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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
弐の章 【御影之石】
36/74

2-6 行雲流水


 実のところ、俺たちがいまいる田辺医院は、きちんとした認可を受けていない、いわゆる闇医者と呼ばれる類のものらしい。

 街外れの閑散とした区画、その路地裏にひっそりと立地する小さな病院。美影の治療のために訪れたその建物の外観は、くたびれた民家そのものだった。入り口のところに『田辺医院』と手書きで書かれた看板がなければ、絶対に病院だと気付かないと思う。

 ただ、病院としてのやる気がなさそうな店構えとは裏腹に、内装はリノリウム材質を使うことで、なかなか病院っぽい趣を漂わせていた。

 わりと広い待合室には、古くなったソファがいくつか置かれていて、壁には数年前のカレンダーがいまだに掛けられている。ほかにも観葉植物を植えた鉢植え(もう枯れてるけど)とか、明らかに呪いが込められていそうな不気味極まりない絵画が飾られている。蛍光灯がたまに明滅しているせいか、室内はちょっと薄暗い。全体的に退廃した雰囲気を漂わせている。ただし、受付のところにあるポスター(とある清楚な女優さんのやつだ)だけは真新しかった。いちおう定期的に掃除をしているような気配はあるが、どう頑張っても清潔とは言えない。

 美影はいま、奥にある診察室で田辺さんに治療してもらっている。そして俺はというと、殺風景な待合室のソファに腰掛けながら、田辺医院に勤める新米看護師さんの歓迎を受けているのだった。 


「きゃ~! 夕貴く~ん、抱いて~!」

「…………」


 どうすればいいんだ、これ。

 さっきから看護師の格好をした二十歳過ぎのお姉さんが、黄色い悲鳴を上げて俺の身体に抱きついてくるんだけど……これが、びっくりするぐらい対応に困る。

 この白いナース服を着込んだ看護師は、辻風波美つじかぜなみさんという名前だった。田辺医院に勤めて二年になるらしい。自称”新米看護師”で、まだまだ肌が水を弾く年齢とのこと。

 彼女はほんのすこしだけ茶色に染めた長髪を団子に結って、よく見なければ分からない程度の薄い化粧を施した、なかなかの美人だった。美影ほどではないが背は低く、小動物のような愛嬌がある。しかし発育はかなりのもので、ナース服を押し上げる胸元の膨らみは目のやり場に困るところだ。確実に二十歳は越えているはずだが、その仕事ぶりや言動には、いくらか学生気分が混じっていた。

 なぜか無駄にテンションの高い辻風さんは、さっきから俺に抱きつき、桃色の笑みを浮かべながら頬ずりをしてくる。


「……えっと、そろそろ離れてもらいたいんですけど」

「いや~ん! 夕貴くんったら、いけずなんだから~! でもそこが素敵ー!」


 なんだこれ。非合法な病院ってことで、気を張っていた自分がバカらしくなってくるぞ。


「ねえねえっ、夕貴くんって彼女とかいるのっ? いるのかなっ? いないでしょっ? いないよねっ? ちなみにわたし、彼氏スーパー募集中なんだけど!」

「すいません。俺には心に決めた人がいるので」

「ががーん! 出会って数分で破局しちゃった! ようやく運命の人を見つけたと思ったのに~! ……いや、ちょっと待って? 二番目から始まる恋っていうのもアリなんじゃない? うん、これはキタわ! 本命を蹴落とす女の壮絶なラブストーリーが始まるのよー!」

「始まらねえよ! どうでもいいからとっとと離れろボケー!」


 思わず突っ込んでしまった。

 半ば無理やり突き放すと、辻風さんは唇に人差し指を当てて「怒った夕貴くんも素敵……」と頬を赤らめていた。もうだめだ、この人。

 美影の治療にはちょっと時間がかかるらしく、俺はそれを待つ間、気を取り直した辻風さんに熱いコーヒーを淹れてもらった。二人して待合室のソファに腰掛けながら、白いマグカップに口をつける。


