常緑塾に行こう
「えっと、どこに行くんですか?」
「常緑塾栗江校。能力者の瀬革蓮希とコンタクトを取る。戦り合うことはないだろうし、その重そうなギターケースは置いていけ」
俺は言われた通りに財布とスマホだけをズボンのポケットに入れて、学校を出た。
部室に荷物を置くと云う行為は、俺が憧れていた高校生活の一つだ。
しかも時期がよく、長期休暇中に教室に置いておけないプリント類を部室にほっぽっておくと云う青春染みたこともできてしまう。
俺は軽音楽同好会にも所属しているが、同好会には部室が与えられないのだ。
2026年7月20日午後1時は、本来猛暑が照りつける時刻だったが、幸いなことに曇り出していた。
「よくよく考えたらさー、テストが終わった日から塾に行くってさー、瀬革って人、優等生すぎない? 同じ高校2年生とは思えない」
学校から住宅街の方面へくねくねと下る道を、道よりうだうだと蛇行しながら好里先輩は言った。
常緑塾は冬でも葉を落とさない常緑樹にあやかって名付けられた、大手の塾だ。
決してレベルの低くない入塾テストは、常緑一浪と云う言葉を生み出すほどで、そこに2年生から在籍していると云う瀬革さんは相当な努力家なのだろう。
「もうちょい気楽な話をしようぜ。あと15分くらい歩くんだし。折角なら白鉄の話を聞きたい」
「いや、俺は別にいいっす」
俺が馴染めるようにと云う猿渡先輩の心掛けを、俺は断った。
もう一度コーナーを曲がれば、海が見えるのだ。
8月9日に栗子が来ることを知った今なら、普段と違う景色が見えるかもしれない。つまりは、第一印象なのだ。
人生で初めて東海道新幹線に乗った人にとっての、車窓から見る富士山の様なものなのだ。
「俺は静かすぎるのが嫌いなんだよー。殊更にこんな大人数でいるって云うのにさー。白鉄ー、異能名だけでも教えてくれよ!」
猿渡先輩はそう言うが、俺は大人数で黙々と進むことは好きだ。
同じ目途を見据えながら各人がそれぞれ異なる思案に更けり、好きなように進んでいくと云うことも、俺が憧れる高校生活の一つだ。
「絶対に俺の異能名の方がダサいからさー、こっそり俺にだけ言ってみろよ」
猿渡先輩は俺の黙殺に食い下がった。
「じゃあ私のもダサいから先に言うねー。異能名は、『メタボリック』。メタボね、メタボ。でも一応理由はあってー、私の異能は成人している人を動けなくさせられるのー。生活習慣病みたいでしょ〜」
なるほど、と感心のあまり声に出しそうになった。
好里先輩のふわふわした口調からメタボと云う言葉が出てくるのは不思議な感じがした。
「待て待て、俺の方がダサいだろ。『フェイダウェイ』だぜ、『フェイダウェイ』」
猿渡先輩は例の式神?を出した。
フェイダウェイと云う名前だけではどう云う異能か判別つかない。
そもそも「フェイダウェイ」が何か分からない。
語感は恐ろしく良い。
fade away……段々遠ざかるみたいなニュアンスなのだろうか?
ハードルがこれ以上上がる前に、俺も自分の異能を発表しておきたくなるはずだった。
「……そう言えば俺、自分の異能に名前を付けてないですね」
「まじ?! そんなこと……まあ、二・三回しか異能を使ったことがないならありえるか……」
今までは漠として"ギターでもライフルでもないもの"と呼称していたが、軟式吹奏楽部で活動していく上ではもっとスマートな名前が必要になってきそうだ。
「それなら一つ、案があるんだけど……」
潮戸先輩は切り出した。
「白鉄は公園で普通のギタリストのフリをしていた。つまり、ギタリストを騙っていたって云うわけだ。だから『騙リスト』って云う名前はどうだ? もちろん"騙"は漢字な」
ペース鳴カーといい、潮戸先輩の命名には片仮名の例に漢字を挿入すると云う独自の指向性があるようだ。
その拘りや、他人が考案した名前を一生物にすると云うことに対するちょっとした拒絶を含めても、『騙リスト』は綺麗にまとめられた良名だと感じた。
「いいですね、『騙リスト』! これからは自分の異能をそう呼ぶことにします!」
俺は益々、自分の異能で活躍したいと云う気概に溢れてきた。
しかし、自分の異能が輝くときが来るのならば、そのときは――俺は人に対して異能を使ったことはないことをもう一度ここで注釈しておくが――流血沙汰は避けられないだろう。
自分の異能は結構有能だと漫画脳で考えていたが、活躍の機会はないかもしれない。
さて、十五分の徒歩移動は最終盤に差し掛かっていた。
団地の中の細い道――曲がりくねった鉄柵で車が入れないようになっているので部外者が通っていいのかと躊躇してしまう――を抜ければ、緑地に白文字の常緑塾の看板は目の前だ。
事前に待ち合わせの連絡をしていたのだろうか、塾舎の前で西欧風の峭刻とした顔立ちの人物がきょろきょろしていた。
しかし、潮戸先輩が話し掛けたのは、左手から走ってくる、黒縁ハーフリムの眼鏡の人物だった。
「瀬革くーん」
「え、潮戸さん?! 灯里も……な、何の集団?」
爪先を塾の入口の方に向けながら、瀬革蓮希は早口で言った。
この様子だと特にアポは取ってないらしい。
瀬革さんはフェイダウェイを見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに真顔に戻った。
「ごめん、これから塾だから明日でもいい? 明日学校で……ああ、明日から休みだった。えーとどうしよう……」
「ごめん急に押しかけて。要件は後で送っとくから都合がいいときに見て」
灯里先輩が言い終わらない内に「ありがとう」と早口で言い、瀬革さんは塾に入っていった。
2026年7月20日の午前1時22分、慌ただしかった割に進展は少なく、今日の部活動はお開きになった。
帰り際に振り返ると、塾の入口の前で瀬革さんと西欧風の男が何か喋っていた。
学校に戻って帰り支度をしているときに、
「さっきの人はイラ=メルヴィル。アメリカからの留学生で、七月中は栗江にいるらしい。同じ2年2組で英語と体育と家庭科は一緒に授業を受けてるんだけど、僕は瀬革と違って英語が苦手すぎるから、一度もちゃんと話せなかった」
と、灯里先輩は恥ずかしそうに俺に教えてくれた。




