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旧『ハウリング』 改定前  作者: ハイたん
零の章 【消えない想い】
13/74

0-12 夜が明けて


「さあ、おまえの知ってることを全部話してもらうからな」


 休日の朝、俺とナベリウスは萩原邸のリビングにいた。

 朝食後のコーヒータイムを満喫している俺たちは、木製のダイニングテーブルに向かい合うようにして腰掛けている。

 悪魔のことやら、ナベリウスが俺の元にやってきた理由やら、そういった知られざる秘密を彼女に問い質そうとするという、わりと真面目なシチュエーションのはずなのだが……。


「わたしの知ってること? ……ああ、それって夕貴の部屋の本棚に隠してある、グラビア写真集のことでしょ?」

「違うわっ! というか、てめえ何で知ってんだよ!?」

「そりゃあ夕貴が大学に行ってる間に、部屋を物色したからに決まってるでしょうが。夕貴の隠された性癖を調べてあげようと思ってたんだけど、意外にアダルトビデオとかの類はなかったなぁ。あのグラビアアイドルの写真集が一つあっただけだし」

「バカっ、あれはグラビアアイドルじゃねえよ! 俺が応援している女優さんのファースト写真集だ!」

「ふうん、そうなんだ。でもあの子、びっくりするぐらい胸が大きかったよね。てっきり夕貴は巨乳が好きなのかなぁって思ったんだけど」

「まあ確かに、あの子の胸が大きいってのは認めるよ。そのせいで顔や演技じゃなくて、胸しか見ないようなファンがいることが俺は許せないけど、まあ誰かを好きになる理由は人それぞれだし――って、なんでおまえにこんな話をしなくちゃならねえんだ!?」

「まあまあ、落ち着きなさいよ。どうせ夕貴ちゃんがあの子を使ってるのはバレバレなんだし」

「えっ、使うってなんだ!? いや、それよりも夕貴ちゃんって呼ぶなよ!」

「んー、それを言っちゃってもいいのかなぁ。でも夕貴が――あっ、噂をすれば」


 退屈そうにテレビのリモコンを弄っていたナベリウスが、部屋の隅にある52インチのテレビを指差した。

 そこに映っていたのは、タレントや俳優を特集するという番組だった。本人の出演はないが、テレビ局が独自に取材した芸能人の趣味や華々しい経歴を取り上げるという――あっ!


「……あれ、夕貴ちゃん?」


 ナベリウスが顔を覗き込んでくるが、俺はそれどころじゃなかった。

 だってさ。

 だってさ!

 俺が応援している女優こと高臥菖蒲こうがあやめさんが、テレビ番組に取り上げられてるんだぞ!?

 ……あぁ、やっぱり菖蒲ちゃんって可愛いなぁ。なにより雰囲気がいいんだよなぁ。おっとりとしてて、ちょっと天然で、めちゃくちゃ礼儀正しくて。それにどことなく俺の母さんに似てるし。


「おーい、夕貴ちゃーん。男装の似合う女性ランキング第一位の夕貴ちゃーん?」


 液晶の大画面に映っているのは、優しげな笑顔を浮かべる菖蒲ちゃんだった。

 全体的に色素が薄いのか、日本人にしては珍しい鳶色とびいろの髪を持ち、肌は秋田美人もびっくりするぐらい白い。

 それに、二重瞼の瞳をいつも眠そうにしてるところとか、他人から声をかけられたとき一瞬だけ遅れてレスポンスを返すところとか、なんとも言えない可愛らしさがあるんだよなぁ。


「大丈夫よ、夕貴ちゃん。このテレビに映っている女の子よりも、夕貴ちゃんのほうが可愛いから」


 高臥菖蒲という少女こそが、俺の理想の女性像と言っても過言じゃない。

 小学六年生の頃から突出した愛らしさを誇っていたらしい菖蒲ちゃんは、街を歩いているときに芸能プロダクションからスカウトを受けた。

 当初は家の事情で断っていたものの、それから一年後に両親からの勧めを受けて、中学一年生のときに晴れて芸能界入りを果たした。

 雑誌やテレビ出演などを経て、それから二年もしないうちに映画初主演まで勤めた菖蒲ちゃんは、美しいルックスや年齢に見合わない豊満な胸もそうだが、自然と人を惹きつけるようなカリスマ性があるのだ。言ってしまえば天性のスター気質というやつだろう。


