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・❆白百合は監獄より夢見る❆・  作者: るいす(初心者)
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中編

前編をお読みいただけるとよりわかりやすいかと思いますが、前編は文章の乱れや至らぬ部分が目立ちますので、以下のあらすじを読めばだいたいわかるようにしておきました。


[あらすじ]

貴族の生娘リリィと、貧民のアレンが屋敷の門前で出会う。リリィは外へ出たいと熱望し、アレンに自身を連れ出すことを頼む。了承しなかったアレンだが、防寒具を人質にとられてついに、リリィを外に引き出した…

走れ。言われた言葉通りに足をひたすら運んだ。積もった雪の上を二人分の足跡が点々と落ちていく。動きなれない箱入り娘の体はすぐに鉛のように重たくなり、疲労が液体化して吐き気に変わった。あれだけ否定したかった貴族という肩書きが、今は肯定するしかないほど苦しい。水のなかで溺れているようだ。爪先の感覚がなくなったのも一瞬で、それよりもっと奥の幻肢痛のような痛みが、雪を踏むたびに鋭く響いた。

リリィは何も辛くなかった。心だけは鳥のように羽ばたいて、寒さとも感激ともつかぬ涙があふれてとまらなかった。


「これで私は自由よ…!」


凍てついた空気は、小鳥のようだと賞賛されたリリィの声をしゃがれた気味の悪い声にかえてしまった。しかし舞踏会で歌声を披露しなくてよくなった今、それはリリィにとってどうでも良いことのように思えた。

それでもいい。リリィにそれ以上の価値が、生命から温もりを奪う寒空の下にはあった。何にも遮られない、強くて冷酷な雪国の風。彼女が監獄のなかで夢見ていた広い空。


「浮かれてんなよ!死ぬから!」


現実現代に生きるスラム街の少年から囁くように勧告がまわってきた。この空の下で生まれつき、育った身はその恐ろしさをよく知っている。


「地下にもぐろう。俺の住んでる街があるんだ。温水管があるからちょっとだけ暖かいぞ。そこに逃げよう。その角にあるマンホールに入れ」



❆❆❆❆❆



暖かいと言っても、それは外より幾分かマシという意味に他ならない。人糞と生ゴミが腐った悪臭がたちこめる汚い水路。リリィは思わず鼻を覆った。ほのかに温もりを残す温水管に、プレッセン(❆東の島国で言うカビ)と人間が競って行き場をもとめる地獄のような場所。流行病の元凶のような菌のるつぼ。

リリィとアレンの来訪に気が付いた地下スラムの子供らは、険悪な視線を向けた。どこもかしこも真っ白で、白百合のようなリリィに対して、スラムの子供らは薄汚れて黒っぽい。落窪んだ眼球に影がかかって、死神のような顔をしていた。

ピシャ、とリリィの耳の後ろから音がした。それは投げつけられたタラカーン(❆ゴキブリ)が温水管にあたって潰れる音だった。潰れて鳥の糞のようになったタラカーンは、内臓から汁が染み出て、温水管に伝った。大変気持ちの悪いものであった。


「おい、なにするんだよピーター!」


「なにするんだ はこっちのセリフだぜアレン!!その貴族はなんだ」


「新入りだ。この地下水路に住ませてほしい」


「もう場所ねえよ」


「知ってる」


「じゃあそいつ どこやるんだ」


「宝石の装飾品をもってるんだ。高く売れる。悪い話じゃないだろ」


「おめでたい頭だな!そいつ、エカチェリーナ家のだろ。そんな紋章入りの装飾品売ってみろ、俺らが誘拐犯としてヤツらにつかまるぞ」


アレンは押し黙った。


「オイオイ、考えてなかったのかよ!ほんとにおめでたい奴だなあアレンは。どうする?その女、なんにもできない無能なら価値もうないけど?あと売れるのは…」


「おい!やめろ!!」


アレンの悲痛な叫び声にかき消されてほとんど聞こえなかったが、それはこの雪国において 春 という意味を持つ言葉であったように思える。リリィはたじろいだ。


「わ、私、まだ齢も15に満たないのよ…?」


「ここじゃ15で立派に成人だ。やっぱりお嬢様じゃねえか、おまえ」


ピーターと呼ばれたリーダー格の少年は、早口の罵倒を繰り返した。リリィには聞き取れなかった。ピーターが乾いた だみ声をしていたこともあるが、それがいわゆる、スラムのスラングだったので。リリィは腹が立ってきた。リリィは自分に罪はないと思い込んでいたので、どうしてこのような仕打ちを受けなければならないのか、よくわからなかったからである。彼女の世間知らずゆえに、自分がどのような悪行を申し出ているかわからなかった。