「さっきから思ってたんですけど、俺とのんびりコーヒーなんか飲んでていいんですか? 仕事とかあるんじゃ?」

「あー、いいのいいの。べつにお客さんなんて滅多に来ないし。基本的にわたしは、看護師の格好をして接客することでここが病院だっていう雰囲気を醸し出すのが仕事だから」

「……身も蓋もないですね」


 戸惑う俺をよそに、辻風さんはからからと明るく笑って、


「まあ、なんだかんだいっても、わたしみたいなスーパーぴちぴちギャルがこんなボロッちい病院に勤めてるのは、ぶっちゃけ趣味の一環なのよね~」

「趣味……ですか?」


 オウム返しに問うと、辻風さんは大きな瞳をキラキラと輝かせた。ちなみに自分の職場を『ボロッちい』と表現したのは突っ込まないでおいた。


「そう、そうなのよ夕貴くん! よくぞ聞いてくれたわ! 実はね、この田辺医院には、裏のお仕事をしてる人たちがじゃんじゃん来るのよ~!」

「はぁ。それがどうかしたんですか?」

「夕貴くんのバカ! 人が集まるってことは、情報が集まるってことに決まってるでしょ!? つまり血湧き肉踊るような、いや、むしろ首が飛んで身体が千切れるような、女の子の心を掴んで放さないスプラッターなお話がたくさん聞けちゃう、みたいな感じよ~!」

「スプラッターな話?」

「そうそう! 実はね、夕貴くん! この辻風波美ちゃんには”新米看護士”という表の顔のほかに、駆け出しの『情報屋』という裏の顔があったりするのよ~!」

「へー、凄いですね。また今度、いっぱい話を聞かせてくださいね」

「しどいっ! しどいよ夕貴くん! そんな思春期のいたいけな子供を見るような目でわたしを見ないで~!」


 ここですこし真面目な話をすると、辻風さんは裏社会のあんなことやこんなことを調べるのが趣味で、自宅にはそれ関係の情報をまとめたスクラップ帳が山のようにあるらしい。

 この病院には、裏家業を生業とする人間とともに殺伐としたエピソードの類も集まる。そのため、それを蒐集したい辻風さんにとって『田辺医院に勤める看護師』というポジションは絶好なのだった。

 彼女の趣味は、もはや一介の『情報屋』として活動できるほど本格化していて、すでに辻風さんを頼る顧客も何人かいるという。まあ黙っていれば普通に可愛いしな、この人。黙っていれば。


「そういえば、一つ気になってたことがあるんですけど、聞いていいですか?」

「うんうん、いいよ! どんどん聞いて! ちなみにわたし、貞淑さには自信があるよ! おっぱいはDカップだし、お尻も大きい安産型だし、料理もしっかりこなすし、男性には朝だけじゃなく夜もしっかり尽くすよ! どうどうっ? 辻風波美ちゃん、お買い得だと思わない!? わたしって、いまどき珍しい超優良物件だと思うなぁ……ちらっ、ちらっ」

「突っ込みづれー!」


 昔から『口は災いの元』と言われているが、この人はそれが顕著すぎる。


「……はぁ、疲れる。それで辻風さん、俺が聞きたいのはですね、あの受付のところに飾られてるポスターのことですよ」


 彼女の言葉を借りれば”ボロッちい”この病院のなかでも、ひときわ異彩を放つ真新しいポスター。昨夜、とある洋食屋で見たのと同じやつだ。ほほう? と不敵に笑う辻風さん。


「ふっふっふ~、よくぞ聞いてくれたわね、夕貴くん! あれはね、飛ぶ鳥を落とす勢いの女優さんこと『高臥菖蒲』ちゃんのポスターよ! わたし、あの子の大ファンなのよね~!」

「分かります! 実は俺も菖蒲の大ファンなんです!」


 思わずノッてしまう俺だった。


「えっ、ほんとに~!? 夕貴くんも菖蒲ちゃんのこと好きなんだ? 言っとくけどわたし、彼女のファースト写真集も持ってるよ? しかも初版のやつ!」

「そんなの俺も持ってますよ! 当然じゃないですか!」

「ちっちっち、甘いぜ夕貴くん! わたしの持ってるのは、なんと本人直筆のサイン入りなんだよ! ファースト写真集の発売記念で開かれた握手会に行ったとき、特別サービスで入れてもらったのだ!」

「えっ、菖蒲のサイン入り!? そんなのあるんですか!? いいなぁ、それ欲しいなぁ!」


 本人と会うのは気恥ずかしかったから、俺は握手会とかに行ったことがなかったのだ。ニマニマと笑っていた辻風さんは、ふと怪訝顔をして、


「……さっきから思ってたんだけど、夕貴くんって『菖蒲ちゃん』のこと『菖蒲』って呼ぶんだね」

「あっ、はい。まあ」


 しまった。

 つい忘れてたけど、俺は本人と一つ屋根の下で暮らしてるんだった。これは『高臥菖蒲』のファンという名の同志である辻風さんにも内緒にしないと。うーん、でも菖蒲のやつ、頼めばサインとかしてくれるんだろうか? 俺の写真集にもぜひ直筆のサインを入れてほしいぞ。

