変態と義妹とおやっさん
薄着で外に出ることが可能にもなるこの暑い季節には、幾つかの風物詩というものが存在する。
夏と言えば海。夏と言えば山。夏と言えば怖い話。どれもこれもが幼心を刺激してくれて、退屈な日常から救い出してくれる頼もしい代名詞達だ。
しかし、しかしだ。その風物詩の中には決して良いものばかりではなく、害悪としかならないものも存在する。それが世にとって真実かどうなのかは定かではないが、少なくとも俺はその風物詩を“悪”と断言する。
その風物詩とは――若い女性をターゲットにして己の痴態を晒すという、変態的変質者達のことである。
エロいことが好き。卑猥なものが好き。それだけなら俺も見て見ぬフリをしてスルーしているところだけど、そのぶっ飛んだ性癖で他人を巻き込むようなことをするのであれば話は別。二度と馬鹿な真似ができないよう早々に駆除するべきだ。
俺も思春期の男の子だし、邪な感情が全く無いわけではないし、むしろやらしいことばかり考えている時もある。が、それで他人に迷惑を掛けるようなことは決してなかった……はずだと信じたい。
とにかく、俺にとって変質者は敵以外の何者でもない。例えその変質者が俺の愛する妖怪であったとしてもだ。
「男にゃんて……男にゃんて醜い獣よ……もう男は信用できにゃい……この世の男にゃんて滅んでしまえば良いのよ……」
ボロ屋敷のとある一室。どっかのヤンデレ姫が恋を否定するように、男という生き物を全否定する猫又の少女、猫さんが隅っこに体育座りして絶望の淵に立っていた。
「しっかりするのじゃ猫。そんな裾の短いエロチックな着物を着とるから目を付けられるのじゃ。今日くらいは普通の着物を着ておいたらどうじゃ?」
「……動き辛くにゃるから嫌」
「そうは言うがの……ならせめてスパッツなるものを履いたらどうじゃ? それなら見られてもセーフじゃ」
「……着物に合わにゃいから嫌」
「そこまで落ち込んでおいて尚も女のプライドが勝るとは……女妖怪の鏡じゃの猫。我はお主を尊敬するぞ!」
「……いいからもう放っておいて」
さっきからどうにか猫さんを元気付けようと頑張っているキサナ。しかしその効果は良い方向へ傾いてくれることはなく、顔色を悪くしたまま押入れの中に入って引き込もってしまった。
何故猫さんがこんなにも精神的に病んでしまっているのか。それは他でもない、冒頭で俺が語っていた変質者による仕業であった。
キサナの話によれば、毎年この時期になると結構な頻度で妖怪の変質者というタチの悪い男妖怪が現れ、見た目若い女妖怪を標的にセクハラ紛いなことをしているのだという。
キサナも過去に何度か同じ目にあったらしいのだが、元々どエロ属性のキサナには全く効果が無かったため、キサナの性分を見極められてからはもう二度と変態妖怪の被害に遭うことが無くなったらしい。流石はキサナと言ったところだろうか。
そして今日。猫さんがいつもの如く我らのボロ屋敷に遊びに来る道中、変態妖怪の一人と出会した。その時に何をされたのかを聞こうとしたけど、何の情報も得られないままご覧の有様で今に至るというわけだ。
我らの猫さんにトラウマを植え付けるなど笑止千万。即刻手を打たねばなるまい。
「やれやれ、猫にも困ったものじゃの。人生……いや、妖生一度はエロいものを見ることになるのは当然の理じゃろうに」
「俺達と違って猫さんは純情だからね。耐性というものが全く無かったんだよきっと」
「そういうものかの。でもこれまで我は猫に対して、数多のセクハラをして来たのじゃが……無論、中にはボディタッチをするものもあった。いやむしろボディタッチが八割占めとるの」
「それもまた別の話だよ。セクハラしてくる相手が一番信頼しているキサナだったからこそ、むしろそのセクハラを気持ち良いと思っていたんだよ」
