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魔法の代償

作者: トミヤマ
掲載日:2026/01/30

序章 憎悪の芽生え

 誰かを殺したいほど憎んだことはあるだろうか。

 私はある。


 ──山本綺羅理(やまもときらり)


 キラキラした名前とは裏腹に、あいつの中身はドロドロしている。表面は輝いていても、その内側は腐った泥のように淀んでいる。美しい包装紙に包まれた、腐臭を放つ何か。それが山本綺羅理という存在だ。


 あいつだけは絶対に許さない。


 この言葉を、私は毎晩寝る前に心の中で繰り返す。まるで呪文のように。いつしかそれは私の一部になった。憎しみは私の血肉となり、骨となり、私を内側から支えている。




第一章 カーストの頂点

 クラスにはカーストというものが存在する。


 それは目に見えない階層構造だ。誰も明文化していないし、公式に認められているわけでもない。でも、確実に存在する。教室に入った瞬間、空気を読めば分かる。誰が上で、誰が下か。誰の言葉が重く、誰の言葉が軽いか。


 山本綺羅理は、当然の如くカースト上位に君臨している。


 いや、上位というより頂点だ。ピラミッドの最上部に立ち、下界を見下ろす女王のように。

 彼女の周りには常に取り巻きがいる。佐々木、工藤、田中。三人とも綺羅理の言葉に従順に従う、忠実な犬のような存在だ。


 彼女の言葉に、クラス全員が頷く。


 「今日の体育祭の練習、マジだるくない?」綺羅理がそう言えば、クラス中が「だるいよねー」と同調する。「放課後カラオケ行こうよ」と言えば、「いいねー」と賛同の声が上がる。綺羅理が黒と言えば白も黒になる。そういう絶対的な力を、彼女は持っている。


 私はカースト最下位。

 つまり、山本綺羅理にとって、私はゴミ虫以下の存在なのである。

 いや、ゴミ虫ですらないかもしれない。ゴミ虫は少なくとも視界に入る。でも私は、彼女の視界にすら入らない。透明な存在。空気よりも薄い何か。


 たとえ事務的な会話であっても、私と話すことは彼女にとって屈辱的な行為のようだ。

 同じクラスである以上、話をしなければならない場面もあるのだが、彼女とその取り巻きたちは私を無視する。


 掃除当番の確認、提出物の回収、グループ分けの連絡。どんなに必要な会話でも、彼女たちは私の言葉を聞かない。聞こえていないふりをする。私が何度声をかけても、彼女たちは私の方を見ることすらしない。


