夢が始まる桜並木
2016年3月
「君たち3人は、今日からグループとして活動してもらう」
とても現実味のない言葉だと、翔鈴は言った。
ある日事務所に集められた、同じ事務所のアイドル。信桜由春、薩葛林志穂、日番谷翔鈴の3人。デビューもしていないし、知名度も低く、飛び抜けた特技もないし、トークだって得意じゃない。
それに由春は、以前活動していたユニットが解散してからというものの、仕事は以前より少なくなっており、デビューは愚かグループ結成すら程遠いと言われていた。
グループを組むことがどれだけ凄いことか、一番分かっていたのは翔鈴だ。小学校3年生のときから5年もの間、アイドルを追っかけ続けた彼は、きっと下手なアイドルよりもアイドルに詳しいだろう。
この事務所はアイドルが多い。グループを組むということはそれだけ力を入れて売り出すということであり、それを事務所に入ってまだ日の浅い自分達がするということは、翔鈴や由春にとって衝撃だ。
しかし志穂には、その凄さはいまいち分からない。彼だけは眠そうな目を擦り、欠伸をしながら話を聞いていたが、2人の反応から凄い事だというのはなんとなく分かった。しばらくの沈黙の様子を見て、最初に言葉を発したのも志穂だった。
「とりあえず…グループ名とか発表の日付とか、詳細を教えて欲しいな~?」
「グループ名は…決まっていない。発表するのは、春の劇場公演の制作発表の予定。」
志穂の馴れ馴れしい質疑に答えたのは、小太りの中年男性。その辺にいそうな見てくれの男だが、こんなでも社長である。
「グループ名が決まってないって、どうするの?いつ誰が決めるのー?」
社長相手にタメ口で質問を繰り返す志穂の言動は、当然誰の目にも失礼な行為に映る。しかし社長は、数多くのアイドルを見てきたからだろう。会って1年弱で、社長は志穂の性格をよく理解し、上手に付き合っていた。
志穂が問うと、社長は一歩前へ進んで、3人の目を見た後にこう言った。
「グループ名は、3人に決めてもらうのがいいと思って。」
「「「3人で…?」」」
由春と翔鈴は顔を見合わせ、志穂は「何故?」と続けた。
「正直なところを申し上げると、実はまだ、3人をどう売り出すかがちゃんと決まってなくて。だから3人で試行錯誤しながらグループを作り上げていってほしい。っていうのがこのグループのコンセプトかな」
コンセプトというより投げやりな気もする、と志穂は思った。ほかの2人はそんなこと考えていないだろうとも思った。志穂は呑気に伸びをして、再び社長のほうを向く。その間由春と翔鈴はぴくりとも動く様子を見せなかった。
「じゃあ3人とも、何か案はある?」
「僕は何でもいいよ〜?2人に任せるー。」
「僕は、は…よ、由春くんにお任せします!!」
「お、俺は特にないから、2人が決めていいよ!」
「「「「…。」」」」
こんなので大丈夫か、と誰もが思った。当たり前だが、誰かが発言しなければ何も始まらない。沈黙の中、アイコンタクトを取り続けた結果、じゃんけんで負けた人が決めることになった。
「「「最初はグー!じゃんけん…」」」
「グー!」
「パー!!!!」
「ぱ〜」
一人グーを出したのは由春だった。
「由春くん、何かありますか?」
由春は困り顔で少し悩んだ後、恐る恐るだがこう言った。
「ネイビー…とかは?」
「ネイビー…ええっと、紺色、ですか?あっあの、青っぽいの」
「海軍って意味もあるみたいだね〜?海軍の制服が濃紺色であったことから転じて、色合いを表す言葉にもなったんだけどね〜。…社長、どう?」
「うーん、そうだね!流石だね!ネイビーいいね!」
社長はとにかく褒める人なので、20秒ほど「ネイビー」のネーミングセンスを褒めた後、「でもそれだけじゃちょっと寂しいから、ネイビーなんとかかなんとかネイビーにしよう」と言い出すだろう。という志穂の予想通り、本当にその通りの話の展開だった。
再び沈黙が続く。由春は「俺はもう考えたから、あとは2人で考えて!」と言わんばかりの表情で、逃げるように一歩後ろへ下がった。
「…『アレクシス』なんて、どう?」
そう言ったのは意外なことにも志穂だ。
「意味は特にないんだけどね〜?普通にヨーロッパの男性名だよ。まぁほら、こういうのは意味合いよりフィーリングだって、社長も言ってたでしょ〜?」
意味に拘る志穂にしては珍しい発言だった。志穂の発言に一番驚いていたのは翔鈴だったが、翔鈴はこう続けた。
「ネイビーアレクシス…ですか?」
「じゃあ改めて、自己紹介でもしよっか。俺は信桜由春!信じる桜に由来の春で、しのさくらよしはる!もうすぐ高校生!えーっと…しのくんって呼んで!」
「どうも〜。薩葛林志穂でーす。しょーれとは同期で同い年の中学1年生だよ〜。めんどくさい名前だけど覚えてね~?」
