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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
弐の章 【御影之石】
30/74

プロローグ『鏡花水月』

この物語はフィクションであり、登場する団体、人物、組織などの名称はすべて架空のものです。

  

 鳳鳴会ほうめいかい

 近年、着実と頭角を表してきた暴力団。

 順調に害悪をばら撒き続けているわりには、”指定暴力団”として扱われていない。曰く、鳳鳴会は警察内部に強いコネクションを持っており、検察の目を上手く誤魔化しているからだという。

 五百を優に超える構成員の中には、レスラーや力士崩れを始めとした、いわゆる力自慢が散見される。そうした高い格闘能力を有する人間を多数抱えていることから、鳳鳴会は武闘派として知られていた。

 だがかの一派には『仁義』が絶望的なまでに欠如しており、その実態は世間一般で知られている暴力団よりも純粋で明快な悪であった。

 鳳鳴会の”事務所”があるのは繁華街の外れ、そして街の北に位置する閑静とした高級住宅街のほうに”本拠地”がある。

 一見して非の打ちどころのない武家屋敷。敷地は刑務所のように高い塀で囲まれ、屋根には高価な瓦が敷き詰めてあり、正面玄関には立派な門構えが来訪者を威嚇するように建っている。

 明らかに常軌を逸した金持ちかヤクザが住んでいそうな邸宅だが、その認識が間違っていないあたり、世も末なのかもしれない。まあ正義の味方よりも悪党のほうが儲かる時勢、というのは疑いようがないだろう。

 少なくとも、この鳳鳴会の本拠地である日本家屋に攻め込むような馬鹿は、自殺志願者ぐらいしかいないはずだった。


 ほんの、数十分前までは。


 武家屋敷をぐるりと取り囲む塀の上であぐらをかき、内部の様子を伺っていた玖凪託哉は、思わず頭を抱えたくなる気持ちでいっぱいだった。


「……なんだこりゃ」


 外観から想像できるとおり、敷地内には見事な日本庭園が広がっているのだが、その美しい和の景色を見ても、託哉の心は晴れなかった。

 ツンと鼻を刺激する臭いと、鮮烈な朱色。


 そこに広がっているのは、惨状だった。


 庭園の各所には冷たくなった人間の遺体が散見され、今もなお赤黒い液体を垂れ流している。空気は鉄のような不快な臭いを孕んでおり、常人ならば吐き気を催してもおかしくはない。近場の住人も、この武家屋敷が暴力団の本拠地であることを知っているため、もし叫び声が聞こえたとしても、誰も駆けつけてこないし警察にも連絡しない。

 現在の時刻は、およそ午後十一時を回っている。ねっとりとした濃厚な闇が、痛々しい血の色とやけに合っていた。

 端的に事実だけを見れば『鳳鳴会は何者かの襲撃に遭った』ということになるわけだが、そう簡単に結論付けることが出来ないのも確かだった。大体、武闘派で知られる暴力団に表立って喧嘩を売るなど狂人としか思えない。

 塀の上であぐらをかいていた託哉は、死の充満した日本庭園に降り立った。

 名のある庭師が頻繁に手入れをしているのか、庭園は血に濡れてもなお美しい。こん、こん、と定期的に木霊するししおどしの音が、託哉に風情というものを強く感じさせる。


「……これは」


 それに気付いたのは、派手なスーツを死に装束とした遺体を間近で見たときだった。

 恐らく心臓を抉り取られたのだろう、左胸のあたりに真っ赤な花を咲かせて、強面の男が絶命している。筋骨隆々とした体も、いまとなっては腐るのを待つだけの肉塊でしかなかった。

 だが託哉が違和感を覚えたのは死因ではなく、遺体に『抵抗した形跡』がないことだった。まるで他殺されたのではなく病死したのではと思えるぐらい、男たちの死は自然的だった。

