第5話 慰霊墓地
パーティ――。
共同で行動する仲間。一行。
迷宮に赴く上で、ほとんどの探索者はパーティを組む。
色々な理由があるだろう。得意不得意を補い合い、より難易度の高い依頼に挑戦するため。真っ暗な迷宮の中で、話し相手がいなければすぐに心が蝕まれてしまうから。危機に陥った時、助かる確率を上げるため。必要な物資を運ぶには人手が必要だから。ギルドがそう推奨しているから。誰にも知られずに逝くのは、嫌だから。
厳密に言えば、パーティを組むという契約があるわけではない。
単に、特定の依頼を受注する上で、取り分を誰と誰に配分するかという書面にサインをしておかないと、のちのちのトラブルになるという、それだけのことだ。
参加も、離脱も、口約束以上のものはなく、それぞれの探索者の自由である。
1日だけの臨時のパーティメンバーもいるし、何十年も連れ添うパーティメンバーもいる。巨大な川の流れの中で、ただ一時、身を寄せ合った石と石にすぎず、次にいつどこへ流されていくかは、本人にすら分からないだろう。
だから、ギルド長室で行われた面会も、あくまでも儀礼的なものに過ぎなかった。
ただ、ピティ・トルチュールがいつメンバーに加わったかと言えば、この日からだと答えるだろう。
それだけのことだ。
○
「やあ、いい朝だねえ」
出迎えるように振り返った老人に、ジェイは頭を下げた。
街外れの野原に、等間隔に並んだ白の墓石。朝日に薄く照らし上げられた慰霊墓地には、まだジェイと老人の2人しかいなかった。
「最近よく噂を聞くよ、ご活躍のようだ。もうすっかり上級者の仲間入りだな」
「まさか、まだ中堅がいいところです。もっと優秀な探索者が、このギルドにはたくさんいますよ」
「そうかな、そんなこともないだろう」
「いいえ」
「じゃあ、私が少し贔屓目に見てしまっているのかもしれないな」
老人は近くまでやってきたジェイの肩を抱き、「なにせ友人の孫だものな」と笑った。厚手のコートに黒の山高帽を被った老人は、ジェイの祖父の、古い戦友だった。
ジョン・アルレード
ベンゼン・フォリアモル
この名前の並びを知らない探索者は、このギルドには殆どいないだろう。
セイラムの開拓時代から貢献し、迷宮の初期探索を行い、数えきれないほどの魔物を倒してきた英傑。現在のギルド会館には、ジョンとベンゼンら他、最上級探索者の写真が飾られている。
幼い頃から幾度となく遊んでもらった優しいおじさん――。
ジェイからすれば、そんな印象がどうしても拭えないが、そんな彼も、しばらく見ないうちに、ますます背中が折れ曲がったように見えた。
祖父のパーティメンバーで、生き残っているのは、もはやベンゼンだけである。
この場所へ来ると、ベンゼンとよく会った。ジェイが来ていない日にも、きっとここを訪れているのだろう。ジェイがここへくる理由は祖父への墓参りだけだが、ベンゼンにはもっと沢山の理由があるはずだ。
2人は『ジョン・アルレード』と刻まれた墓の前で、少しの間佇んだ。
ジェイは祖父に、ベンゼンは旧友に、それぞれの近況を報告した。記憶の中の姿は、死の際の痩せ細った姿ではなく、筋骨隆々とした逞しいものだった。
「あれっ」
ふと、背後に驚いたような小さな声を聞いた。
振り返ると見知った人影が立っていた。
先日見た白いローブ姿ではなく、黒いワンピースに日傘を差しているピティ・トルチュールだった。服の色のせいで少しだけ大人びて見えるが、それでもやはり人形的な印象は変わらず、18歳という実年齢には程遠かった。
ジェイとピティは、互いに驚きの表情で目を交わし合った。
「……どうして、ピティがここに?」
ジェイ自身も、その台詞が上擦ったのを自覚した。
つい2日前に、ギルド会館のギルド長室でパーティメンバーに迎え入れると認めたばかりで、次会うのは新しい依頼を受けた時と思っていたからだ。それでなくとも、町外れにある慰霊墓地など、最近街に来たばかりの探索者が来るようなところではない。まさかピクニックをしにきたというわけでもないだろう。