「なるほど……よし、結婚するかの猫。お主の処女は我が貰う。ちなみに我はSでもMでもイケる口じゃ」
押入れ越しにプロポーズをするキサナであったが、少し押入れが開かれた途端に足裏が顔面に飛んで来た。鼻から思い切り減り込み、紙人形のようにパタリと仰向けに倒れた。
今の猫さんにはエロスと掛け離れた癒しが必要なことは明白であるとはいえ、生憎ここにいるのはオープンスケベとムッツリスケベの二人組だけ。癒しとは全く無縁の微変態しかいない。そんな俺達が今の猫さんに激しく詰め寄ってしまえば、状況が悪化するのは目に見えている。
故に今の所は打つ手なし。可哀想だけど、今は何もせずにそっとしておこう。
ピヨっているキサナの両足を引き摺って移動し、俺の部屋へと引き返す。二人分の湯のみに冷たいお茶を用意して、卓袱台代わりのみかん箱の上に置いた。
そして、お茶を啜りながらの作戦会議が開かれる。
「で、どうするキサナ? このままだと猫さんだけじゃ飽き足らず、他の女妖怪にも被害が及ぶ可能性が出てくるよ」
「ん〜、そうは言ってもの……。我は完全に標的外にされとるし、シロは女顔とはいえ立派な逸物を携えた平成ボーイ。我達だけでは彼奴らと出会うことすら難儀じゃぞ」
という結論になると、流れ的に人手が必要になるわけか。しかしこの世には“言うは易く行うは難し”という諺があるように、変態退治のために手を貸してくれと言って手を貸してくれる女妖怪が果たしているだろうか?
唯一引き受けてくれそうなのは桜華さんくらいなものだけれど、タイミングが悪いことに桜華さんとは連絡を取る手段がない。一応このボロ屋敷には黒電話という珍しいレア物受話器があるけど、鬼一家に電話があるのかすら知らないので電話番号を聞くということをしてなかった。
なので桜華さんに頼るのは無し。そもそもあの人は不幸体質なので、こういうことに巻き込むのは良心的に心が痛む。不幸体質の人をわざわざ不幸に陥れるなど鬼畜の所業なり。外道に身を委ねた覚えなどない俺としては論外だ。
このボロ屋敷に来てから結構経つが、ここに来て仲良くなった女妖怪はキサナ、猫さん、桜華さんの三人だけ。最近は清姫というバイオレンスプリンセスと顔見知りになったけれど、あの人と関わると余計面倒で危険なことになりそうなのでパス。
これでは明らかに手詰まりだ……と、客観的に見たらそうなるだろう。しかし俺にはまだ一つだけ奥の手というものがある。どうしても使いたく無かった後ろ髪を引かれる一手が。
一人暮らしをして男を磨きたいと言い残し、俺はあの忌まわしき家を立ち去った。しかしその結果、俺は思い切り妖怪達と日常を共にしている。その事実が“彼女”に知られたらどうなるか? ……うん、間違いなく小一時間以上は説教くらう羽目になる。
俺が一人暮らしなど無謀だ。絶対無理だ。自ら死にに行くようなものだ。そんな言葉を散々言いながら、その裏では俺と離れることが寂しくて仕方ないと思ってくれていた。
本当に良い子だ。そう、良い子なのだけれど……俺と違って真面目過ぎるから会いたい気持ちが躊躇われる。かと言って他にアテなんてないし、唯一の頼みはもう“彼女”しかいない。
……仕方ない。猫さんの平和的日常を取り戻すため、俺は自ら蛇の道を歩もうではないか。
「キサナ。ちょっと出掛けてくるから、猫さんのことと留守番の方を宜しくお頼み申す」
「む? 何か良い案でも思い浮かんだのかの?」
「ん〜、俺にとっては正直良い案とは言えないんだけど……猫さんのためにも一肌脱いでくるよ」
「ほほほっ、そうかそうか。ならば朗報を期待して待つとしようかの」
「ありがとさん。戸締りには気を付けてね」