「ねえ夕貴ちゃん、あとで下着でも買いに行かない? そろそろ夕貴ちゃんにも必要になってくるころでしょ?」


 しかも菖蒲ちゃんは、東日本を中心に展開する大財閥である高臥家の一人娘なのだ。つまり生粋のお嬢様ということであり、それが菖蒲ちゃんの礼儀正しさや気品に繋がっているのだろう。

 ……と、俺が黙って菖蒲ちゃんを想っているのをいいことに、好き勝手ほざく悪魔女がいるらしい。


「よっ、この美人! 憎いねぇ女顔! 今まで何人の男を騙してきたのかなぁ? これだから夕貴ちゃんは――」

「うるせえっ! さっきからなに言ってんだよ、てめえは!」

「やっと反応したわね。それにしても、夕貴に好きな女の子がいたなんてね」

「べつに好きなわけじゃねえよ。ただ憧れてるだけだ」


 まあ俺は今年十九歳で、菖蒲ちゃんは今年で十六歳だから、交際するとなると犯罪の恐れが出てきてしまうわけだけど。


「ふーん、まあ写真集を買うぐらいだものね。筋金入りのファンってことなんだ、夕貴は」

「ああ……って、おまえと話してるうちに番組が終わっちまったじゃねえか!」

「ほんとだ。きっと、わたしがチャンネルを変えたときにはもう番組終了間近だったんでしょうね」

「そんな冷静な考察はいらねえよ……」


 高臥菖蒲のテレビ露出は珍しいのに……。

 もっとちゃんと見ておけばよかったなぁ……いや、むしろ録画しときゃよかったかも。

 まあ後悔しても遅いか。あとで菖蒲ちゃんのファースト写真集でも見て元気を出そう。

 とにかく今は、もっと大事な話があるんだ。……もちろん菖蒲ちゃんも大事だけど。


「なあナベリウス。そろそろ話を聞かせてくれよ」


 ここからは真面目な話だと、俺はテレビを消した。

 お茶請けのどら焼きを頬張っていたナベリウスは、口をハムスターのように膨らませながら「むご?」と何とも間抜けな反応をした。

 なるほど、実に締まらない。

 むぐむぐ、とどら焼きを咀嚼したナベリウスは、唇を舌で舐めたあと紅茶を口に含んだ。


「まあ別にいいけどね。わたしは元から何も隠してないし。でも、大して面白い話でもないわよ?」

「構わない。俺は真実が知りたいんだよ」

「わーお、かっこいい台詞――とか言うと、また夕貴に怒られそうだから言わないけど」

「いや、それもう言ってるから」

「そこを気にしちゃったら男らしくないわよ」


 そ、そうだったのか。

 くそっ、危ないところだった。もう少しで俺が女々しい男だと勘違いされるところだったじゃないか。


「まあ、確かに夕貴には、真実を知る権利があるかもね。もう隠し切れないだろうし」


 そう前置きして、ナベリウスは続けた。


「どこから話したものかなぁ……あっ、ちなみにわたしは本物の悪魔だからね? ソロモン72柱だからね? ナベリウスちゃんなんだからね?」

「それはもう分かってるよ。むしろ、あんなもん見せられたら信じるしかないだろ」


 絶対零度の世界。

 あれこそがナベリウスの力であり、彼女本来の姿。

 銀髪銀眼という人間離れした容姿は、悪魔という種族ゆえの身体的特徴だったということになる。いや、どうりで人間離れした美貌だと思った。もちろん本人には言わないけど。


「そのとおり! ふっふっふ~、わたしは凄いのよ。見直したでしょ?」


 腰に手を当てて、ご立派な胸を張るナベリウス。そのうち鼻が伸びそうなぐらい威張っていた。


「はいはい、見直した見直した。だから最初から全部教えてくれ」


