貧乏神は裏切らない 後編
「あんのクソ共がァァァ!!」
叫ばずにはいられなかった。口も悪くならざるを得なかった。
貧乏神ならぬ疫病神達に付き合ってしまったことこそが過ちの始まり。少しでもあのクソゲスを気遣ってしまったのが馬鹿だった。
きっと桜華はこうなることを予期していたんだ。だから最初から関わらないことを勧めて来ていたんだ。
正論を言って俺の身を案じてくれていたというのに、結果的に恩に対して仇で返してしまった。桜華には申し訳ない気持ちで一杯だ。
だが、お詫びの謝罪として頭を下げるだけの時間も与えられないまま、俺達はひたすらに店内を全力疾走していた。
「弥白様! 道が二手に分かれてます!」
「右だ右! こういう時は大抵右を選んでおくのがセオリーだから!」
一直線上に廊下を駆け抜け、突き当たりを右に曲がる。
「「「オキャクサマ〜……」」」
「桜華Uターン!!」
しかしその先に待ち受けていたのは、にょろにょろと首を伸ばして俺達を追跡していた刺客達。足で強引にブレーキを掛け、左の道に逃げ延びる。
「おかしくないですかこの建物!? 外装に反して物凄く広いですよね!?」
「霊力で改装してるんだよきっと! キサナのボロ屋敷も似たようなものだし! でも今はこの広さに感謝しないと!」
迷宮のような広さのお陰で今もこうして逃げ続けていられている。外装通りの広さであったのなら、俺達はとっくの昔に袋の鼠だっただろう。
ただ、広過ぎるが故に、今俺達がいる場所がどの辺なのかも分からなくなってしまっていた。もっと言えば、ここが何階なのかすらも知らぬ存ぜぬ状態だった。
それだけにろくろっ首集団の追跡は悍ましく、凄まじいのだ。考える余裕が無くなってしまうくらい、彼女達の姿は最恐ホラーだから。
もし俺の隣にいたのが雪羅や愛だったのなら、やはりこうして逃げ続けてはいられなかっただろう。あの二人なら恐らく恐怖で気絶していただろうから。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ……。し、しんどいですぅ……」
全力疾走を続けている影響で、桜華が徐々にバテてきた。
俺も似たようなもので、そろそろ体力の限界が近い。これじゃいずれ追い付かれるのが関の山だ。
「桜華! そこを右に曲がって部屋の中に隠れよう!」
「わ、分かりました!」
すぐ先にある角を右に曲がり、一番近くにあるドアの中へと逃げ込んだ。
すぐさまドアを閉じて息を潜め、ここにいてここにいない存在になれるように気配を押し殺す。
「…………ひとまず振り切れたかな?」
ろくろっ首達の声が遠くなっていき、背後から忍び寄って来ていた気配が消えた。どうやら一時的に命拾いしたようだ。
「も、もう駄目かと思いました。なんで私達がこんなことに巻き込まれないといけないんでしょうか……」
「元凶はあの二人だよ。金はあるとか言ってたくせに、何故か支払い人を押し付けられてたからね」
日頃酷い扱いをされているから、その腹いせとしてやったという線が濃厚だろうか。何にせよ許すまじ行為である。
「あのクソゲス共、次会ったら半殺しにしてやりますよ。原型留められなくなるくらいに」
桜華はこめかみに血管を浮かばせながら、ゴキゴキと両の指の骨を鳴らしていた。相手が温羅兄ともなれば当然の反応だ。
「一刻も早く奴らをとっちめてやりたいところですが、その前に自分達の身を守らないとですね。これからどうしますか弥白様?」
「取り敢えずここが何階なのかを知りたいから、この部屋の窓から外を覗いてみよっか」
部屋の奥へと進むと、無機質な部屋の中にダブルベッドが一つだけ設置されていた。
「ん゛ん゛ごほんっ……」
「どうかされましたか弥白様?」
「いや、なんでもない」
深く考えないようにして、窓を隠しているカーテンを開けた。
「……何これ」