縁起を担ぐためにキサナが火打ち石を打ってくれる。その音を背に、俺は色々道具を持ってボロ屋敷を飛び出した。
〜※〜
念の為ボロ屋敷の場所を悟られないように、あそこから三十分程度歩いた先にある川へとやって来る。それから予め持って来ていた物をポケットから取り出し、ジッとそれを見つめる。
家を出て行く前に“彼女”から渡されていたビー玉のような水晶玉。これに微量の霊力を送ると向こう側に信号を発する仕組みになっているらしく、私を呼ぶときに使ってくれと言われていた。いつこんな物を用意していたのか知らないけど、言われた通り有効活用させてもらおう。
体内の霊力を掌に少しだけ移転するよう集中し、水晶玉に僅かな霊力を注ぎ込む。すると青白く輝いていた水晶玉が黄金色に変色して、少しだけ宙に浮き上がって静止した。これで“彼女”がこの場所に今すぐ駆け付けに来てくれるはず。
暇潰しに持って来ていた釣竿を手に持ち、釣り針に餌を付けて川に放つ。それから魚が釣れるのを気長に待ち続けた。
そうしていること約三十分。背後の方から近付いてくる霊力の気配を感知し、チラリと尻目で確認した。
「どーもだす。この辺は川のお陰で比較的涼しいだすな」
近付いて話し掛けて来たのは例の彼女――ではなく、全く見覚えのないメタボでチビな裸体の男妖怪だった。
俺は変態に向けてスタンガンを放った。
「ギャァァァ!?」と耳障りな断末魔の叫びが辺りに響き、変態妖怪は気を失ってぶっ倒れた。
通常のスタンガンであれば効果はないが、俺の霊力を込めたこの自前のスタンガンなら話は別。死に至らせる力は無いが、拷問程度には十分使える代物だ。その威力はご覧の通り、目の前の変態妖怪の全身まっ黒焦げにしてしまう程である。
以前俺は、変態妖怪の種類をまとめたキサナ自家製の資料を見せてもらったことがあった。そのお陰で大体の変態妖怪の見た目を記憶しているため、この変態が変態妖怪であることを見分けられた。そもそも裸の時点で変態なので見分けるも何もないのだが。
デブでブサイクでキノコ頭な変態。確か名前を“べくわ太郎”と言い、人を小馬鹿にした顔とだらし無い見た目で相手に不快感を与えるんだとか。しかも裸なためにアレが丸出しなので、女性にとっては余計に不快な妖怪であることは否めない。
何にせよ、偶然一人仕留められたのは大きな功績。ラッキーと思いつつ、べくわ太郎を縄で木に縛り付けた。一人では絶対に抜け出せないくらい力を込めて、それはもうキツくキツく縛り付けた。
まずは一人目――と、良いタイミングでよく感じ覚えのある霊力が近付いて来た。今度こそ間違いなく“彼女”だろう。
お互い目に入るところまで近付いて来たところ、俺の存在を確認した“彼女”がしかめっ面になって走って来た。
「久し振り〜。元気だったサトリ?」
「元気だった? じゃないですよ。その分だと向こうでは堕落した生活をしているみたいですね、兄さん?」
茶髪のツインテールに長い睫毛。全てを見透かすような特徴的な白い瞳に、若々しい白い柔肌。紅葉色の長袖の中華服を着て、無地の黒い布ズボンを履いた中華スタイルという、世にも珍しい希少妖怪。
彼女の名はサトリ。その名の通り、相手の思考を意のままに読み取ることができる“覚”という妖怪である。
「はははっ、相変わらず厳しいなぁサトリは。これでもちゃんと一人暮らしはできてるんだよ?」
「へぇ、そうですか。また新しく仲良くなった妖怪と一緒に暮らしているにも関わらず、兄さんはそれを一人暮らしと呼称するんですね」
「…………あり?」
何故だ、何故バレた? サトリが読めるのは現在進行形で考えている思考だけのはず。今の俺の頭の中はサトリのお尻の感触の記憶で埋め尽くしているのに、どうして考えてもいないことが筒抜けになっているんだ?
