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2:世界について

 舞姫に微笑みかける、学生服の青年。

 彼の穏やかな笑みは、化け物のそれとは違う温かさに満ちていた。


 しかし舞姫は言葉が出ない。突然の状況を飲み込めず、十字架の上に立つ青年を見上げるばかり。

 そんな状況下で、最初に口を開いたのはグレゴリー・ピスケス・リッチモンドだった。


「吸血鬼の食事を邪魔するとは、何たる無礼……! この狼藉は、お前の命をもって償――」


 ――音速で噛み付こうとしてきた吸血鬼を、回し蹴りで黙らせる。

 左足を軸にし、青年は墓標のような十字架の上から、吸血鬼の顔面に革靴の踵を叩き込んだ。

 鋭利な歯のいくつかが折れ、柔らかな雪の斜面へ吹っ飛んでいくグレゴリー。

 それを確認することもなく、青年は再び舞姫に向き直った。不謹慎にも、墓標の上に立ったまま。


「……あぁ、これはいけない。ケガをしているじゃないですか。どこか風を凌げる場所に行こう。早く治療しないと、凍傷か破傷風になってしまう。その前に失血死か凍死か」

「あ、え……?」

「あれ……。言語が通じていないのか? 同じはずなんだが……。そうなると困ったな……」

「い、いえ。言葉は通しているけどっ……!」

「なら良かった」


 十字架から雪面に降り立つ。

 未だ困惑する舞姫に手を貸し、立ち上がらせる。

 そして有無を言わさずに彼は、吹雪の中から舞姫を連れ立っていった。


「おのれ、無粋な人間め……っ!」


 傷を治し立ち上がった吸血鬼。

 しかしそこにはもう人間達の姿はなく、足跡も豪雪で(なら)されてしまっていた。


 獲物を逃したことに、怒りが瞬間的に沸騰する。だがそれも、すぐに治まった。何故なら彼には、誇り高き吸血鬼としての矜持があったから。

 加えて、頭を冷静にせざるを得ない事態が発生していたからだった。


「……? ……傷口が再生していない……?」


 吸血鬼は違和感に気付いた。

 あの学生服の男が降り立った時、自らの右腕は十字架によって切断された。しかしその程度、いつもなら瞬時に回復するはず。

 だが今も、右腕が生えてくる気配は一向にない。傷口が灰のように焼け焦げ、血液すら流出できないようになっている。


「奴は……まさか……。だがそんなはずは……」


 明らかに異質な攻撃。そして登場の仕方。

 黒い学ランの男が何者なのか、グレゴリーはその真実にまだ辿り着いていなかった。


***


 吸血鬼の前に立っておきながら一命を取り留めたという、生涯分の幸運を使い果たした舞姫。

 息も絶え絶えな彼女を連れて、赤マフラーに黒眼鏡の青少年は、雪山の中で見つけた穴倉に入り込むことができた。元々は野生動物の棲家だったのだろう。だが今は宿主もなく、人間二人はこの狭い洞穴に入り込むことにした。


「……とりあえず、助けてくれてありがとう」


 右腕の傷を布で縛ってもらい、簡素な応急手当とする。

 吸血鬼の鋭い爪はそのあまりの切れ味から、麗しい少女へ下品な出血も痛みも許さない。既に出血は治まり、身体の免疫システムが自己治療を始めようという段階ですらあった。


「どういたしまして。それにしても、単独で吸血鬼に挑もうなんて。この俺から見てもどうかしている」


 学ランの青年は道中拾ってきた枯れ木を集め、そして舞姫から『矢』を借りる。

 矢の先端を分解し、中に仕込まれていた黒色火薬を着火剤とする。今はもうネックレスサイズに縮小した十字架と矢尻を擦り合わせ、火花を発生させる。

 すると、暗い穴倉の中に小さな焚き火が生まれた。


「……私はどうにかしたかった。あの状況を」


 火の明かりと温かさに、張り詰めていた舞姫の表情がいくらかは和らいだようだった。

 しかし未だ、生命の危機であることに変わりはない。吸血鬼は今も、二人を探して吹雪の中を徘徊しているのだろう。


「……それは素晴らしい。そのために、機械の力を借りた武器で、戦おうとしたのか」


 分解した矢や、無骨な機械弓を興味深そうに見つめる青年。

 逆に舞姫は、そんな彼の様子の方が珍しく思えていた。


「『魔導機甲(まどうきこう)』。人類が化け物と戦うために開発した、戦いの牙よ。機械のパワーで吸血鬼や殺人鬼の肉体に損傷を与え、そこに各人の『魔力』を流し込んで殲滅する。昔は魔力のことを『気』や『仙道エネルギー』なんて呼んでいたみたいだけどね」

