前編
グロ 残虐な行為を匂わせています。苦手な方はご注意ください。
初投稿です。粗相がありましたら申し訳ございません。
ばっ、と目の前の景色が反転した。
等間隔でならぶ黒い街灯が、道のずーっと先まであって、しかしこの貧しい地域では灯はともらない。白い雪のなかに突っ立って、寂しさを際立たせているだけ。
そんないつもの景色が反転した。
理由は簡単である。誰かに引っ張られた。首にまいていたマフラーを。
直後に感じたのは内蔵が浮くような気持ちの悪い浮遊感。そして体のすぐ両脇を前に抜けていく鉄格子が視界の端に。
「うわっ!!なにすんだ!!」
咄嗟に牢に入れられると勘違いしたアレンは、振りほどこうとやっきになって暴れる。
抵抗むなしく、痩せ細った棒のような体はあっさりと 誰か に引っ張り倒された。
ドッっと鈍い音がして、背中から地面に落ちる。
唯一の防寒着だった、貴重なマフラーが首からあ抜けた。引っこ抜かれたみたいだ。重大事件である。
「ふざけんなよっ!死んじゃうじゃねえか!」
もとよりまともな靴も履いていないような身分である。ペラペラの布を巻き付けて雪の上を歩くような身分である。
こんな寒い季節に、マフラーがないなんていうのは、文字通りの死活問題なのだ。
そこでようやく気がついた。
「ここ、寒くない…?」
誰に言うでもなく、素直な驚きが口をついて出る。肌を緩く撫でるのはほとんど夏の空気だ。もちろん雪国であるから、それでも大した暑さではないが。
ぼーっとしていても死ななさそうだ、とすぐに体が察し、緊張が解けた。
そうなると思い出すのは、疑問と地面に打ち付けられた背中の痛み。
「あんただれ、俺になんの用…」
骨にダイレクトに伝わった痛みをさすりながら、ダラダラと振り向く。
誰だかはどうでもいい、さっさとマフラー奪ってスラムに帰ろう。アレンはそう思っていた。なんなら向こうが持ってるものスっていくことまで考えていた。
「あんた、だれ…?」
先ほどと殆ど同じセリフである。しかし先と違うのは、相手の存在に対しての疑問があったことだ。
アレンは今、目の前にいるのが誰かまったくしらない。
目の前にいる、少女のことは、なにも知らない。
❅❅❅❅❅
変わった少女だった。真っ白でフワフワしたドレスに身をつつんで、レースのベールを被って。
感情という感情を全部削ぎ落として、体と周りの境界だけを残したみたいだった。
大病を患っている人間が持つ、独特の消えかかったような雰囲気。死を目前に表情が曖昧になったような。
しかし鋭利な視線だけが生き生きとしているものだから、なんとなく目付きの悪い印象を受ける。
「…それって、名前を言えばいいのかしら?」
言われて初めて気が付いた。誰と聞いたところでなんだというのだろう。この えも言えぬ、知識欲に似た好奇心。名前を聞いたところで明日の飯が増える訳でもなく、特に得るものもない。なのに、気になって仕方ない。このひとのことが妙に気になる。
うだうだ考えている間に、そのひとは白い髪を手櫛で梳きながら言った。
「リリィよ。エカチェリーナ=リリィ。」
アレンは知る余地もないことであったが、この名前は彼女の複雑な境遇を端的に表した名前であった。
はるか遠くの島国では、リリィは白百合の意味をもつ。向こうで信仰されている宗教に縁のある名前である。
ところがエカチェリーナというのは、この雪国でかつて国を治めた女帝の姓。
つまり、彼女が島国で産まれ、雪国の貴族の養子入りしたことを表す。
このように別の家から養子としてとられた少女の境遇は、大抵どこの国 いつの時代においても、同じようなものである。
すなわち、他の家からいただいた宝石として飾られるか、その家の飾りとなるか。
リリィがどのような状態にいるかは、アレンが次第に紐解いていくのだが、まあどちらにしても、マトモではないことだけは確かである。
「あなたは?」
「…名前なんて知ってもどうするんだ、俺はスラムのガキだぞ。」
言いながらアレンは、素晴らしく自分にブーメランな発言をしていることに気付いていた。
この言葉には 何故あんたは俺を引っ張ったのか という疑問の意味も含まれているので、あながち間違いでもないのだが。
「それ、私がなんであなたに関わってるのかって、非難してるようにも聞こえるわ。」