「性懲りも無くいきなりセクハラとか、いい加減やめて下さいその悪戯! それと驚いているみたいですね? 何故私が考えてもいない兄さんの思考を読めているのかということに」
セクハラの映像もしっかり読み取っていたようで、顔を真っ赤にして恥ずかしがりながらも不敵に笑う。エロに耐性がないのは相変わらずらしい。
「兄さんがいなくなった後、私は寂しさ――じゃない、今度兄さんに会った時にギャフンと言わせられるよう、自分の能力を更にパワーアップさせる修行をしていたんです。その結果、私は相手の記憶をも自在に読み取ることができる能力を手に入れたんです。どうですか? 凄いでしょう?」
「妖怪と言うか最早エスパーじゃないそれ? 頑張ったんだねサトリ」
「フフフッ、そうでしょうそうでしょう。もっと褒めてくれても良いんですよ?」
「うんうん。努力家なんだねサトリは」
よしよしと頭を撫でてあげると、顔を赤くしたままプルプルと震え出した。今にも抱き付いて来そうな気配だが、真面目でクールなキャラというプライドを守るために我慢しているようだ。無理しなくても良いというのにねぇ。
「それで私を呼んだ件ですが……なるほど、可愛い猫又さんのために変態妖怪を駆逐したいと」
「話が早くて助かるよ。俺一人じゃどうしようもないから、是非サトリに協力して欲しいんだよね」
「そうですか……さて、どうしましょうかね? 私に嘘を吐いて出て行ったにも関わらず、困った時だけ私を頼るような人の頼みを聞く義理が果たしてあるのか。ねぇ、兄さん? どう思いますか?」
あの時は嘘を吐いたつもりはなかったのだけれど、最終的には嘘を吐くような結果になったんだ。それは違うと訂正できないし、確かにサトリの言う通り俺にとって都合の良い話でしかない。
「他の皆も心配していたというのに、兄さんはそれはもう平和的なスローライフを満喫していたようですね? 私は兄さんの身を毎日心配していたというのに、肝心の兄さんは私達のことを記憶の隅に置いて女妖怪をはべらせて……何か言うことはありませんか?」
「いやぁ、女妖怪をはべらせてるのは誤解なんだけども……」
「何か?」
「……すいませんでした」
素直に頭を下げて謝る。その後すぐに少しだけ顔を上げて様子を伺ってみると、両手で口元を隠してくすくすと笑っていた。
その可愛さに目も当てられなくなってしまう。我が義妹の可愛さは生涯現役なり。時折見せる猫さんの笑顔と良い勝負ができそうだ。
「まぁ、兄さんには後で長〜く説教するとして……頼りない兄さんのために、この優秀な覚様が一肌脱いであげますよ。仕方無く、ですからね?」
「ホントに? 一肌脱いでくれるの? でもそういうのはこんな明るい時じゃなくて、月明かりの下でゆっくりじっくり――」
即座に踵を返そうとしたサトリの手首を掴み取る。
「全く反省の色無しですね……いえ、むしろ悪化してると言ってもいいです。変態の兄さんを持つ義妹の気持ちを考えたことがありますか兄さん?」
「うん、個性的で良いよね。少なくとも退屈な時に相手はしてくれるだろうし」
「肯定しないでくださいよ! あぁもう頭が痛い……」
そんな憎まれ口を叩きながら密かにこの会話を楽しんでいる君は、俺と違って良き義妹ですな。
「それで、一体私は何をすればいいんですか? 単純な策だと陽動や囮役になるところですが、兄さんは他に良案があったりしますか?」
「ごめん、俺も陽動のことしか頭に無かったよ。それが一番奴らを引き寄せやすいだろうし」
「シンプルがベストというやつですね。でもそれだと私が危険に晒される可能性が上がるわけなんですが……それはお分かりで?」
「う、うん。だから最初は頼むのを止めようと思ったんだけど、他に甘えられる相手がいなかったものだからさ。出来の悪い兄さんでごめんなさい義妹様」
「全くですね。ホント兄さんは私が付いていないと駄目駄目です。やれやれ、いつまで私は兄さんの面倒を見てあげないといけないんでしょうか。そう何度も甘えられてはこちらも困ってしまいますよ」
困るどころか凄く喜んでいるようにしか見えないけど、下手に口を滑らせたら怒られるので黙っておこう。
「……く、釘を刺しておきますけど、私は喜んでいませんからね。ちっとも、微塵も、毛程もですからね」
