☆彩奈サイド-------------------------------
「・・・・はい。なるべく早く行きますので、すみませんが、よろしくお願いします。」
隣の席の岩崎さんがふぅと軽く息を吐き、電話を切った。
「何かありましたか?」
「保育園からお迎えの連絡。・・・・朝は元気だったんだけどなぁ、お昼寝から起きたら、38℃の熱が出てるって。熱だけみたいだから、体に熱がこもっただけだと思うんだけど。」
私の指導員でもある岩崎さんには2歳の息子さんがいる。岩崎さんは、旦那様とバランスをとることで、仕事も家庭も両立していて、私の憧れだ。さらに言うと、すらりと背の高いスレンダー美人さんで、服装もおしゃれ。そっち面でも、憧れちゃうんだよね。
いつもだと、旦那様にぱぱぱっと電話するか、数本の電話、メールで本日の業務をしめて、室長に帰宅の連絡をするのに、本日の岩崎さんは、ぐてっと机の上にのびた。
「岩崎さん、大丈夫ですか?もしかして、岩崎さんも調子悪いとかですか?」
心配になって声をかけると、のびたままの岩崎さんが、眉根を寄せた。
「あぁ、ごめんね。調子悪いとかじゃないから。八方塞がりだな・・・と一瞬現実逃避しちゃったのよ。今週は、夫が出張でいないのよね、だから必然的にお迎えは私なんだけど・・」
岩崎さんがちらりとパソコンを見遣った。そして、うーんとまた唸りだした。
「あ、あの。仕事のことで、私ができることがあれば、ふって下さい。」
運が悪いことに、今日は、室長も社外に出ているし、チームリーダーの棚田さんはお休み。一つ上の先輩は、午後はずっと、測定室に籠りっぱなしで、今動けるのは私だけだ。岩崎さんはいつも私の仕事量に気を遣ってくれるから、きっとふれないのではないかと思う。それか、単純に私が頼りないのかもしれない。そう考えると、だんだん声が小さくなる。
「・・・頼りないかもしれないですけど・・・。」
岩崎さんは、一瞬、驚いた顔になったが、その後、すぐに、ほっとしたように嬉しそうに笑った。
「彩奈ちゃん、ありがとう。いや、もう、すごい助かる。だけど、今、新規テーマ開発プロジェクトのデータとプレゼン準備やってもらっているじゃない?それも、明日締切だったよね。あと、ホームページ用のデータとか、あと・・・。うーん。頼りになり過ぎて、業務量多くなってきているから、きついんじゃない?」
「大丈夫です。プロジェクトの方のデータはとり終わりましたし、同時に資料も作ってたので、目途はついてます。それに、今日は予定ないので、残業できますし。・・・あ、まぁ、今日だけじゃなくて、予定ないんですけど・・・。」
すると、岩崎さんがぎゅむっと私を抱きしめた。岩崎さん、幼少期を海外で過ごしていたためか、よくハグをしてくる。岩崎さんの甘い香水の匂いが鼻腔をくすぐり、ちょっといい気分になる。いえ、けっして、女性好きというわけではないんだけど。キレイなおねえさまのハグって同性でも嬉しいよね?
「彩奈ちゃん、さすができる子!もう、明日は松花堂弁当頼んじゃう。もちろんご馳走するわよ。お言葉に甘えて、今日の仕事お願いさせてもらうわね。ありがとう。延期が厳しい案件だし、チームリーダーも不在だしどうしようかと思ってたから、ホント助かる。」
そういうと、岩崎さんは、机の上の資料を取り出し、更に、手早く関係するメールを転送してくれた。
「この2件をお願いしてもいいかしら。一つは、本日中にこの営業に提案書を送るんだけど、こことここのデータがまだ出てなくて、定時前にギリギリ出てくるはずなの。それを使って、このデータ次第なんだけど、際立つ方を特徴として打ち出して提案して欲しい。」
「わかりました。この間、担当させてもらった案件とテーマが近いので、そちらを参考にしてやってみます。」
「そうね、それと考え方は同じ。で、もう一つが今転送したメールなんだけど、顧客データ管理システムの案件定義の打ち合わせが、15時からあるの。これに出席にしてもらえるかな。部署からの吸い上げをまとめてもらった要望書をシステム部門に説明するのが主になるわ。私が取りまとめた要望書と合わせた資料をシステム部門に送付しているから、そちらのファイルを使ってね。システム立ち上げまでの期限がタイトだから、打合せ延ばすのも厳しいの。お願いできる?」
「はい、わかりました。打合せまでにもう一度目を通しておきます。」
私の了承の合図とともに、岩崎さんは、秒の速さで机の上を片付け、パソコンを立ち下げた。手荷物をとると、両手をパンと合わせて拝むような形にして、ぺこりと頭を下げた。
「彩奈ちゃん、感謝。何かわからないことあったら、電話して。電話は出られるから。」
そのまま更衣室に向かうかと思ったら、ふと何か思いついたように立ち止まった。私の方に戻ってくると、『今度こそ、紹介させてね。彩奈ちゃんが気に入ると思う人がいるのよ。』と囁き、いたずらっぽく笑って手を振りながら立ち去った。
岩崎さんから渡された資料を思わず強く握りしめ、ぽすっと椅子の背もたれに体をもたせかけた。
え、何!?もしかして、私の恋愛運上がってるの?今朝に引き続き、岩崎さんの紹介とか。
そこまで考えて、仕事中は忘れようとしていた今朝の出来事がフラッシュバックしてきた。ふと時計を見ると、もうすぐ12時になるところだった。一人だとぐるぐる考えこんでしまい、埒が明かない。そこで、華香にメッセージを送るため、スマホを取り出した。
『ランチルームでお昼一緒しない?相談したいことがある~。』
『OK ちょうどキリがいいから、今から向かうよ。』
華香からの返事を確認し、私は、スマホケースの中に今朝の紙を入れ、ランチルームに向かった。