表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
壱の章 【信じる者の幸福】
26/74

1-13 武門十家

 作戦開始の合図は、各々が持つデジタル時計の表示だけだった。

 犯人グループの潜伏先である通称”城”を攻略する上で、表口からの侵入を任された玖凪託哉は、自宅の敷居を跨ぐような気軽さで突入した。

 アルミ製の扉を思いきり蹴破って、気配を殺すこともなく堂々と乗り込む姿は、慎重な作戦に必要とされる態度とはかけ離れている。

 薄暗い室内に飛び込むのと同時、託哉は左右から微かな殺気を感じた。もとより防音に特化した音楽スタジオだ。風の入り込む隙間のない、空気の停滞した空間の中ならば、どんな些細な”乱れ”だって感じ取れる。

 待ち構えるようなかたちで表口に潜んでいた二人の男。彼らが振り下ろした細長い角材を、託哉は器用に身を捻って回避した。

 結果的に、男たちの攻撃は外れたが、それは明らかに託哉らの襲撃を予想した布陣だった。


「おいおい。勘付かれてんじゃん。坂倉健太って野郎は嘘をついてたのか? それとも参波のやつらがドジりやがったのか? まあ正味なところは、坂倉健太がアジトを出たまま帰ってこないことを怪訝に思い、あんたらも最悪の事態を想定していた。そんなところだろうな」


 喧嘩に明け暮れ、手には武器を持った二人のアウトローを前にして、託哉は丸腰のまま長広舌を振るう。


「それにしても無茶したよなぁ、あんたら。【高臥】に手を出すとか、社会的に抹殺されてもマジで文句言えないぜ。いまのうちに謝れば、シャコの餌になるのだけは許してもらえるかもよ?」


 まるで大学の友人に語りかけるような託哉の言葉を、男たちが悪意によって濁す。


「うるせえ! 黙って聞いてりゃ、なに舐めたクチ聞いてやがる! てめえ、サツの回しもんじゃねえだろうな!?」


 不良行為の延長線上として”誘拐”という犯罪に手を染めた彼らにも、多少の危機感はあるらしい。事実、いきなり乱入してきた託哉を見て、男たちは過剰なまでに殺気立っている。

 高臥菖蒲という人質を盾にしているのだから、高臥家が警察に連絡する可能性はあるかもしれない、とは予想していても、いまの託哉が見せたような能動的な襲撃をかけてくるなど、犯人グループは夢想だにしていなかったのだろう。

 託哉は、参波清彦から聞いていたデータと、彼らの身体的特徴を照らし合わせた。《参波一門》は託哉にとっていけ好かない連中ではあるが、その腕だけは一流だ。情報は限りなく正確。託哉を迎え撃った男たちは、富永聡史と大久保達樹の両名と見て間違いない。

 今にも噛み付いてきそうな狂犬を連想させる聡史はともかくとして、達樹のほうは日頃から薬物を常用していそうな気配がある。目の焦点や呼吸の度合いを見れば、その人間が真っ当か否か、託哉にはすぐに分かる。

 まさか警察の人間だと疑われるとは思っていなかったので、託哉は失笑した。


「おまえ眼科行ったほうがいいんじゃねえ? こんな髪を明るく脱色した警官とか、実在するなら見てみたいわ」

「黙れっ! ぶっ殺すぞコラぁぁぁぁっ!」


 獣のような咆哮を上げて、二人の男が左右から挟みこむように襲い掛かってくる。


「……さっきからよぉ」


 これまで人を傷つけることはあっても殺すことだけはできなかった男たちが、この極限の状況においてようやく持つに至った”本物の殺意”を、玖凪託哉が否定する。


「誰に意見してんだ、てめえ」


 およそ人としての感情など内包されていない、冷え切った声。

 次の瞬間、乾いた破壊音と共に、木の破片が中空に撒き散らされた。それは角材が砕かれた証拠。死神の鎌のように跳ね上がった託哉の足が、男たちの首ではなく、手に持っていた武器を破壊した。

 勢いよく撒かれた木の破片は、託哉にとって服を汚すゴミに過ぎないが、男たちにとっては視界を遮る目潰しに等しい。網膜に向かって迫りくる破片を見て、男たちは反射的に瞼を閉じた。