結局思考を読まれて怒られてしまった。俺にとってはご褒美だから文句の一つも出て来ないけど。
「おほんっ……とにかく移動しましょう。まずは兄さんが今住んでいる場所に案内して下さい」
「え? いやでも変態妖怪を捕まえないと……」
「こんな真昼間に変態妖怪がのこのこやって来ると思いますか? そこに縛り付けられてる人や、その猫又さんとやらを襲った人は特殊だったとは言え、基本変態の活動時間は夜遅くになってからです。それに妖怪は皆夜行性ですし、捕まえるつもりなら尚更夜まで待たないと効率的じゃありません」
「い、いやでも俺は一刻も早く変態妖怪を捕まえたいと言いますか……」
「無駄ですよ。そうやって時間稼ぎをしていたとしても、私は兄さんの記憶から家の場所を既に把握しています。いずれこうなる運命だったんだと諦めてください」
相手の思考を読むどころか、相手の記憶をも覗けるようになったサトリ。彼女に出会ってしまった時点で、俺はもう隠し事が強制的にできなくなってしまっていたのか。してやられたとはまさにこの事よ。
「話は全てが終わった後にゆっくりさせてもらいますからね。勿論、兄さんの口から直接話してもらいますから覚悟しておいてください。今日は一睡も寝かせませんよ」
「寝かさないだなんて……サトリさん大胆……」
踵を返すサトリの手首を掴み取るも、その後屋敷に着くまで一切口を聞いてくれなかった。こんな冗談にムキになってしまっているところを見ると、サトリもまだまだ子供らしい。
〜※〜
再び歩くこと三十分。俺はサトリを引き連れて自分の部屋に帰って来た。
「おぉ早いのシロ。して、戦果は如何程に?」
部屋には俺の要望通りキサナが居座っていて、寝転がって煎餅を食べながら部屋の私物の漫画を読んでいた。そして押入れに引き篭もっていたはずの猫さんもようやく回復してくれたようで、同じく部屋の私物の爪ヤスリを使って手の爪を磨いていた。
「お、おかえりシロ君。さっきは迷惑掛けて申し訳にゃ――あれ? その子は?」
「彼女は覚。前の家で一緒に暮らしてた妖怪の一人で、二番目に仲良くしていた良き義妹だよ」
げしげしと足の先で太ももを蹴って来る。二番目という言葉が気に食わなかったらしい。
真面目キャラなサトリはご丁寧にもその場に正座し、三つ指を立ててペコリと律儀に頭を下げた。
「覚と呼ばれる妖怪のサトリと言います。このお屋敷に来てから兄さんが散々ご迷惑をお掛けしているようで、本当に申し訳有りません。変態でスケベな兄さんですが、一応人は良いのでこれからも仲良くしてくれたら嬉しいです」
「なるほどブラコン属性か。猫に続く萌えキャラが来たの」
「だ、誰がブラコンですか! 兄さんがシスコンなだけであって、私は兄さんにコンプレックスなど抱いていません!」
初っ端からキサナに掻き乱され、我が相棒をニヤつかせるサトリ。面白いから黙って見ていよう。
「それはお主の思い過ごしじゃの。シロは妹より猫に萌える猫ラブ男の子じゃ。それに前にシロと雑談して知っておるが、シロは年下の妹より年上の姉の方が好みと言っておった」
「んなぁ!?」
ガーンという文字が浮き上がっているかのようにオーバーリアクションでショックを受けるサトリ。思い当たる節があるから余計に妹心に響いたのかもしれない。
「猫萌えが上……にゃのね」
後ろを振り向いてガッツポーズする猫さん。萌えの強さで勝ったことを嬉しがっていると見た。普段は否定してるのに、こういう時だけ自分の萌えを認めるとはズルい乙女猫よ。それがまた猫さんらしくて可愛いから良いんだけど。
「で……でも私はまだ妖怪年齢的にも子供ですから。兄さんより年上に見える見た目になるのも時間の問題ですよ。そしたら私は“兄さんの妹”ではなく、“兄さんの姉”という必然的な肩書きを手に入れますので」
「妖怪の方が圧倒的に歳取るの遅いじゃろ。お主がボインボインの大人になってる頃には、シロはもう息絶えている頃じゃろうて。そもそも兄さんの姉という矛盾した関係はこの世になかろう」
「兄さんは兄さんが死んだ後に、私が妖怪にして生き返らせるという約束してるんです! それなら大人になった私を見てもらうことは可能のはずです!」
