表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
壱の章 【信じる者の幸福】
18/74

1-3 お忍びの姫様

 いまのところ俺の周囲で目立った変化はないが、このまま平穏無事では済まないだろう。

 なにせ菖蒲は家出したのだ。今頃、高臥の家では大騒ぎの真っ最中だろうし、警察に捜索願が出される可能性だって十分にある。

 今日、最低でも明日には、菖蒲と本格的に話し合ったほうがいい。彼女を説得して家に帰すか、もしくは高臥家に直接連絡して指示を仰ぐか、まあ二つに一つだろうが。


「……ふーん。なあ夕貴。それが本当なら、わりと冗談じゃ済まないぜ」


 その声には、意味ありげな、どこか忠告にも似た響きがあった。

 俺と玖凪託哉くなぎたくやは、一限目の講義を受けるために、大学のキャンパス内を歩いていた。

 雑多な学生たちが、スクランブル気味に通路を横断していくせいで、人ごみの密集率が実際の人数よりも多く感じられる。それぞれの行きたい教室が違うものだから、こうなるのも必然なのだろうけど。

 俺は悩んだ末に、友人である託哉に現状を相談することにした。この玖凪託哉という男は、一見チャランポランな野郎に見えて、まあ実際もチャランポランな野郎なのだが、その実は思慮深い一面を持っていたりする。こいつは友人の相談事を鼻で笑って一蹴するような友情に疎い男じゃないのだ。


「夕貴ちゃんも運がねえなぁ。押しかけてきた女が、よりにもよって高臥菖蒲。いや、【高臥】の人間かよ」

「誰が夕貴ちゃんだ。それにしても意外だな。託哉なら、もっと疑ったり騒いだりするかと思ったんだけど」


 高臥菖蒲が俺を訪ねてきた。そんな冗談にしか聞こえない話を、託哉はあっさりと信じた。いや、正確には、女の子が押しかけてきたと話したところまでは興奮していたが、その女の子が高臥菖蒲と聞いた途端、託哉は難しそうな顔をしたのだ。


「はっはー、まあ細かいことは気にするなよ。とにかく、だ。憧れてた女優と仲良くなれるかもなんて中途半端な気持ちなら、【高臥】と関わるのは止めとけ。場合によれば、夕貴が考えてる以上に面倒なことになるかもしれないぜ?」

「……中途半端な気持ちなんかじゃねえよ。自分でもよく分からないけど、俺は菖蒲のことを護ってやりたいって思うんだ」

「ふーん、まあ夕貴は気持ち悪いぐらい高臥菖蒲のファンだったもんなぁ。もしかしてアレかい? 高臥菖蒲に、あなたと私は結ばれる未来にありますー、みたいなことを言われたりした?」


 心の底を見透かされたような気がして振り向くと、託哉は人懐っこい笑みを浮かべた。


「あれ、まさかビンゴだったりすんの?」

「……おまえ、なにか知ってるのか?」

「いや、いまのは嘘から出た真ってやつさ。オレは少なくとも、夕貴の役に立つような情報は何一つとして知らねえよ」


 どことなく含みを持った言い回しだった。

 俺の役に立つような情報は知らないのなら――俺の役に立たない情報ならば、託哉は知っているのだろうか。

 そう思ったところで、遠くのほうが騒がしいことに気付いた。

 俺たちが通う大学は、よりよい生活環境や職場環境などを実現するために、いわゆるコンビニエンスストア店舗と業務提携を結んでおり、その結果としてキャンパス内にコンビ二があったりする。コンビニの目の前にはセラミックブロックを敷き詰めた大きな広場があり、そこにはベンチが複数設置されているだけではなく、大学内でも数少ない喫煙スペースが存在する。