 投げやりに同意すると、ナベリウスは「なーんか気持ちが篭ってないなぁ。まあいいけどー」と面白くなさそうに唇を尖らせた。


「じゃあ、まずは《ソロモン72柱》について話そうかな――」


 かつてソロモン王が使役した72体の大悪魔。

 その絶大な力を警戒したソロモン王によって封印された彼らではあるが、やがてバビロニアの人々によって解き放たれ、世界中に散らばっていったらしい。


「その中の一柱がわたしってわけ。どいつもこいつも面白いぐらい自分勝手なやつばっかりでね。封印を解かれた《ソロモン72柱》の悪魔たちは、世界各地に潜伏して勢力を築いたり、歴史の裏で悪魔祓いの連中と殺し合いを続けたり、人間と恋に落ちて子供を産んだりもしたのよ」

「なるほど。ちなみに他人事みたいに言ってるけど、おまえも最強に自分勝手だからな?」

「えっ、嘘でしょ? わたしって貞淑でおしとやかな女性だよね?」

「その間逆だろうが。ある朝、人のベッドに裸で添い寝してた女がなに言ってんだよ……。つーか、それで思い出したけど、どうして俺のベッドに潜り込んだんだ?」

「……いやん」

「頬を赤らめんなっ! 身体をくねくねさせんなっ!」


 ルックスがいい分、無駄に似合っててちょっぴりドキドキするじゃねえか!


「まあ、わたしが夕貴の元にやってきた理由は単純なんだけどね」

「単純なのかよ。今までもったいぶってたのは何なんだ。んで、なんで俺の元にやってきたんだ?」

「そうね。約束、かな」

「約束? もしかして母さんとの約束か?」

「それもあるけど、厳密に言えば違うかな」

「じゃあ誰だよ」

「夕貴のお父様との約束かな」


 …………。

 その言葉を聞いて、数瞬だけ思考が止まった。


「解き放たれた《悪魔》たちは、各地に散らばったって言ったでしょう? 世界各地に潜伏して勢力を築いた悪魔がいて、歴史の裏で悪魔祓いの連中と殺し合いを続ける悪魔がいて、そして――」

「……人間と恋に落ちて、子供を作った悪魔もいた」


 そうそう、とナベリウスは同意した。


「もしかして、それが俺の父さんで――悪魔と恋に落ちた人間が、俺の母さんだとでも言うつもりか?」

「そのとおり。察しがよくて助かるわ。頭の回転が速い男の子はポイント高いかもよ」


 つまり俺の推論が正しければ、萩原夕貴は純粋な人間じゃなくて、悪魔とのハーフってことになる。


「ソロモン72柱が一柱にして、序列第一位の大悪魔バアル。かつて魔神とさえ謳われた彼は、しかし人間をこよなく愛する風変わりな悪魔だったわ。その結果、当時は女子高生だった夕貴のお母様、小百合さゆりと恋に落ちたのよ。いやぁ、あれはロマンチックな逃避行だったなぁ。バアルに付き従っていたわたしも、巻き込まれる形で一緒に逃げたものよ」


 ……マジかよ。

 そういや母さんが「私も若いころは運命的な出会いをして、ロマンチックに駆け落ちしたものよ」とか言ってたな。その駆け落ちのせいで実家と絶縁していた母さんではあるが、数年前にようやく許されて交流が復活したのだ。


「まあ分かりやすく言うと、わたしが夕貴の元にやってきたのは、夕貴がバアルの息子だからってことになるかな。バアルと小百合の子供は、わたしの子供みたいなものだしね」

「そっか――いや待て。一万歩譲って、その荒唐無稽な話を信じてやるとしてもだ。なんでおまえは、裸で添い寝してたんだ?」

「……いやん」

「だから頬を染めて身体をくねくねさせんなっ!」 


 これが定着したら嫌だなぁ!