「そうかそうか。しかし結局お主はシロにとって義妹でしかないから、例え見た目が大人になったとしても義妹扱いされるだけじゃの間違いなく。つまりどう足掻こうとお主が姉萌えを得るのは不可能じゃ」
「あ〜もう! ああ言えばこう言ってくる〜!」
キサナは実に楽しそうにニヤニヤ笑っていて、根負けしたサトリが足踏みしながら目を三角にする。確かにこの分だと姉キャラになるのは不可能そうだ。というか絶対に不可能だ。
「くっ……ここまで言われて黙っているわけにはいきません。私は私のやり方で反撃させてもらいます!」
散々怒った後に作り笑いで余裕そうに笑い、ぷるぷる震える手でキサナを指差す。
人に指を差すんじゃありませんと注意すると、サトリは言葉を詰まらせて微妙な顔になった後に「すいません……」と頭を下げた。礼儀正しいけどしまらないんだよなぁこの場合。
「い、良い機会だから教えておいてあげますよ座敷荒さん! いいですかよく聞いてください? どうやら貴女は兄さんに対して愛情を抱いているようですが、その想いが実ることは絶対に無いです!」
「ほほほっ、まるで清姫みたいなことを言うの。して、その根拠とは何なのじゃ?」
「そんなの決まっています! 兄さんにはもがもが……」
「はいはい、この話はここまで。大分主旨がズレてきてるから、そろそろ本題の方に話を戻そうね」
余計な情報をカミングアウトされる前にサトリの口を塞ぐ。ムキになるとこの子はすぐこれだからいけない。
「ほほぅ、珍しいのシロ。お主が焦りを見せるとは」
「別に焦ってるわけじゃないってば。ただ俺にも恥ずかしくて隠しておきたい昔話の一つや二つがあるってだけだよ」
「何よそれ、そこまで言われたら凄く気ににゃるじゃにゃい。いつも私にセクハラしてきてるんだから、今日くらいはシロ君が恥ずかしい目に遭いにゃさい!」
そう言いながらニヤリと笑ってじりじり近付いて来る猫さん。
「ぷはぁ!……それは良い考えですね。私も過去に何度もセクハラに遭いましたし、今日は兄さんが恥じらってください。私の口から言うのが駄目だと言うのなら、兄さんの口から直接物語って下さい」
同じくニヤリと笑って俺の手から脱出し、両手の指をくにくにさせながら距離を詰めてくる義妹。
「ほら、キサも手伝いにゃさい! シロ君を赤面させるまたとにゃい機会にゃのよ!」
「ほほほっ、確かにこれは滅多にないパターンじゃの。三対一ともなれば流石のシロとも言えど、白状せざるを得ない状況に負かされるじゃろうて」
まさかあのキサナまでもが敵に? と思って咄嗟に身構えだが、幸いそうはならなかった。
「じゃが、我は止めておく。我は少しでもシロと喧嘩をする火種を極力除去しておきたいからの。それにシロの人柄なれば、いずれ我達にも自然な形で話してくれると思うしの。そうじゃろマイバディ?」
言葉を交わさずともお互いの気持ちを察知する。これこそが正しく、ソウルフレンドと確証付けられる証。俺は何も言わずに親指を立てて肯定を示した。
「ほらの? なので我はパスじゃ。追求するならお主ら二人でやっとくれ」
「にゃ、何よその言い方。まるで私達が悪者扱いされてるみたいじゃにゃい……」
「悔しいけど座敷荒さんの言う通りですね……少し納得できない部分もありますが、すいませんでした兄さん」
「いや別にわざわざ謝らなくても……」
しかし根が良い性格の二人は自分の行いを反省し、同時に頭を下げてきた。
――その刹那、天井から伸びて来た謎の何かが二人の首筋を瞬時に撫でた。
「「いやぁぁぁ!?」」
思い掛けない奇襲に二人は思わず悲鳴を上げ、恥じらいと怒りの意味を込めて顔を真っ赤にさせて俺に詰め寄って来た。
「謝ってみたらこれですか! 本当どうしようもない人ですね兄さんは!?」
「人として最低よ! 私達の良心を弄んで悪戯するにゃんて、流石にやり過ぎだとは思わにゃいわけ!?」
「ちょいちょい落ち着いて二人共。今のは俺の仕業じゃないってば」
「またそんな嘘を……むっ、本当ですね。すいませんでした兄さん。真の悪の根源は天井です猫又さん!」
さらりと謝られた後に全員が上を向いた。するとそこには、俺をダシに使おうとした悪の妖怪が天井にへばり付いていた。