 どうやら、その広場のほうでちょっとした騒ぎが起こっているらしい。人のざわつく気配というのは、言葉にしなくても分かるものだ。


「なあ夕貴。どうせ一限目が始まるまで時間あるし、見に行ってみないか?」


 趣味が悪いな、とは思ったが、やはり多少は興味を惹かれるわけで。


「ああ。行ってみよう」


 俺たちは、人込みに逆らって広場のほうに向かった。託哉に聞きたいことがあったが、なんだか真面目な話をする雰囲気でもなくなったので、後回しにしよう。

 広場の人口密度は、いつもよりも明らかに増していた。さらに言うなら、集まっているのは女よりも男のほうが多い気がする。すれ違う男たちは、みんな揃って鼻を伸ばしていた。それは街中でとびっきりの美人を見かけた反応に似ている。

 やがて、広場を賑わせた”原因”を見つけた瞬間、俺は自分の観察眼が捨てたものではないと思い知った。周囲には大学生が群がっていて、口々に小声で何かを囁きあっている。また、男より数は少ないものの、女の姿もそれなりに見られた。


 この広場に集まった大学生たちの注目は、いきなり現れた場違いな女子高生にあった。


 黒を基調とした制服は、間違いなく愛華女学院指定のセーラー服。女子高生が大学キャンパスを闊歩するだけでも相当目立つのに、それが天下の愛華女学院の生徒ときた。これは騒がれないほうがおかしい。

 おまけに、なんかまあ、とにかく説明するのも馬鹿らしくなってくるのだが、その女子高生さんは変装のつもりなのか、目深に帽子を被っており、口元をサージカルマスクで隠している。

 今時、花粉症にかかっている人でも、あそこまで分かりやすい防御はしないと思う。だがその下手な変装が功を奏しているのは否定できない。彼女は目立ちまくる代償として、その正体を誰にも知られることなく、ここまでたどり着けたのだから。


「……なにしてんだよ、菖蒲」


 無意識のうちに声が出た。

 ここで正体がバレたら大変なことになる。もしかしたら一限目の全講義に出席する生徒数が、半分以下にまで落ちるかもしれない。

 ただ不幸中の幸いにも、菖蒲が愛華女学院の生徒であるという事実は伏せられているので、周囲の大学生たちは、突如現れた謎の女子高生を只者ではないと確信しながらも、彼女を女優である『高臥菖蒲』と結びつけることができないようだった。


「……なあ夕貴。もしかしてこれって、噂をすればってやつか?」


 託哉の問いに、俺はゆっくりと首を縦に振った。

 全力で変装している菖蒲は、どうやら誰かを探しているらしく、キョロキョロとあたりを見渡している。注目されるのには慣れているのだろう、自分に視線が集まっていることを不思議には感じていないみたいだ。

 ……うーん、この状況をどう乗り切るべきか。

 菖蒲が探しているのは間違いなく俺のはずだ。もちろん名乗り出てあげたい。だって、菖蒲がちょっと不安そうに見えるんだ。やっぱり大学内で一人は心細いんだろう。でもここで名乗り出るのは自殺行為だ。俺にまで注目が集まってしまう。

 そのとき、事件は起こった。


「あっ、夕貴様っ!」


 口元をマスクで覆っているせいで、その声はくぐもっていたが、それでも十分に澄んだ音色だった。おかげで注目が二割増しだ。

 好奇的な色を多く含んだ衆人環視の中、菖蒲は親を見つけた子供のように弾んだ歩調で、トコトコと俺のほうに歩いてきた。

 えっ、夕貴様ってあいつのこと? ていうか”様”ってなに? もしかしてそういうプレイ? まわりにいる学生たちの憶測はどんどんヘンな方向に広がっていく。

 託哉のやつは、面倒に巻き込まれるのが嫌なのか、いつの間にか離れた距離にまで移動していた。


「探しましたよ、夕貴様」


 そうこうしているうちに、菖蒲が俺の目の前まで歩み寄ってきていた。ざわつく気配。さっきまでは俺も野次馬の一人だったのに、いまは俺が当事者になってしまっていた。

 向かい合う俺と菖蒲のまわりには、興味津々な顔をした若者が集まっている。


「もうっ、駄目ではありませんか。お弁当を忘れて行ってしまわれるなんて」


 菖蒲は学生鞄のなかから、青い風呂敷に包まれた弁当箱を取り出した。ちなみに、これを用意してくれたのはナベリウスだ。もちろん菖蒲の分もある。そういえばリビングに置きっぱなしにしたまま、持って行くのを忘れてたっけ。