「なるほど。人間の生命エネルギーを、奴らの体内に直接注入するのか」


 説明を聞いて、感心したように弓を触る。まるで初めて見た工具を触るような、あるいは玩具を買い与えられた少年のような目の輝きだった。

 それが、舞姫の疑念を加速させてしまった。この世界の常識すら知らない、眼前の人物への。


「……貴方、魔導機甲兵団の兵士じゃないわね? 何者なの?」

「あぁ、これは失敬。自己紹介がまだだったな」


 警戒するような視線を向ける舞姫に、名無しだった青年は笑みを浮かべる。そして黒縁の素敵なメガネを押し上げ、彼は名乗る。


「俺の名は『坂之上さかのうえ くも』。そしてこっちが相棒の『ミノタウロスの十字架』。俺の戦うための牙さ」


「……森舞姫よ。魔導機甲兵団の訓練兵。よろしく坂之上君」


 名乗るだけで結局身分を明かさなかったことに不信感はあるものの、舞姫はすっと手を差し伸べた。

 それを見て、坂之上雲という男は、きょとんとした顔を浮かべていた。


「……どうしたの? しないの? 握手。感謝の念も含まれているのだけど」

「あっ、ああ、そうか。……こちらこそ、よろしく森さん」


 互いに握手を交わす。寒さからか、少年の手は僅かに震えている。

 握り締めたその手を、坂之上はじっと見つめていた。


「……温かいな」

「え?」

「森さんの手は、温かい」

「そうかしら? 火に当たったおかげでいくらかは……。けど、まだまだ冷たいと思うわ」

「そんなことはない。温もりのある、善い人間の手をしている」


 何かを噛み締めるように呟く。

 「変わった人ね」と率直に告げた舞姫に、それでも坂之上は握った手から彼女の体温を実感していた。


「それにしても貴方……。こんな所で何をしていたの?」

「……吸血鬼を追っていた。実はここ最近の記憶がなくて、それでも吸血鬼を辿れば何か分かると知っていた。良ければ聞かせてくれないかな。どうして世界はこんなことになってしまったのか。どうして、『今は午前11時だというのに』世界は深夜のように真っ暗なのか」

「驚いた……。貴方何も覚えてないのね。一年前、あんな大変なことになったのに」


 焚き火を囲み、舞姫は坂之上に語り出す。

 世界について。彼女だけでなく全世界の人間が覚えている、絶望の歴史を。


「……一年前。突如として異次元から出現した『赤き月(セカンドムーン)』は、太陽を隠し私達から昼を奪った。皆既日食と夜ばかりを繰り返す世界になったところを、奴らが……13人の『真祖(ドラキュラ)』達が侵攻してきた。奴らには既存の刀剣も銃火器も術式も効かず……人類の総人口は40%にまで減ったわ。こうしている間にも、人々は夜に怯えて怪物達の餌食になっている」

「だが、人類は戦う道を選んだ」

「そうするしか他に方法がなかったもの。魔導機甲兵団を組織し、大人も子供も区別なく兵士として育て上げているけど……。この通りのザマよ。何十倍の兵力を持っても、吸血鬼一匹仕留めることができない」


 ケガを治療し体温も戻ってきた舞姫は、冷静な思考ができていた。こうして現状を口にして再認識するほど、よく分かる。いかに自分達が崖っぷちであるかを。人類の抵抗活動が、いかに些細なものであるかを。

 吸血鬼の実力を見せ付けられた今なら、それが客観的に判断できた。


「だけど」


 坂之上が口を開く。

 舞姫は、焚き火に照らされる彼の顔を見た。そのメガネの更に奥、瞳の中に燃える決意を。


「まだ人類は負けてない。森さんみたいに、戦っている人がいる。ならば俺も戦おう。俺なら吸血鬼が相手でも殺せる。その知識と技術を持っている。諦めていない人間が一人でも残っているのなら、俺はそんな人のために戦う」


 大した自信だ。先程の上空からの攻撃のことを踏まえて言っているのだろう。

 しかしあれは不意打ちみたいなもので、グレゴリーに致命傷を与えることまではできなかった。


「……無茶よ。サイズを変えるだけの十字架なんて、旧時代過ぎるマジックアイテムだわ。今は兵器と退魔の術を組み合わせて――」

「森さん」


 坂之上は舞姫の手を握る。突然のことに、舞姫は少々顔を赤らめてしまった。


「俺達は……俺は、無茶や無謀の中で生きてきた。活路はいつだってそこにあった。だから、そんなことは言わないでくれ。どうか貴女を、俺の『戦う理由』にさせてくれ。それに奴らはこの世界に『侵攻』してきたわけじゃない。勝機なら、必ずある」

「……どうして、そんな――」


 ――洞穴の中にまで、『咆哮』が聞こえてきた。


「……!?」


 それは豪雪を巻き起こす吹雪の音でも、飢えた獣の鳴き声でもなかった。もっと異質な、本能の部分に警戒を訴えるかのような声だった。

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