100番目の囚人
城の地下牢は冷たく暗かった。
壁の石は湿り、空気には鉄と血の匂いが満ちている。
わたしはそこにいた。ベッドと呼ぶにはあまりにも粗末な板の上に腰をおろし、ぼんやりと天井を見上げていた。殴られた頬の腫れはまだ引かず、破れたドレスの裾は乾いた血で固まっている。
王女毒殺未遂事件の犯人——。
それが、いまのわたしの肩書きだ。
身に覚えなどない。
けれど、王城の自室から毒薬の購入書類が出てきた。侍女が証言した。
「エミリー様が瓶を隠していた」と。
それだけで、誰もわたしを信じなかった。
実父も、義母も、婚約者だった王太子も。
彼らはむしろ、待ち構えていたかのようにわたしを犯人とした。
まるで、わたしがいなくなるのを望んでいたかのように。
王城の騎士たちは「すぐに犯人が見つかってよかった」と安堵し、廷臣たちはそれを酒の肴にした。
わたしは何も言わなかった。言っても無駄だと思った。
信じてくれる者のいない世界で、言葉は風に消えるだけだ。
その夜、絶望の底で、わたしは宙を見ていた。
もう何も感じたくなかった。
光も、祈りも、意味をなくしていた。
部屋の隅の闇が、濃く、深く、膨らみ始めた。
最初は錯覚かと思った。
だが、それは確かに動いた。波打つように揺れ、形を持ち始め、やがて人の姿をとった。
わたしは悲鳴をあげかけたが、黒い影は素早くわたしの口を塞ぎ、代わりに小さな四角いものを押し込んだ。
「落ち着け。復讐をしてやる。恨んでいるだろう?」
声は低く、乾いた氷のようだった。
口の中に広がったのは、甘くてほろ苦い味。チョコレート——。
その香りが、あまりに現実的で、わたしは混乱した。
「ここにいるってことは、逆恨みだろうが、本当の恨みだろうが、あるんだろ? 晴らしてやる。望みを言え」
黒い人影がわたしを覗き込んでいた。
その瞳の奥で、炎のような金色の光が揺れていた。
「チョコレート・・・おかわり」
「それが復讐か?」
「・・・違うけど。頭が働かないから」
影が肩をすくめ、また一粒、わたしの口に押し込んだ。
舌の上で溶けていく甘さに、わたしはかすかに息をついた。
「で? お前、何をやったんだ?」
「何も」
「何も? なら、どうしてここにいるんだ?」
「冤罪。犯人がいれば都合がいいの。わたしが死ぬのも都合がいい」
「そうか」
影の声が低くなった。
石の壁を叩く水音が響いた。
「お前はここに入れられた囚人の百人目だ」
「百人?」
「ああ。俺が恨みを晴らしてやった囚人の、百番目だ。節目だな。全員に恨みを晴らさせてやる」
「いい」
「いい? 何がいいのか?」
「やり方がわからないからいい。断りのいい」
影は少し黙った。
そして、笑ったような気配がした。
「なら、やり方を教えよう。手伝おう。百番記念だ」
「・・・チョコレート」
また一粒、口に放り込まれる。
甘くて、冷たい。
心の奥の何かが少しだけ動いた。
「俺は悪魔だ。任せろ」
「いい。代償が嫌」
「代償は一つ。俺の言うことを、一度だけ聞け。それでいい。簡単だろう?」
「簡単なの?」
「百人目の記念だからな。大判振る舞いだ」
その言葉の裏に、奇妙な優しさがあった。
わたしは気づかぬうちに、悪魔の瞳を見つめ返していた。
「とりあえず、時間を戻してやり直そう」
「時間を戻す?」
「ここを脱出して殺して終わりなんて味気ないだろ?だから、ゆっくり楽しく復讐しよう。時間を戻して少しずつ破滅させよう。世界を捻じ曲げるのが俺の仕事だ」
「そんなこと、できるの?」
「悪魔だからな」
そう言って、影はわたしに手を差し出した。
漆黒の指先。触れたら壊れてしまいそうに冷たい。
わたしは迷った。
けれど、何も持たないわたしは迷うなんて贅沢だなと思った。
だから——その手を取った。
次の瞬間、目の前が光に包まれた。
耳が痛いほどの音が走り、重い空気が弾けた。
気がつくと、わたしは生徒会室にいた。
「ここ?」
「ここまでしか戻れなかった。お前の母親が殺される前に戻りたかったんだが」
低い声がした。
振り向くと、そこには黒髪に金色の目を持つ男が立っていた。
「殺された?」
「あぁ殺された。殺される前からなら、簡単だったんだが」
「お母様は殺されたの・・・」
「あぁ、でもこの時点からなら、やりがいがあるぞ」
「そうなのね。よろしく」
「よろしく。悪魔だ。レガシーと呼んでくれ」
微笑んだその顔は、意外と優しかった。そしてとても、美しかった。
「覚えているか?生徒会の仕事はお前に押し付けられていた。だから、不正をやり放題。悪魔の手際を見せてやるぞ」
わたしはそれを聞いて拍手した。レガシーは微笑んで、礼を取った。
いつも読んでいただきありがとうございます!
誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。
とても助かっております。
楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。
それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。