 俺のツッコミを華麗に無視したナベリウスは、紅茶をずずっと飲んだ。


「いやぁ、ごめんごめん。あまりにも夕貴が面白い反応をしてくれるものだから、つい遊んじゃった」


 つい、じゃねえぞこの悪魔……。

 まあ反論するのも時間の無駄なので、あえて耐えるけど。


「理論的に説明すると小難しい話になるから、夕貴にも分かりやすく説明するとね――」


 それから彼女は色々な話をしてくれた。悪魔のこと。父さんのこと。Dマイクロ波と呼ばれる波動と、《ハウリング》と呼ばれる異能のこと。


「……なるほど。大体は理解はした。でも納得は出来そうにないな」

「それでいいのよ。こんなのわたしたちを目の敵にする連中が、勝手に研究しただけの理論に過ぎないんだから。なかには科学では説明できないような異能を持つヤツもいるしね」


 ナベリウスが言うには、そのDマイクロ波の秘密とやらを研究して、悪いことに使おうとする人間たちもいるとのこと。


「バアルはね、小百合のことを本当に愛してたわ。というより人間のことを愛してたのかな。最強の悪魔だったくせに、とてもそうは見えなかった」

「…………」

「バアルは悪魔の中でも別格の能力を誇っていたわ。でも封印から解き放たれた悪魔たちは、それぞれの勢力に分かれて殺し合いを始めたからね。いわゆる闇の権力争いってやつかな? とにかく、それが嫌でバアルは野に下った。もちろん各勢力は、バアルを必死に探していたみたいだけど――だからこそ、わたしは夕貴の元に来たの。だって夕貴の身体には、半分とは言え最強の悪魔の血が流れているんだから。誰に狙われないとも限らないでしょう?」