 私の存在など無いように接する。

 まるで私が幽霊であるかのように。いや、幽霊の方がまだマシかもしれない。幽霊なら怖がられる。でも私は、怖がられることすらない。ただ、無視される。


 それだけならまだいい。

 私はそれに慣れている。小学生の頃からずっとそうだった。目立たない、影の薄い、クラスの隅にいる子。それが私だった。だから、無視されることには免疫がある。


 でも。

 私の友達、前田結海(まえだゆうみ)に対してもそうだ。

 山本綺羅理は、結海を傷つけた。

 私はそれを絶対に許さない。




第二章 消えた光

 中学二年生の二学期。

 結海は突然学校に来なくなった。


 九月一日。夏休みが明けて最初の登校日。結海の席は空いていた。


 九月二日。まだ空席。

 九月三日、四日、五日。結海は来ない。

 連絡も取れない。


 LINEを送っても既読がつかない。電話をかけても出ない。留守番電話に何度もメッセージを残したが、折り返しの電話はなかった。


 一学期の終わり、結海が山本綺羅理に呼び出されていたことは覚えている。


 七月十九日。終業式の前日。午後の授業が終わった後のことだ。


 山本綺羅理が、結海の机の前に立った。普段なら私たちには見向きもしない綺羅理が、わざわざ結海に話しかけに来た。その時点で、何か嫌な予感がした。


 「前田さん、ちょっといい?」


 綺羅理の声は、いつもの取り巻きたちに向けるものとは違っていた。冷たく、有無を言わせない響きがあった。


 「放課後、体育館裏に来て。話があるから」


 それだけ言うと、綺羅理は踵を返した。

 心配になった私は、「結海、大丈夫?一緒に着いて行こうか」と言ったが、彼女は首を横に振った。


 「一人で来いって言われてるから」


 結海の声には、諦めのようなものが混じっていた。まるで、これから起こることを予測しているかのように。


 「でも──」

 「大丈夫。すぐ終わるよ、きっと」


 そう言って、結海は微笑んだ。でもその笑顔は、どこか悲しげだった。


 私たちと言葉を交わすことをゴミのように嫌っている山本綺羅理とその取り巻きたちが、よりにもよって、結海を体育館裏に呼び出した。

 何のつもりなのか。


 私は気になり、こっそり結海の後を着いていった。結海が心配だったのだ。


 放課後の校舎は静かだった。部活動に向かう生徒たちの声が遠くから聞こえる。私は結海から十分な距離を取りながら、影に隠れるように後をつけた。


 体育館の裏側は、校舎の死角になっている。先生たちの目も届かない。何かあっても、誰も気づかない場所だ。


 遠くから見ていた私は、彼女たちが何を話しているのかはよく聞こえなかったが、綺羅理から何事かを言われた結海が、綺羅理から小突かれ、地面に倒れた。


 その光景を見て、私の体は凍りついた。

 動かなきゃ。助けなきゃ。

 頭ではそう思っているのに、体が動かない。足が、まるで地面に縫い付けられたように動かない。


 綺羅理と取り巻きたちは、地面に倒れた結海を見下ろして、何か言っている。その表情は、遠くからでも分かるほど歪んでいた。嘲笑。軽蔑。そして、何か暗い喜びのようなもの。


 結海は立ち上がろうとしたが、また誰かに押された。


 そして、笑い声。

 綺羅理たちの笑い声が、夕暮れの空気を切り裂いた。


 何もできなかった。そんな自分にも腹が立った。


 結局、私は最後まで隠れたまま、何もできなかった。結海が一人で帰るまで、ずっと物陰に隠れていた。臆病者。卑怯者。最低な友達だ。


 その日の夜、結海にLINEを送った。


「今日、大丈夫だった?」


 既読はついたが、返信は来なかった。




第三章 奇跡の友情

 結海はかわいい。


 それは客観的な事実だ。誰が見てもそう思うだろう。長い黒髪、大きな瞳、整った顔立ち。笑うと小さなえくぼができる。背は高くないけれど、スタイルがいい。


 男子に言い寄られることも多い。

 廊下を歩けば振り返られる。告白された回数は、私が知っているだけでも五回以上。クラスの男子の半分以上が、結海のことを好きなのではないかと思う。


 もしかしたら、調子に乗っている、そんなことを言われたのではないか、そう思った。


 綺羅理は、自分より目立つ存在を許さない。特に、自分の領域を侵す者を。もし結海が、綺羅理が狙っている男子に好かれていたとしたら。もし結海が、綺羅理より注目を集めていたとしたら。