 託哉はわだかまりを胸の裡に抱えたまま、庭園を横切り、返り血で汚れた縁側に土足で上がった。屋敷のなかを注意深く散策していく。


 誰もが羨むような華族然とした屋敷も、いまとなっては形無しと言うしかない。

 見るからに金をかけていそうな障子には赤黒い血がべっとりと付着しており、紙が濡れて、破れている箇所も見受けられる。上質な畳は、遺体を安置するためのベッドだった。部屋の数も多い。まるで大奥だ。たまに日本刀や拳銃が隠してあったりした。近頃の暴力団というものは豊富な装備を持っているらしい。これも二十年ほど前に裏社会で起きたあの抗争のせいかもしれない、

 そうして彼が足を踏み入れたのは、およそ集会でも開けそうな大きい和室だった。もちろん床は畳張りで、縁側に面している部分には障子が張られている。

 もうこれで大体の部屋は見て回ったはずだった。発見したものは隠し金庫と、重要そうな書類と、あとは大量の遺体だけ。目ぼしい手がかりは見当たらなかった。もちろん犯人の姿も。

 託哉は肩を落として、とぼとぼと歩きながら家に帰ろうと――


「生き残りがいましたか。この崇高な僕の目を掻い潜るとは、それだけで賞賛に値します」


 ――した瞬間、眼前に一人の男が立っていた。


「……?」


 ほんの一瞬だけ、託哉は夢を見ているような錯覚に陥った。

 ……あの男は、いつ、どこから、どうやって現れたんだ?

 つい数秒前までは自分一人しか、この部屋にはいなかったはずである。それは確かだ。間違いない。だがあの男は、まるでずっとそこに立っていたような自然体のままで声をかけてきた。

 託哉の体感で言うなら、あの男が魔法でも使っていきなり出現したように見えた。


「……おまえ、何者だ」


 託哉の顔から笑みが失せ、瞳からは感情が消える。警戒するのも当然だった。


「これはこれは畏れ多い」男はわざとらしく肩をすくめる。「まさか人間ごときが、この崇高な僕に問いを投げかけるとは」


 その男は、見るからに場違いな風貌をしていた。

 日本人離れした金色の髪。不健康そうな白蝋の肌。顔には柔和な笑みが仮面のように張り付いており、目は線のように細い糸目。なぜか敬虔な神の僕を思わせる神父服を着ている。

 西洋風の容姿ゆえ、正確な判別は難しいが、年の頃は二十代半ばが妥当と言える。身長は高く、体つきも悪くなかった。

 この血の惨劇と化した武家屋敷に、神父の装いをした男がいる――これをどう解釈するべきか、託哉は色んな意味で迷ったが、少なくとも男が弔いを目的にこの地へ足を運んだということはなさそうだった。

 そもそも、死者を前にして嘘くさい笑みを浮かべているような人間が、まともな精神性を有しているわけがない。

 こんな胡散臭い男に死者を任せるぐらいなら、近場の寺から徳の高い坊主でも連れてきたほうが百倍はマシだと託哉は思う。


「一つ聞かせろ。鳳鳴会に襲撃かけやがったのはてめぇか?」

「鳳鳴会? なんでしょうか、それは」

「とぼけてんじゃねえよ。ここにいた連中を皆殺しにしたのは、てめえかって聞いてんだ」


 人間の感情を最も表すのは”目”だと言われているが――眼球が露出しているのかも疑わしい糸目が、男の感情を覆い隠している。鳳鳴会を知らない。そう言って首を傾げた男の言葉が、本音か嘘か、託哉には見抜けなかった。


「然り。君の言ったとおり。崇高な僕の手足となって動くような都合のいい組織が必要だったので、この……鳳鳴会でしたか。ここに足を運んだのですが」

「……本物の馬鹿だな。いっぺん病院行ってこい」

「それこそありえませんね。人間ごときが僕の崇高な体を診るなど考えただけで吐き気がします」


 おかしな物言いだった。

 託哉が反論しようと口を開いた瞬間、目の前から男の姿が消えた。


「なっ――」


 絶句する彼の背に、声が投げかけられる。


「それに崇高な僕を飽きもせず付け狙う不粋な輩もいることですし。あの小賢しい牝ガキを黙らせるには、圧倒的な物量で押し返すのが手っ取り早い」


 化かされたような気分になりながらも後ろに振り向くと、案の定、そこには男の姿があった。つまり、あっさりと背後を取られた。

 生きとし生ける者には呼吸があり、感情がある。これらを総じて俗に”気配”と呼ぶ。訓練を積んでいない人間でも、自分の後ろから誰かがこっそりと近づいてきたら、自然と気付くものだ。