「あっ、いえ、どうしてということもないんですけど」
ピティの方も気恥ずかしそうに、節目がちに目線を逸らし、整列する墓石の並びを見渡して言った。
「この街にとっては新参者ですから、本格的な迷宮探索に行く前には、先人の方々に敬意を払うべきではないかと思いまして……」
「――それでここへ?」
「は、はい」
「それは、なんと言うか、いい心がけだなあ」
「あの……。早めに起きて、半分思いつきで……、まさかジェイさんにお会いするとは思っていなくて……。す、すみません」
ピティは何故か頭を下げて謝った。ジェイの反応が、からかっているように聞こえたのかもしれない。
「いやいや、本当に感心して言ったんだ。最近の探索者には珍しいというか――。ああ、そうだ。ベンゼンさんにも紹介した方がいいですね。今度うちのパーティに加わることになった白魔導士のピティです」
「ほお」
しばらく様子を窺っていたベンゼンは半身で振り返り、ゆっくりとした動作で、ピティを眺めた。
「白魔導士はいつの時代も貴重、優秀ならば尚更だ。実は私も、現役の頃は魔術師でね。治癒魔法はからっきしだが。ベンゼン・フォリアモルだ。よろしく」
「――あっ、はい! ピティ・トルチュールと申します。先日この街に越してまいりました。ぜひ、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします」
「越してきた。どこから?」
「西の――、王都の方です」
「それじゃあ、セイラムは随分田舎に映るだろうね」
「いいえ! 景色はいいですし、料理も美味しいですし、すっかり気に入ってるんです」
腰を曲げたベンゼンよりも、なおピティの方が背が低い。横から見ていると、まるっきり孫と娘にしか見えなかった。
「白魔導士……。それなら、ジョンもきっと安心に思うだろう。なあ? 私もお前も、彼らがいなければもっととっくに死んでいただろうから」
ベンゼンは、ピティの小さな白い手を握ったまま、背後の墓石に語りかけるような口調で言った。ふわりとした風が足元をさらう。
「……ジョ、ジョン……さん?」
ピティが首を傾げたので、ベンゼンは微笑んでから、一歩横にずれた。
「ちょうど彼のお爺さんのお墓参りに来ていたんだよ。ジョン・アルレード。私の旧い友人でもある」
ピティは瞬きを数度して、少し遅れて納得したように「そうですか、ジェイさんの……」と呟いて、膝を下ろした。
「お祖父様へのご挨拶をお邪魔をして申し訳ありませんでした」
「まさか。半分、散歩がてらに来てるようなものなんだ」
「どのようなお方だったんですか?」
「陽気で、大きくて、動く岩みたいな人だったよ」
ジェイの答えに、ピティはくすっと笑ったあと、しばらくの間黙って、その場で跪いていた。ジェイははじめ、彼女が祖父のために祈っているのだと思った。
しかしすぐに、地面に当てられたピティの右手のひらのあたりがザワザワとし始めたことに気がついた。
やがて、一本の緑色の茎が指の隙間からくねるように伸びて、左右に葉を生みながら、先端の蕾を膨らませていく。10秒もしない間に、固く閉じていた蕾は、花弁を開かせていた。フィルムを早送りしたかのようだった。
「すみません、供えるお花を持ってこなかったので」
ピティはそう言って、丸く小さな黄色い花を摘んで、墓石に添えた。
ジェイは多分な驚きをもって尋ねた。
「な、なんだいまのは」
ピティの代わりにベンゼンが答えた。
「ジェイ、新しい魔導士は大層優秀らしい」
ジェイはしばらく、魔法のように現れた、――マルロのセリフを笑ったくせに、ほかに例えようがなかった――、小さな花をしげしげと見つめた。
白魔導士という職業は希少で、扱う魔法の詳細までよく知らなかったが、目の前で行われたそれは治癒という範疇を軽々と飛び越えているように思われた。ジェイは「すごいな」と絞り出すのが精一杯だったが、ピティは何でもないことのように微笑みを浮かべて、墓石に向かって目を閉じた。
