紅糸さんに異能はない
「栗子を売るアテはあるんですか?」
俺は人生で一番、心の向く方に進んだ。
リアリストになって熟慮してみると、栗子が生存しているかどうかや千年きっかりに帰ってくるのかなど、問題は山積みなことが分かったはずなのに。
熱に当てられた、とでも言うべきなのだろうか。
昨今の地球温暖化で梅雨はショボくなってきていたが、荒南風はここに吹いていたのだ。
「この街にいる婦照暁雄と云う生物学者に売る」
潮戸先輩は断言した。
「生物学者?」
「うん。日本人を"ヒト"と云う生物の観点で研究されている先生で、民俗学にも造詣が深い方だ。千津大学で教鞭を執っているし、J-STAGEで調べれば論文も読める。エセ科学者じゃないことは証明できる」
なるほど、もし伝承の通りに帰還したのなら、栗子は架空の青年ではなく千年前の日本人の資料だ。
結局のところ、人間が導かれるのは、好奇心があるからだ。
光る何かを沖合で見つけた栗子の様に、軽い好奇心で軟式吹奏楽部に入った俺の行いが誰かの琴線を揺らすのは、想像よりもっと後の時代になってからなのかもしれない。
俺の理由のない決断に理由が生まれるのは、千年後になるのかもしれない。
そんなことを考えていると、コンコン、と扉が鳴らされた。
「あの……さ、さっき、先程、通りがかりの人に、この部屋に行ってくれって言われて…………その、よく分からないまま来てしまったんですけど……」
開けた扉にしがみついたまま、目を泳がせ続ける彼女は見知った顔をしていた。同じクラスの紅糸紬さんだ。
クラス内の自己紹介でも、クラスメイトの中に自分のドッペルゲンガーがいるのか疑うくらいおどおどして話していた――彼女に対する印象はそれだけだ。
「あ、白鉄さん……」
向こうも気付いたようで一瞬顔を綻ばせたが、またすぐに眉尻を下げ、目を泳がせた。
名前を知っているだけで話したこともないクラスメイトでは、安心材料にはなり得ないのだろう。
こちらとしても、話しかけられたがっているくせに話しかけ辛い態度をとっている人に優しさや憐憫を寄せたくない。
扉の近くに強面の大男がいると云うのも恐怖の一因になっているのだろう。
しかし、この状況を和らげたのは、意外にもその強面だった。
「君に声を掛けた人ってどんな見た目だったか覚えてる?髪色とか」
「……あ、白でした。銀って言った方がいいんですかね……?と、とにかく、そう云う色味の髪で……じ、女子でした……!」
それを聞いた途端、強面の人は紅糸さんに向かって土下座をした。
「うちの部員が大変迷惑をおかけしました。ごめんなさい。その人はくだらない悪ふざけをするタイプの人なんです。この部屋に行け、と云うのも、ただのしょうもない嘘です。本当にごめんなさい。俺達からも強く注意しておくので、今後その人に見つかったら逃げてください」
潮戸先輩も途中から土下座をしだした。
それに紛れて、こっそり腕時計を紅糸さんに向けて飛ばしていた。
紅糸さんは急に頭を下げられて困惑していたが、「失礼しました」と言葉だけを置いて、この場から逃げた。
白い髪の女子……この部室にいる人以外の部員もいるようだ。
それも、今の話を聞くに、結構厄介な性格らしい。
ダル絡みをしてくるタイプなら関わりたくない。もし見かけたらさりげなく避けることにしよう。
栗江B高校は髪を染めるのは許可証さえ出せば可能なのだが、いかんせんその手続きが恐ろしいほどに面倒くさいため、実際に染めている人は少ない。
件の白髪の部員が誰なのかはすぐに分かるだろう。
「紅糸さん……さっきの人、同じクラスの紅糸さんって云うんですけど、帰すんですね。勧誘するのかと思いました」
「あの子は異能を持ってないからね。さっき俺が腕時計を飛ばしたの気付いた?実は操れる腕時計は二種類あって……」
潮戸先輩は腕をクロスさせて、その二種類を見せつけてきた。
一つは文字盤の周りやバンドの部分が白いもの――俺に巻き付かせた奴だ。
そしてもう一つはそれの色違い、黒バージョンだ――個人的にはこっちのデザインの方が格好良くて好きだ。
「白い方は能力者にしかくっ付かない。黒い方は何にでもくっ付く。それ以外の性能は変わらないから、白は異能を持っているかどうかの判別がメインの用法だ。俺はこの異能をペース鳴カーと呼んでいる。"鳴く"って書いて鳴カーだ」
「だから俺が能力者だって分かったんですね」
「話が速いな新入り!」
強面は心底嬉しそうに叫んでスマホを出した。
「デキる奴が加入すんなら特大歓迎だ。LINEグループあるから招待するよ。俺は猿渡躍。そこでスマホゲーしてるのが灯里椎杜。ソファーを陣取ってる女子二人が好里芭那と堂藤世々子。背が高い方が芭那」
「背が高い方でーす」
チョコを餌付けしていた方が手を挙げた。
と云うか、二人は姉妹ではなかったのか。
俺はLINEのグループを見て、一つ質問した。
「軟式吹奏楽部って何ですか?」
アイコンは三つの靴が中心を向いたものだ。
猿渡さんは苦虫を噛み潰す様な顔で答えた。
「それはその……齋藤って云う部員が深夜ノリで考えたって云うか……身内ネタ? まあ、身内も何がしたいのか理解できてないんだけど……。とにかく、齋藤って奴のユーモアなんだよ。アイコンだってそいつが一人で左右違う靴を履いて内股になって撮った奴だ。爪先しか写ってない靴は角度を合わせて置いたって言ってた。誰もそんなことを頼んでないのに」
齋藤さん……今部室にいないと云うことは幽霊部員なのだろうか?
偶々今日は集まりが悪かっただけで、要注意人物が二人所属しているようだ――こう云う場合、最早集まりが良いと言った方が的確かもしれない。
「あ、齋藤って云うのはさっき話題に挙がった白髪の女子のことね。最近忙しくて部に来れてないけど、いつか会うことになるだろうから、そのときに紹介するね」
潮戸先輩は俺に耳打ちした。
なるほど、超の付く危険人物が一人いると云うことらしい。