 強い喧騒に満ちた人ごみの中ならまだしも、閉鎖された部屋の中で対峙していた相手の気配を見失うなど、まずありえない。

 しかし実際のところ、託哉は反応どころか認識すらできていなかった。これを冗談と言わずして何と言うのか。

 

「そして、長年探していたものがこの地で見つかったのです。くっくっくっ、いやなに、実に長い宝探しでした」


 柔和な笑みと、不気味なぐらい細い糸目。人を舐め腐るような態度に、さすがの託哉も堪忍袋の緒が切れた。


「……決めた。オレの命に代えても、おまえだけは絶対にぶっ殺す」

「どうぞ。ご自由に」


 唇を三日月のように歪めて、男はニタリと嗤う。

 もう言葉はいらなかった。

 鋭利な光を瞳に宿し、託哉は男に向かって走り出す。

 その速度は、例えるなら疾風。

 目で見ることも、手で捉えることもできない。暴力という刃を備えた風こそが、いまの託哉だった。

 武術の極意には”縮地”と呼ばれる歩法が存在するが、託哉はそれを十に満たない幼少の頃に、もう会得していた。

 託哉の身体能力は飽くまでも常識の範囲内だが、その極限まで研ぎ澄ました体捌きが、風のごとき動きを可能とする。

 少なく見積もっても十メートルはあった距離を一息の間に詰めた託哉は、身を屈め、左手を畳につき、その反動で跳ね上がった右足を使って、男の顔面に蹴りを仕掛けていく。

 常人ならば、反応どころか視認さえ困難であろう託哉の攻撃は――しかし。


「――っ!?」


 つま先は、美しい弧を描いた――否、”弧”しか描けなかった。それはつまり、完璧な”円”を描くはずだった足が、男の左手によって途中で止められてしまったことを意味する。

 驚愕する託哉と、感心する男。

 次の瞬間、託哉の足首を男が人間離れした握力で掴んだ。肉に食い込み、骨まで軋ませる男の指は、人体を破壊することに特化した万力のようだった。

 ほとんど強引に足を引かれ、託哉の体が宙に浮く。機動力の要となる足のコントロールを奪われてしまい、回避どころか防御も満足にできない。

 成人男性ほどはある託哉の体を、男は苦も無げに片手で振り回す。

 だが、一方的におもちゃ扱いされて黙っているほど、託哉は出来た人間ではない。


「――うぜえぞバカが!」


 怒声が響く。

 託哉は自由なほうの足で、再び男の顔面に蹴りを放った。体を上下左右に振り回されているせいで体幹バランスが上手く取れず、それは託哉をして自己嫌悪したくなるような不恰好な蹴りだったが、人の命を刈り取るだけの破壊力は十分にある。

 だが、おもちゃの反抗をみすみす許してしまうほど、男は抜けた人間ではなかった。


「いいですねえ」


 糸目を三日月のように歪めて、男は不気味に哂う。

 それは暗に余裕を示す仕草だと言えたが、しかし、さすがの男も二度に渡って託哉の蹴りを受け止めることはできなかったのか――今度のつま先は完璧な”円”を描いた。ヒュン、と空気を切り裂くような音がして、男の前髪が横薙ぎに揺れる。躱されたのだ。

 間髪いれず、託哉は蹴りの勢いを利用して、そのまま体を回転させる。回転運動により生じたエネルギーは、男の握力から逃れるための一手となった。

 ズボンの足首部分が裂けて、布が飛び散る。

 それと合わせて、託哉は男の腕から逃れることに成功した。恐らく、あと数秒でも逃げるのが遅ければ、足首の骨は粉々に砕かれていただろう。

 ここで注目すべきは、託哉の体術ではなく、男の膂力。その常識を超えた力は、ドーピングしたオリンピック選手であっても追随できまい。


「――ははっ!」


 両者ともに笑みがこぼれる。

 託哉が達人だとするなら、男は超人だった。

 人間であることは決して恥ではない。生まれ持った身体能力が人外の生物に劣っているとしても、何代にも渡って積み重ねてきた一族のわざが、託哉を異端と渡り合えるだけのレベルにまで押し上げている。

