5.放課後の寄り道
転校生が月曜日に来てから初めての金曜日。泉はいい加減に確かめなければ、という一種の責任感のような、義務感のような感情を抱いて、家とは反対方向に歩き出す。
「あれっ泉ちゃん、お家こっちだよ?」
「寄り道」
「えっ」
「いや堂々と校則違反宣言しないでください」
紅の驚いた声も八多の呆れ声も聞こえないフリをしてただただ歩く。泉は、まだ希望的観測をしていた。“これ”はただの間違いだ、そんなことはないと。
泉は、ある建物の前で足を止めた。走って泉についてきていた紅が泉にぶつかって止まる。八多はまた空を飛んできていたようだ。泉が目立つからやめろと鋭いパンチを入れる。
「…何?ここ」
思わず紅が呟く。そこは、二階建てのビルのような建物だった。壁には落書きされ放題で、明るい色が混ざり合ってぐちゃぐちゃになっている。元々白かったであろう壁やかつてしっかりと機能していたであろうドアが、薄汚れて壊れかけている。壁にはヒビ、ドアは留め金が一つしか働いていない。築何年だろうか、少なくとも数十年はありそうだ。
「……何、ここ」
改めて紅が言う。今度は呟きではなく、しっかりと泉を見て。
「そういえば二人は来たことなかったわね。ここは私の同僚の職場であり家」
「いてて…はあ、同僚ですか……え!?え!?はあ!!?ど、同僚って、亡霊ハンターですか!?」
いまだに殴られた脇腹を押さえていた八多が、驚愕の声を上げる。
それも当然、泉は滅多に仕事仲間に会わない。ただでさえ仕事が少ない亡霊ハンターの仕事中、しかもごく稀にしか会わないのだ。基本的に他人と距離を置いている泉が、普段から誰かと仕事をしている方が驚かれるだろうが。
「…でもどうかしら。起きてるかな」
「いやそもそも中にいるんですか?一階の窓は一応明かりがついてるようですが、二階はついて……ない、ですね」
「二階のあれカーテンじゃない、八多さん?泉ちゃんが二階見ながら『起きてるかな』って言うからには二階にいるんじゃない?もう五時になりそうだし、明かりついてない方がおかしな話だと思うけど」
「いや、あいついっつもそうなのよ。窓側の部屋の明かりはつけないの」
「はい??」
「どゆこと??」
(…まあそういう反応になるわよね……ってかあいつ本当に起きてるのかしら)
泉は、もはやぶら下がっているだけのドアを押し開け、奥へと進んでいく。中は狭いがしっかりと店になっており、嫌に明るい電灯が店内を照らしている。カウンターには、…まあ予想通りだが誰もいない。
「泉ちゃー……うわせっま!?ここお店?あっこれストラップかな。かわいい〜♡ここ雑貨屋さん?」
「……まあ一応そういう類になるのかしら?」
「あヤベ」
八多の声の直後、ガシャアンという音が店内に響いた。
「っあああ!?なになになに!?八多さん今度は何をやらかしたの!?」
「…ああ」
泉が後ろを見て、納得したようにうなずく。どうやら金具が外れ、ドアが倒れたようだ。泉が入った時点でもう既に壊れそうだった為、八多が軽く触れただけで壊れたのだろう。
そして、ブツンと音を立てて電灯が消えた。
「うわああああ今度は停電!?」
「お嬢様、本当なんなんですかここは」
「…よくあることよ。何かしらの器具を複数同時使用したんでしょう」
今度は、唐突に置いてあった瓶からぶくぶくと泡が吹き出す。
「イヤアアアアア!?もうヤダ!泉ちゃん早くして!このお店下手なお化け屋敷より怖いよ!?」
「…そうね」
泉がぐるりと周囲を見渡し、壁のヒビを触り、カウンターの上のベルを押した。チーン、というなんだか間抜けな音が店内に響き渡る。
「…たしかに、今にも崩れてきそうで怖いわね」
「そうじゃなくて!!!!」
「大丈夫大丈夫。すぐに慣れるわ」
そう言うと、泉はゆっくりとカウンターの奥へと進んでいく。
「ってか八多さんは大丈夫なの……」
「不生不減 不垢不淨 不增不減 是故空中 無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意 無色聲香味觸法…… 」
「何唱えてんの!?」
部屋の隅に縮こまってぶつぶつと何かを唱える八多の姿に、紅は気絶するかと思った。いや本当になにやってんだ。
「いや、停電はともかく瓶から泡が溢れてくるのはおかしいだろう。ポルターガイストか何かだったらせめて成仏をと般若心経をな」
「こんなところでお経唱えてないでください!!」
「いや八多、私が何も言わない時点でわかるでしょ貴方なら」
「…」
泉の的確なツッコミに、八多は顔を逸らす。そう、亡霊ハンターの泉が何も言わない時点で、ここには何もいないのだ。…そもそもここは亡霊ハンターの家だから、何かいても困るのだが(職務怠慢的な意味で)。
「えっ?あ、なんだぁ八多さんも怖いんだ。ただこんなところでお経唱えるのホントにやめて?余計怖くなるから」
「……すまん」
「さっさと行くわよ」
そう言って泉がぐるりと通路側に体を向けた瞬間、パッと明かりがついた。
(…起きてるか)
後ろからよかった…という疲弊し切った紅の声が聞こえてきたが、完全スルーで先に進む。
電気が復旧しても廊下や階段は薄暗く、一歩歩く度に嫌な音を立てる。
表通りからは絶対に見えない位置にある部屋の扉を、泉は容赦なく開けた。
そこには机を埋め尽くすフラスコや試験管などの実験器具と、扉に背を向けて次々と器具を手に取っては、振ったり薬品を入れたり何かを量ったりしている人影があった。本棚がずらりと並ぶ埃っぽい部屋の中に、甘いようなしょっぱいような、不快で奇妙な臭いの煙が充満している。
「……マサ」
「………………」
部屋の中にいる人物は反応しない。一心不乱に手元の器具を動かし、時折くわえているキセルをトントンと弄る。
「マサ」
先程より強く言っても、その人物は振り返らない。
「マサ!!!!」
怒号が飛んだ。紅がびくりと体を震わせ、八多の顔が強張り瞳孔が開いた。それでも人影は変わらず実験器具を弄っている。
泉は深いため息をつき、手近な本棚にあった本を手に取った。そしてその人物に近づくと……本を開いて目の前に差し出した。本で器具が見えなくなってからようやく泉達の存在に気がついたらしい彼は、頭だけを動かして存在を視認した。
「…久しぶりだねぇ、泉。いるなら言ってよ」
「言ったわよ。でも貴方ったら全然気付かないんだもの」
「あー…そう言われればそんな気も…悪かったねぇ。で?」
「いい加減停電するほど同時に電化製品使用するのやめなさいよ。あと店にある瓶吹きこぼれてたわよ。あれ新作の入浴剤みたいだけど…あれじゃ売れないわ。ああ、あと店のドア壊れちゃったから。もうそろそろ建て替えなさい。あと…」
「わーやめてやめて俺の母さんか君は。そんなことを言いにきたわけじゃないだろう?」
「…」
「────今回は、どんな情報が欲しいんだい?僕が知る限りなら教えよう」