第2話 いわくつき
その夜、ジェイは街の裏手の酒場にいた。テーブルに座って酒をちびちびやっていると、ナタリーが店に入ってくるのが見えた。右手を挙げると、あちらも小さく手を振り返す。健康的な茶髪のポニーテールが、合わせて揺れていた。
「急に呼び出して悪いな」
「全然」
「せめて奢らせてもらうから、好きなの頼んでくれ」
ナタリーは席につき、「奢ってくれるんだ、ラッキー」とピースを作った。
料理を注文をして、飲み物も追加する。しばらくマルロを待っていたが、先に料理が来たので、乾杯をして、話を始めることにした。
「うーん、どうかなあ」
サラに聞いた話をそのまますると、ナタリーはジェイが初め聞いた時と大体似たような反応をした。
「気乗りしないか」
「回復薬が常にいてくれるのは有難いけど、報酬の取り分が減ることを考えると……。ちなみに女? 男?」
「女らしい」
「まあ白魔導士っていったら大体そうか。年齢は?」
「えーとな、簡単な資料をもらった。ピティ・トルチュール。18」
「18! 年下の女の子かぁ。うまくやれる自信ないや。一時期いっしょにダンジョンに潜ってた子いたでしょ? 探索者のくせにムシガサワレマセンっていう子。苦手だったんだよねー」
「そうか? 仲良くやってるように見えたが」
「表面上はそりゃあね? 女同士、裏では結構気を遣ってたの」
ジェイは簡略的なプロフィールを眺めながら、ため息を吐くように「じゃあ、やっぱり断ったほうがいいのかなあ」言った。すると、さっきまで反対派寄りだったナタリーが両手を振る。
「待って待って、断固拒否ってわけじゃないよ? どっちかと言えば気乗りしないってだけで、白魔導士が優秀な職業だということに異論はないし、ほら、マルロの意見も聞かないと」
自分の一存で却下されたと思われるのは嫌なのだろう、彼女は慌てたようにフォローを入れた。そしてテーブルに身を乗り出して、逆に質問してくる。
「それより、ジェイはどうなの」
「ん?」
「白魔導士の加入には賛成派? 反対派?」
改めてそう問われて、ジェイは唇を持ち上げて唸った。
「うーん、正直微妙なところだな。ギルドに恩を売っておきたいというのはあるが、聞く限りでもかなり気を使いそうだからなあ」
「でも、18よ。若い女の子」
「若い女の子なら、もういるだろ」
「オッ………………、えぅ、ありがと……」
軽口混じりの返答が予想外だったのか、ナタリーは妙な声を上がる。
「何照れてんだ、気持ち悪い」と言うと無言で肩を叩いてきた。
ギルドの規定により、探索者になれるのは16歳からだ。18歳の白魔導士はどう頑張っても探索者歴2年以下ということになるし、16になったその日に探索者登録をするような物好き(ジェイのことだが)は珍しいので、実際の経験値は1年あるかないかだろう。若いから未熟というレッテルを貼るつもりはないが、短いそのキャリア内でギルドを移ってきたというのだから、どうしても慎重に構えてしまう。
「最終的には、実際会って決めるしかないんじゃない」
ジェイがしばらく無言で考えていると、ナタリーが言った。
「結局、人と人なんだし、別にギルド側もこの段階ですぐに返事をしろという訳でもないでしょう?」
「それは勿論そうだが、会うとすればギルド立ち合いの下での話になる。本人とギルド関係者の前で直接NOとは言いづらいんじゃないか」
「言えばいいのよ。きっぱり言ったほうがお互いのためになるんだから――。それにしても、ちょっと、マルロ遅いんじゃない?」
ナタリーが背もたれに右腕をかけ、入り口を振り返るようにして言った。しばしば鈴が鳴って客が入ってくるが、マルロの姿はいっこうに見えない。遠慮するようにゆっくりつついていた料理も食べ切ってしまった。
来るという返事はもらっていたが、急な呼びかけだったので都合が悪くなったのかもしれない。
「まあ、ナタリーの意見は確認できたことだし、あとで俺から話してみるよ」
「マルロも強く突っぱねたりはしなさそうだけどね」
「そうかもな」
これで一応話すべきことは話し終えた。ジェイたちは残り少ないジョッキを傾けて、なんとなくどちらかが先に立ち上がるのを待つ――。
ガタッ!