本来ならば灯りが眩く照らす街並みが見えるはずの窓だったが、黒いモヤのようなものが掛かって何も見えなくなっていた。
試しに窓を開けようとしてみるが、鍵を外してもビクともしない。これも霊力によるものなのだとしたら、窓から飛んで逃げることは不可能なようだ。
「俺が言うのも何だけど、妖怪の力って何でもありだよね。都合良すぎでしょ」
「何だったら壁を破壊して穴を開けてみますか?」
「そうしたいのは山々だけど、万が一壁を突き破っても外に通じる道が出来なかった場合、物音に気付かれて嗅ぎ付けられる可能性が高い。そうなったら状況はより悪化するだろうし、止めた方がいいと思う」
更に言えば、建物を壊したことで賠償金を請求されることにもなるだろうし、むしろ強硬手段の脱出は自分の首を絞めることに繋がってしまう。
俺達が取るべき行動はただ一つ。誰にも見つからないようにいち早く移動し、正面の入り口以外の脱出経路を見つけ出すこと。こんなに広い店なのだから、非常口の一つや二つはあるに違いない。
ただ、早くしないと他の出口も固められてしまう。そうなったら俺達は絶体絶命だ。
「とにかく、ここを出て脱出できる場所を探そう。追跡を逃れることができた今しかチャンスはないよ」
「分かりました。念の為、私が先頭に立つようにします。最悪の場合は私を囮にして弥白様は逃げてください」
「いや何言ってんの桜華。俺が先頭に立つから、桜華は俺の後ろから付いて来てよ」
「いえいえ弥白様、ここは私が足軽の役目を」
「いやいや桜華、ここは俺が切り込み隊長を」
「「…………」」
このままではキリがないことを悟り、いち早く部屋を出て周囲を確認した後、桜華を無理矢理後ろに追い立てて探索を開始した。
しかし負けじと前に出て来ようとする桜華。腕で遮っても鬼の怪力には敵わず、俺を跳ね除ける形で前に出られた。
「ええい、出しゃばるでない善良鬼! 無茶する前に俺の後ろに引っ込みなさい!」
「お人好し様はごちゃごちゃ言わずに黙って私に付いて来てください」
「そうは問屋が卸しませんよ。いいかい、よく聞きなさい桜華。相手はマジ物の夜の女達なんだよ。しかも同性も許容範囲内だ。そんな女性達に捕まったが最後、代金を身体で払わされるかもしれない。嫁入り前にそんな体験は嫌でしょ?」
「私は自分の身よりも、弥白様の身を守れなかった時の方が嫌です」
「いやいやそれはこっちも同じことだから」
「……そうですか」
本人はバレないようにしているつもりなのだろうが、にんまりと緩んだ口元が露骨に歓喜の感情を醸し出していた。
しかし断固として俺に前を譲るつもりはないようで、軽い身のこなしのフットワークで抜くこともできない。プライドと言う名の防壁はこれまでに強固だったとは。
「……ん? 弥白様、一度止まって下さい」
「うん? どうしたの?」
「何やら近くから悲鳴が聞こえて来てまして。できるだけ息を潜めて下さい」
言われるがままに息を潜める――と見せかけて桜華の前にするりと割り込み、近くの廊下の曲がり角からこっそり顔を覗かせた。
目を閉じて耳を澄ますと、聞き覚えのある二人の悲鳴が聞こえて来た。
「んのクソ女共! さっきまで従順だったくせに、急に本性曝け出してきやがって! 金の亡者の巣窟じゃねぇかこの店!」
「いんやぁ、調子こいてオプション追加し過ぎたみたいじゃなぁ! 想像以上に滅茶苦茶怖いのぅ! 後先考えない者が辿る典型的な展開じゃ!」
「クソじじいが! 料金プラン見ずに好き放題やりやがって! 貧乏神と言う名の疫病神が!」
「儂よりも大分好き勝手やっていたというのに、堂々と自分のことは棚に上げる奴じゃな。お主も十分同じ穴の狢じゃよ」
悲鳴と言うよりは温羅兄が一人で喚き散らしているだけだった。
俺達が逃げ出したことで温羅兄達にも料金を請求してくる魔の手が襲撃し、逃走劇を繰り広げるに至ったんだろう。正しく因果応報だ。