 綺羅理にとって、それは許しがたいことなのだろう。


 結海のようにかわいい子が、私なんかと仲良くしてくれていることが奇跡的だった。


 初めて結海と出会ったのは中学校入学初日だった。席が前後だった私は、結海に声をかけられた。


「私、前田結海っていいます。仲良くしてね」


 ──そう言われた。


 その時の驚きを、今でも鮮明に覚えている。こんなかわいい子が、私に話しかけてくるなんて。しかも、笑顔で。

 こんなかわいい子が私と友達になってくれるなんて、と思った。


 それまで私には友達がいなかった。

 小学校六年間、ずっと一人だった。休み時間は図書室で過ごし、昼休みは教室の隅で本を読んでいた。修学旅行の班決めでは、いつも余って先生に適当な班に入れられた。


 本の中に逃げ込み、クラスの隅でずっと本ばかり読んでいる影の薄い存在、それが私だった。


 物語の中では、私はヒロインになれた。勇敢で、美しく、愛される存在に。でも現実に戻れば、私はまた透明な少女に戻る。


 結海なら、クラスカースト上位にいてもおかしくない。


 ルックス、明るさ、コミュニケーション能力。全てを兼ね備えている。なのに、なぜ結海は私なんかと友達でいてくれるのだろう。


 一度、結海にそう言ったことがある。

 それは一学期の中頃、二人で放課後にファミレスでお茶をしていた時だった。


「結海って、もっと人気者になれるのに。なんで私なんかと一緒にいるの?」


 結海は困ったように笑って、こう言った。


「私、苦手なんだ。ああいうグループに入って、作り笑いを浮かべて、偽りの自分を演じることが。でも、未来(みき)の前では、自然体でいられるんだ。だから、ありがとう」


 お礼を言うのは私の方だった。

 私なんかと仲良くしてくれてありがとう。

 そう言いたかった。でも、言葉にならなかった。ただ、涙が出そうになるのを必死に堪えた。


 だから、私の初めての友達、結海を傷つけた山本綺羅理とその取り巻きたちを私は絶対に許さない。




第四章 沈黙の壁

 結海には何度も連絡してみたが、返信は一度もない。家にも行ってみたが、返答はなかった。


 結海の家は、学校から自転車で二十分ほどのところにある。古い団地の三階。何度もそこへ遊びに行ったことがある。


 九月の二週目の土曜日、私は意を決して結海の家を訪ねた。


 インターホンを押す。返事がない。

 もう一度押す。やはり返事がない。


「結海!私、未来だよ!開けて!」


 ドアを叩きながら叫んだ。でも、中からは何の反応もない。


 人の気配はする。誰かが中にいることは分かる。でも、ドアは開かなかった。


 三十分ほどドアの前で待ったが、結局、結海は出てこなかった。


 担任は、「前田はしばらく休みだ」としか言わなかった。


 月曜日の朝のホームルーム。担任の森田は、いつもの無表情で出席を取った。


「前田」


返事がない。


「前田はしばらく休みだ」


 それだけ。説明もなければ、詳細もない。まるで、どうでもいいことのように。


 職員室まで、担任に話を聞きに行った。

 放課後、私は勇気を振り絞って職員室のドアをノックした。


「失礼します」


 職員室の中は、先生たちの雑談や電話の音で騒がしかった。森田は自分の机で、何か書類を整理していた。


「あの、前田さんは、どうしてお休みなんですか…?」


 おずおずと尋ねた私に向かって担任は、煩わしそうに顔を上げた。


「お前は前田と仲が良いだろう。お前の方が知っているんじゃないのか?」


 その言葉に、私は言葉を失った。知っていたら、こんなところまで聞きに来ない。