 辻風さんは探偵のように顎に手を添えて、気難しそうに唸った。


「むう、なんか引っかかるなあ。夕貴くん、やたらと『菖蒲』って呼びなれてる感じがしたんだよね」

「き、気のせいじゃないですか? 俺は菖蒲とメールとかしたことないですし」

「ほらまた。まるで恋人を呼ぶときみたいに親しげだね。……んん? メール?」

「――菖蒲ちゃんって可愛いですよね!?」

「そうなんだよ~! ほんと可愛いよね、あの子! 菖蒲ちゃんが出てるシャンプーのコマーシャルも最高~! わたし、あれに感化されてシャンプー変えちゃったもん! 柑橘系の匂いがたまらないよね!」


 よし、なんとか誤魔化せたみたいだな。

 どうやら辻風さんは生粋の『高臥菖蒲』ファンらしく、俺の知らないような菖蒲のことまで知っていた。まあべつにいいんだけどな。菖蒲の寝顔とか、菖蒲の手料理とか、菖蒲の匂いとか、菖蒲の抱き心地とか、俺しか知らないようなこともいっぱいあるんだし。よく分からないライバル心を抱いてしまう俺だった。


「それに」


 その言動に見合った幼さの残る所作でコーヒーをすすってから、辻風さんは続けた。


「あの子、菖蒲ちゃんは、かの【高臥】の人間だからね! あんだけ可愛いのに、血筋や家柄まで恵まれてるなんて……菖蒲ちゃん、素敵! 抱いて! むしろ抱かせてー!」

「…………」


 一人で盛り上がる辻風さんを尻目に、俺は、かつて参波さんから伝え聞いた話を想起していた。

 その他と隔絶する財力、政治力、権力、暴力から、古来より日本の頂点に君臨する十二の家系。これをこの国では、畏怖と畏敬を込めて俗に十二大家と呼称するという。

 菖蒲の生まれた【高臥】は表寄りの家系だが、なかには裏家業を生業とする裏寄りの家系も存在するらしい。つい最近まで平穏な日常を満喫していた俺には想像しづらいが、この世には血で血を洗うような常軌を逸した非日常も、確かにあるのだ。

 とは言え、俺は裏社会の情勢について何も知らない。現在進行形で厄介な問題に苛まれているのにも関わらず、だ。

 ここは恥を忍んで、辻風さんに色々と聞いておくべきかもしれない。なんだかんだ言っても彼女は善人のようだし、頼る相手としては間違っていないだろう。


「あの、辻風さん。一つお願いがあるんですけど」


 そう前置きして、俺は彼女に頭を下げた。さっきまで冷たい態度であしらっていた俺が軟化したのを見て、辻風さんは、


「きゃー! 夕貴くんのデレきたー! でも、今日は油断して子供っぽい下着を穿いてきちゃったどうしよ~!」


 などと黄色い悲鳴を上げていた。やっぱり人選を間違えたのだろうか、と後悔する俺だった。

 ため息混じりにすこし温くなったコーヒーを啜っていると、脳内に繁殖しているお花畑から戻ってきた辻風さんが意外そうな声を上げた。


「でも夕貴くんって、美影ちゃんのお友達なんだよね? わたしもなんとか美影ちゃんに媚を売って《壱識》とのコネを確立しようとしたんだけどさ~」

「辻風さん、本音だだ漏れじゃないですか。もっとオブラートに包んで言いましょうよ」

「あはは、ごめんごめん。でもわたしね、美影ちゃんにお菓子やジュースを上げて餌付けしようとしたんだけど、どうもあの子は人に懐かないのよね~」

「餌付けって……」


 一つ屋根の下に本人がいるんだから、もうすこし本音を隠したほうがいいんじゃないか?


「……言い忘れてましたけど、俺と美影は出会ったばかりなんです。だから俺は、美影のことを詳しく知りません。あの子の家が、どんなことをしているのかってのは聞いたんですが」

「ははあ、なるほどね。事情はよく分からないし、改めて聞くつもりもないけど、夕貴くんと美影ちゃんの関係については分かったわ」


 一介の『情報屋』として裏家業の連中と交渉することもある辻風さんは、こういう話になると目の色が変わるようだ。こちらの事情に深入りせず、ただ要求された情報を速やかに提供するだけの、裏に身を置く人間の顔になる。