「このまま気配を殺してあの二人に居場所を悟られないようにしよう。鉢合わせたら余計に状況悪化するだろうし」
「そうですね。それより弥白様、そこを避けて下さい。さりげなく横入りするのはマナー違反ですよ」
「この横入りは正当化されているので悪しからず」
「いえいえ認めませんよ。この世の誰もが肯定しようとも、私だけは首を縦には振りませんよ」
またもや強引に割り込んで来ようとする。その善良なる心遣いが鬱陶しくてしょうがなく、ありがたくてしょうがない。
「や、やっぱ力強っ!? こんな時に本気出さなくていいでしょ!」
「こんな時だからこそ本気を出すんです! いい加減に折れて下さい!」
「いだだだっ! 折れる折れる! 精神的にじゃなくて物理的に折れちゃう!」
現役の鬼に対して握力勝負に挑んでしまったのが過ちの始まり。ムキになっているからか、手加減という心遣いを忘れてしまっているようだ。
「かくなる上は……ふぅ〜」
「ひゃうっ!?」
意表を突いて耳元に息を吹きかけてやると、びくんと肩を跳ねさせ、あれだけ力強かった握力が極端に弱まった。
ついでに足腰にも力が入らなくなってしまったようで、桜華の重心が崩れて俺の方へと倒れ込んで来た。
「え? ちょ、待っ――」
握力勝負かつ長丁場の逃走の影響で疲弊してしまった体力。いつもなら女の子の身体一つ支えることは朝飯前なれど、今現在の俺は極めて例外であった。
「いだぁっ!?」
桜華に軽くタックルされる形となり、後頭部から仰向けに倒れてしまった。
廊下はフローリングという設備が施されていないため、無機質で硬い床がたんこぶ一つを作り上げることは容易なことであった。
「あっ、いたぞあいつら! 探したぞ坊!」
不運に不幸が重なり、大胆に身を乗り出してしまったことで温羅兄達に存在を認知されてしまった。
「……何してんだテメェら? 逢引か?」
「んなわけないでしょ……。ほら、起きて桜華」
「す、すいません。腰が抜けてしまったみたいで立ち上がれません……」
俺と同じで桜華も耳が弱点らしい。しかも一回だけ息を吹かれただけでこのザマだ。耐性が無いにも程がある。
「温羅兄、桜華のこと背負ってあげてよ。温羅兄なら人一人担いでも逃げるのに支障ないでしょ?」
「なんで俺がこんな筋肉の塊を背負わにゃならねぇんだ。むしろ役立たずは囮に使うべきだろ」
「お言葉ですが弥白様、こいつに借りを作るくらいなら私は死を選びます。そもそもこのクズが私の為に何かをしてくれるわけないじゃないですか」
「分かってんじゃねぇか脳筋。何が腰が抜けただ馬鹿馬鹿しい。脳筋の分際で華奢アピールしてんじゃねぇよ。露骨な乙女アピールとか鳥肌しか立たねぇっつの」
「ぐっ……その醜い面をぶん殴ってやりたい……」
桜華が弱っているここぞって時を見計らい、温羅兄は煽りに煽って憎たらしい笑みを浮かべながら舌を出し、これでもかと桜華を見下す。
この性格の悪さでモテたい等と豪語するその浅はかさ。その傲慢なる欲望が愚かしくて仕方ない。
「あーはいはい、温羅兄に期待した俺が馬鹿だったよ」
「一体何があってこんな歪んだ性格になったんじゃろうな。これでもし生まれつきのものだったとしたら可哀想な話じゃよ」
「うっせぇ! とにかく俺はこいつを助けるつもりはねぇからな!」
一応怪力の鬼である温羅兄だったらと考えたが、温羅兄が犬猿の仲に手を差し伸べるような善人だったら今まで苦労していないという話か。
いざ逃げる時になったら逃げ切れるか分からないが、桜華をここに置いていくという選択肢は無い。リスクは高くても俺が責任を取らなければ。
「取り敢えず桜華、俺の背に乗って」
「で、ですが弥白様。それでは逃げる時に追い付かれてしまうのでは?」
「なら見つからないように逃げるだけだよ。いいから、ほら」
「うぅっ、ありがとうございます弥白様。で、では、失礼して……」
厚意に甘えて俺の肩に手を伸ばす桜華。