「ビビってんじゃねえよ。敵前で目を瞑るなんざ、余裕か馬鹿のどっちかだ」


 続いて振りぬかれた託哉の拳が、富永聡史の鼻を砕いた。脳髄に響く強烈な痛みと、滝のように流れ出る血。それは聡史から戦意を奪い、意識さえも揺らす。

 痛みに喘ぐ声がうるさい。託哉は聡史の声を封じることにした。喉に向けて貫手を放ち、みぞおちに向けて膝蹴りを打つ。呼吸を助ける役割を果たす横隔膜にもダメージを入れたので、これでしばらく満足に声も出せない。

 そうこうしているうちに、大久保達樹が、託哉の無防備な背中に拳打を繰り出した。それをサイドステップでかわした託哉は、伸びきった達樹の腕を掴み取る。

 ここで肝心なのは力点と支点が作用する部分。そこを見極めば、人間一人を転倒させるぐらい赤子の手を捻るよりも簡単だ。

 あっけなく地面に転がる達樹。その腕を関節に負担がかかるように極めつつ、託哉は上から思いきり体重を乗せた。耳障りな音を立てて、達樹の腕に通っていた骨が折れる。


「……チ」


 情けない悲鳴を上げる達樹がうっとうしかったので、彼の頭を全力で踏みつける。それがあまりにも強い力だったせいか、大口を開けていた達樹は、前歯二本を地面にぶつけてしまう。からん、と乾いた音を立てて、見た目のわりに健康そうな歯が託哉の足元に転がってきた。


「なんだこりゃ」


 十秒と経たない間に、男たちは地に伏し、赤黒い液体を垂れ流すだけのアタッチメントになった。瞳に涙を浮かべて、何とか謝罪を口にしようとする達樹の頭を踏みつけ、託哉は続ける。


「てめえら、こんな様で【高臥】を敵に回しやがったのか? 冗談も大概にしとけよ。これ以上つまんねえギャグ見せられると、手元が狂って、おまえらを殺しちまいそうだ」


 もう勝負はついているが、託哉の手は止まらない。頬についた返り血を拭いもせず、ガタガタと震える男たちに向けて、なおも執拗に攻撃を加えていく。


「ただでさえ《参波》のせいで苛立ってんのに、今年の春から《壱識いちしき》の小娘までが、この街に入り込んでるっていうじゃねえか。だからよ、こんな下らねえ害虫駆除に手を貸す暇なんざねえんだよ、オレは」


 その言葉どおり、もともと託哉は、この作戦に関与するつもりなど毛頭なかった。だが萩原夕貴という少年の願いを叶えるには、託哉が手を貸してやる必要があった。

 いくら高臥重国の許可が出たとはいえ、実戦訓練を積んでいない夕貴の協力を許すほど、参波清彦はお人よしじゃない。

 この脆弱な犯人グループを制圧し、人質である高臥菖蒲を救出するのは、清彦一人の力でも可能だった。ただし、それは萩原夕貴という『足手まとい』がいなかったらの話。空手を学び、卓越した格闘能力を有していたとしても、実戦を知らない夕貴は不確定要素に過ぎない。

 そんな裏の事情があったからこそ、託哉はこの作戦に参加した。

 犯人を制圧し、菖蒲を救出するのに必要な力が十だとして、清彦一人でノルマを満たしていると仮定した場合、夕貴という存在が入ると、恐らく数字は五にまで落ちる。それでは駄目だ。だから、数字を再び十にまで押し上げるには託哉が力を貸すしかなかった。


「表口は制圧した。あとは裏口だけだ。……なぁ、オレがおまえに力を貸すのはここまでだぜ。あとはてめぇで何とかしてみせろよ、夕貴」


 夕貴と清彦が裏口から侵入し、各々の戦闘を繰り広げていた頃、託哉はおもちゃで遊んでいた。





 表口から《玖凪一門》の人間が襲撃するのと時を同じくして、参波清彦は萩原夕貴を伴い、裏口から侵入を開始した。

 作戦が失敗するとは微塵も思っていない。それでも清彦が、いくつかの不安要素を見据えていたのは確かだ。

 その最たるものが、足手まといの萩原夕貴と、強すぎる戦力である玖凪託哉だ。しかし、彼らは個別だと障害にしかならないが、二人揃うと、それぞれのプラスとマイナスが中和され、いい塩梅に働いてくれる。