「……あ、ありがとう。おかげで助かったよ」


 なんとか笑顔を浮かべてみたものの、きっと俺の顔は引きつっていたと思う。


「これぐらい当然です。だって、わたしは夕貴様のものなのですよ?」


 なんでよりにもよって、そんな言い回しをするんだ……。

 菖蒲が「わたしは夕貴様のもの」と言った瞬間、男の学生たちが露骨に不愉快そうな目をしやがった。広場の喧騒が強くなる。まさに菖蒲に夕貴を注いだかのごとく――ちがった、火に油を注いだかのごとくだった。

 これは撤退するのが無難かもしれない。


「あー、君。とりあえず俺とあっちに行こうか」


 菖蒲は不服そうに瞳を細めた。きっとマスクの下では、頬が膨らんでいるんだろう。


「……夕貴様? どうして”君”などと他人行儀な呼び方をするのですか? 夕貴様は、わたしの旦那様なのですよ? ですから、もっと菖蒲のことを――っ!?」

「よしっ、あっちに行こうねー!」


 愛想笑いを浮かべながら、菖蒲の手を取る。こうなれば強制連行だ。これ以上この場にいたら、菖蒲は確実にボロを出してしまう。

 俺は菖蒲の手を取って、ほとんど競歩に近いスピードで歩き出した。

 背後からは「……あ、あの、夕貴様のお気持ちは嬉しいのですが、まさかこんな外でなんて……大胆です……」と明らかに勘違いしている声が聞こえてきた。

 握り締めた手は、力加減を間違えば折れてしまうんじゃないかと思うほど小さくて、柔らかかった。でも憧れの人と手を繋いだ、という感動も、さすがにいまだけは味わう余裕がない。

 がむしゃらに広場から離れるうちに、俺たちはいつしか大学の近所にある公園に辿り着いていた。どうも、ここ最近は公園に縁があるようだ。

 さすがに運動が過ぎたのか、春先だというのに身体は熱を持ち、微かに発汗を始めている。

 菖蒲が公園に着いて最初にしたことは、マスクを外すことだった。


「……夕貴様? 一体どういうことなのか、説明してくださいますよね?」


 菖蒲の顔は笑っているけれど、その声には明らかな棘があった。


「いや、えっと、ごめん」

「菖蒲は賢くありませんので、ごめん、だけでは分かりません。夕貴様は、一体なにに対して謝っていらっしゃるのですか?」

「だから、その……菖蒲を”君”って呼んだこととか」

「そうですね。本当に、そうです。あのとき、菖蒲が心の中で泣いていたことを、夕貴様はご存知ないでしょうけれど」


 うわぁ、拗ねてる。

 でも正直な話をすれば、俺は菖蒲の拗ねている姿が嫌いではないので、逆にもっと拗ねさせてみたいとか思ってしまう。


「えっと、あとは……勝手に手を繋いだこととか……?」


 女の子はデリケートな生き物だから、これは怒っているだろうなぁ、と思っていたのだが。


「……いいです。それは、特別に許して差し上げます」


 菖蒲は赤くなった頬を隠すかのように、ぷいっと顔を背けたのだった。許して差し上げますとか言ってるけど、やっぱり怒ってるみたいだ。


「そうか。でも本当に悪かったな。俺がもっと菖蒲を気遣ってやれればよかったんだけど」

「いえ、思い返せば菖蒲も軽率でした。人込みの中に夕貴様のお姿を見つけた途端、つい舞い上がってしまって」

「謝らなくてもいいって。元はと言えば、弁当を忘れていった俺が悪いんだから。菖蒲は学校を遅刻してまで、俺に弁当を届けに来てくれたんだろ? だから、俺が”ありがとう”って言って終わりだ」