――刹那、とある感覚が脳裏を過った。
「や、やっぱ待って」
「へ?」
今一度冷静になって自分が選んだ選択肢の意味を鑑みて、俺にとって悪手であることに気付いてしまった。
雪羅と二人で出掛けたあの日、雪羅を背負ったことで学んだ知識が一つだけあったのだ。
発育が良い女の子をおんぶするのは心臓に悪い、という童貞チキン論。それに準じてしまうのは必然なのである。
「あ〜……や、やっぱり前で良い? 落とさないように気を付けるからさ」
「前ですか? 私は構いませんが……」
桜華の凶器に一方的に触れられるのは忍びないため、お姫様抱っこという形で桜華を持ち上げた。
「おぉ……男らしい奴じゃな少年。さながら攫われた姫を奪還しに来た王子様と言ったところか」
「お、王子様……」
貧乏神の余計な例えのせいで、桜華の視線に熱が込もる。
おんぶはおんぶで問題ありだが、こっちはこっちで問題大ありだった。頼むからそんな目で見つめないで欲しい。
「チンタラしてる暇はねぇぞ。非常口でも何でもいいから、とにかく走って出口見つけんぞ」
「その発言は脱出が遠のく台詞じゃな。只でさえピンチな状況で自分を追い込むとは、さては温羅っちドMじゃろ?」
「黙ってろ腐れジジイ! テメェここを出た時覚えてろよ!?」
温羅兄を筆頭に脱出を再開する。
仮にも兄貴分なだけあって、先陣を切るのは手慣れているようだ。誰よりも早く脱出したいだけかもしれないけど。
「非常口ってーと、正面の出入り口とは真逆の方にあるのが自然ってなもんだが、テメェはどう考える坊?」
「セオリー通りなら間違ってないかもだけど、内装は霊力で複雑になってるみたいだし、何処にあってもおかしくないと思うよ」
最悪の場合、非常口自体が無い可能性も十分に考えられる。
この店にとっての主な非常というのは、今の俺達のように代金を踏み倒そうとする人達が現れること。であれば、脱出経路を一つに絞った方が、ろくろっ首達にとって都合が良くなる。
あくまで憶測でしかないが、的を得ている分、信憑性が低いとは言い難い。考えれば考えるほどネガティヴになりそうだ。
「……あっ、そうだ」
「何か思い付いたんですか弥白様?」
「上手く行くかは分からないけど、非常口を探すよりはマシな方法を思い付いたよ」
「本当か!? どんな策だ!?」
「まず、温羅兄を囮にするでしょ?」
「なるほど、俺を囮にして――おいっ」
「まぁそれは半分冗談として、取り敢えず屋上に出るでしょ? で、屋上から下に飛び込めば脱出できるんじゃないかと」
「なるほど、屋上から飛び降りて――おいっ」
「ただ飛び降りるわけじゃないよ? 着地の寸前に俺の羽扇を使って落下の勢いを殺すんだよ。それなら安全に降りられるってわけ」
「なるほど、勢いを殺して着地を――おいっ」
「何? まだ何かあるの?」
「さっきの半分冗談ってどういうことだコラ」
「……ま、小姑な鬼は放っておくとして、ろくろっ首達は恐らく下の方を警戒してるだろうし、まさか俺達が屋上に行くとは思ってないだろうから、この案は身の安全も含まれてるんだけど……どう?」
出入り口でもなく、非常口でもなく、屋上から脱出するという怪盗チックなこの計画。俺個人としてはデメリットが少ないと思っているが……。
「弥白様の案に間違いなどあるはずがありません。私は従います。そもそも私は動けない身ですし……」
「温羅っちに任せるよりは大分マシじゃな。ワシも少年の案に乗ろう」
二人からは了承を得られた。残るはゲス鬼ただ一人だが……。
「この様子だと万が一の時に俺が囮に使われる可能性が高いよな……。冗談じゃねぇ、俺は一人で確実に逃げ切ってやる!」
何を血迷ってか、温羅兄は単独行動で逃げる意思を固めてしまっていた。
冗談だと言ったのに聞き分けのない人だ。この世界がサスペンスで出来ていたとしたら真っ先に死んでるなあの鬼。
「あれはもう放っておきましょう。構うだけ無駄です」