「でも連絡が取れないんです。何かあったんでしょうか?」


 なおも言い募る私を担任は面倒臭そうにあしらった。


「なんか知らんが心の病気だとよ」


 その言い方。まるで、結海が悪いとでも言いたげな。まるで、結海が勝手に病気になったとでも。


 「心の病気」。


 その言葉は私の心に重くのしかかった。

 結海は大丈夫なのだろうか。

 大丈夫なわけがない。

 だって、学校を休んでいるのだから。


 心の病気。それは、結海の心が壊れてしまったということなのか。あの明るかった結海が。いつも笑顔だった結海が。




第五章 決意

 山本綺羅理は、結海に何を言ったんだろう。


 その疑問は、毎日私の頭の中を巡り続けた。授業中も、食事中も、眠る前も。


 私は意を決して山本綺羅理とその取り巻きたちに話しかけることにした。


 それは九月の三週目、火曜日の昼休みのことだった。


 こういう時はおどおどしてはダメだ。

 毅然とした態度で、堂々とすること。

 私は自分自身に言い聞かせた。


 鏡の前で何度も練習した。表情、声のトーン、姿勢。全てを確認した。震えてはいけない。目を逸らしてはいけない。


 でも、声は自分で思っているよりも震えた。


 「──あの、山本さん」


 綺羅理は教室の窓際で、取り巻きたちとスマホを見ながら笑っていた。


 当然の如く、無視。

 私の声など、聞こえていないかのように。彼女たちの笑い声は続く。


 「山本さん!」


 次はもっと大きな声で。


 クラス中の視線が私に集まった。でも、綺羅理たちは相変わらず無視を決め込んでいる。


 やっぱり無視。

 仲間たちとギャハギャハと下品な笑い声を立て、私なんか目に入りませんよ、という態度を貫いている。


 私の手が震える。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

 今度は肩を叩いた。


 「山本さん!」


 その瞬間、綺羅理の肩に触れた私の手を、彼女は払いのけた。まるで汚いものに触れられたかのように。

 山本綺羅理はようやく振り向いた。


 「──何?」


 酷く不機嫌な声だった。

 その目には、明確な嫌悪が浮かんでいた。虫を見るような目。いや、虫以下の何かを見る目。


 「……き、聞きたいことがあるんだけど」


 山本綺羅理は大袈裟に溜息をついて言った。


 「──ウザッ」


 取り巻きたちが、クスクスと笑った。

 それで話を終わりにしたつもりのようだった。また仲間たちとの下品な笑いに戻っていった。


 「あの、山本さん!」


 もう、見向きもされなかった。

 私は透明人間に戻った。いや、最初から透明人間だった。一瞬だけ、彼女の視界に入っただけ。そして今、また消えた。


 教室を出て、トイレの個室に駆け込んだ。そして、声を殺して泣いた。


 ねえ、結海。

 私、どうしたらいいの。

 私は、結海のために、何ができる?




第六章 闇の中の光

 その夜、私は自分の部屋で一つの決意をした。


 あいつを恐怖に陥れて、結海にしたことを白状させる。そして結海にしたこと以上の傷を与えてやる。そして私は──。


 机の引き出しから、ノートを取り出した。真っ黒な表紙のノート。そこに、私は計画を書き始めた。


 『山本綺羅理を追い詰める計画』


 最初のページに、そう書いた。


 復讐。それは甘美な言葉だった。想像するだけで、胸の奥が熱くなる。綺羅理が恐怖に怯える姿。綺羅理が泣き叫ぶ姿。綺羅理が地面に這いつくばる姿。


 でも、どうやって?