 対して、男は無骨だった。戦闘慣れはしているものの、技術を研鑽してきた様子がない。それでも圧倒的なパワーによって繰り出される一撃は、託哉と並んで余りある。

 人間離れした体捌きを可能とする託哉と、人間離れした身体能力を持った男。

 二人は障子を薙ぎ払い、ふすまを蹴り倒し、畳を跳ね上げ、扉をぶち壊し――だだっ広い武家屋敷の中を、殺し合いながら移動していく。

 男が腕を振るうたびに、ばがんっ、と嘘のような音がして、壁や柱が破壊されていく。

 何度見ても慣れない、何度見ても目を疑うような、恐るべき怪力である。

 この男なら、素手で屋敷を解体することも可能かもしれなかった。

 しかし、男は積極的に攻撃を仕掛けることはなく――託哉の攻撃を捌き、その反撃として腕を振るっているだけだった。

 それは、ともすれば防戦一方にも見える。あるいは他に狙いがあるのか。

 どちらにしろ託哉には分からなかった。


「――愉しいですねえ! この崇高な僕が苦戦していますよ!」


 まったく苦戦していなさそうな顔と声。

 聞いているだけでも苛立ってくる自己陶酔した言葉の数々は、狙っているのなら大したものだった。少なくとも託哉の頭に血が上っていることは確かである。


「――はん。調子に乗んなよ、このエセ神父が!」 


 戦闘は激化した。 

 積極的な攻めに出る託哉と。

 消極的な受けに回る男と。

 攻撃を躱される託哉と、攻撃を躱していく男――なるほど、状況的には五分だろう。両者共に優勢でなければ劣勢でもない。

 傍目には攻めている託哉のほうが有利にも見えるが、男には正体不明の異能があるので、片時も油断は許されない。どちらも次の瞬間には死ぬかもしれない、という意味では、これは互角の戦闘に違いなかった。

 しかし、一瞬の判断ミスが戦況を左右することは多々ある。殺し合いにおける拮抗など、そう長くは続かないのが常である。

 これまで防御に甘んじていた男が、ここにきて初めて前に出た。

 ――いや、正確には、男が本当に打って出たのか、託哉には分からない。分かる暇もなかった。堅固な要塞のように隙のない男に、ようやく決定的な隙を作り出せたと思って回し蹴りを繰り出したら、次の瞬間には、男の姿を見失ってしまったのだ。


「――っ!?」


 またこの感覚だ、と託哉は思った。

 てのひらから水や砂がこぼれ落ちていくように――せっかく捉えたと思った男の姿が、まるで魔法のように消失してしまう。託哉の目の前から消えてしまう。

 託哉の背筋にゾクリと冷たいものが這い上がった。針のように鋭い、殺気。いつの間にか託哉の後方に、男が回り込んでいた。

 まずい――そう思って、その場から跳躍しようとした託哉の足を、男ががしりと掴んだ。

 そして男は、託哉を勢いよく振り回し――放り投げた。

 常識はずれの怪力を駆使した遠投は、託哉の体をボールか何かのように吹き飛ばした。


「――がっ!」


 苦痛にうめく声さえ置き去りにするほどの速度で、託哉は血に濡れた障子を突き破り、日本庭園のほうにまで転がっていく。

 視界が高速で加速する中、託哉は神業的な身のこなしで受身を取り、体勢を立て直し、ダメージを可能なかぎり軽減して見せた。


「……あんの野郎」


 肉体的には無事でも、精神的には無事じゃない。もうなにがなんでもぶっ殺してやらねば気が済まない、と託哉は思った。

 近場に転がっていた暴力団構成員の遺体から拳銃をもぎ取る。

 それはオーソドックスな半自動式拳銃。別に隠してあったマガジンを拝借し、装填する。スライドを引き、弾薬を手動で薬室に送り込むと、託哉はグリップを強く握り締めた。

 あの男は明らかに人間離れした膂力の持ち主ではあるが、だからといって、託哉は自分が劣っているとは微塵も思っていない。そもそも負けるつもりで殺し合いに望むバカもいないだろう。