腰を上げ、3人は並ぶように立って、野原を見渡した。
青い草が風に柔らかくなびき、少し見下ろす形で、セイラムの、茶色い屋根の街並みが見える。少しずつ高度をあげる朝日が街を起こし始めている。そろそろ多くの住民が目を覚まし、一日を開始する時間だ。
「私らが初めてこの土地に来た時には、木と草以外に何もなかった」
ベンゼンが目を細めて、遠い昔を重ねて見るように言った。
「何もないところから、ひとつ、またひとつと家が建ってな。人が集まり、迷宮から得た魔物の素材を他の街に売って、さらに人が集まるようになって、もっと家が増えた」
訥々と語られ始めた昔話に耳を傾けるピティに、ジェイが小声で「ベンゼンさんは、街の開拓時代から貢献した凄腕の探索者なんだ」と教えると、彼女は「ははあ」と納得したように頷いた。
「楽しかった。何かの始まりというのは大概そうだが、無限に湧き上がるような活力があって、大変な仕事も、固い寝床も、足りない食事も、すべてが楽しみの材料だった。全てが一つずつ、よく、新しくなっていく。そのことがたまらなかった。迷宮探索などはその最たる例で、まだ誰も通っていない埃を被った道に、真新しい足跡をつけて回ることは、何にも変え難い快感だった」
ジェイにとっては何度も聞いた話だったが、新しい聞き手がいる前だからだろう、いつもよりも語り口に熱がこもっている気がした。ピティは興味深く熱心に頷いている。
やがて話が開拓期3年目ほどに差し掛かった時、ふと言葉が途切れ、ベンゼンの視線が上へ向けられた。ジェイは今から何が話されるかを知っていた。頭に、話の中でしか聞いたことのない、1人の男の姿が映し出された。
「そんな時、仲間の1人が死んだ。バディオ・ハーン、気難し屋のタンクだった。無愛想だが、愛妻家でな、1歳にもならない赤ん坊がいた。この街で初めて生まれた赤ん坊でもあった。荒野の……、元は何もなかった土地の上に生まれた……」
ベンゼンは言葉を詰まらせながらも、いい思い出と辛い思い出が織り混ざった糸を、手繰ることを止められないという様子で続ける。
「未発見の通路を進んでいた時、足場が前触れなく崩れて、奈落の底へ落ちてしまった。今は立ち入り禁止になっている、構造の脆いところだ。バディオはタンクだから、先頭を歩いていた。今思えばもっと慎重になるべきだったが、あっと気付いた時にはもう遅かった。手を伸ばしたが届かなかった。その上、その上――」
「……あの下には、ミミズヘビの巣が大量にある」
ジェイが合いの手を入れると、ベンゼンは頷いて、体の向きを変えて歩きはじめた。
ジェイとピティは自然とそれについていく形になった。
「松明を落とすと、無数に蠢く奴らが見えた。バディオは「来るな」とだけ叫んで、その中に飲み込まれていった。ワシたちはロープを落として、彼の手がそれを掴んでくれないかと祈り、名前を呼び続けた。しかし、バディオの声がもう一度聞こえることはなかった。誰にとっても悔しい死だった。避けられた死だ。奥さんと赤ん坊になんと謝罪したものか、考えながら、街へ帰った。体が重くて、足が鉛になったようだった」
新たな街、新たな命。すべてが今から始まるという熱気の時代にに、バディオの妻がどのような気持ちで夫の帰りを待ち、一行を出迎え――、訃報を知ったのか。想像するだけでいたたまれない気持ちになる。
しかし、探索者が死と隣り合わせであることは、昔も今も変わらない。この街は、そうした無数の死の上に発展してきた。バディオはその1人目だったに過ぎない。
3人は、やがて墓地の端へ辿り着いた。見事な楠が太い枝を伸ばし、泰然と立っている。その真下に、一際古い墓石があった。バディオ・ハーンと妻の名前が彫られている。
ベンゼンは上に積もった木の葉を手で払い、墓石を撫でるようにしてから、振り返る。優しく笑うその目元には、深い皺が刻まれていた。
「どうかジェイを助け、出来るならば1人でも多くの命を救ってあげてほしい。それが、この老人のただ一つの願いだ」