「ひっ、日番谷翔鈴!です!その…あ、アイドルが好きです!ファンの子には、翔がフライング、鈴がベルで…フラベルって、呼ばれてます!よ、よろしくお願いします…」
「…本当は呼ばれてないんだけどねー。」
咲きかけの桜がよく見える窓側の席に、カフェオレが2つとミックスジュースが1つ並んでいる。事務所から歩いて3分ほどで着く、『あんまり美味しくないカレー』が名物の年中閑古鳥が鳴く喫茶店だ。
志穂と翔鈴は同期なので面識があったが、由春は2人とは限りなく初対面に近かった。事務所を出た後に、3人はここで自己紹介がてらに少し話をすることにした。
「2人とは少し会ったことはあるけど…バックについてもらうとかばっかりで、一緒にちゃんと仕事したことなかったからね。ちなみに俺のこと知ってる?」
「知ってます!!!超知ってます!!!僕はね!!!貴方が13歳のときから!!!見てました!!!!」
勢い良く立って食い気味に返事をする翔鈴をよそに、志穂は曖昧な返事を小声でしていた。その後、自分の声があまりにも大きすぎることに気付いた翔鈴は、「失礼しました!」とこれまた少し大きな声で言った後に再び着席した。特に周りに、自分達以外の人がいるわけではない。
「んでー、えーっと…ひ、日番谷くんと…さ…さっか…何くんだっけ?」
「さっかりんだよ〜。覚えにくかったらもう志穂って呼んでくれたほうが早いと思うな〜?」
「あ、俺も翔鈴って呼んでほしい!です!」
一向に敬語を使おうとしない志穂と、不慣れな敬語を使おうとする翔鈴を見て、由春はなんとなく2人の人間性が分かってきた。由春が知っている2人の情報は「薩葛林志穂は科学が好き」「日番谷翔鈴はアイドルが好き」だけだったが、その2つも雑誌の誌面で見ただけだ。自分がいかに後輩について何も知らないのだと思った由春は、2人のことをよく知るためにもまずは自分から積極的に情報を発信すべきだと思ったのだろう。
「えーっと…翔鈴くん…と、志穂くん?でいいかな?俺より2つ年下かぁ…あ、えっとね、俺事務所入ってもうすぐ3年で寮暮らしで実家は香川!尊敬してる先輩は、Ragged Starの八剣伊織さん!」
「あっはい!知ってます!知ってます!知ってます!それも知ってます!」
「…しょーれ、君が知ってても、僕が知らないからね~?…まぁ、多少は知ってるんだけど。」
翔鈴は由春のことをよく知っている。志穂はアイドル雑誌を最近よく読むようになったので先輩の顔と名前程度なら頭に入っていたが、5年かけて蓄積された翔鈴のアイドルデータベースには及ばないだろう。
「あ、あと…同じグループのメンバーなんだし、タメ口で大丈夫だよ。年も芸歴も2年ぐらいしか変わんないし。」
「いっいえそんな恐れ多いです!僕にとって、は…しのくん?は、は年に3〜4回、1回につき最低5800円プラス手数料プラス交通費は払って会いに行く人だったのに!そんな人にタメ口で!話すとか!」
「まぁ、僕はずっとタメ口なんだけどね〜?」
「…志穂はさ、敬語が使えないの?昔の死ぬ程威圧的な喋り方に比べたら今のほうがましっちゃましだけど、それにしても社長にタメ口ってのは…いや、あの人は大丈夫か…。とにかく、しのくんは優しいから怒らないけど、タメ口で喋ったら怒る人だっているよ?」
「うーん…丁寧な言葉を使うことがないんだよね〜。必要がないと思ってるからかな〜?でもまぁ、喋り方が印象を決める、っていうのは、なんとなく学習したよ〜?だからこんな、間延びした喋り方してるんだよね〜?」
「あ、あの…2人とも…」
同期同士の会話が始まると、居場所がなくなるのは当たり前だが由春。それに気付いた翔鈴は志穂との会話を中断させ、由春に話を振り直した。
「まぁ、敬語かタメ口かは自然と決まることとして…俺はその…一応2人より先輩だし、前別のグループで活動してたことあるし、分からないことあったら何でも聞いてね!」
由春がそう言った瞬間、翔鈴は志穂のほうを向いた。「何でも聞いてね」と言った人間に志穂が何も聞かなかったことがないからだ。それも、普通の人は答えられない小難しい質問。翔鈴は由春を困らせたくなかったが、志穂に質問をするなというのは、それはもう、生きるのをやめろぐらいのことだ。翔鈴はもう、諦めて成り行きを見守ることにした。
「しのくんは、何故アイドルという概念が存在するんだと思う?何故手の届かない人に、人々は心酔するのか分かる?」
翔鈴が予想していた通りの質問。そしてそれは、翔鈴が志穂と初めて会ったときに聞かれたことと同じだった。
「うーん、そうだね…」
翔鈴は、志穂がアイドルを研究対象だと思っていることを知っていた。翔鈴はそれでもいいと思っていたが、本気でトップアイドルを目指す人達からすれば、彼のアイドルになった理由は不当だと思われても仕方ない。だから翔鈴は、志穂の本質を知っているのは自分だけでいいと思っていた。
