1.突然の出会い期
どうしても現代ものが書きたくて。
お付き合いいただけたら幸いです。
腕時計にちらりと目を遣ると、定刻を1分過ぎていた。それと同時に『6時5分発の左回りは・・・』と構内アナウンスが流れ出す。どうやら、前の駅で急病人が出たとのことで、発車が10分ほど遅れたらしい。
彩奈の勤める化学品メーカーの定時出社時間は9時である。毎日、定時より2時間以上早く出社しているため、今日のような10分ほどの遅れは全く問題なく、この待ちの時間に読みかけのアプリコミックの続きを見ようかと、カバンからスマホを取り出した。ちょうど推しがシャツを羽織る後ろ姿の美麗カットとなったところで、遅れていた地下鉄がホームへと滑り込んできた。一度、危うくスマホをホームと地下鉄の隙間に落としそうになったこともあり、スマホをしっかりとカバンの内ポケットへ入れ、降りる人がいなくなってから、地下鉄に乗りこんだ。
朝早い時間のため、人はまばらであり、彩奈は端の空いている位置に座ることにした。彩奈は、あまり乗り物に強くない。そのため、地下鉄の中でスマホを見ると途中で気分が悪くなってしまう。いつもと同じように、吊り広告、壁の広告をぼんやりと見つめ、会社近くの駅までの20分を過ごすことにした。
河村彩奈は、大学院修士課程修了後、今の会社に入社した。現在、26歳で入社3年目。大学では工学部、会社では開発部に所属していることから、女性が少なく、男性ばかりの環境で過ごしている。選り取り見取りで羨ましいと言われることが度々あるが、女性が少なすぎると、男性は外への関心が高くなり、内にいる女性は女性として認識されにくくなるのではないかと思う。『半々くらいが一番盛り上がるのよね。』とは、大学の同級生、華香の言。華香は、同じ会社のシステム部門に所属し、若干男性の方が多いがほぼ半々といっていい割合らしく、盛り上がりがあるらしい。
-でも、華香の部門が盛り上がるのって、浅川さんと桐生さんがいるからじゃないのかなぁ。比率の問題っていうよりも、素材とかやる気の問題?のような気もするけど。それに、いくら女性が少なくても、その女性が魅力的だったら、皆も内を見るはずだもんね。
今まで彼氏がいたことがない彩奈は、ほぅと軽く溜息をついた。ファッション誌の広告の『オトナ可愛いコーデ30日』が目に入り、ちらりと自身の服装を見てみた。最近は自分なりに頑張ってはいるのではあるが、イマイチ自信がない。さらに深く溜息をつくと、伸ばしかけの髪がさらりと肩から流れる。
気が付くと、他の線との乗り換えがある駅へと地下鉄が着くところだった。別線の地下鉄、私鉄が3本も入っていることもあり、少ない乗客のほとんどがこの駅で降りていく。地下鉄が完全に停まると、彩奈の斜め前に座っていた男性が席を立ち、彩奈の前を通りながら、折り畳まれた紙を落とした。落ちた紙に気が付いた彩奈は慌ててその紙を拾うと、その男性へと声をかけた。
「あの、これ、落としましたよ。」
その声に少し垂れ目でワンコのような雰囲気の男性が振り返った。彩奈と目が合うと、目元をほんのり赤らめ、『あなたにです!』とたった一言だけ残し、慌てたように地下鉄を降りて行ったのだった。
彩奈は茫然と、その彼の後ろ姿を見送った後、席にポスンと座ったのだった。
-なに?今の何??私にって。この紙?え??
動揺を抑えながら、恐る恐る紙を広げると、その紙には、『神月雅人』という名前とその下に、電話番号とコミュニケーションアプリのIDと思われる番号が書かれていた。そして、一番下には、『よろしくお願いします』と。
知らないうちに頬に朱がのぼる。彼氏がいないどころか、告白をしたことも、されたこともない、更には、合コンすら行ったことがない、つまり男性に全く免疫のない彩奈には刺激が強かった。困惑でいっぱいの彩奈をよそに、地下鉄は会社の最寄り駅へと着いたのだった。