穀潰し。そんな単語も知らないお嬢様であったようで。


「私の話も聞いて頂戴」


リリィは声をあげた。自分の主張したいことを言った。それが愚行であることも知らずに。とても愚かな行為。恥知らずの悪行。


「私は貴族の娘ではありません。つい先方、貴族の称号は捨ててまいりました。私はもうただの人間です」


骨ばんだスラムの子供たちは笑った。嘲笑った、というのが正しいのかもしれない。指をさして大声でリリィを笑う者もいた。もちろん誰も咎めなかったし、むしろそれが総意とも言えた。


「おまえの連れ、面白いなあ!」


ピーターもひとしきり腹を抱えてゲラゲラと笑ったあと、目じりを拭いながらそう言った。


「あんたが貴族なら、誰も守っちゃくれねえし、自分で生きてくしかないんだぜ、ほんとの話。自分の力で生きてたことなんてないんだろ?毎日あたたかい飯食って、やわらかいベットでねて。明日、食べるものがないなんて想像もできないんだろ。生きるためになんだって食うし、なんだってやるんだよ ここでは。そう、おまえなんかがヘドロの汁がどんな味がするのか、想像できる訳がねえ。道端に落ちてる死体から剥ぎ取る服の着心地がわかる訳がねえ。だから俺たちスラムの人間はなあ、おまえみたいに綺麗に生きてるやつらが大嫌いなんだよ」


それから癖悪く口笛を吹き、スラムの民に合図をだす。彼はこの貧民街の汚冠を抱く王だった。


「あいつを追い出せ、スラムの街を渡すな!この灰色の、街を守れ!!」


スラムの子供はУра!(❆了解!)と掠れた声で叫んで、足元にあるものを投げつけ始めた。地下水路の足元にあるもの、それは、ヘドロ 小石 人骨 堆積した黒いゴミの塊 プレッセンのコロニー(❆ここでは生ゴミを元にできた塊状のカビをさす)。目は獲物を喰らう猛禽類のように爛々と輝き、鋭い罵声をとばしながら汚物を投げる。足を踏み鳴らす音が水路中に響いて、化け物の呻き声のような残響がリリィを追い立てた。


「アレン、もう逃げよう!」


リリィは飛んできた小石が耳の裏をかすめる感覚に首を竦めた。アレンのほつれた袖を泣きそうになりながらひっぱる。汚物を投げられるのが痛いのではない。投げられる悪意がただ痛い。指先で小さく爆ぜるような、ここからリリィを追い出したくてしょうがないという感情が痛い。


「ねえ、アレン…?」


アレンは動かなかった。黙って投げられたタラカーンが髪の毛を這うのを受け入れていた。あれほど大事にしていたマフラーが、ヘドロで湿るのも受け入れた。小石が顔に当たって血が流れたが、それでも動かない。やがて蚊の鳴くような声で言った。


「…ピーター。おまえは俺のこと」


ピーターは声を張り上げた。その絶望的に明るい声は、スラムの雑踏のなかでもとりわけよく聞こえた。


「ああ、アレン。最低の糞野郎だと思うぜ!かつて愛した友よ!」


アレンはリリィに目もくれず、踵を返して梯子に足をかけ、大きな音を立てて外へ逃げ出した。安っぽい梯子はギシギシときしんで、悲鳴をあげるように泣いた。



❆❆❆❆❆



「ちょっとアレン、置いていかないで」


リリィが息も絶え絶えに外へ這い出してくると、アレンが壁ぎわでうずくまっているのが見えた。外は相も変わらず刺すような冷気で、リリィはすぐに足の感覚がなくなった。


「泣いているの」


少年の幼い身体は大きく震えていた。


「泣いちゃ駄目よ。涙が凍ったら、いずれ瞼があがらなくなってしまうから」


リリィが涙を拭おうと伸ばした手は、強く振り払われた。


「うるさいな!!」


アレンはそう叫ぶと、冷たい空気に喉を刺されて咳き込んだ。しばらくそうして咳をして、ようやくおさまってきた頃には、もう諦めてしまったようにぐったりと頭をたれた。


「もういちど、たのんでみる?」


「…やめよう。あんたにとってはただの汚い水路かもしれないけど、あそこは俺の唯一の故郷なんだよ。ピーターもワーニャもナタも、俺の兄弟なんだ。もちろん血はつながってないけどさ…。ワーニャって、おまえに最初に虫を投げたやつな。ナタは後ろで足を踏み鳴らしてたやつ。ナタ、あれでも結構人見知りなところあるからなあ…。俺、故郷の兄弟に石を投げられるのは、嫌だ。もう嫌だな。別のところ行こう」


リリィは静かになった。アレンもリリィも、考えていることは同じだった。


「どこにいくの…?」


行く宛てなどなかった。


「なんか、つかれちゃったね」


リリィはアレンの横に腰をおろした。冷たい地面と壁に、どんどん命が吸い取られていくのを感じながら。








ここまでお読みくださってありがとうございます。手元では完結している物語ですので、後編は明日にでも投稿予定です。


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