 つまり夕貴が入ったことによる戦力低下を託哉が補い、暴走すると予想される託哉を親友である夕貴が抑えるということだ。

 薄暗い倉庫の中を駆けながら、清彦は作戦終了までの流れを脳裏で反芻する。


 第一に、菖蒲の救出。

 第二に、犯人グループの制圧。

 第三に、玖凪託哉の暴走を阻止。


 この全ての目的を同時にフォローするためには、夕貴に菖蒲の救出を担当させるのが最も摩擦のない選択だった。清彦が菖蒲のところに向かってしまうと、夕貴を危険に晒す可能性が高くなるし、なにより託哉のほうにまで目がいかなくなる。

 坂倉健太の話によれば、表口付近に二人、裏口付近に二人、菖蒲の見張りが一人いるとのことだった。

 事実、清彦と夕貴の前に立ちはだかったのは、金髪ホスト風の男と、陽気そうな男の二人。恐らく前者が新庄一馬、後者が高橋陽介だろう、と清彦は当たりをつけた。

 現状、作戦はスムーズに進んでいる。どのような状況だろうと臨機応変に対応できるように、プランは優先度の高いものを”A”として、最悪の事態を想定した”E”まで考え、夕貴と託哉に伝えていた。しかし今のところ状況はプラン”A”のまま進んでいる。

 清彦としては『表口に三人、菖蒲の見張りに二人』や、『菖蒲の見張りに二人、裏口に三人』という異色の構成だった場合を心配していた。どんな幸運な事態だろうと、それが清彦の予想していなかったものならば、忌避はしても歓迎はできない。

 戦闘という行為は、その勝敗の九割近くが戦う前から決まっている。これが参波清彦の持論だった。

 予定していたとおり、新庄一馬と高橋陽介の二人を清彦が引き受け、夕貴は菖蒲の監禁されている居住スペースへと向かう。

 しかし、清彦たちがどうしても菖蒲を助けたいのと同様に、犯人側はどうしても菖蒲という人質を奪取させたくないというのが本音。

 夕貴が居住スペースに向かっていると判断した男たちは、清彦に見向きもせず、夕貴を排除しようとした。


「てめえ! そのツラぁ忘れてねえぞ!」


 長い金髪を整髪料によってセットし、ホストのような装いをした一馬が吼える。聞けば彼は、大衆の前で夕貴に恥をかかされたらしく、その逆恨みにも似た私怨が、今回の事件を引き起こしたそもそもの発端だという。

 菖蒲を助けようと、無我夢中で居住スペースに向かう夕貴の背に、一馬がナイフを振り下ろそうとする。それを見逃すほど、参波清彦は優しい人間ではなかった。


「ぐっ、あっ、あぁ……!?」


 男たちの足が止まる。夕貴の行動を阻害しようとしていた一馬と陽介は、混乱と苦渋が混じった声を上げると共に、まるで子供のように片足でケンケンをした。それを一瞥し、清彦は告げる。


「ふうむ、どうやら君たちに対する認識を改める必要がありそうですね。私たちの襲撃を感知してなお、童心に返る余裕をお持ちとは」


 銀縁の眼鏡を外し、スーツの前ポケットにしまう。その憮然とした様子の清彦を見て、一馬は解せないと声を荒げた。


「……て、めえ……なに、しやがった!?」


 一馬と陽介の利き足から滴り落ちる、赤い血。

 突如として機動力の要となる足にダメージを受けた彼らは、その原因を作ったであろう清彦に視線を向ける。

 少なくとも清彦は、拳銃も、ナイフも――いや、武器を所持しているようには見えない。つまり丸腰である清彦に遠距離攻撃を受けたという事実が、彼らを混乱の渦に突き落としていた。確かに清彦は、これといった武器を手に持っていなかった。表向きは。


「なにをした、と言われても困ってしまいますね。もっとご自分の目を信用なさってはいかがですか?」

「あぁ!? ふざけたこと言いやがって! マジでぶっ殺すぞ、てめえっ!」

「すみません。大声を張り上げることによって相手を威嚇したい、という君の意図は掴めるのですが、正直、耳に悪いので止めていただけますか? それと語彙力も不足しているように思います。何か不都合があればすぐ『殺す』と口にするのは、頭の悪さが露呈するので止めたほうがよろしいかと」


