帝都物語 茶漬け屋「ゆり香」
西の都から東の都に帝が移られて、帝都となった「トキオ」。
ガス燈が夜を照らすようになり、妖かしの夜行が減り、鬼狩りによって鬼も数を減らしつつあるこの時代。
帝都の片隅に「茶漬け屋ゆり香」はあった。
徒歩でしかいけない小路、しかも坂の途中にあるような小さな店にはカウンター六席しかない。
いつもひっそりとしていた。
「ゆりちゃん、お客さんよお」
日本髪を結った美人が自ら言いながら、恰幅の良い紳士をつれて暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ。旦那様、椿さん」
ゆりが愛想よく声をかけると、椿はかいがいしく紳士のコートを脱がせてやっていた。
この見事な日本髪、実はかつら。地毛は短髪にハイカラなパーマをあてている。椿が日本髪で出るのは「売れっ子芸者椿」としてのお座敷で、お連れ様は椿のご贔屓さん。
「なにか、召し上がりますか」
「この後お座敷なのよ。だから軽く飲むだけにするわ」
注文は熱燗。と言っても椿の好みは人肌だから、気をつけていないと熱くなり過ぎる。
また、引き戸が音を立てた。背をかがめて紳士が帽子を片手に入ってくる。
黒髪の多い帝都で目立つ薄茶色の髪。瞳も色素の薄い茶目で、ゆりはいつもキレイだなとこっそりと眺めている。
「いらっしゃいませ、江戸様」
「邪魔する」
人がいるのは珍しいな、と目で語る江戸に。
うちだって江戸様の他にもお客様はいるんですよ、とゆりが胸を張る。
「なにか召し上がりますか?」
「なにがある」
おしぼりで指先を拭いながら、江戸が尋ねた。
ゆりの店では、大した料理はしていない。隣の仕出し屋に頼んで届けてもらう形だ。
いますぐ出せるのは、筍の木の芽和え、若竹煮。
「筍ばかりか」
「旬ですから」
「すぐそれだ、毎度『旬』で済ませる」
とは言われるものの「それでいい」となるのも、いつもの流れ。
いそいそと、ゆりは小鉢を出した。
椿たちが先に席を立ち、なんと今日は他にもお客が来た。
長居はしない江戸が「見送りはいい」と戸口でゆりに断りを入れる。
そして
「暮らしに不自由はないか」
と、誰もが見惚れるような微笑で聞く。これは他に人がいる時のお決まりだ。どういう訳か、他に客がいない時に聞かれることはない。
「なんにも、ありません」
「最近は物騒だから、戸締まりは怠るな。――また来る」
ゆりの耳を指先で軽くつまむと、広い背中を見せて去って行く。
店の前はすぐに数段の階段になっているが、江戸は必ず上がっていった。
「ゆりちゃんのパトロンかい?」
からかうのは、よく来てくれるご近所さん。
「いいえ、とんでもない。お酒、もう一本おつけしますか」
ゆりは愛想よく返した。
二階が住居になっているこの小さな店は、母が始めたもの。そして、一年前に突然母が失踪した後は小料理屋を茶漬け屋にかえて、母の帰りを待ちながらゆりが続けている。
江戸はその頃からの客で、何をしている人なのかは知らない。来る時は、決まってひとりだ。
お客もはけ、店を閉めようと暖簾を外す。賑やかなのはいつものことだけれど、今夜は賑やかというより騒がしい。
「いたぞ! あっちだ」
声が聞こえる。
このあたりは夜の街で、酔客を狙ったスリも多い。物騒なことだ。
「今日も一日お疲れさまでした」
誰にともなく呟いて、ゆりは戸を閉めた。
江戸紋斗→エドモンド・セレスト
相逢ゆり(あいあい ゆり)→リリー・アイアゲート
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