そこで不意に、酒場のドアが開く大きな音がして、酒場中の視線がそちらを向いた。
入り口の扉を窮屈そうにくぐって入ってくる長身の男が見える。
マルロだった。
マルロはジェイたちを見つけると、申し訳なさそうに頭を下げ、大きな歩幅でやってきた。そこで――、彼の服の首元がひどく赤く汚れていることに気づく。それが血であることに気づいて、ナタリーが「えっ」と声をあげる。
「遅れてすまない」
開口一番、低い声でマルロは謝った。
ジェイたちは「いや、それはいいが」と首を振りつつ、マルロの顔を見上げた。
「どうしたんだ。まさか怪我でもしたのか」
そう問うと、マルロは右拳を握り、頭にぶつかって跳ねさせるような動きをした。
「来る途中、屋根瓦が落ちてきた」
「嘘、危ない。背が高いからひっかかったとか? 傷は大丈夫なの?」
ナタリーが心配そうに額を覗き込むと、マルロは指で前髪を上げてみせた。
「もう治った」
「「……もう治った?」」
ジェイとナタリーの声が重なる。
確かに、マルロの襟首のところは相当量の血で汚れているが、彼の頭や顔のどこにもそれらしい傷はない。元々表情は乏しいほうだが、どこかを痛めている素振りも見受けられなかった。しかし、それでは来る途中に怪我をしたという情報と矛盾する。
「もう治ったっていうのは、どういうことだ」
ジェイが重ねて尋ねると、マルロは一歩横にずれて、後ろを指し示した。
そこで初めて、彼の影に立っていた少女の存在に気づく。
隠していたつもりなのか、マルロが大きすぎて自然そうなってしまったのかは分からないが、気づかなくても仕方ないくらいにその少女は小さかった。
「あ、えっと、すみません……」
14、いや、13歳くらいだろうか。白い絹のローブを身に纏った少女は、マルロから紹介してくれる様子がないので、おっかなびっくり口を開く。
「あの、道を歩いてましたら目の前からガチンというすごい音がして、屋根瓦が足元へ転がってきて、こちらの……、マ、マルロさんが怪我をされたのだとすぐにわかったので、勝手ながら治癒魔法をかけさせていただきました。傷は治っていると思います。一応、しばらくは安静にしていただきたいんですけど。しかし、何故ここへ連れてこられたのやら……。あの、ひょっとして差し出がましかったでしょうか……」
少女がマルロとジェイたちの顔を交互に伺う。
怯えながらも、しかしどこか育ちの良さや品のようなものが感じられた。マルロは無言で、酒場のキッチンの方を顎でしゃくる。ようやく意味を察したジェイが代弁した。
「ああ、いや、どうやら感謝の印として料理をご馳走させてくれ、ということらしい。すまん、言葉は足りないがうちの優秀な弓師なんだ」
「――あっ、そ、そういうことでしたか! てっきり何か怒られるのかと……。いえ滅相もないことです。大したことはしておりませんので。あの、本当に、失礼します」
少女は状況を理解して、むしろ恐縮したようにペコペコとお辞儀を繰り返して、引き下がろうとする。それをナタリーが止めた。
「ちょっと待って。あなた、ひょっとして、ピティさん?」
一瞬、全員が沈黙する。
「はい。ピティ・トルチュールと申しますが……?」
ジェイは少し遅れて「あ」と声を上げた。
何故すぐに気づかなかったのだろう。
治癒魔法、白いローブ。つまり彼女は白魔導士だ。そして、白魔導士はこの町には数えるほどしかおらず、顔を知らないということは最近ここへ来たということになる。彼女が噂の人物なのだ。
しかし、情報では18歳のはずだが、あまりにも見た目が幼い。
ダンジョンで見かけたら不法侵入と勘違いしてしまいそうだ。
ジェイたちはピティと名乗る少女を、少し訝しむように眺めた。当の本人は怯えて子猫のように身をすくませていた。
「知り合いか?」
マルロが問う。
知り合いではない。しかし、もしかしたら同じパーティに加わるかもしれない相手だった。ジェイは少し考えたあとに、「いや、うちのギルドに新しい白魔導士が来るという噂を聞いてたんだ。ちょうどいい、ぜひ話を聞かせてくれないか」と言った。
