【42】優しく強く、強く優しく
そして時系列は今へと巻き戻り……。
「――ッ……!?」
「――…これは……」
死闘を繰り広げるゲイブとクライスの目前に、
黒い息吹が吹き荒れたのは互いが疲弊しきった頃だった。
「傷が……癒えていく……」
摩訶不思議な力だった。
エマもクライスも驚いていたが、ただ一人、
ゲイブ・ザッハークだけは違う顔色を見せた。
「なあ……クライス、だっけか?」
その声音はひどく弱々しい。
傷は癒えたというのに覇気がなく、
開戦前の威勢はどこへやら。
「お前を男と見込んで頼みがある。……俺を見逃してくれ」
血気盛んに攻め立ててきた敵とは思えないほど、
ゲイブは弱者のような懇願の姿勢を見せていた。
「……なぜだ」
「お前が俺を殺さなきゃいけない理由も、
その義務も、理解しているつもりだ。
俺だってな、本来ならお前みたいな
強い奴とやり合いたい……でもッ!」
ゲイブは唇を噛んで、慈悲を乞うように
小さく呻いた。
「主君が……ピンチなんだッ……!」
ゲイブはこの黒い霧で、全てを悟ったのだ。
イズミがピンチであることを、真の『脅威』が現れたことを。
「頼む、見逃してくれ!」
それはすなわち、戦いの最中に背中を見せるということ。
狙わないでくれと、ただ彼の良心に訴えかける。
相手は手練、隙を見せたら一方的にやられる未来しか待っていない。
だからこそ、彼は願った。主君のもとへ、行かせてくださいと……。
「……」
クライスは無言のまま……剣を鞘に収めた。
「――ッ……お前……」
「勘違いするな。次に顔を合わせるまで、
その首を繋げておくだけだ。さあ、行け」
本来なら、クライスは無慈悲に彼を切るべきだった。
集中力だって削がれるはずだ。
さっきよりも仕留めやすかっただろう。
けど、そうしなかったのは。
――互いに、思う女がいるからだ。
「恩に着るぜ! 次に合ったときは、必ず!」
「必ず、なんだ? 殺すか?」
……結局のところ、最後までクライスはクライスだ。
彼の挑発的な姿勢は死んでも変わらないと推測される。
「この借りを返す!」
そう一方的に告げて、彼は
自分の女神のもとへと飛んで行った。
呆然と立ち尽くすクライスとエマを、
その場に残して。
◇
「さて……先遣隊としての仕事は十分だろう」
ふと、役目を終えたようにつぶやくクライス。
その体がふわりと重力に負けて傾くのを、
エマは見逃さなかった。
「クライス!」
硬い地面に衝突する前に、
なんとか頭部を膝で包み込んだ。
「はは……。疲れちゃったよ、ユキミヤ」
それこそ傷は癒えたはずなのに、クライスの
声は沈むように重く、目は眠ってしまいそうな程に細い。
エマには分かった。
きっと虚勢を張っていたのだろう。
戦場に出向いたときから、ずっと。
彼だって、いかに優秀と言えど十七歳の少年なのだから。
エマを心配させまいと、ずっと彼女を守ってくれた。
戦いながら、十分すぎる程にサポートをしてくれた。
優しい言葉と、強い剣と。
そして、本当は淡く脆い、胆力を行使してまで……。
「……ばか。私のために、そんなに気疲れしてまで……」
「――。は……はは。気疲れ、か。
面白いことを言うな、ユキミヤは」
「……なんで、笑ってるの……?」
エマの暖かい膝に包容されながら、
クライスはくすくすと笑った。
それはいつもの皮肉めいた笑みではなく、
年相応の、子供らしい微笑に見えた。
「――好きな女の子を、最後まで守りきったんだ。
そんないい男に対して、何か言うことはないか?
ユキミヤ」
数秒のあいだ、流れる沈黙。
エマは少し言葉を選ぶように、
口元をぱくぱくと往復していた。
答えなら既に喉から出かかっている。
だけど、素直にその言葉を言い表せない。
そんな困ったような表情のエマを見上げて、
またもクライスはふっと儚げに笑った。
「気づかれなんか、してないさ。
これは、栄誉の負傷だ。心のな。
だってユキミヤが、無事でいる。
――君が、生きていてよかった」
すっと、クライスがエマの頬に手をやる。
その手に、確かな火照りと温もりが宿る。
生者にしか与えられない、体温の証。
それを離さないように――強く優しく、その頬を撫でた。
美しい花を愛でるような、割れ物を扱うような繊細な指が。
自分の素肌に触れるたびに、ドクドクと脈打っている。
――エマはその腕を、自分の頬の上でそっと包み込むように触れて。
その焦燥にも似た胸の高鳴りこそが、いま自分が言うべき
言葉を――如実に教えてくれていた。
「ありがとう、クライス――君のおかげで、私は今も生きてます」
それを聞いたクライスは、安心したように瞳を閉じて。
「どーいたしまして……」
――いつまでも、穂刈誠太に負けていられないからな。
このエマの表情は、きっと誠太でも見たことがないだろう。
クライスは誇らしく、その意識を眠りへ投じた。
はい、次でこの章終わります。
終わらせてみせます(・∀・)