どうやらリリィは才女らしい。
「まあ、そんな感じ…。」
「簡単に言えば、私はあなたにお仕事を頼みたいの。この家には秘めて。だからどうしても、あなたに話を聞いてほしい。もちろん、ちゃんと報酬は渡すわ。無理に引っ張ったのはごめんなさい。」
リリィはここで一旦言葉を切って、姿勢を整えた。地面に叩きつけられたアレンにあわせてしゃがんでいたのを、きちんと膝を折って座った。
話の内容はともかくおいておいて、この地べたに脚をつけることをまったく躊躇しないリリィの行動に、アレンはなんとなく好感を持った。潔白を重んじすぎて掃除もろくにできない貴族とは、たしかに違う人種のようだ。
薄い真っ白のドレスは石畳に引っかかり、小さな音をたててレースがやぶかれた。
アレンは、これでおあいこだ、と思った。
「私をスラムに逃がして欲しい。」
❅❅❅❅❅
この状態におけるアレンの率直な感想は、イカれてるのか、である。
というか、アレンでなくてもそう思ったはずだ。
この暖かい庭でて、今日の飯すらろくに食えぬスラムに行きたいと。
庭が暖かいのは、温水管が下に通っていて、ちょうど人が歩く場所だけをほんのり温めているからだ。もちろん高技術のはずであるから、きちんと他国にパイプをもっている貴族という証拠でもある。
リリィが島国出身であるところからも_アレンは知らないが_それは伺える。
この時世に国内におさまらず外国にまで視野を向けるというのは、家の主が将来についてしっかりと思考し、また、優れた時代感覚を有していることを意味する。
そんな好物件を手放すなど、正気の沙汰ではない。頭がおかしいのだ。
アレンはしばらく声が出なかった。何を言うべきか迷っていた。この頭のおかしい少女に。結果、口をついて出たのは思ったままのことだった。
「頭、大丈夫かよ…」
結局のところ、アレンはリリィを馬鹿にしていたのである。どうせ貴族の遊戯だという考えを捨てきることはできなかった。ちょっとお外に夢を見て、雪の冷たさに気付かない貴族にすぎないと、決めつけたのだ。
リリィの返答はアレンのこの考えを裏切っていくことになる。
「ええ、イカれてるわ」
リリィはちょっとすました_捉え方によっては上から目線な_顔で言い放った。ツンとした表情が良く似合う少女だった。
「あなたも、私も、もうイカれてるわ」
「…それ、どういう意味だよ」
「もちろん そのままよ。あなたは私がイカれてる貴族だとわかっていてもなお、この暖かい庭からペラペラのマフラーを奪って逃げられない。私はあなたがそのような身分であることをわかっていてもなお、あなたにしか頼めない」
まったくもって図星なのだ。この暖かい庭はアレンの足を縫い付けて離さない。
「もう、この寒すぎる国はイカれてるわ。寒い、全部凍ってしまう。暖かい水もすぐに氷になってしまうし、故郷よりずっと寂しいところ」
アレンはここでようやく、リリィが他国出身であるという可能性に気がついた。珍しい色素の薄い髪と瞳、あわせて着ている白いドレスにも、ようやく気がまわった。卑しい身の上だと、生きていく以外の情報にイマイチ鈍感になっていくのがいけない。
「イカれてるからなんだってんだ。あんたがそんな共感よぶようなこと言ったからって、俺はどうだってかわらない。イカれてるってわかったところで、スラムの一市民が何をするっていうんだ。あんたの意味不明な言葉になにか根拠が生まれるってのか。冬将軍はそんなに理性的じゃないぞ」
「もうダメなのよ。もうダメだから逃げ出したい。イカれてるってあなたもわかってるなら案外わかりやすい話じゃない。スラムだってここだっておかしな生活してるのよ、この国に未来なんてないわ。」
もうダメだ、という絶望の思考は、いつだってスラムの人間の頭にもちらついていたものだ。
明日の飯もない、熱源もない、ああでも、盗む先はここにない。ただただ獣のような生存欲に踊らされる。もうダメだ。
寒い、寒い、死んでしまいそうだ。実際死んでる。
しかし、リリィの言っていることはやはりズレている。