 ここで問題があるとすれば、それは実力云々ではなく、あの男が見せた瞬間移動のような異能のほうだ。

 恐らくは超能力の類……と推測できるが、真相は不明。

 だが、これまでの人生で、託哉は何度か不可思議な力を使う相手と出会ったことがある。ゆえに理屈では説明できない現象にも、さほど驚かない。


「おや、まだ生きてたんですか? しぶといですねえ。僕の崇高な攻撃を受けてもなお存命しているとは。まるでゴキブリのようだ」


 芝居がかった口調。

 両手を大きく広げて、主に自己陶酔しているとしか思えない内容の演説をしながら、さきほどの男が縁側に姿を見せた。

 託哉は躊躇なく、発砲。

 乾いた銃声が閑静な高級住宅街に鳴り響く。音は三連。大量生産の鉛弾が合計三発、夜気を切り裂きながら飛んでいく。

 それと合わせて、男の姿が消失した。


「……へえ」


 やはり間違いない、と託哉は確信する。今度は見逃していない。

 例えば、託哉の目でも捉えきれぬほどの速力をあの男が有していると仮定しても、”静”から”動”に移行する際には、絶対に”初動”が発生する。それがないということは、すなわち”静”のままということである。そして、あの男が消える際に”初動”は見受けられなかった。

 ”静”から”動”に移行するプロセスを経由せず、生物は移動できない。絶対に。

 つまり、あの男は間違いなく異能か超能力か――とにかく常識を覆すだけの力を持っている。


「……次は」


 縁側にいたはずの男は――同じく縁側の、隅のほうに立っていた。移動距離はおよそ十五メートル近く。

 しかし託哉が気になったのは、他のところにあった。


「どうした大将。頬から血が出てんじゃねえか」


 そう。

 託哉に知覚されることなく自由に移動できる、という強力な異能を持っているはずなのに、男の頬には銃弾が掠ったかのような痕があるのだ。

 弾が命中するなどとは微塵も思っていなかったが――どうやら予想以上の成果があったらしい。せいぜい威嚇程度に拳銃を使用するつもりだった託哉としては、この結果は僥倖と言える。

 託哉の認識よりも早く移動できるあの男なら、銃弾だって簡単に避けることができるだろう。しかし掠っただけとはいえ、銃弾は確かに男の体に触れたのだ。

 これが果たして――なにを意味するのか。


「なるほど。まだ完全じゃねえが、なんとなく読めてきたわ。てめえの力が」


 挑戦的な笑みを浮かべる託哉を見て――逆に男の顔から笑みが消えた。


「……危険、ですね。君は」

「そりゃどうも。でも命乞いだけは勘弁してくれ。白ける」

「ご心配なく――きっと、退屈はしませんよ」

「そうかい。ならいいや」


 拳銃を構える託哉と、どこか不気味に哂う男。

 この唐突に始まった殺し合いは、これから佳境を迎えるだろう。まだ夜は始まったばかり。血に濡れた庭園と、死体に満ちた日本家屋は、まさに二人の戦場に相応しい。この上ない舞台である。

 そのとき、不意に。


「……っ?」


 キィン、と。

 甲高い耳鳴りを――託哉は聞いた。


「くっはははははは――」


 腹を抱えて、男は心底愉快そうに笑う。それを聞いた託哉は、トリガーにかかっていた指を躊躇なく引いた。

 最後に男は、これまでとは違う凛冽なる声で、言った。


「矮小な体躯と、下賎な命。その虫に等しい分際で、どこまで足掻けるかな。人間」


 両手を広げ、芝居がかった口調で告げるその男の姿は、死者を弔う神父などでは断じてなく。

 まるで死者をいざなう悪魔のようだった。




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