つまり、抜き打ちの面談である。ナタリーも意図を悟ったらしく、少し空々しくはあったが演技に乗っかってきた。
「そうね。パーティメンバーを助けてもらって、そのまま帰すわけにはいかないわ。ご馳走させて。もちろんリーダーの奢りよ」
「おい」
○
明かりをほとんど落とした、国営ギルド会館セイラム支部のホールには、サラ一人だけが残っていた。残業に追われている様子ではない。ただ、背もたれに体重をかけ、カウンターに広げられた資料をめくったり、戻してみたりして、時々深いため息を吐いたりしていた。
ピティの経歴について、やはり伝えておいた方がよかったのではないか――。
その後悔が拭いきれない。
ギルド長からは伏せておくようにと言われていたが、これからパーティに加えるかどうかという折に、ジェイに伝えた情報はあまりに不足している。
「…………」
サラの手元の紙には、可愛らしいクリームイエローの髪をした少女の写真が貼ってある。宝石のように大きな青い瞳、ツンと立った鼻、小さくて赤い唇。まるで人形のような容姿は、人から愛されるために生まれてきたと言わんばかりだ。
会った時の印象も極めてよかった。物腰が柔らかく、笑った表情は花が咲いたように可憐で、空間が華やいだ。
バルガン・トルチュール法務大臣の孫娘と聞かされた時にはとても驚いた。無闇には言いふらしたくないということだったが、およそ探索者らしからぬ上品な所作の所以はそこかと納得もした。
『お祖父様は、私が探索者として活躍することを応援してくれているんです』
彼女ははっきりとそう言った。そのまっすぐな瞳からは意志の強さが感じられた。可愛い見た目と生まれの良さに甘んじない野心を抱いているのだと感じた。しかも職業は貴重な白魔導士で、魔導士学校も優秀な成績を修めて卒業している。ギルド長が特別待遇をするのも当然である。
彼女の過去を少しばかり遡ったのは、あくまで業務の一貫であり、粗探しをしてやろうというつもりでは決してなかったのだ。
彼女と組んだ探索者が、《《1年の間に2人死に、6人離職している》》――。
その事実を確認した時、サラは思わず書類を二度見してしまった。
パーティメンバーが2人死亡。いや、飛び抜けて多い数というわけではない。探索者という職業には危険がつきものであり、熟練の探索者も一瞬の油断で命を落としたりする。新人なら尚更だ。ギルドもそれをふまえて依頼を斡旋するし、本人たちも了承していることだ。
だけれど、白魔導士の経歴としてはいささか印象が悪い。たとえ迷宮の奥底で怪我を致命的な怪我を負って、普通なら地上に戻れない状況でも、白魔導士ならそれを救うことができる。それが彼女らの存在意義であると言える。
サラは少し迷いつつも、ギルド長にそのことを報告した。ギルド長はその事実を認識しておらず、多少驚いてはいたが、2件の死はどちらも「魔物との戦闘によって即死」となっており、ギルド側の調査でも不審な点はないとされていたため、不運が重なっただけだろうという答えだった。たしかに、怪我を癒すことはできても、死者を蘇生することはできない。
ならば、この6人の離職者というのは何だ。資料には詳細な理由までは書いていなかったけれど、サラにはむしろこっちの方が気になった。
しかし、ギルド長の意見は揺らぐことはなかった。
「事情があったんだろう」と。
そのくせ、ジェイたちにはこの事実は伏せるようにと指示が下った。
好ましくない情報と思いつつ、見なかった振りをするような態度は不誠実だと思ったが、上司に伏せろと指示された事柄を独断で明かすことはできなかった。
杞憂であればいい。
サラ自身も、ピティ・トルチュールが少し不運なだけの白魔導士であることを願っている――。
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