「狙われるって……そんなの今までなかったぞ」

「今までなかったからと言っても、これから無いとは限らないでしょ? 大丈夫よ、わたしが夕貴を護ってあげるから。それに――」


 一瞬だけ悲しそうに目を伏せたあと、ナベリウスは首を振って、言った。


「バアルは、夕貴が生まれることを心から楽しみにしてた。自分に何かあれば、この子を護ってやってくれ、とわたしに約束させたの」

「……そっか」


 父さんの顔なんて見たことがなかったし、俺と母さんを置いて一人で逝った父を恨んだことさえある。

 でも、どうしてだろう。

 会ったことも、話したこともないのに。

 どうして、こんなにも嬉しいんだろう。


「でもね、バアルの血を引いていることの悪影響は、すでに出ちゃってるのよね」

「悪影響? ……それって、まさか」

「ご明察。低級悪魔であるオドに魅入られた櫻井彩が、夕貴を理由もなく殺そうとした原因はそれよ。まあ理由がないのは表向きだけで、実はあったんだけどね」


 低級悪魔であるオドは、より上位の悪魔を盲目的に欲するという。共食いでもして力を高めようというのだろうか。

 序列第一位の大悪魔であるバアル。その血を引く俺は、オドにとっては最高の餌に見えるらしい。


「本来、悪魔は極東に位置する日本よりも、欧州とかのほうが分布的には多いんだけどね。それだけ彩ちゃんが心に負った傷は、オドにとって美味しそうに見えたのかな」


 俺には専門的な話はよく分からないので、ナベリウスの言っていることの大部分が理解できなかった。

 一人でぶつぶつと小難しい単語を口走る彼女を見ていると、ふいに思い出すことがあった。


「そういえばおまえ、俺が河川敷に移動する前、公園のあたりにいなかったか?」

「あぁ、いたわね。そういえば」


 あっさりと肯定するナベリウス。

 彩のためにミネラルウォーターを買いに行ったとき、視界のすみに銀色の髪が見えたのだが、あれは見間違いじゃなかったらしい。


「やっぱりいたのかよ。じゃあもう一つだけ聞くけど、おまえがその気になれば、もっとはやく俺を助けることができたんじゃないか?」

「うん、できたけど――ただ、わたしが手を出さなかったのも、ちゃんとした理由があるのよね」

「理由? どんな?」

「夕貴がピンチになると《悪魔》の血が目覚めるんじゃないか、と思ってたのよ。だからギリギリまで傍観に徹してたんだけど」

「そんな三流ヒーロー物みたいな都合のいい展開があってたまるか……」

「もしかしたらあるかもしれないでしょ? まあ実際にはなかったわけだけどね。やっぱり夕貴は……」


 とかなんとか、またしても一人でぶつぶつと意味不明なことを呟くナベリウスだった。

 あの夜、奇跡的に彩は助かった。

 絶対に助からない、と予想していたナベリウスは心底驚いていたようだったが「まあ夕貴だし、アリかな」と意味の分からないことを言って、一人で納得していた。

 彩を助けたいと願って彼女を抱きしめたとき、聞こえてきた耳鳴りは一体なんだったのだろうか。

 ……いや、それよりも他に考えることがある。

 櫻井彩は、命を拾った代償として、ここ一ヶ月ほどの記憶を失ってしまった。つまり大学に入学してからの人間関係がリセットされたということだ。勉学のほうは、まあ学校は始まったばかりなのだから、まだ追いつけるレベルだろうが。

 彼女は、人を殺したことも、俺と出会ったことも、ナベリウスと殺し合ったことも、夕貴くんが好きだと言ってくれたことも、そのすべてを忘れていた。

 でも、それでいいと思った。

 あんな辛い出来事なんて、忘れ去ったほうがいいのだ。絶対に。

 彩は人を殺したが、それも俺が黙っていれば、事実は誰にも知られることなく、彩は幸せな生活に戻れる。

 ここで問題があるとすれば、それは殺された人たちの死を俺が背負えるかということだ。たかが一介の大学生に過ぎない俺にとって荷が勝ちすぎているとは思う。

 正直、耐えられる自信は、ない。


「……ねえ夕貴。無理しなくてもいいのよ?」


 ナベリウスは言う。俺のために言ってくれる。


「あなた一人ですべてを背負う必要は――」

「あるよ」


 こればかりは譲れない一線だ。

 人間社会のことを考えるなら、殺人事件に怯える街の人たちのことを考えるなら、彩が人を殺したという事実を警察に伝えるべきだろう。いくらオドとかいう低級悪魔に操られていたとは言え、それは科学的に証明できることじゃないので酌量の余地には入らない。

 だから彩は、俺やナベリウスから見れば無罪でも、人間社会という一つの集団から見れば限りなく有罪なんだ。

 でも。

 それでも。

 彩は言ったんだ。

 お母さんが大好きだって、そう言ったんだ。


「ナベリウス。俺はさ、男らしいんだよ」

「そんなの今は関係ないでしょう?」

「いや、関係あるね」


 当たり前だろう。

 こんなの考えるまでもない。


「男らしいやつは、可愛い女の子の秘密をチクったりしねえんだよ」


 そうだ。

 例え、櫻井彩が萩原夕貴のことを忘れてしまったとしても。

 何かの拍子に、彩が殺人事件のことを思い出してはいけないから、もう俺と彩は極力近づかないほうがいいのだとしても。

 それでも俺は、彩の秘密を背負う。

 悪魔のことも、ナベリウスのことも、俺のことも、果てには殺された人のことも関係ない。ただ、お母さんが大好きだ、と彩が笑ったという事実があれば十分。それだけで俺は頑張れる。

 彼女の家庭問題も気になるところではあるが、それはさすがに俺の管轄外だろう。あとは彩自身がどうにかする、と信じるしかない。

 とにかく、これで全ては終わったのだ。

 いちおうの結末を迎えたのだ。

 決してハッピーエンドとは言えないが、それでもバッドエンドじゃなかったから、俺は良しとしようと思うのだ。


「……母さんに電話してみようかな」


 なぜか無性に、母さんの声が聞きたくなってしまった。

 もう大好きな母親と会うことのできない女の子も、この世には確実にいるのだ。だから『母親と会えるのは当たり前』という概念は捨てるべきだ。失って初めて大切なものに気付くのだけは嫌だから。

 願わくば、この世にいるすべての『子供』が、『お母さん』と仲良くいられるようにと祈りたい。

 それから俺は、実家にいる母さんに電話をかけた。

 もしもし、というお決まりの文句のあとに続けたのは、『長生きしてくれよ』と『俺は大丈夫だから』という二つの言葉。

 ……実は、もう一つだけ続けた言葉がある。

 それは。


「えっと……母さん、俺が悪魔の息子って本当なの?」



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