でも、それは違う。志穂はこれから自分以外とも関わる。この3人で、ネイビーアレクシスで活動していく上では、由春にも、志穂のややこしい質疑に答えられるようになるか、受け流す術を身に着けてもらわなければならない。
「当たり前のことだけど、アイドルを求めている人がいるからじゃないの?」
志穂の小難しい質問に、由春は笑顔で答えた。
翔鈴は、由春に心配も迷惑もかけたくなかったし、我慢も無理もしてほしくない。そう強く願っていたのは、翔鈴が由春のファンだったからだ。でもそれはきっと、余計な心配だったと翔鈴は気付いた。由春は自分よりずっと大人だったからだ。
「じゃあ何故、アイドルを求めている人がいるのだと思う?」
「うーん…それは多分人によって違うと思うけど…誰かに憧れるのが楽しいからじゃない?そういう志穂くんは、何でアイドルになったの?」
「僕は…」
志穂はミックスジュースを無意味にかき混ぜながら窓の外の景色を眺めた。向かいのCDショップには、由春の憧れる先輩達のニューアルバムのポスターが大きく貼られている。普段の彼らからは一転して、ハードボイルドな魅力をイメージした赤と黒の衣装。その5人はきっと、多くの人の憧れだ。
「あの人達を見て…疑問に思ったから。何故歌って踊るのか、人は何故それに心酔するのか。どれだけアイドルの雑誌や番組を見ても結論は出なかったし、誰に聞いても納得の行く答えなんてくれない。だから自分で探そうと思った。アイドルになって。」
間延びした喋り方は、真剣さのせいで抜けていた。右を見ると、翔鈴は自分と同じ桜を見つめているように見えた。
「じゃあそれでいいんじゃない?これから探していけば。それが志穂くんのアイドルとして活動していく上での原動力になるなら、それもひとつのアイドルの形だと思う。」
由春は志穂の緑がかった瞳を見据えて、語りかけるように言った。探求し続けることを一時的な結論とするのはどうだろう、という由春の提案を、志穂は目をそらしながらも肯定した。
翔鈴はこのやりとりをしているその間ずっと不安げな表情だったが、志穂の表情を見て何を察したのか再びよく喋る翔鈴に戻ったようで、何を思いついたのか突然立ち上がり声高らかに喋り出した。
「そうだ!なんかグループの掟!みたいなの作りましょう!」
「…それ、いるかな〜?」
「いる!いらないけど、いる!こういうのはさ意味合いよりフィーリングだって、志穂も言ってたでしょ!?」
「あー、言ってたね、今日。」
「いやぁ〜、あれはさ〜?なんていうか〜?うん、まぁいいんだけど…。」
乗り気でない志穂をよそに、翔鈴は立ったままはしゃぎっぱなしだった。由春も段々楽しくなってきたようで、雑誌の誌面でよく見る満面の笑みを見せていた。
「グループの掟そのいち!えーっと、誰も発言しなかったときはじゃんけんで意見言う人を決める!」
「いいねいいね!今日それだったね、じゃあーえっと、掟そのに!俺に敬語禁止!」
「えーっそれ困る!!困ります!!」
人がいない喫茶店ではしゃぐ2人だったが、志穂は何が楽しいのか分からなかった。けれど、自分1人だけが楽しめていない疎外感も感じなかったし、2人が楽しそうならそれでよかった。それでも2人は自分を心配そうに見つめた。
「そうだ!志穂も何か考えてよ。何でもいいよ。志穂の好きなことで!」
「…僕の好きなこと?」
志穂は少し考えた後、俯きながら小声で呟いた。志穂は自分が何も楽しくない可哀想な人だと思われるのが一番嫌いだったが、2人の眼差しを見てなんとなく心が動いた気がして、少し笑った。
「僕の問いには…できるだけ答えること」
それは、志穂がアイドルを研究する上で、2人に協力を仰ぐということを意味する言葉だと翔鈴は感じた。由春は笑顔で頷き、翔鈴は当たり前だと笑った。この瞬間が、彼らの最初の時間だったと後になって3人は思った。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか。2人の親御さんも帰りが遅いと心配するからね。」
「うーん…僕の家ははそうでもないんだけど…そうだね、帰ろっか〜?」
「えーっと…しのくんは寮でしたよね!じゃあ、途中まで一緒に帰りましょっか!いいよね、志穂?」
「志穂がいいって言うなら、いいよ〜。」
翔鈴は少し残ったカフェオレを飲み干し、咲きかけの桜並木を眺めながら3人は並んで帰った。
これからネイビーアレクシスが作っていく未来がどんなものなのか、どんなステージを作るのか。カフェから寮に着くまでの数分間、彼らは明日からの日々に、希望を抱いていた。
「じゃあね、2人とも。明日からのレッスン、頑張ろうね!」
「はい、また明日!」
「じゃあね〜。」
それと同時に、多大なる不安感に襲われていたのは、きっと彼だけではない。
to be continued