっていうのは本当にあるのよね。なぜって、彼が殺してくれと頼まれたのは……かつて愛を育んだ女性との間にできた、自分の子供だったんだから」

「…………」


 そんなことが本当に起こり得るのだとしたら、悲しいなんて一言じゃ済まないな。

 愛を育んだ時間は短くても、密度は濃かったのだろう。心を触れ合わせて、体を重ねて――そうして女性は妊娠した。けれど、その頃にはもう二人は離れ離れになっていて、殺し屋の男は自分に子供がいるという事実を知らなかった。

 自分が語り手のくせに涙ぐんでいる辻風さんは、ポケットティッシュを取り出して、鼻をちーんとかんだ。


「ううっ、泣けると思わない? 彼は自分に子供がいるとは知らなかったんだよ? そして、さすがの殺し屋さんも、この仕事には言い知れない葛藤を覚えたの! やっぱり殺人マシーンのようだった彼にも、自分の子供は愛らしく映ったのね! 結局、彼は仕事を遂行できず、けれど任務を放棄することもできなくて……!」

「そ、それでどうなったんですかっ?」

「うんうん、それでね? 彼は三日三晩、悩みぬいた挙句――自殺したらしいわ。子供を殺せないなら、自分が死ぬしかないと思ったのかな? その仕事ぶりから、彼を恨んでいた人も大勢いたらしいからね~。でも、ここで一つだけ問題が残るの。彼に仕事を回した依頼主は、『とある有力な家系の跡取り』を殺したがってるんだから、彼が死んだとしても、べつの人に頼むのが筋でしょ? 事実、彼の子供をねらう輩は後を絶たなかったんだって」

「そんなのダメじゃないですか! なんとかして、その子供を守ってあげないと!」

「その意気だよ、夕貴くん! でもね、なんとも不思議なことに……その子供を狙う悪者たちは、なぜかことごとく不幸な死を遂げちゃうんだって! まるで彼の幽霊が、子供をひっそりと守っているかのように!」


 これで辻風さんの話は終わりのようだった。正直、大して期待せずに聞き始めたんだけど、最後になると手に汗握るぐらい面白かったな。


「……それにしても、辻風さんって本当に色々知ってるんですね。ただの思わせぶりな看護師見習いかと思ってたんですけど」

「夕貴くん夕貴くん、本音が漏れてるよ? わたしのほうがお姉さんなんだから、もっと敬おうね? あんまり調子こいたこと言ってると、お姉さんが可愛がってあげちゃうぞ?」


 にこり、と柔和な笑みを浮かべる辻風さんのこめかみは、ぴくぴくと痙攣していた。でも辻風波美さんって、もともとが凄く愛嬌のある人だから、怒ってもあんまり怖くないんだよな。俺が苦笑しながら謝罪すると、彼女は「うむ」と居丈高に頷いた。


「まあ、夕貴くんが感動してくれたところ悪いんだけど、いまの話は裏社会に伝わる都市伝説みたいなものだから、話半分に聞いてね。ほかにも色々と聞きたければ……ふっ、夕貴くん、今夜のわたしは空いてるぜ?」

「お疲れ様でした」

「冷たいっ! 冷たいよ夕貴くん! でもそこが母性本能をくすぐるのも否めないんだよ~!」


 きゃー、と黄色い悲鳴を上げる辻風さん。やっぱりダメかもしれない、この人。

 あらかた話が終わり、マグカップの中身が空になったところで、奥のほうにある診察室の扉が開いた。艶やかな黒髪を後ろで一つに結った小柄な少女と、よれよれの白衣を着た体格のいい男性が、待合室に姿を見せた。


「おう波美、えらく堂々とサボってくれてんじゃねえか」


 ソファに座りこけてだらーとしていた辻風さんを見て、白衣を着た男性――田辺さんが横柄に言った。彼は病院内だというのにタバコを咥えており、さっきから美味そうに紫煙をくゆらせている。

 医者という職業はどちらかといえばインドアなものだとばかり思っていたが、田辺さんは明らかに只者ではない風采と貫禄を併せ持っていた。彼の場合、名の知れた殺し屋が寄る年波に負けて医者に転職した、という事実が隠されていても不思議ではなかった。


「だって院長~! どうせお客さんなんて滅多に来ないじゃないですか~。わたしは仕事をサボってるんじゃなくて、むしろサボらされてるんですよ~!」


 上司に叱られた辻風さんが、唇を尖らせてぶーたれた。部下の反論を受けて、田辺さんの目つきが鋭くなる。ただでさえ厳つい顔をしているので、ちょっと怖い。


「はん。仕事をサボるだけならまだしも、若い男を口説いていた女がなに言ってやがる」

「うーわ、その年で八股もかけてる院長がそれを言いますか~!? しかもわたしの調査によると、そのうちの七人は二十代で、最後の一人は十七歳の女の子だし! 犯罪も甚だしいですよ~!」