全身が黒い動物のような毛で覆われていて、口の部分だけが妙に尖った猿モドキのような妖怪。あれはキサナ変態妖怪図鑑に載っていた妖怪の一種だったはず。名は確か――
「“山地乳”じゃの。真夜中に熟睡している者達を標的にしており、老若男女問わずに口付けをして寝息を吸い取るという、ファーストキスを済ませていない女子にとって最も天敵な妖怪じゃ」
「にゃるほど。つまりこの場で惨殺しても良い相手ってわけね?」
二人の怒りの矛先が山地乳へと向けられる。それでも尚、山地乳は侘びを入れる様子もなくケタケタと笑っていた。
「ウケケッ、最近は吸うより舐めることにハマっていてねぇ。ここいらの獲物は上物ばかりで肥やしでっせ。しかもラッキーなことに、どいつもこいつも鈍そうな奴ばっかでんな」
天井にへばり付いたままカサカサと動き、己の俊敏性を見せ付けて自慢してくる。ゴキブリのような気色悪い動きじゃ気持ち悪るがられるだけなのに、これが本物の変態というやつなのか。ある意味感心してしまう。
「降りてきにゃさいよ! この爪で跡形も無く切り刻んであげるわよ!」
「切り刻むと言われて降りる馬鹿はここにゃいませんで。今度は特別にその柔っこそうな唇を吸ってやりますから、それまでオイラと再会するのを楽しみにしてることでっせ。ま、その時は爆睡中だから気付く暇もないだろうが」
変態行為のノルマはさっきので達成されていたようで、猫さんと真正面から戦わずに敵前逃亡を図った。地味に素早い動きで天井を四つん這いで移動していき、部屋を出て行ってしまう。
「逃がすかぁ!」と憤怒する猫さんが後を追い、更に子分のようにサトリが続いて行く。あの分だと猫さん達じゃ追い付け無さそうだけど、怒りのせいで判断力が鈍ってしまっているようだ。
「どうするのじゃシロ。あのまま逃げられては猫がこの先睡眠不足になること間違い無しじゃ。何故堂々と真昼間に活動しているのかも気になるしの」
「ん〜、確かにここで逃がすのは得策じゃないよね。それじゃ丁度良い機会だし、あの人を実験台にテストしてみよっかな」
「ぬ、何やら面白そうなキーワードが出てきたの。それは如何様な意味じゃ?」
「実はね……こういう時のために用意してたんだよ。良からぬ妖怪を撃退するための助っ人ってやつをさ」
猫さん達の声が外から聞こえて来る。既に山地乳はボロ屋敷を出て遠くに逃げようとしているらしい。
しかし、どれだけ遠くに逃げようと無駄な話。俺の自慢の助っ人は例え相手がどこまで遠くに逃げようとも、決して獲物を逃さないプロのハンター。山地乳には悪いけど、猫さんとサトリの怒りの分だけ罰を受けてもらおうじゃないか。
キサナと共に部屋を出て、外に続く襖を越えて外に出る。そして一度深呼吸した後に大きく息を吸った。
「おやっさ〜ん!! 山地乳へ雷一丁お願いしま〜す!!」
事前に聞いておいた合言葉を青空に向かって叫ぶ。すると否や、突如青空にゴロゴロと唸る雷雲が発生した。
雷雲は次第に大きく膨れ上がっていき、やがてこの辺一帯の空を黒雲が覆った。更に雷雲の一定の部分に落雷のエネルギー玉のようなものが発生し、その中から黄金色の立派な着物を着た化身が出現した。
何処ぞの戦闘種族のように金色の髪を逆立てて、背中に六つの小さな雷太鼓を背負い、雷を意のまま操る最強の鬼神。人々はその昔、荒々しきその化身をこう呼び与えた。
“建御雷神”と。
「おぉぉ!? まさか妖怪の化身召喚とな!?」
俺の奥の手にキサナが童心に返って瞳をキラキラさせる。俺も自己判断でおやっさんを呼ぶのは初めてだったものだから、冷静ながらも高鳴る胸の鼓動を抑えられなかった。
「……あれやな」
ぼそりと呟くおやっさんが上空から山地乳の姿を捉えたようで、目付きを鋭くさせてハンターのスイッチを入れた。
左手を開いて逃げ回る山地乳に狙いを定め、右手を雷雲に突っ込む。そしてその中から全て雷で創造された大槍を取り出した。
「チェストォ!!」
猛将鬼島津の如く雄叫びを上げ、一直線に大槍を解き放つ。大槍は帯電する音を辺りに響かせ、山地乳が逃げているであろう大地に向かって突き刺さった。
直後、激しい稲光りと馬鹿でかい地鳴音がその場所を襲った。
「グギェァァァ!?」
「「にゃあ゛あ゛あ゛!?」」
確実に仕留められたようで、三人の断末魔の叫びがハッキリと聞こえてきた。
……三人?
