とある男子高校生の2月14日
いつも通りの朝。いつも通りの街の様子。いつも通りの空気。今日もまたいつもと変わらない日常が始まる。2月14日。このなんの変哲もない1日にやや退屈を覚えながら、俺は高校へと向けていつもと同じ通学路を歩いていた。
「秦野くん、おはよう!」
後ろから、少し駆け足気味で近づいてきた女子が声をかけてくる。
「おはよう、神崎。登校中に会うなんて珍しいな」
「今日はちょっと用事があって…。秦野君こそ、いつも結構ぎりぎりに教室来るイメージだけど、今日はずいぶん早いんだね」
「たまたま早起きしたからな。特に深い意味はないけど、たまには早く登校するのも悪くないかなって」
「そういう日、あるよね!」
それから神崎と軽い世間話が続いた。神崎とはクラスメイトで席も近い。すごく仲が良いという程ではないが、今みたいに軽く会話をするくらいの仲ではある。ちなみに、かわいくて人当たりのいい性格をしているため、男子からの人気も高いらしい。ま、どうでもいいけど。
「そういえば、秦野くんは女子で誰と仲良かったっけ?」
突然、神崎がそんなことを聞いてくる。
「誰、か。普通にクラスの女子とか部活の後輩とかと話したりはするけど、特に誰かとすごく仲が良いっていうのはあんまないかもな」
「えー、私とは仲いいじゃん!ただのクラスメイトってくらいにしか思ってなかったんだ。ショックだなー」
少し頬を膨らませながら、いたずらっぽく言ってくる。はて…。
「でも、ちょっと意外かも。仲いい子いないんだね。モテそうなのに」
やっぱりな。ひょっとして神崎は俺に気があるんじゃないか?突然仲のいい女子の探りを入れてきたり、モテそうなどと褒めてきたり、気のないやつにそんなことを言うわけがないよな。
「モテるなんて、別に全然そんなことはないけど。そういう神崎は仲いいやつとかいるのか?」
神崎からのアプローチに対して、こちらからもジャブ程度のお返しをする。神崎か。かわいいし、正直悪い気はしない。こちらもまんざらではないことを匂わせておかないとな。
「えー、どうだろ。秦野くんはもちろんとして、仲いい人もいるにはいる、かな。後輩なんだけどね。家が近所で昔から付き合いが長いの」
「幼馴染か。恋愛漫画だと一展開ありそうな関係だな」
「何それー。でも、確かに幼馴染とずっとこのままっていうのもつまらないかもね」
そう微笑みながら言ってくる。かわいい。好きかも。
その後話が一段落して、
「私、用事あるから先に行くね!また学校で!」
と言い神崎は去っていった。用事、か。そしたら俺はもう少しゆっくり歩いた方がいいな。下駄箱や机の中もいつもより入念に確認するとするか。そんなことを考えて、これから起こるであろうことに期待を膨らませながら俺はのんびりと学校へ向かった。
学校に着くと、いつもより浮ついた雰囲気が教室全体に漂っていた。惚れただの腫れただの、いかにも高校生といった話が聞こえてくる。
「それにしても、毎年この日になるとしんみりしちゃうよな…」
どうやら楽しい気持ちになる人ばかりではないらしい。男の間で明確に格差が顕在化する日だからな。そういう感想を持っても全然不思議ではない。
「本当にね。惜しい人を亡くしたものだよ。」
「でも立派なもんだよな。若者の結婚式を挙げてあげるっていう自分の信念を、結局処刑されるまで貫いたんだから。マジ惚れるぜ」
「ね。マジ尊い」
…違った。ただのヴァレンティヌスがち勢だったようだ。
それはそうと、早く机の中を確認しないとな。周りからはやし立てられるのも面倒だし。下駄箱には何もなかったから、つまりはそういうことだろう。
「どうしたの?いつにも増して気持ち悪い顔をしているけれど」
はやる気持ちを抑えて机の中を確認しようとすると、隣の席からかけられた声に水を差される。
「朝っぱらから失礼だな。いつもに増してってことは、普段から気持ち悪い顔なの確定じゃねーか」
「ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないんだけど。つい…」
「意図せず伝わってしまった本音感を演出するな!マジっぽくなるだろ」
相変わらず失礼な女だ。こいつの名前は氷川姫奈。俺の隣の席に座る女子で、その整った容姿から学園のアイドル的存在だ。確か、氷姫なんてあだ名をつけられていたな。名前からもじったらしいが、本当は氷みたいに態度が冷たいことを揶揄されてるんだろうな。そうに違いない。