「…それでもやっぱり、あんたはおかしい。スラムで待ってるのは自由じゃない。もうダメだからってスラムに逃げ出してなんだ。イカれてるのはスラムだって一緒だ。あんたさ、すっごいお腹減ってるとき、ひとがどんなことするのかわかってないだろ。俺の昔の友達でさ、とんでもない奴がいて。タラカーン(東の島国の言葉でゴキブリ)っているだろ、あれ食べたんだ。ちっちゃくてさあ、腹の足しにもならなさそうなのにさ。お腹減ってどうしようもなかったらしくて。そういうときって喉をなにかが通過する感覚がどうしようもなく欲しくなっちゃうんだよな。なにか噛みたくてしょうがなくなるんだよな。そんで、タラカーンとかたべちゃうの。こう、水捨てる溝あるだろ、あそこにブワーっと湧いてたのを片手でつかんで、足がわらわら動いてるんだけどそれ無視して口に放り込んでいくんだ。目みひらいて、なにかに取り憑かれたみたいな顔しながらさあ…。そいつの故郷では普通におかずとして食べてたんだって。でもそいつ、夜に全部吐いた。となりでえずいて、殻とか足とか吐いた。タラカーンって中身白いんだよ、気持ち悪かったな。そりゃそうだよな、あんなに汚いところから出てきた虫食べて、平気な訳ないよな。あいつもきっと気持ち悪かっただろうな。でも食べたいんだ。スラムじゃそんなこと日常茶飯事だよ。あいつは食べなきゃ死ぬから食べたんだ、故郷のおかずが懐かしかったから食べたんじゃない。あんたが行きたいって言ってるの、そういうところだ」
リリィは絶句した。
「悪いことは言わねーよ。家でご飯食べてな。」
アレンはそんなリリィの様子を見ながら、やっぱり貴族か、と思っていた。悪気はなかった。リンゴだったものがラズベリーにみえて、でもそれは勘違いでリンゴだった。そんな感じなのだ。最初から何もかわっていないなら、ガッカリも満足もしない。
「…スラムだけがそうだと思わないで頂戴。」
リリィはそう言うと、ちょっと体をそらせて、腹を見せる姿勢をとった。
「わかる?この腰の帯、コルセットと言って、できるだけ腰を絞って細く細く見せるための帯なんだけど」
胸元の柔らかい生地が腰を半分ほど覆いかくしていたので 、わかりにくかったのだが。リリィが体を反らせたことで、それは丸見えになった。
腰が異常なまでに細い。痩せすぎた人間は内蔵が圧迫するので腹が膨れるが、リリィの場合は違った。完全に成長しきった体から、腹まわりの脂肪が落とされている。
落とさせる、という表現ではぬるいくらい。欠損している。
「あんた、それ…」
アレンは言葉を失った。たしかに、スラムでもここまでひどい体はみたことがない。これではまるで、骨がそのまま動いているみたいだ。昔 妹が教えてくれたウェンディゴの童話を思い出した。氷の心臓に骨と皮でできた身体。お腹を空かせた化け物は、森に迷い込んだ人間を食べる。そりゃあ意地汚く、ネチャリ、グチャリ、骨までしゃぶって…
ゾワァッと背筋に鳥肌が走った。多分寒さのせいではない。
「すごいでしょ。内蔵で腹が出ないように、幼少期は栄養をとらされた。第2次成長期くらいから、食事制限されたの。第2次成長から、体が女性的なふくよかなラインになっていくからでしょうね。ちなみに貴族の間では、肩は尖っているのが儚げな雪国の民らしい、腰は絞って絞って棒になってるくらいが美しいってされているのよ。剣をもてない女共は、そうやって自分を磨くことでその強さをアピールするのよね」
リリィは淡々と説明をいれていく。
指先が細かく震えていた。それをめざとく発見したアレンは、なんとも言えぬ共感を覚えた。
そうだよな、俺と同じくらいの歳だし、リリィは女の子なのだから、自分の外観が気持ち悪いことになってるのって嫌だよな
アレンは必死におとなっぽい顔をしているリリィに、乳臭さを感じた。
「タラカーン食べるって勇気あるわね。私はできなかった。暖炉の後ろで苔を育てて、それを夜にこっそり食べるの。モーフ、私の生まれた国ではモースと呼ばれてた。だいぶ苦手だったけど、そうね、まだ美味しかったのかも。すごく苦く感じたのに、まだ美味しいわね、きっと。あのね、ベットの下に隠してあった本に、ペンで丁寧に書いてあったの。私の先代の養子が…同じように食べて飢えをしのんで…。モーフは食べれるって、タラカーンは駄目だ、不衛生だから死んじゃう、全部書いてあるの」
リリィは泣きそうな顔をした。ボロボロおとなっぽさが剥がれていくみたいだった。
「ここにいてもいっしょ、スラムに逃げてもいっしょ、お腹減って、本当に辛いよね。ほんと耐えられないよね。」