「ところで夕貴くんは、こっちの世界のことをどれぐらい知ってるのかな?」

「いえ、ほとんど何も……」

「なるほどねえ。うーん、どうしようかなぁ。本当はまとまったお金を頂戴するところなんだけど、夕貴くんに恩を売っておくのも悪くないし、今回は特別にタダにしてあげようかな? 初回限定大サービスってやつで」

「微妙に本音が漏れてますけど、とりあえずお礼を言っておきます。ありがとう、辻風さん」

「きゅんっ! ぐさっ、ぐさっ……! なんてこったパンナコッタ! ゆ、夕貴くんの笑った顔、超絶に可愛いよ~!」


 はうー、とか言って悶える辻風さんが正常に戻るのには数分を要した。もはや可愛いと言われたことに対して突っ込む気すら起きない。


「……あの、もうそろそろいいですか?」

「えっ、ああうん、ごめんごめん。これも仕事だからちゃんとしないとね。ちなみにさっきの『きゅん』はときめいた音で、『ぐさっ』はハート型の矢が胸に刺さった音だからよろしくね!」

「頼むから仕事しろよ」


 今度こそ新米看護師から情報屋の顔になった辻風さんは、こほん、と小さな咳払いをしてから言った。


「そうね、じゃあまずは二十年ほどまえに、日本の裏社会で起きた未曾有の大抗争。あの《大崩落》について話そうかな」


 それはすこし古い話。

 かつてこの国の裏社会で、過去何百年ものあいだ変動しなかった裏の勢力図が、一遍に塗り変わるほどの大抗争が起きた。それは抗争というよりは戦争に近く、数多くの人間が殺し、殺され、殺しあって、朽ち果てた。数多の勢力を巻き込んだ争いは都合四年も続き、裏社会に甚大な被害をもたらすだけに留まらず、表社会の経済にも深刻なダメージを与えたとされている。

 その日本史上類を見ず、この先も数世紀は勃発しないであろうと云われる抗争を、あらゆる既存のものが崩れ落ちたことから、裏では俗に《大崩落》と呼称するという。


「それで、この抗争のときにとんでもない戦果を上げたのが、美影ちゃんの生家である《壱識》を含めた十の家系なのね」


 裏社会に拠点を置き、裏家業を生業とする十の一門。各々の家系が独自の戦闘術を継承することから、彼らは俗に《武門十家》と呼ばれ、表の権力を完全に放棄する代わりに、裏の世界で絶大な支配力を持つに至ったという。

 争いごとに特化した彼らは、他の追随を許さない圧倒的な戦闘能力を誇り、古くから日本の裏社会に君臨してきた。武装した暴力団や犯罪組織すらも寄せ付けない強大な力。近代になってもその勢力は衰えず、いまもなお彼らは裏社会で暗躍している。

 ただでさえ都市伝説級の存在であった彼らは、例の《大崩落》のおりにも暗躍し、その超人的な戦闘力を世に知らしめた。

 また、これは余談なのだが、この田辺医院も《大崩落》のときに病院として機能し、数多くの命を癒し、慈しみ、救ってきたらしい。あらゆる身分、立場、勢力にある人間を分け隔てなく治療したことから、田辺医院は戦闘禁止区域、いわゆる安全地帯として当時に活躍した。つまり『田辺医院にいる間はみんな患者さんなんだから、ここでは戦闘しちゃだめだよ。殺しあうなら外でやってね』ということである。


「ちなみに《大崩落》によって大打撃を受けた経済の復興に尽力したのが、【高臥】と【如月】の二家と言われているわ。まあ当時はわたしも美幼女だったし、ほとんど覚えてないんだけどね~」

「……なるほど。大体の話は分かりました」


 辻風さんの口から紡がれる、なんとも荒唐無稽な話を、俺は自分なりに整理しながら聞いていた。要するに、いまから二十年ほど前に、とにかく凄い抗争が起きて、その際に凄い人たちが暗躍した、ということである。そこまで考えて、俺は首を傾げた。


