037
隣を男子が通る度に聞こえる舌打ち。これでもう五十二回目になる。
僕は特に目立たない良い子のはずなのに、何故こんな仕打ちをされてるのか……まぁ、それはこの人のお陰なのだが。
「シオンさん、どうかしましたか?」
僕がサータリーファルさんを横目に見ていると、視線に気づいた彼女は不思議そうな顔でこちらを覗き込んでくる。
「な、何でもないです……」
僕が思い出した限りではこの子と結婚の約束などしていないはずなのだが、彼女はしたと言っている。
僕が忘れているならこれは大問題だろう。
そうなると、次に問題になってくるのは彼女が転校してきた理由だ。
もし、彼女が僕と会う為にわざわざ転校してきたのだとしたら、彼女にはとても申し訳ないことをしたことになる。
だって僕は彼女との結婚の約束をすっかり忘れているのだから。
僕が頭を悩ませていると、隣からイリナとサータリーファルさんの話し声が聞こえてくる。
「久しぶりね、レイラちゃん。元気にしてた?」
僕を通して、という部分があったと思うのだが、この二人も顔見知りだ。
「はい!イリナさんもお元気でしたか?そう言えばイリナさんは勇――」
「ちょっと黙ろうか!?」
僕も咄嗟にサータリーファルさんを止めようと思ったが、僕を軽々と超える凄まじい速さでイリナが言葉を遮る。
「あら、何故ですか?素晴らしいスキルだと思いますのに」
この反応にはイリナも思わず苦笑いだ。
昔と変わらず少し天然なところがあると分かったところで、昼休み終了の予鈴が校内に鳴り響く。
「あ、サータリーファルさん。次の時間の授業は移動なんだ。遅刻すると怒られちゃうから、すぐに移動した方がいいよ」
サータリーファルさんは僕の隣に座っているので、先生に色々教えてやれと言われたのだ。
いわゆる案内役という奴だ。
「分かりました。では一緒に行ってもらえますか?授業場所が分からないもので」
「ああ、そうか。じゃあ一緒に行こう。イリナももう移動するよね?」
僕はイリナに問いかけるが、イリナは虚空をじっと見つめるだけで、何も答えてくれない。
「イ、イリナ?大丈夫?」
「あ、ああ、次の移動の話よね?遅刻しないうちに行きましょ」
イリナがここまでぼーっとするのも珍しい。
いつもならぐだぐだしている僕を急かして、移動しようとするのに。
しかし、そんな疑問は右腕を柔らかい感触に挟まれ、一瞬にして掻き消される。
柔らかい感触の原因はサータリーファルさんがその豊かな双丘を押しつけてきたからのようだった。
「いッ!!?な、何してんの!?」
思わず変な声を上げながら、僕は大きく距離を取る。
「スキンシップというやつです。五年という時間を埋めるには身体的接触が一番早いでしょう?」
妙な持論を展開するサータリーファルさんだが、それは断固として認めるわけにはいかなかった。
こんなことをされると思っていたら、いつもドキドキが止まらなくなる。
「少なくとも僕に対しては逆効果だよ!?物理的にも精神的にも溝ができるよ!」
「あら、残念です」
サータリーファルさんは心底残念そうに眉をハの字に曲げながら苦笑する。
この子には人を揶揄おうとか、そういう悪心が一切見えてこない。
ただ純粋に、本当に、心の底からそう思っているように、僕の目には映った。
ふとイリナの方を振り返ってみると、彼女はまた虚空を見つめて、何か考えているようだった。
「イリナ、本当に大丈夫?」
「え?ああ、大丈夫よ。ちょっと考えごとしてただけ」
少し小走りになりながら遅れるわよ、と言ってさっさと進んでいってしまうイリナ。
やはり朝から何かおかしい。
イリナは何かと一人で背負い込みそうな性格をしているから、悩みごとを抱えていないか心配だ。
「イリナさんも行ってしまいましたし、私達も行きましょう」
「そう、だね」
聞いたところでそう簡単に話してくれるわけでもないし、しばらくは静観することに決め、僕達はイリナを追いかけるようにして、闘技場に向かうのだった。
「突然だけど、今日はテストをします。いわゆる抜き打ちテストね。あそこに用意した的をこの位置からどうにかして壊すって内容ね」
先生は百メートルほど先の的を指差して、こともなげにそう言った。
僕を含めたその場の生徒は絶句する。
百メートル先の対象物に魔法を当てるというのは、まさしく至難だ。
素晴らしい才能を持った弓手でなければ、百メートル先の的に矢を当てることなどできない。
魔法もそれは同じだ。
魔法は万能、と誰かは言っていたが、それは限りなく全能に近い能力を有していた場合の話だ。
そういう意味で今回のテストは当然不可能というわけではない。
宮廷魔法士などなら、平然とやってのけるだろう。
それは彼らがそういう『術』を構築できるからだ。
僕達にはまだそういう技術がない。
つまり、事実上不可能のはず――だった。
「先生、これで合格ですか?」
突如として的の辺りから煙が上がった。
僕は咄嗟に声のした方を振り返ると、そこには偉業を成し遂げたという感じもない平然とした顔を張りつけたサータリーファルさんが立っていた。
「なっ……!?」
先生も思わず絶句と言った感じで、口をぽかんと開けている。
人にはそれぞれ魔法発動領域というのがある。
この領域が広ければ広いほど、威力は落ちるが遠方の場所に魔法を発生させることができる。
僕の場合は周囲十メートル程が限界で、これを超えた領域に魔法を発生させようとしても、上手く発動しない。
つまり、爆発系統の魔法を的の周囲に発生させたサータリーファルさんは広大な魔法発動領域を持つと同時に、凄まじい魔力とその制御力も持ち合わせる生まれながらの魔法の天才ということになる。
「こ、この領域の広さ……貴女、もしかして悪魔族!?」
悪魔族は古の時代、魔王に比肩する力を持ちながら、享楽主義からくる傍若無人さに神の怒りを買い、その身に枷をつけられた魔族だ。
悪魔族はその寿命が長い為に数が少い上に、五百年前の大戦で更に大きく数を減らし、今では純血の悪魔族は魔貴族に数えられる一柱しか残っていないと聞く。
「ええ、まぁ、そうですね。ご承知の方もいらっしゃる通り、私はサータリーファル家の長女です。けれど皆さん気軽に接してくださいね。この学院には貴族も平民もありませんから」
サータリーファルさんは朗らかに笑いながら、僕達にそう言った。
貴族とかそういう話よりも、まずは自分の力がどれ程のものか自覚した方がいいと思うのは僕だけではないだろうが、彼女は全く意に介した様子はない。
「……とりあえず授業を再開します。的はもうないから、皆的のあった辺りまで届くように魔法を構築して発動すること。いいわね?」
そう、サータリーファルさんはある意味でこの授業の趣旨から外れた存在なのだ。
先生がやらせたかったのは『槍投げ』であって、槍の投下ではない。
「レイラちゃん、凄いわね。発動領域もそうだけど、この距離で的を破壊できる程の魔法を送り込めるってのも凄いわ。私じゃ、発動領域があっても、あそこまで届かないわね」
イリナは彼女の技術に感嘆の声を上げる。
僕はイリナの言葉に首肯することしかできなかった。
《スキル有り》の状態で発動領域の限界を試したことはないが、多分百メートルは不可能だ。
あれは彼女だけの才能であって、誰にも真似することはできない。
僕はかつての友人に大きな溝を感じていたのだった。
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