「えーと……ひょっとしてそういうオチ?」
「落雷だけに、の。一応確認しに行った方が良いじゃろう」
とてつもない嫌な予感を抱きながら、滅多にしない全力疾走で猫さん達の元へと駆ける。その途中で上空を見ると、俺の顔を見ながら舌を出して頭を掻いたお茶目顔のおやっさんがいて、俺から何かを言われる前に雷雲の中へと逃げ去って行った。
呼んでおいてなんだけど、今のは流石の俺もイラッときたよおやっさん。今度会う時まで覚えておけよ絶対……。
この短時間の間に結構遠くまで逃走していたようで、数分駆けた場所に真っ黒焦げになった三人の遺体が転がっていた。三人とも落雷によって真っ裸になっていて、焦付きながらもぷるんとしたお尻が丸出しになっていた。
「くっ……何故この絶好の機会に我は写真機を用意せなんだ! 一生の不覚じゃ!」
「それは違うよキサナ。こういう写真に収めておきたい光景こそ、今この瞬間にしかと目に焼き付けるんだよ。大事なメモリーというのは物理的に記録するものより、心の奥に強く刻んだものこそ残るものだからね」
「な、なるほど……確かにその通りかもしれぬの。ならより強く記憶に残すために、この尻を堪能するとしようかの」
瀕死になっているところを良いことに、猫さんのお尻を撫で回すキサナ。俺もサトリに同じことをしたいところだが、義兄の威厳を優先して上着を脱いで掛けてあげた。
普通の人間だったら即死しているところだけど、幸い二人は妖怪の身。絶対に物理的なことで死ぬことはない……けど、放置したら後が怖いので、帰ったら出来る限りの治療は施しておこう。責任は全部おやっさんに押し付けるつもりなのは言うまでもない話。
「グゲッ……な、なんちゅ〜鬼畜なことを……オイラが変態ならお前は地獄の閻魔様か……」
掠れて弱々しい声が聞こえてきたと思いきや、山地乳が痙攣しつつも意識を取り戻していた。
「おぉ、おやっさんの落雷を受けたのにタフだね君。ここまでするつもりはなかったんだけど、なんかごめんね? でも自業自得なところもあるんだし、お互い水に流す形で宜しくお願いするよ」
「割に合わんわこんな仕打ち! オイラは忘れんでこの屈辱的な仕打ちを! 今回は賊兵レベルのオイラ達しか目立った活動をしていなかったけんど……夏の終わり頃に我らが“ボス”が最先端に君臨する手筈になってるんだで。ボスがこの地で暴れたが最後、おんしらの夏の思い出は茶色に……染ま……る……」
体力の方に限界が訪れてしまったようで、最後の最後に気になる台詞を残して山地乳が息絶えた。変態妖怪山地乳が言う“ボス”とは一体……。
俺達の戦いはまだ序章に過ぎなかった。そう思い知らされることになるのは、まだ少し先の話である。
「……何この俺達の戦いはこれからだエンド」
いつの間にか目を覚ましていた猫さんに焼きを入れられたのは、ボロ屋敷にゆっくり帰ってからの話であった。