 私は非力だ。体力もない。喧嘩なんてしたことがない。直接的な暴力では、綺羅理には敵わない。


 それに、綺羅理には常に取り巻きがいる。一対一で対峙することすら難しい。


 ならば。

 頭を使うしかない。

 綺羅理の弱点は何か。私は考えた。


 一つ。綺羅理は自分の評判を何より大切にしている。クラスの女王という地位。それが崩れることを、彼女は何より恐れるはずだ。


 二つ。完璧に見える彼女にも、必ず隠していることがあるはず。


 三つ。綺羅理は、予測できないことを嫌う。いつも全てをコントロールしていたい人間だ。


 私は、綺羅理を観察し始めた。


 朝、登校してから下校するまで。できる限り、綺羅理の行動を記録した。


 誰と話すか。何を話すか。どこへ行くか。何を食べるか。


 ストーカーのように。でも、私には他に方法がなかった。


 そして、三日後。

 私は、ある事実に気づいた。


 綺羅理は、毎日放課後、誰もいない音楽室に行っている。一人で。


 これは、チャンスかもしれない。




第七章 音楽室の秘密

 木曜日の放課後。私は音楽室の近くに隠れて、綺羅理を待った。


 午後四時過ぎ。部活動の生徒たちで校舎は賑やかだ。でも、音楽室がある三階は静かだった。吹奏楽部は音楽室ではなく、別棟の音楽ホールで練習している。


 足音が聞こえた。

 綺羅理だ。


 彼女は周囲を確認してから、音楽室のドアを開けた。そして、中に入った。

 私は五分待った。それから、そっとドアに近づいた。


 中から、ピアノの音が聞こえてくる。

 ショパンの「ノクターン」。美しい旋律が、廊下まで流れてくる。


 私は驚いた。綺羅理がピアノを弾けるなんて、知らなかった。しかも、こんなに上手だなんて。


 音楽は、十五分ほど続いた。そして、止まった。


 私は慌てて階段の影に隠れた。


 綺羅理が音楽室から出てきた。その表情は、いつもの傲慢なものとは違っていた。どこか、満たされたような。穏やかな。

 人間らしい表情。


 でも、それは一瞬だけだった。廊下に出た瞬間、綺羅理の顔はいつもの仮面に戻った。


 私は、綺羅理の秘密を見つけた。

 彼女は、誰にも知られたくない自分を、あの音楽室に隠している。


 翌日。

 私は綺羅理に、一通の手紙を渡すことにした。

 いや、手紙というより、脅迫状だ。


 「音楽室での秘密、みんなに教えてあげようか?」


 それだけを書いた紙を、綺羅理の靴箱に入れた。


 私は遠くから、綺羅理の反応を見ていた。


 綺羅理が靴箱を開ける。紙を見つける。読む。


 その瞬間、綺羅理の顔色が変わった。

 青ざめて、周囲を見回す。誰が入れたのか、探すように。


 でも、私は見つからない。私は透明人間だから。


 これは、始まりに過ぎない。

 私の復讐は、今、始まったばかり。


 結海のために。

 そして、自分自身のために。

 私は、山本綺羅理という悪魔と戦うことを決めた。




第八章 エスカレートする報復

 週末が明けた月曜日。


 綺羅理の様子が、明らかにおかしかった。

 いつもは自信に満ちた態度で教室を闊歩している彼女が、どこか落ち着きがない。時折、周囲を警戒するように見回している。


 私の脅迫状が、効いている。

 その日の昼休み、私は二通目の手紙を用意した。


 「前田結海に何をしたか、知っている。体育館裏で何があったか、全部見ていた」


 今度は、綺羅理の机の中に入れた。彼女が席を離れた隙に。

 午後の授業中、綺羅理が机の中から何かを取り出そうとして、その紙を見つけた。

 顔面蒼白になる綺羅理。

 手が震えている。

 そうだ。恐怖を感じろ。結海が感じた恐怖を、お前も味わえ。


 放課後、綺羅理は取り巻きの佐々木に何か相談していた。二人の会話が、偶然聞こえてきた。


 「なんか、変な手紙が来るんだけど」

 「え、何それ。ストーカー?」

 「分かんない。でも、気持ち悪い」


 綺羅理の声には、確かな動揺があった。

 完璧な女王が、崩れ始めている。

 でも、これだけでは足りない。


 綺羅理は、もっと苦しむべきだ。結海が苦しんだように。


 私は、次の段階に進むことにした。


 火曜日の朝。

 校内の掲示板に、一枚のポスターが貼られた。


 『山本綺羅理の本性を知っていますか?』


 大きな文字で書かれたそのポスターには、こう続いていた。


 『彼女は、気に入らない生徒をいじめています。前田結海さんを不登校に追い込んだのは、山本綺羅理です』


 朝のホームルーム前、そのポスターの前には人だかりができていた。

 生徒たちがざわめいている。


 「マジで?」

 「綺羅理が?」

 「でも、証拠あるの?」


 綺羅理が登校してきた時、廊下の空気が変わった。

 いつもなら綺羅理を見て微笑みかける生徒たちが、今日は違った。

 彼女を見る目に、疑念が混じっている。

 綺羅理は、掲示板のポスターを見て、その場で固まった。


 「誰が、こんなこと……」


 呟く綺羅理の声は、震えていた。

 すぐに教師がポスターを剥がしたが、噂はもう広がっていた。


 SNSでも話題になっているようだった。クラスの何人かが、スマホを見ながらヒソヒソ話している。


 綺羅理の王国に、ヒビが入り始めた。




第九章 追い詰められた女王

 その日の午後、綺羅理は保健室に行った。


 「体調が悪い」と言って。

 でも、本当は違う。彼女は、クラスメイトの視線に耐えられなくなったのだ。


 私は、勝利を感じ始めていた。

 でも同時に、何か奇妙な感覚もあった。

 これは本当に正しいのだろうか、という疑問。


 いや、正しいに決まっている。綺羅理は、結海を傷つけた。だから、報復を受けるべきだ。


 その夜、私の携帯に、知らない番号から電話がかかってきた。


 出ると、泣きじゃくる声が聞こえた。


 「……未来、私だよ。結海」


 結海!?


