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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
零の章 【消えない想い】
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0-2 風呂場の攻防

 ナベリウスは、すでに母さん公認の同居人となっている。

 数日前に母さんから電話がかかってきたとき、その場の流れでナベリウスの存在がバレてしまったのだ。慌てふためく俺に母さんは言った。「ちょっと代わってもらっていい?」と。

 母さんとナベリウスはかなり長話をしていたようだが、二人のあいだにどんな関係があるのかは最後まで分からなかった。とにかくナベリウスが萩原邸に居候することを母さんはあっさりと許した。なにか、俺の知らない事情があるような気がする。母さんが帰ってきたら聞いてみようか。

 ただ、それとは別に、自分でも疑問に思うことがある。

 どうして俺は、こんなにも簡単にナベリウスを受け入れたのか。

 どうして俺は、この彼女を見て、こんなにも懐旧の情をかきたてられるのか。

 恐らくは錯覚であろう。

 俺がナベリウスと会ったのは、数日前が初めてのはずなんだ。ゆえに彼女を見て”懐かしい”と思うこと自体が、すでに気のせいなのである。

 意外と、と言えば語弊だと本人から怒られそうだが、ナベリウスは家事については万能だった。料理も、洗濯も、掃除も、買い物も、ありとあらゆる主婦スキルを彼女は身につけている。

 だからかもしれないが、ナベリウスからは強く母性を感じるのだ。

 いつも一歩引いて見守っていてくれるような、友人や恋人というよりは、歳の離れた姉や、もしくは若々しい母親のような。

 とにかく不思議な安心感を俺に抱かせるのが、ナベリウスだった。

 ただし、自分のことを悪魔だと称するのはいただけない。

 確かに俺も子供のころは、悪魔とか正義の味方に憧れたことはある。まあ成長するに従って現実を知り、限界を知り、やがては若気の至りへと変わったのだが。

 ナベリウスは大人っぽい美女だ。そんな彼女が「わたしって、実は悪魔なのよねー」とか「ソロモン72柱が一柱ですよー」とか「序列第二十四位の大悪魔ナベリウスちゃんですー」とか平然と口走る姿と言ったらもう……。

 俺は、決めたのだ。ナベリウスにはいたいけな夢を諦めてもらおうと。そうだ。俺が悪者になることによって、ナベリウスが大人になるのであれば、それは間違いじゃないはず。


「じゃあ俺、風呂入ってくるから」


 さっき夕食を終えた俺は、汗を流すためにシャワールームへと向かった。脱衣所で服を脱ぎ、それを洗濯機のなかに放り込んでから、湯気でくもる風呂場に入った。

 萩原邸の風呂は、土地の面積や建物の大きさに比例するように、かなり贅沢な作りとなっている。

 いわゆる檜風呂というやつで、しかも湯船は成人男性が三人一緒に入っても余裕があるほどで、銭湯のように足を伸ばして入浴することが可能。

 それなりに清潔好きな俺としては、我が家の風呂は他所様にも自慢できるぐらい好きで、自室に次ぐリラクゼーションスポットとなっている。

 頭、顔、身体という順で一通り洗い終わったあと、熱い湯が張られた湯船に浸かる。とても気持ちいい。

 意味もなく水面を波立たせてみたり、暢気に鼻唄を歌ったりしていた俺は――そのとき不審な物音を聞いた。

 がさごそ、という布擦れの音。


「ねえ夕貴ー?」


 脱衣所のほうから、ナベリウスの声がした。風呂場と脱衣所を隔てているのは、厚いすりガラス状の扉なので、シルエットのような形でならば反対側にいる人間の姿も確認できる。

 よく分からないが、ナベリウスは両腕を上げたり、片足を順に上げては下ろしたり、白銀の髪を後ろで団子のように纏めたりと、意味不明な動作を繰り返している。いったいどうしたんだろう?


「なんだよ? 風呂に入りたいのなら、あとにしてくれ」


 風呂場に反響する俺の声と、


「つれないこと言わないでよ。夕貴の面倒を見るのは、わたしなんだから」


 脱衣所にこだまするナベリウスの声。


「前から思ってたんだが、なんでおまえは俺の面倒を……」


 がらがら、と小気味よい音を立てて、扉が開いた。そこに立っていたのは、バスタオルをまとっただけのナベリウスだった。銀色の長髪を後ろで団子のように纏めてアップにしている。どこからどう見ても、むかつくほどに裸だった。


「もしかして、もう身体洗っちゃった? 背中を流してあげようかと思ったんだけど」


 ぶんぶん、と首を縦に振る俺。それは言外に「もうあとは湯船に浸かって出るだけだから、おまえの出番はない。出て行け」という意味も込めたつもりだった。

 しかし、ナベリウスは強敵だった。俺のアピールを無視した彼女は、ぺたぺたと素足のまま乱入してくる。


「うーん、そっかぁ。もう洗い終わっちゃったんだ。ちょっとタイミングが遅かったみたいね。ごめんなさい」

「ああ、いえいえ、とんでもないです、はい」

「夕貴の面倒を見る者として、これはミスったかなぁ。あとでオシオキされちゃっても文句は言えない失態よね。まあでも、このまま脱衣所に戻るのも間抜けだし、手間もかかるし」


 言ってから、ナベリウスは、なんと湯船に侵入――いや、侵略してきたのだった。


「お、おまっ、おまえっ!?」

「どうしたの? ……ああ、もしかしてタオルで身体を隠したまま湯船に浸かるな、とか? 確かに人間社会では、そういうマナーもあったかしら。というわけで、ポイ」


 まるで自分が人間じゃないような口振りで、ナベリウスはバスタオルを風呂場の端っこのほうに放り投げた。


 ちなみに俺は、隅っこのほうで三角座りをしていた。もちろん背中を向けたまま。すぐに風呂から上がってもよかったのだが、それもなんか逃げたような気がしてイヤだった。


「……お、おまえ、本当に何者なんだ?」

「え?」


 俺の口から飛び出したのは、ナベリウスの素性を探る一言。その場しのぎの適当な発言をしたつもりだったのに、頭のなかできちんと言葉を組み立てなかったせいか、わりと確信に迫る質問をしてしまった。楽しげだった彼女の顔に冷静さが戻る。もう後戻りはできない。


「……分からない。ずっと気になってたんだ。マジな話、おまえは何者なんだ? いきなり添い寝してくるし、ほとんど無理やり居候を決めやがるし、しかも今こうして男に抱きついてる。胸だって当たってる。……べつに、恋人同士でもないってのに」

「そうね、わたしは夕貴の恋人じゃないわ」


 あまりにも、あっさりとした断定。もちろん期待していたわけじゃない。それでもちょっとだけ落胆してしまった俺は、やはり健全な若い男子ということなのだろうか。


「でも、わたしは夕貴を護るから」

「……またそれかよ」


 壊れたテープレコーダーを拾った気分だった。この女は、本当に何なんだ? まさか本気で悪魔だとでもいうのか……?


「じゃあ、そろそろ上がるな」


 冷たく言って、俺は立ち上がった。なんだかナベリウスを否定した空気になってしまった。風呂場にたちこめる湯気がありがたい。俺の顔を見られなくて済むから。彼女の顔を見なくて済むから。

 俺が風呂場を出るまで、彼女はなにも言わなかった。すりガラスでできた横開きのスライドドアを閉める直前、横目に見えたナベリウスの顔は、見たことがないほど物憂げで、それがぞっとするほど美しかった。



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