 飽くまで冷静に返す清彦の言葉は、しかし男たちを逆上させるだけ。


「おい陽介! こいつに地獄見せんぞ!」


 一馬が促し、陽介が足に流れる鋭い痛みに耐えながら金属バットを構えた瞬間、ようやく彼らは気付いた。

 足に、なにか小さな物体が突き刺さっている。

 一馬と陽介は、それを即座に投げナイフだと看破し、すぐさま引き抜こうとした。しかし肉を抉った刃物を取り出すのは、一般の人間が想像しているよりも遥かに大きな苦痛を伴う。

 どうしてナイフを投擲されたことにも気付かなかったのか。不可解に思いながらも、ようやくナイフを引き抜いた彼らは、血に濡れた刀身を見て、すべてを理解した。

 本来であれば銀色に輝くはずの刃が、闇のように黒く塗りつぶされている。それも刀身だけではなく、取っ手さえも真黒に塗装されていた。

 確かに、この月光も届かぬ室内と、この影がカタチを成したような投げナイフならば、男たちに気取られずに攻撃することが可能かもしれない。

 それでも男たちは、不可解だ、分からない、と顔を歪ませる。突入した瞬間から今の今まで、清彦はずっと丸腰だったはずなのに。


「まだ裏社会の入り口でイタズラをする程度なら可愛げがあったのですが、君たちも運がない。よりにもよって、菖蒲お嬢様に手を出すとは」


 もう一度、清彦の手から黒塗りのナイフが放たれた。刃渡り五センチほどのそれは殺傷性こそ低いが、獲物の動きを封じるには最適。

 一切の予備動作を排除した投擲運動は、警戒していたはずの一馬と陽介でさえ気付けなかった。さきほどナイフを引き抜いたばかりの箇所に寸分違わず、二本目のナイフが刺さる。まるで吸い込まれるが如く。


「私は”抜いていい”と許可していないはずですが」


 身悶える二人を見据えて、清彦は告げる。


「……お、まえ……どうやって――っ!?」


 声を荒げた新庄一馬は、そこで言葉を失う。

 今度こそは見逃さない、と注意していた一馬の目を潜り抜けて、清彦が再びナイフを握っていたからだ。

 男たちにしてみれば手品のように見えるだろうが、実際は何のことはない仕掛けである。ただスーツの袖口に仕込んでいた刃物を、次から次に取り出しているだけの話。

 裏社会において、全身に仕込んだ暗器を用いて戦うことで知られる《参波一門》に生を受けた清彦にしてみれば、これは呼吸するに等しい動作。

 慈悲もなく放たれた投げナイフが、男たちの利き腕に刺さった。相手の重心や、筋肉の微妙な発達の違いを見れば、普段から使っているほうの腕や足を見抜くのは容易。そして、それを真っ先に潰すのは《参波一門》の定石であり、常識だった。

 ところで清彦は、よく人から「定規を当てたように真っ直ぐな背筋」と言われるが、それはある意味、この上なく的を射た発言だった。

 清彦の姿勢がいいのは『紳士の嗜みとして』ではあるが、元はと言えば、それは礼儀作法のために身につけたものではない。

 孫の手で背中を搔くように後ろへ手を回した清彦は、そこから一つの暗器を取り出した。

 常時、背中に定規を当てるように・・・・・・・・・して隠していた『仕込み杖』。携帯するための刀。殺傷力こそ本場の日本刀に劣るが、相手に気取られることなく持ち運ぶには最適だ。

 何の装飾もない質素な白鞘から刃を引き抜く。投げナイフとは違い、仕込み杖の刃は月光を吸収するような銀色。

 清彦を丸腰だと思っていた男たちにとって、いきなり敵が長柄の武器を取り出したという事実は、戦意を消失させるに相応しいものだった。

 それでも新庄一馬と高橋陽介は、最後の意地でナイフと金属バットを構えた。【高臥】の一人娘を誘拐した彼らは、犯罪に手を染めたのだから、この場を乗り切らないと文字通り人生が終わる。だから一馬と陽介には、逃亡や謝罪といった逃げ道は残されていない。