「……いや、それはまずいかもしれないのぅ」
シラけ顔の桜華に対し、貧乏神は温羅兄の後ろ姿を見つめながら“何か”を悟っていた。
「貧乏爺ちゃん、俺も桜華の言う通りだと思うよ。こうなったらもう放っておいた方がいいよ」
「お嬢ちゃんも少年も分かってないのぅ。温羅っちは根っこからドス黒く汚れたクソ野郎じゃ。つまり今の温羅っちは、儂らを捨て駒扱いしてでも一人で逃げ切ることに全力を注いでいるんじゃ。それが一体何を意味するか分かるかのぅ?」
「「…………」」
黙したまま目を点にして桜華と見つめ合う。
暫しの沈黙の後、ふと温羅兄の方を見つめると目と目が合い、奴はニヤリといやらしい笑みを浮かべていた。
「皆〜! 上の階に逃亡者がいるわよ〜!」
声色を変えて精一杯の女性ボイスが建物内に鳴り響く。
見た目にそぐわないボイスチェンジに度肝を抜かれると同時に、熊風事件や暴走呉葉の件の時に感じた底知れぬ悪寒に背筋が凍り付いた。
「「「オキャクサマ〜……」」」
温羅兄は近くの部屋の中に身を潜めると、大声を聞き付けたろくろ集団が再び再来。にょろにょろと蠢く彼女達は狩猟者の目をしていた。
「「あのクズ絶対殺す!!」」
明日の分の力を捻り出し、桜華を抱えたまま無我夢中に走り出す。
当に足に限界は来ている。しかし俺はその限界の先の領域へと達し、付け焼き刃でもある諸刃の脚力を得ていた。
「いやはや温羅っちのせいで貧乏くじ引いてしまったのぅ。まぁいつものことじゃけどな! 愉快爽快ふぉっふぉっふぉっ!」
「なんでそんなに楽しそうなんですか!? 頭沸いてるんですか貴方!?」
「人生にスリルとサスペンスは付き物じゃ。それを楽しまずして余生を過ごせると? そんな勿体無いこと儂にはできん!」
死にも等しい処罰と隣り合わせのハプニングに喜楽を求めることができるとは、この爺さん相当クレイジーだ。伊達に貧乏の呪いを背負いながら生きていただけある。
「や、やばっ、足の感覚が無くなってきた……」
「どどどどうしましょう!? 階段も中々見つかりませんし、このままではいずれ追い付かれるのが関の山ですよ!」
「ジリ貧ってやつじゃのぅ。致し方あるまい、ここは儂が自ら囮役を買って出るとしようかのぅ」
「囮役って……貧乏爺ちゃんまさか!?」
真っ直ぐ行く道と右に曲がる道に行き着くと、貧乏爺ちゃんは単独で右の方へと曲がった。
「ほーらこっちじゃこっち! まだまだ若いもんには負けんぞ儂ぁ!」
勇ましい雄叫びでろくろっ首達を挑発する。温羅兄にも見習って欲しい自己犠牲の信念だ。
ここで上手いこと分断できれば、脱出と言う名の光明が見えてくれそうではあるが……。
「……まてよ」
今更ながらに思い出したことがあった。
貧乏神とは、周りにいる近しい存在に貧乏の呪いを齎す妖怪。それはつまり、貧乏くじを引いてしまう呪いも当てはまるわけだ。
何が言いたいのかというと、要は俺達にも既に貧乏の呪いが染み付いてしまっているわけで――
「「「オキャクサマ〜……」」」
二手に分かれた結果、ろくろっ首の群れは全員俺達の追跡に総力を注ぐこととなった。
「俺の周りロクな奴いないんですけど! どいつもこいつも何なの!?」
「…………すいません」
「いや桜華には言ってないから! 露骨に落ち込まないで唯一の癒しキャラ!」
陰鬱なオーラを浴びながら廊下を駆け抜け、とにかく曲がり角を我武者羅に曲がり続ける。
「あった! 階段発見!」
体力の底力を発揮し続けたことが幸運を寄せ付けたのか、脱出経路の要となる階段を発見。一目散に屋上へと駆け上がっていく。
桜華を抱えたまま走るだけでもかなりきついが、階段を上るのは倍以上に負担がのし掛かって来るようで、既に足の感覚は綺麗さっぱり無くなっていた。
火事場の馬鹿力はあくまでその場凌ぎの馬鹿力であって、長時間酷使できる力ではない。何処まで持つかは俺の頑張り次第だが……。