 「結海!? 大丈夫なの!? 今どこにいるの!?」

 「家……。ねえ、未来。学校で何が起きてるの? お母さんが、山本さんのお母さんから電話があったって」


 綺羅理の母親が、結海の母親に連絡した。娘がいじめの加害者だという噂を否定するために、被害者とされる結海の家に直接抗議したらしい。


 「結海、本当のことを教えて。綺羅理に、何をされたの?」


 電話の向こうで、結海が深く息を吸う音が聞こえた。


 「……言われたの。『調子に乗るな』って。『お前みたいなブスが、イケメンと付き合おうとするな』って」

 「イケメン?」

 「佐藤君。綺羅理が好きな人。でも私、佐藤君と付き合ってなんかいない。ただ、夏休みの宿題を一緒にやっただけなのに」


 そうか。綺羅理は、結海を恋敵だと思ったのだ。


 「それで、体育館裏で……取り巻きの子たちに取り囲まれて。『近づくな』『消えろ』って、何度も。押されて、転んで。起き上がろうとしたら、また押されて」


 結海の声が、途切れ途切れになる。


 「怖かった。すごく怖かった。それから、学校に行けなくなっちゃって……」


 私の胸が、痛んだ。


 「ごめん、結海。私、何もできなかった。見てたのに、助けられなかった」

 「未来のせいじゃないよ。でも、ねえ……今、学校で起きてること。もしかして、未来がやってるの?」


 私は、答えられなかった。


 「未来、やめて。お願い。これ以上、事を大きくしないで」

 「でも──」

 「復讐しても、何も解決しないよ。私は、もう大丈夫だから。カウンセリングも受けてるし、少しずつ良くなってる。だから、お願い」


 電話が切れた。


 私は、部屋の中で呆然と立ちつくした。

 結海は、復讐を望んでいない。


 でも、私は。

 私は、綺羅理を許せない。




第十章 崩壊の連鎖

 翌日。

 事態は、予想外の方向に動いた。


 綺羅理が、学校を休んだ。

 そして、綺羅理の母親が学校に乗り込んできた。


 「娘がいじめられています!誰かが娘を誹謗中傷しています!学校は何をしているんですか!」


 職員室で、綺羅理の母親が怒鳴り散らす声が、廊下まで聞こえた。


 立場が逆転した。

 加害者だった綺羅理が、今度は被害者になった。


 そして、学校は動いた。

 全校集会が開かれた。



 「最近、特定の生徒に対する誹謗中傷が行われています。これは決して許されることではありません。犯人が分かり次第、厳正に対処します」


 校長の言葉。

 私は、自分の首を自分で絞めていることに気づいた。


 もし私がやったことが発覚したら、私こそが加害者になる。

 放課後、担任の森田に呼び出された。


 「お前、山本のことで何か知らないか?」

 「……知りません」

 「そうか。でもな、お前は山本に話しかけてたよな。何か恨みでもあるのか?」

 「……ありません」


 森田の目が、私を疑っている。

 部屋を出ようとした時、森田が言った。


 「復讐は、誰も幸せにしない。覚えておけ」


 その夜、私は結海の言葉を思い出していた。


 「復讐しても、何も解決しないよ」


 でも、もう止められない。

 始めてしまったことは、止められない。


 そして、翌日。

 最悪のことが起きた。


 綺羅理が、手首を切って救急車で運ばれた。

未遂。命に別状はない。


 でも、私のせいだ。

 私が、綺羅理を追い詰めた。


 私は、加害者になった。

 結海を守るためだったはずの復讐が、新たな被害者を生んでしまった。

 教室で、クラスメイトたちがヒソヒソ話している。


「綺羅理、自殺未遂だって」

「マジで?」

「誰がそこまで追い詰めたんだろ」


 私だ。

 私が追い詰めた。

 私は、自分の机に突っ伏して、声を殺して泣いた。




エピローグ 魔法の代償