 投げナイフの刺さった足を庇いながらも駆け寄ってくる男たち。清彦は迎え撃つのではなく、むしろ衝突するように自らも接近した。

 

 横薙ぎに一閃する刃が、一馬のナイフを叩き折り。


 返すように一閃した刃が、陽介の手から金属バットを奪い去った。


 驚愕する二人は、隙だらけを越えて動かぬ的に等しい。その場で回転した清彦は、一馬の腹に回し蹴りを叩き込み、そのまま勢いを殺さず、陽介の足を仕込み杖の刃で浅く切り裂いた。

 迸る激痛に耐え切れず、彼らは絶叫。

 声を張り上げることは、すなわち肺にあった空気を全て吐き出すということ。肺が空っぽの状態で息が吸えなくなると、気を失ったほうが遥かにマシだと思えるほどの苦痛が訪れる。

 足を押さえて蹲ろうとする陽介の腹に、清彦は拳を叩き込んだ。あまりにも的確にツボを抑えた拳は、横隔膜に強いダメージを与える。目を見開いた陽介は、口端から唾液を垂れ流しながら、その場に崩れ落ちて痙攣する。これで一時間はまともに動けないだろう。


「陽介! くっそ、てめえ!」


 さきほど蹴られた腹を押さえながらも立ち上がった一馬が、神経質そうにセットされた金髪を振り乱しながら叫ぶ。

 返す言葉は持たず、低姿勢を維持したまま清彦は疾走。

 長い金髪を乱暴に掴んだ清彦は、近場にあったコンクリートの壁に一馬の頭を打ち付ける。顔面に衝撃を受けた一馬は、鼻血を出しながら悶絶した。

 清彦は、右手にあった仕込み杖を捨てると、袖口から投げナイフを一本取り出す。時を同じくして、左手で一馬の手を掴むと、それを近くにあった木製のテーブルに載せた。

 そして、テーブルに一馬の手を縫いつけるように、清彦はナイフを振り下ろす。


「ぐっ――ああぁああぁ、あああぁぁぁぁぁっ!」

「大の男がみっともない。私は顔の肉を切り裂かれたことがありますが、声一つ上げませんでしたよ」


 そう言って、清彦はずり下がった眼鏡を上げようとした。しかし、そういえば胸のポケットにしまったままだったことを思い出し、ため息とともに眼鏡を装着。


「それと」


 仕込み杖の刀身を白鞘にしまい、それを背中に戻してから、清彦は言った。


「口の聞き方には気をつけたほうがいい。”てめえ”と言われる度に、貴様を殺そうと我慢するのが大変だった」


 反論する声は皆無。もう新庄一馬と高橋陽介の二人には、戦意も、敵意も、殺意もなかった。

 その他を寄せ付けぬ圧倒的な暴力によって、日本の裏社会に広く名を轟かせる零から玖の漢数字を冠する家系は、俗に《武門十家ぶもんじっけ》と呼ばれる。

 《武門十家》は、純粋な名声こそ《十二大家》に劣るものの、それぞれの家系が特異かつ特殊な格闘術を継承しており、裏社会において悪名的なネームバリューを持つ。

 よって《参波一門》を知らなかった時点で、この男たちは”ひよっこ”と言える。


「これは……まずいですね」


 閉鎖された空間に生じた暴力的な”乱れ”を感じ取るのは、そう難しいことではない。

 この音楽スタジオに改造された倉庫の中、表口のほうから、過剰なまでの”乱れ”を清彦は感じた。恐らく玖凪託哉が、犯人グループの一部を制圧してなお執拗に攻撃を加え続けているのだろう。

 菖蒲の救出に向かった夕貴は、どうやら無事のようだ。誰かと争っている気配こそするものの、状況は夕貴のほうが圧倒的に有利で、間もなく決着もつきそうだった。空手で全国二位にまで上り詰めた実力は本物らしい。

 一呼吸の間だけ思考に時間を費やした清彦は、まず託哉を止めることにした。犯人は全員生かして捕えたいというのが【高臥】および《参波一門》の総意。

 そうして歩み去る清彦は、聡明な彼にしては珍しく、新庄一馬の目に狂った光が宿っていたことに気付いていなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