「何か失礼なことを考えてない?」
「いや、全然そんなことないですけど?」
こちらの思考を読み取ったかのようなツッコみに対してとっさにごまかしておく。隣の席というと、ラノベだと明らかにヒロイン枠を意識させるようなキャスティングだが、断じてそんなことはない。顔は可愛いが態度がかわいくなさすぎる。現実世界の男子高校生は、冷たく接されて相手のことを意識できる程メンタルが強い生き物ではないのだ。
「ま、あなたに良からぬことを考えられるのはいつものことだから諦めてるけど、早くその何も入ってない机の中を確認しちゃいなさい。隣でニヤニヤされて鬱陶しいの」
「な、なんだよ机の中って!別にニヤニヤもしてねーし」
言い当てられてドキッとする。なるべくさりげなく振る舞おうとしていたがばれていたとは…。
「安心しなさい。今どき机にチョコが入ってるなんてベタな展開存在しないから。渡されるとしたら直接よ。だいたい思春期男子はすぐ自分に都合よく妄想するんだから。ちょっと話しただけで自分に気があると思うとか馬鹿なんじゃないの?こちらからしたらいい迷惑よ」
…こいつめちゃくちゃ言うやん。机の中を見ようとした動きからチョコを探していると仮定されて、そこから男の安直な思考まで馬鹿にされた。しかも全部当たっているからたちが悪い。そして氷川の言う通り、机の中を確認してみても何も入っていなかった。
「ねーねー聞いて!さっき中庭で神崎さんが男子にチョコ渡してるの見ちゃった」
「えー、そんなの絶対本命チョコ渡すときのシチュじゃん!相手誰!?」
後ろの方でそんな女子たちの会話が聞こえてくる。…なるほど。そうか。いや別にそこまで期待してたわけじゃないけど。いや全然気にしてないし。ふーんて感じ。…俺は熱いものが頬を伝わないようにぐっとこらえた。
「それにしても、みんな浮かれてるわね。何がそんなに楽しいんだか」
そう言って、氷川がこちらに憐れみの視線を向けてくる。
「さぁな。そういえば今日はバレンタインだったか。年頃の男女にとっては盛り上がるイベントなんだろうな」
「何がそういえばよ。カッコつけちゃって。さっきまであなたも浮かれていたじゃない。期待外れの結果に終わったみたいだけど」
「そんなことないですけど?全然チョコとか興味ないですけど?」
「あら、それは残念。せっかくあなたのために用意していたものがあったのに。無駄になっちゃうわね」
「…え?」
突然の急展開に動揺してしまった。まさか氷川のやつ、口ではきついことばっか言ってくるくせに実は俺のこと…
「冗談よ」
こいつだけは許さない。おのこの純情を弄びやがって。一瞬動揺してしまった自分をぶん殴ってやりたい。
「大体、義理チョコだの友チョコだの本命チョコだの、本当いい迷惑だわ。勝手にそわそわされて鬱陶しくてしょうがない」
心底うんざりしたように言う氷川。こいつほどモテるやつなら、モテるやつなりの苦労というものがあるのだろう。現に、先ほどから氷川に対してちらちらと向けられている視線の多さを俺でも感じ取ることができる。
「男子の9割は、自分が女子に向けられている好意の出所は社交性以外の何物でもないことにいい加減気づいた方がいいわよ。そして安心しなさい。あなたも例に漏れずその9割の内の1人に過ぎないから」
どうやら今日は普段の5割増しで機嫌が悪いらしい。バレンタインデーに最も明かしてはいけない現実を伝えてくる。そろそろホイミぐらいかけてもらわないと心が持たなそうだ。
「なら、氷川は誰にも渡すつもりないのか?義理とかでも」
俺がそう問いかけると、氷川は一瞬悩んだような様子を見せる。
「自分で言うのもなんだけど、私が誰かにチョコを渡すというだけで噂になるの。例え義理だって主張したところで変な勘繰りをされるし、もらった方も勝手に舞い上がって私に告白してくるから、今までの友達関係を維持することは難しくなる。だから、義理でも何でも何の気もない人たちにチョコなんて渡すつもりはないわね」
何というか、すごい自信だ。俺たち男を舐めんなよ!と言ってやりたいところだが、悲しいかな、男子高校生とはこの世で屈指の単純な生き物である。チョコなんてもらった日にはもう、ハッピーワンダフル・ワッショイワッショイサマーだ。落ち着いてなんかいられない。その勢いのまま勘違いして告白した結果振られるまでが様式美だ。