 微笑みかけると、菖蒲は何度かぱちくりと大きく瞬きをしたあと、俺につられて笑った。

 結局、俺は一限目の講義を欠席することになった。なぜか菖蒲も「では、わたしもお供しなければなりませんね」と意味の分からない理論を発動し、遠まわしに学校を欠席する意志を表明した。

 軽く雑談しているうちに腹が減った俺たちは、公園のベンチで二人並んで弁当を食べることにした。すこし遠くのほうでは小さな子供たちが天真爛漫に走り回っており、それを離れた場所から何人かの女性――恐らく母親だろう――が見守っている。

 菖蒲は相変わらず帽子を被ったままだった。

 常識的に考えれば、セーラー服に帽子という組み合わせは合わなくて当然のはず。しかし菖蒲の着こなしのせいか、不思議と違和感なく見れてしまうのだった。

 菖蒲がいちいち微笑むたびに、俺も嬉しくなって、つい笑ってしまう。そうすると菖蒲もまた笑って、俺もふたたび笑うのだ。

 こんな綺麗な笑顔、初めて見た。何の裏もない、あらゆる打算が排斥された、子供みたいな笑み。

 でも、いまは楽しそうに笑っていても、菖蒲は不安を抱えているんだよな。もう自分一人で、未来を信じるのは怖い。そう菖蒲は言った。

 これまで俺の知らないところで、菖蒲は密かに涙を流してきたのだろうか。

 テレビや本でしか菖蒲を見る機会がなかった俺は、彼女が楽しそうにしている姿しか見たことがなかった。でも菖蒲と触れ合える機会ができて、初めて知ったんだ。昨日の夜、俺の部屋に菖蒲が訪ねてきて、色々と話をして、ようやく思い知ったんだ。

 菖蒲は、いままで未来に救われるのと同時に、未来に惑わされてきた。その結果、信じるべきはずの未来を恐怖するようになった。

 おかしな話だ。菖蒲ほど、未来を信じるべき女の子はいないのに。まさに菖蒲は、未来を信じるために生まれてきたような女の子なのに。

 だって――


「見ーつけた。勝手に出ていっちまうから、探すのに苦労したぜ」


 そのとき、軽薄さを隠そうともしない声が聞こえてきた。

 俺はため息をつきながらも、そいつに向かって文句を言う。


「……おまえが俺を見捨てたのが始まりだろ、託哉」

「はははは。夕貴ちゃん、拗ねた顔も可愛いなー」

「喧嘩売ってんのかてめえ! あと夕貴ちゃん言うな!」


 相変わらず変なところで掴みどころのない奴である。

 託哉は、俺の『夕貴ちゃんと言ったことを訂正して謝罪しろ』攻撃を華麗に捌いたあと、菖蒲に向き直った。


「……ふーん、確かに本物の高臥菖蒲だな。あぁ、でも【高臥】なだけマシか」


 面倒くさそうに頭を掻いて、託哉は言った。その脱色した前髪から覗く瞳は、どこか冷たい光を宿している。


「はじめまして、高臥菖蒲さん。さて、いきなりだが言わせてもらおうか。実はオレは、ずっと前から君のことを警戒していた。なぜだか分かるかい? まあ分からないだろうな。とにかく君は危ない。危ないからこそ、オレが一夜を共にして、ずっと君のことを見守ってあげようと思うんだよ。前口上が長くなったが、なにが言いたいのかと問われれば、オレはこう言うだろう」


 託哉は、菖蒲の前に片膝をつき、


「オレは高臥菖蒲さんの大ファンなんだよぉぉぉぉっ!」


 身振り手振りを交えて、そう宣言した。

 結論。やっぱりコイツは真性のアホだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