 それから一週間後。

 綺羅理は学校に戻ってきた。包帯を巻いた手首。やつれた顔。

 もう、女王の面影はなかった。

 取り巻きたちも、距離を置き始めていた。


 クラスのカーストは、崩壊した。


 そして、結海も学校に戻ってきた。

 久しぶりに会った結海は、少し痩せていたけれど、笑顔を見せてくれた。


 「おかえり」


 私がそう言うと、結海は首を横に振った。


 「ただいま、じゃないかな」


 二人で、昼休みに屋上で話をした。


 「未来、ありがとう。私のために、怒ってくれて」

 「でも、私……」

 「うん。やりすぎちゃったね」


 結海は、悲しそうに笑った。


 「復讐って、魔法みたいだよね。一瞬で問題を解決してくれそうに見える。でも、実際は違う。魔法には、必ず代償がある」


 魔法。

 子どもの頃、私が信じていた魔法。


 竹箒で空を飛ぼうとしていた、あの頃。

 魔法を信じることは、美しかった。

 でも、現実に魔法を使おうとすると、必ず誰かが傷つく。


 「私たち、どうすればよかったんだろうね」


 結海が、空を見上げながら言った。


 「分からない。でも、少なくとも、こんな方法じゃなかった」


 私は、自分の手を見つめた。

 この手で、私は人を傷つけた。

 守るためだったはずなのに。


 「ねえ、未来。綺羅理さんに、謝りに行かない?」


 結海の提案に、私は驚いた。


 「謝る?」

 「うん。私たち二人で」

 「でも──」

 「綺羅理さんも、きっと苦しんでたんだと思う。誰かを傷つけなきゃいけないほど」


 結海は、優しすぎる。

 でも、それが結海なのだ。


 翌日、私たちは綺羅理の前に立った。

 放課後、人気のない教室で。

 綺羅理は、私たちを見て驚いた表情を浮かべた。


 「……何?」


 その声には、もう棘がなかった。


 「ごめんなさい」


 結海が、頭を下げた。


 「私、山本さんを傷つける原因になっちゃった」


 綺羅理は、何も言わなかった。

 次に、私が頭を下げた。


 「私も、ごめんなさい。やりすぎました」


 沈黙が流れた。

 長い、長い沈黙。


 そして、綺羅理が言った。


 「……私も、ごめん」


 小さな、小さな声だった。


 「調子に乗ってた。女王様気取りで。誰かを踏みつけることで、自分が偉くなったような気がして」


 綺羅理の目から、涙が流れた。


 「本当は、怖かったんだ。嫌われるのが。一人になるのが。だから、誰かを支配してないと、不安で」


 三人とも、泣いていた。

 加害者も、被害者も、復讐者も。

 みんな、傷ついていた。


 それから数ヶ月後。


 クラスの空気は、少しずつ変わっていった。

 カーストは完全に消えたわけではないけれど、以前ほど明確ではなくなった。


 綺羅理は、取り巻きと距離を置き、一人で過ごすことが多くなった。


 時々、音楽室からピアノの音が聞こえてくる。

今では、それを隠す必要がなくなった綺羅理は、昼休みに誰でも聞こえるように弾いている。


 結海は、完全に元気を取り戻したわけではないけれど、毎日学校に来ている。


 そして、私。

 私は、魔法を信じることをやめた。

 問題を一瞬で解決する魔法なんて、存在しない。


 あるのは、地道な努力と、対話と、許しと、時間。


 竹箒で空を飛ぼうとしていた子どもの頃の私に、今の私は何を伝えるだろう。


 「魔法はないよ」


 そう言うだろう。


 「でも、それでいいんだよ」


 魔法がない世界で、私たちは生きていく。

傷つけ合い、傷つき、それでも許し合い、前に進んでいく。


 それが、魔法のない世界での、私たちの戦い方なのだから。


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