「うるせえ。男はいくつになっても若い女が好きなのよ。なあ、坊主?」


 かっかっか、とさも愉快そうに笑った田辺さんは、ソファの片隅に座っていた俺に目を向けた。


「……えっと、はい、まあ。若くて可愛い女の子は、男のロマンですよね」


 とりあえず話を合わせておいた。


「おっ、なかなか話せるじゃねえか。まあ坊主なら女を引っ掛けるのも楽そうだもんなぁ。ちなみにおめえ、巨乳派か? 貧乳派か?」

「いちおう……巨乳派だと思います、たぶん」

「分かってるじゃねえか、坊主! 乳のない女なんざ、アルコールの入ってない酒みてえなもんだよなぁ! そこにいる波美も、きゃーきゃーうるせえガキみてえな女だが、童顔のわりには発育がいいんだよ。なんならおめえ、持って帰ってもいいぜ」


 田辺さんの失礼とも取れる発言を受けて、辻風さんがソファの背もたれに身体を隠し、頬を赤らめた。


「ちょっ! わたしの夕貴くんに悪いことを教えないでくださいよ! ていうか、院長ってわたしのことを性的な目で見てたんですか!? もう職場変えようかな……」 

「ざけんじゃねえ。だれがおまえを性的な目で見てんだ。俺は大人っぽい女にしか興味はねえんだよ。その点じゃあ、あの【高臥】の一人娘はたまんねえなぁ。一度でいいから抱いてみてえ」


 言ってから、田辺さんは受付のところにある菖蒲のポスターを一瞥した。その発言は、きっと冗談の類なんだろうけど、俺の心中は穏やかじゃなかった。賑やかになった待合室のなかで一人、眠そうに目をこすっていた美影がぽつりと漏らす。


「……帰る」


 この壱識美影という少女は、女性の平均身長よりも小さい辻風さんよりもさらに小柄である。しかし認めたくないが、こいつは触れれば切れるような鋭利な美しさを持っており、どこにいても不思議と人目を惹くのだった。


「ねえねえ美影ちゃん! 今度、わたしと美味しいものでも食べに行かない!? それで《壱識》とのコネ……じゃなくて、美影ちゃんと個人的に仲良くなりたいなぁ~」


 微妙に寝惚けている美影を利用しようというのか、どことなく汚い大人の顔をした辻風さんが身を乗り出した。美影は気だるそうな目で辻風さんを見つめて、


「……だれ?」

「ががーん! 忘れ去られてる~!」


 ふらふらと身体を揺らす美影に対し、頭を抱えてうわんうわん泣き喚く辻風さんだった。

 美影の治療は無事に終わったらしく、田辺さんによると、しばらく安静にしていれば身体も本調子に戻るとのことだ。必要はないと思うが、念のために鎮痛剤の類も処方してくれるという。

 それから俺たちは、あまり長居しすぎると彼らに迷惑がかかる可能性もあると判断し、足早にお暇することにした。外に出ると、もう日は昇っていた。どこからどうみても立派な朝である。携帯で確認してみると、もう午前七時を過ぎていた。


「おう美影。代金のほうはおめえんちにツケとくからよ。母親にも伝えてくれや」


 俺たちの見送りに表まで出ていた田辺さんが、紫煙を吐き出しながらそう言った。彼のとなりには辻風さんが控えている。美影は相変わらずの茫洋とした顔で振り向いた。


「わかった」

「そりゃ重畳だなぁ。……ああ、それと、最後に一つだけ聞いておきてえんだが」


 これまで省みないほど豪放だった田辺さんが、がしがしと頭をかき、言いにくそうに口ごもった。彼は美影から視線を逸らしながら、


「千鳥のやつぁ……元気にしてんのか?」

「母親なら元気。たぶん」

「……そうか。ならいいんだが」

「明日、母親と会う予定がある。伝言、いる?」

「いいや、べつにいらねえけどよ……」


 どことなくおかしな会話だと思った。それに田辺さんが美影を見る目には、どこか愛する我が子を心配するような、親愛の情が宿っている気がしたのだ。


「夕貴く~ん! わたしはいつでもヒマしてるから、好きなときに電話してきてね~!」


 可愛らしくデコレーションされた携帯電話を握り締めて、辻風さんがくりっとした大きな瞳を輝かせていた。さっき言い寄られて、ほとんど無理やり番号を交換させられてしまったのだ。


「あぁ、はい。機会があったら連絡しますから」

「おっけー! 波美ちゃんは待ってるよー! 夕貴くんが電話してくれるまで今夜は眠らないからね~!」

「眠ってくださいよ! なんで出会ったばかりの女性に意味もなく電話をしなくちゃいけないんですか! しかも夜に!」

「そ、それはぁ……だからぁ……えっとぉ……きゃー!」

「いま絶対ヘンな想像したでしょ!」


 どうにも締まらない。でも辻風さんはちょっと残念なところがあるからこそ辻風さんなのは間違いない。彼女にいきなりクールになられても困惑するだけである。

 俺たちは、最後にお礼を言って、田辺医院をあとにした。



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