最後のひととき
僕は毎日、いじめられていた。
机には落書き。
さらに、上履きはなくなる。
廊下を歩けば、後ろから笑い声が聞こえる。
「おい、暗いやつ来たぞ」
クラスの高木がそう言うと、周囲のクラスメート達が笑った。
僕は何も言い返せなかった。
家でも学校でも、ずっと息苦しかった。
ある日の帰り道。
雨を避けるために入った古びた骨董品屋で、僕は一体の日本人形を見つけた。
棚の奥に置かれた古い人形だった。
白い顔。
長い黒髪。
赤い着物。
不気味なのに、なぜか目が離せなかった。
「その人形、買うのかい?」
店の老人が静かな声で僕に尋ねた。
「願いを叶える人形だよ」
「……いじめられなくなる願いも?」
僕は思わず聞いた
老人はゆっくり笑った。
「最後に、幸せな夢を見せてくれる」
意味は分からなかった。
でも、僕は人形を買って帰った。
その夜。
机の上に人形を置きながら、僕は小さく人形の前で呟いた。
「もう……いじめられたくない」
すると、次の日から、世界が変わった。
高木たちは僕をからかわなくなった。
逆に僕に気を遣うようになった。
「お、おはよう……」
怯えた顔で話しかけてくる。
それが気持ちよかった。
そして、数日後には、僕はクラスの中心にいた。
「高木、ジュース買ってこいよ」
そう言うと、高木は黙って従った。
周囲も笑っていた。
僕は初めて、“強い側”になれた気がした。
毎日が楽しかった。
けれども、少しずつ変なことが起き始めた。
先生が僕を見ない。
授業で当てられない。
廊下ですれ違っても、誰もぶつからない。
体育の時間、出席を取られない。
それでも僕は気にしないようにした。
せっかく幸せになれたんだから。
金曜日の放課後。
暗い校舎の階段を降りていると、踊り場にあの日本人形が立っていた。
学校に持ってきた覚えなんてない。
なのに、人形はじっとこちらを見ていた。
そして、小さな声で言った。
「どうでしたか?」
人形の唇がゆっくり動く。
「最後のひとときは。」
すると、人形は背を向け、階段を降り始めた。
僕もなぜか、その後を追ってしまう。
昇降口を抜ける。
雨の匂いと冷たい風。
気づくと、知らない建物の前に立っていた。
そこは、静かな葬儀場だった。
中から泣き声が聞こえる。
白い花。
線香の匂い。
人形は、そのまま葬儀場の中へ入っていく。
僕もゆっくり後を追った。
祭壇の中央に、一枚の遺影が飾られていた。
僕だった。
笑顔の僕の写真。
一瞬、意味が分からなかった。
母親が泣いている。
「どうして気づいてあげられなかったの……」
父親も黙ったまま俯いていた。
クラスメイトたちも並んでいる。
「最近、様子おかしかったよな……」
「まさか死ぬなんて……」
高木の声が震えていた。
その瞬間。
脳裏に、忘れていた記憶が流れ込んできた。
放課後の屋上。
灰色の空。
冷たい風。
フェンスの向こうを見下ろしている自分。
「もう嫌だ……」
涙で滲む景色。
震える足。
そして――。
足を踏み出す感覚。
そこで、僕はようやく思い出した。
僕は、あの日。
いじめを苦に、自殺したんだ。
人形がこちらを見上げる。
白い顔のまま、小さく笑っていた。
「あなたは、幸せになりたかった。
だから、願いを叶えてあげたのです。」
僕は何も言えなかった。
ただ、自分の遺影を見つめていた。
母親の泣き声が遠く聞こえる。
白い花の匂いが漂う。
人形は静かに葬儀場の奥へ歩いていく。
僕も、その後を追う。
しかし、誰も僕に気づかなかった。
その瞬間。
僕の身体は、煙のように静かに消えていく。
――僕がいじめっ子だった数日間
あれは、死ぬ直前に見ていた、最後の夢だった。(終)




