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【35】夢に狂った男


――たとえば日本の町中で、刃物を振り回している男がいるとする。


コンビニに行ったその帰りだった穂刈青年は、

無論恐れ、恐怖する。彼じゃなくたって怖い。


しかし異世界において、穂刈青年は目の前に剣を振り回す剣士がいるにも関わらず、それらを恐れず、むしろ果敢に攻め入って行くことができた。


それはなぜか。


自分が持つ力に、絶対の自身があったからである。


人が虫を嫌煙することがあっても、決して命の危険を顧みないように。

武力があればどんな肉食獣にだって応戦していけるように。


彼は――穂刈誠太は恐れなかった。


殺傷性のある剣を、人を切るために作られたたがねの剣を。


そして、それを使いこなすのに熟知した剣士たちを。

ゴブリンと呼ばれる、日本では空想上の化物たちを。


俄然に倒れる、長髪の剣士――ブラッドフォードを――恐れたりはしなかった。


「セイタさんっ」


しかし、その強がりとも言える強さは、

そのたった一言の呼びかけに瓦解した。


柔らかいオレンジ色の髪の少女。


乳白色の肌とよく合う、長いポニーテール。


剣術科の中でも優秀な成績を維持し、

異世界上がりの誠太と肩を並べる少女――ソフィアの呼びかけによって。


「僕は一体、何を……」


その腑抜けた表情はもはや、抜け殻と呼んでも相違ない。


穂刈誠太がブラッドたちを恐れなかったのは、

ひとえに自分が『西の勇者』であると自己暗示をかけていたからだ。


伝説上で語り継がれる『西の勇者』と同等の力を自分は持っていると、

深く自分の心に言い聞かせていたからこそ生まれた、いわば火事場の馬鹿力。


そうでなくては、如月を――囚われの姫君を救い出すことができないから。


どこに囚われているのかも知らないまま、

誠太は殺戮をくりかえし、いくつもの屍の山を築いた。


もし日本でこれをやれば、誠太はまちがいなく

大量殺人犯の判を押されるのだろう。


しかし、ここは異世界。

日本の常識を言い出す方もおかしいだろうが、

だからといって「殺人に対して良心を痛めない人間」

というのも、いかがなものなのだろうか……。


それはただのマーダーウォーリアーだ。


しかし、彼がつい先ほどまで

それになっていた事実は否めない。


だからそこに駆けつけてきたソフィアは、

本当に彼を救った恩人と言えるだろう。


吐瀉物をまきちらしてうずくまる誠太に、

彼女は水を与え、体を起こすように指示した。


しかし、それでも彼の瞳は虚ろのままだった。



「ソフィア……僕は……とんでもないことを……」



懺悔、しようと思った。

どれだけ悔やんでも、謝っても、取り返しのつかない事を、

それほどの命を、ひとときの感情に任せて奪ってしまった。


だから、せめて彼女に懺悔しようと。

そう思って開いた誠太の頬に――にぶい痛みが走った。


「な……」


何が起きたか、確認するまでもなかった。


大粒の涙を瞳にため、今にも泣き出してしまいそうなほど

不安そうな、それでいて怒りを表した表情を、誠太は一度みたことがある。


――ソフィアは、嗚咽を殺しながら言葉を紡いだ。


「かっ……勝手に一人で先走って、わけ分からないことばっかり言って、

みんなに心配かけて! 本当に、なにをしているんですか、あなたは!」


ぐうの音も出ないほど、彼女の声は切実で、人情にあふれていた。


誠太は大勢に心配をかけた。

クライスに、ソフィアに、そして――誰でもない、エマに。


いま思えば、ただ寝ぼけていただけなのかもしれない。


ストレスと披露と、そして昔に残した未練が見せた、

悪い夢を、ずっと穂刈誠太は漂っていたのだ。


昔の彼女が、自分といっしょに異世界に転生され、

彼女が姫となり、自分が助けにくるのを待っている。


――そんな、誰しもが一度は夢見るような『妄想』が、

それに対する『執着』が、穂刈誠太を動かしていた。


彼は、ただのゲーオタなんかじゃない。


夢が現実に侵食されることが許せなくて、

新しい異世界リアルに夢物語であることを強制した、

エゴイズムの塊、エゴイスト――夢に狂ったバーサーカーだった。


「……ごめん、なさい……」


だから、謝ることしかできなかった。


七年も年下の後輩に向かって、哀れにも涙を流しながら

なにかを懇願するようにこうべを垂れ続けていた。


「……エマに、言ってあげてください」


その女神は、慈悲を与えるようにそう言った。

慈悲という名の、チャンスを。


バーサーカーから、人間に戻るためのチャンスを。


「もう、何があったかなんて、聞きません。

セイタさんが何を考えて、あんなことをしたのか

なんて、もう聞きません。聞いてあげませんから。

だから……エマにだけは、謝ってあげてください。

だってあの子は、セイタさんのことが……」


そう言いかけて、

ソフィアは血溜まりの海の中で、

服の袖でそっと透明の雫を拭う。


赤くはれぼったい――柔からな視線が、

ささくれたセイタの心を包み込んだ。


「あなたはたくさんのものを奪いました。

だから次は、たくさんのものを救ってください。

約束ですよ。必ず、あの子を救うって、約束、してくだ、さ……」


――最後まで言い切ることなく、ソフィアは堅い地面に崩れ落ちた。




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