「お、おぐっ、おぐじょまだ……。どごっ、どごっ、おでのしゅうてっ、終点……」
「み、見えました弥白様! 屋上です! ゴールはすぐそこです!」
呂律が回らなくなりながらも最後の力を振り絞り、屋上へと続くドアを飛び蹴りで強引に押し開いた。
予想通り屋上にろくろっ首達の姿は無く、脱出するにはまたとない絶好のチャンス。
背後より迫り来る追手など気にも止めず、俺は迷わず天へと舞い上がり、屋上から飛び降りた。
「あ、あどはおでのアレで……」
羽根扇を取り出そうと即座に腰に手を回す。
「…………あり?」
そこにあるはずの感触を掴めず、チラリと腰の方に視点を当てる。
するとなんてことでしょう。俺の大事な大事な羽根扇が消えているではありませんか。
あれは着地の勢いを殺すための最重要アイテム。つまりそれが無いということは……。
「……桜華」
「な、なんでしょうか」
「来世でもまた俺と出会ってくれるかい?」
「今世を諦めないでくださーい!!」
重力に逆らえないまま落下していく身体。
過去様々な窮地を逃れては生き延びて来た俺ではあるが、流石に今回ばかりは無理。これはもう確実に終わった。
一瞬の間に脳裏を過る走馬灯。色々あったが良い人生を送れたと思う。
ただ、心残りがあるといえば、たった一つの欲を思い出した。
「……そういや雪羅のおっぱい一度も揉んだこと無かったなぁ」
「遺言に相応しくないですよそれ!」
地面との距離まで後二秒。せめて桜華は無事でいられるよう、俺が下になるようにして目を瞑った。
時が過ぎ、激痛と共に訪れる死の瞬間を待ち続ける。
「…………あり?」
俺の身が肉の塊に成り果てる瞬間が一向に訪れず、どういうことかと首を傾げる。
恐る恐る目を開くと、目の前には土色の地面だけが広がっていた。
「危なかったわね、可愛いお兄さん」
「お、お姉さん!?」
どうやら落下寸前のところで売り子のお姉さんに助けられたようで、俺と桜華はお姉さんの首に巻き付けられていた。
助かった……のか? 何処まで悪運が強いんだ俺は。
「こここ怖かったですぅ! ありがとうございましたろくろっ首のお姉さん!」
今にも泣き出しそうな顔でお姉さんに頭を下げる桜華。
「いや、いいのよ別に。元より“そういうオーダー”だったわけだし」
「……はい?」
オーダーとな? 何やら不吉なキーワードが聞こえたような気がするけど、これは一体どういう……?
「いやぁ〜、ブラボーブラボー! 見事な逃走っぷりじゃったのう少年!」
「あ、あれ? 貧乏爺ちゃん?」
未だ店の中で逃走中であるはずだった貧乏神の声が聞こえて来たと思いきや、大勢のろくろっ首集団を連れながら店の中から出て来ていた。
「な、なんですんなり出て来れてるの? 何がどうなってんのこれ?」
「それはじゃな、元よりこれは最初から儂が仕組んでいたゲームだったんじゃよ」
「ゲーム……ですか?」
「そうじゃ。先も伝えたが、儂は常に日常に刺激を求めることを追求するジジイじゃ。それで今回はサバイバルのシチュエーションを模索し、彼女達に協力を申し込んでいたわけじゃ」
「ということは……」
今までの出来事は全て茶番であったと?
死を覚悟するに至るまでこちとら死に物狂いで目を血走らせていたというのに、その頑張りは全て喜楽の欲求を満たすための糧でしかなかったと?
「して、どうじゃった少年よ? 未だ嘗て体験したことのないスリルを味わった気分は? 期待を裏切らなかったじゃろ〜?」
「……はははっ……ははっ……」
「や、弥白様? 大丈夫ですか弥白様!?」
コンセントが抜かれたテレビのように、ぷつんと意識が現実と切り離される。
世にもチャラけた貧乏神。そしてゲスを極めたクソ鬼。
復讐心に燃える怒りの感情を遥かに凌駕し、もう二度とこの人達と関わりを持ちたくない気持ちに埋もれ、俺は深い眠りへと落ちていくのだった。