「あれ? でも辻風さん。そんな四年も続くほどの大規模な抗争に、どうやって決着がついたんですか?」

「ふふふのふ! よくぞ聞いてくれたわね、夕貴くん!」


 《大崩落》を終結に導いたのは、十二大家の一つである【九紋】と呼ばれる家系らしい。かの家が仲裁に入ることで、すべては丸く収まったというのだ。

 でも俺としては、ちょっと納得がいかない。もちろん抗争が終わってくれたことは嬉しいけど、不謹慎な言い方をすれば、話に上手くオチがついていないような気がするのだ。


「んん? どしたの、夕貴くん。なんか釈然としない顔してるけど」

「いや、べつに他意はないんですけど。ただ四年も続いたわりには、あっさりとした終わりだなと思って」

「まあ、そう考えるのも無理ないけどね~。でもあの人たちはちょっと特別だから」

「特別、ですか?」

「そ。特別。この国の裏社会で【九紋】の名を知らない者はまずいないからね~。夕貴くんは殺人鬼って知ってるかな? 殺人鬼」

「はぁ、そりゃまあ知ってますけど」

「うんうん、夕貴くんが博識で波美ちゃんも大満足だよ! とまあ、恐らく本当の意味で殺人鬼と呼べる者がいるとすれば、それはあの人たちのことを指すだろうね。泣く子も頚動脈をかき切られるような殺人鬼一族。わたしたちのような裏の情報を取り扱う商売人のあいだでは、九紋家は《武門十家》の全てを敵に回しても同等に渡り合えるだけの戦力を持つ、と目されているわ。まあここ数百年の間、あの人たちが歴史の表舞台に顔を見せたことはほとんどないから、わたしにも詳しいことは分からないんだけど」

「……話のスケールが大きすぎて、上手くイメージが浮かびませんね」

「事実は小説よりも奇なりって言葉があるぐらいだから、何が起こっても不思議じゃないんじゃない? それに全部が全部、丸く収まったわけじゃないしね~」

「どういうことですか?」

「簡単な話だよ。やっぱり抗争……というか戦争があるからこそ、儲かる家業とか事業もあるじゃない? 例えば殺し屋さんとか、武器商人さんとかね。だから《大崩落》という名のマーケットを潰した【九紋】は、そうした連中から逆恨みされていたらしいの。ところで夕貴くんは、十年ちょっと前に、外国で起きた爆発テロ事件のことを知ってる?」

「いや、ちょっと知らないですね。もしかしたら聞いたことはあるかもしれませんけど、記憶はしていないです」

「そっか~。まあ夕貴くんにも分かるように説明すると、その爆発テロ事件は、【九紋】に恨みを持つ連中が起こしたものらしくてね。事実、巻き込まれた被害者のなかには、家族で仲良く海外旅行していた【九紋】の分家筋である宗谷家がいたって話なんだよ。酷いよね、たった数人の人間を殺すためだけに、その何十倍もの人間を巻き込んだんだから」

「分家を、ですか……」

「そこがミソだよね。実戦じゃあ勝てないからって、直接的には関係のない分家の人に報復するだなんて。まあキツイ言い方をすれば、そういう醜くて汚い応酬があってこその裏社会なんだけどね~」

「…………」


 一通りの話が終わる。あまりにも現実離れしたエピソードの数々は、しかし思いのほかあっさりと理解し、信じることができた。それは恐らく、他でもない俺自身が《悪魔》という現実離れした生物の血を引いているからだろう。

 十六歳の少女が、美影みたいな小さな女の子が、単身でバケモノと殺し合いを繰り広げるぐらいなのだ。もはや萩原夕貴という人間が培ってきた”常識”という名の物差しは、使えないと思ったほうがいい。

 そんなふうに思考をめぐらす俺のかたわらでは、辻風さんがなにやら難しそうな顔をして唸っていた。


「うーん、なんだか暗い雰囲気になっちゃったね。せっかく夕貴くんと二人っきりだっていうのに、これじゃあ盛り上がらないよ~」

「べつに明るい話をしてたわけじゃないんですから、これでいいと思いますよ」

「もう、夕貴くんは冷たいんだから! 波美ちゃん、スーパーショックだよ~!」

「あー、美影の治療、はやく終わらねえかなー」

「ちょっ! なんなのっ、そのコイツの相手をするのは疲れたぜ、とでも言いたげな台詞は! もしかして夕貴くん、わたしのこと嫌いなのっ!?」

「いや、好きか嫌いかで言えば好きですけど。辻風さん、とても親切だし。まあ色々とひどいことも言っちゃいましたけど、俺はあなたみたいな人は嫌いじゃないですよ」

「ぐふっ!」

「えっ、どうしたんですか辻風さん! なんか吐血の仕草してますけど、べつに血は出てないですよ!?」


 瀕死の兵隊さんみたいな顔をして、辻風さんは俺を見た。


「ん、ちょっと夕貴くんの甘い言葉に、わたしの乙女なハートがやられちゃったんだぜ……ごほっ!」

「…………」


 突っ込みづれえ……。

 恐るべし辻風波美さんである。もはや一目置かざるをえまい。そう確信させるだけの何かが、彼女には備わっているのだった。



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