「そういうもんか。じゃー氷川にとってバレンタインは嫌なイベントなんだな」
「別に必ずしもそういうわけではないけど。私どちらかというとキリスト教徒だし。司祭には好感をもっているわ。本来的な意味でのバレンタインデーには一定の価値を認めているわよ」
…こいつもヴァレンティヌスがち勢だったんかい。
高校生活を送っていく中で、どうしようもなく気づかされることがある。それは、たまに話すクラスのあの子には幼少期の頃から仲が良い幼馴染がいるし、部活で仲が良い後輩には他校の年上彼氏がいるし、電車でいつも同じ車両に乗り合わせるあの子に俺が認識されているわけもなければ、かわいいのに恋人がいない隣の席の子は、当然のように俺を意識することなんて無いということだ。つまりは、我々男子高校生が感じている「もしかして俺に気があるんじゃ…⁉」という妄想は、本当に妄想でしかないのである。
「それにしても、義理の1つも貰えないとはな…」
つい独り言ちてしまう。かっこつけて、今日がバレンタインだなんて知りませんでしたと言う風に振る舞っていた様なやつには、誰もくれるわけがないか…。夕方まで用事を装って教室に残っている自分が滑稽に思えてくる。
「チョコでも買って帰るか…」
そう、世界一情けない独り言をつぶやいて俺は帰路に着いた。
なんとなくいつもとは違う道を歩いて帰りたい気分だったため、家からは少し離れたコンビニに寄ると、意外な人物に遭遇した。
「氷川?」
そこには、コンビニの制服姿で佇む毒舌氷雪系最強JKの姿があった。
「コンビニでバイトしてたのか。意外だな」
「…どうして秦野くんがここにいるの」
ばつが悪そうな様子で言ってくる。
「今日はたまたま帰り道が違ってな。まさかこんなところで氷川に会うとは思わなかったよ」
「はぁ…。このコンビニ、滅多にうちの生徒が来ることなんてないと思って働いていたのに…。あまり言いふらさないでね。バイト先で学校の人と会うの、なんか気まずいから」
「それはいいけど…」
俺は自分の手に持ったチョコに目を落とす。バレンタインデーに男がコンビニでチョコを買う様子を同じクラスの女子に見られる方がよっぽど気まずいんだが。しかもなんとなくキットカットにしてしまったものだから、「キットカットね…。来年こそは勝ってやる的な?憐れね」なんて言われたら、そろそろライフが箱下になってしまう。
「これお願いします。…袋も」
俺は伏し目がちに商品をレジに置いた。
「キットカット…。憐れね」
「うっせー。ほっとけ」
案の定ツッコまれる。早く会計済ましてくれ。そんなことを思っていると、氷川は数秒考えるようなそぶりを見せたあと、レジを通さず商品を俺に渡してきた。
「あまりにもあなたが可哀想だから。私からの奢りってことで、お金はもらわないでおいてあげる。後で私が払っておくから」
「え…?」
突然の提案に驚く。全く予想もしていなかった展開に何て言えばいいか全くわからない。
「ただの気まぐれだからそんなに深く考えずに受け取って。あまりに困惑されると、私がスベッたみたいで恥ずかしいから」
「お、おう。ありがとう」
予想の斜め上すぎる展開に困惑しながらも氷川からチョコを受け取ると、「受け取ったらさっさと出て行って。私がここでバイトしてること誰にも言わないでね」と店を追い出された。心なしか耳が赤かった気がするが気のせいだろう。
何はともあれ、こういう形でもバレンタインデーに女子からチョコをもらったとカウントしていいのだろうか。氷川も口は悪いが良いやつだな。散々罵倒されておいてチョコ一つで評価が変わってしまうのだから、やっぱり俺は単純だな…。
家への道すがら、改めて氷川からもらったチョコを確認してみると、裏面に綺麗な字で『義理』と書いてあり、なんだか笑ってしまった。義理だとしても十分嬉しいよ。ありがとうな。
少しだけ特別なことがあった2月14日の帰り道、少しだけ浮足立った気持ちで歩く男の頭には、とある女子の言葉が駆け巡っていた。
『義理でも何でも何の気もない人たちにチョコなんて渡すつもりはないわね』
このチョコはただの気まぐれか、それとも…。結局また都合のいい妄想をしようとしている自分に笑ってしまう。何度痛い目を見ても、勘違い病は一生治らないらしい。それが男子高校生だ。