アレンは頭が変になってきた。普段つかわないような脳の筋肉を使ったので、どうもわからなくなってきた。
暖かい庭。目の前の少女。
全部回っているみたいに思えてくる。
なんだ、ずっと屋敷内にいる貴族が羨ましいと思っていたけれど、そこでも同じことだったのか。イカれてるなあ、スラムも貴族も。
「…そうだよ」
アレンも泣きたくなった。
だって、ああ、もう、どこでもいっしょか。
お腹が減って、胃液が胃袋をとかしそうに泡立って、それを越すと吐き気と気持ち悪さ。さらに越すと頭がふわふわして、寒気が襲ってくる。そこを越したら…
「…あんたさ、どこまで覚悟してる?」
だからだろうか、アレンのなかには少し、この少女の望みを叶えてやってもいいのではないか、というおもいが出ていきたのである。
なんならリリィの成功報酬というのも気になっていた。
それに、最悪この子が死んだとしても、ドレスは売れるし、綺麗な髪にも高い値がつくはずなのだ。耳にぶら下がっているキラキラも、素人目で見ても良作とわかる美しさだから、売るところさえ間違えなければ、腹のたしになるだろう。
「どこまで、って?」
「死んでもいいのか。」
「もちろん」
「本当に?」
「ええ、本当に」
可哀想な子だなあ。死ぬってのがどんなことか、なんにもわかってないくせに。
「可哀想だな、あんた。死んだらな、すっげえ臭くて汚くなるんだぞ。雪が降って春になるまでにみんなに踏まれてさ、春になって雪が溶けたらばきばきに折れた骨と、腐った気持ち悪い肉だけのこるんだ。そんで頭の骨をスラムの奴がボールにして遊ぶ。見たことないなら絶対わかんないよなあ、気持ち悪いぞ、死んでるの」
リリィは真顔だった。すでに先程までの泣きそうな顔は影を潜めていた。アレンはまったく怖がっていないように見えた。実際のところ、リリィの指先は細かく震えているのだが、その態度と表情には毅然とした意思が表れていた。
「では改めて、アレン。私をスラムに逃がしてください。」
ぷつ、と切れた。
「あんたさぁあ!!話聞いてた!?おれが!わざわざ忙しいのにっあんたに!教えてやってんの!!俺のこと馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」
アレンはついに、リリィに対する最大級の罵倒を口にした。
「…貴族の道楽のくせに!」
リリィはさすがに、はっと申し訳なさそうな顔をしたように見えた。しかし次の瞬間には、アレンの頬に痛みが走った。
子気味良いほど綺麗に鳴った音は、栄養失調症ゆえに荒れたアレンの顔を容易に赤く染めた。皮膚が裂けることこそなかったが、強く力の入った ちょうど指先があたったところは、皮膚病のように赤い内出血がぽつぽつと浮かんでいた。
「だまれ!!」
リリィは般若のように歪んだ顔をしているとアレンは想像していた。彼女は真顔のままだった。
「道楽だから、何よ。あなたはどのみち、私の言葉を飲むしかない。じゃないと死ぬんだもの。それが、お願いをきくというかたちか、脅迫というかたちか、どちらがアレンの好みかしら?って、それだけよ」
「てめー、本性はそれかよ。腹ではずっとそう思ってたんだな」
リリィはわらった。あなたアレンの耳に歌うように言葉を吹き込んだ。
「ね、お願いします。私をどうか、外へ連れて行って。はやくここじゃない地獄に連れて行って」
マフラーをアレンの小枝のような手首にきつく結んで、もう片方はリリィの同じく細腕に巻いた。
アレンは反論をやめた。地獄じゃない地獄へ。
「バカめ。もういいさ、連れて行ってやるよ。おまえは引き止める価値なんてねえんだな。死ねばいい。好きに死ねばいい」
アレンは突然立ち上がって、門の鉄格子をするりと抜けた。リリィはつんのめって、門の外へ飛び出した。
「わっ!ちょっと、何するの!」
雪風が、リリィの体を包んだ。
続く
沢山の綺麗なお話がありますなかで、この小説に目を留めてくださってありがとうございます。
この小説は手元のメモでは完結しています。中編は明日 投稿予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。
(前編は表記乱れや低文章力で読みずらくてごめんなさい!)