冬の怪談もオツなもの
北国の冬。深々と積もり続ける雪が止む傾向を見せず、あらゆる移動手段を断ち、我が家という監獄に自ら閉じこもる選択肢を余儀無くされる。
あんなに熱苦しい気温が嘘だったかのように寒々とした冷風が吹き荒れ、家内のあらゆる暖かみを奪い去って行く。
銀色の世界が広がる美しい景色のはずなのに、身を以て味わえば嫌でも分かってしまう寒冷地獄。美しい物には棘があるどころか、触れるもの全てを傷付ける死神の鎌が至る箇所に設備されている。
雪が降り出す頃は決まってはしゃぐのが恒例となってはいるが、時が経てば雪は不快感を与えるだけの白きゴミと化す。事実、雪の成分は汚いもので構築されているので、言い得て妙な例えとは言えないだろう。
寒さに負けずに外出してこその風の子であるが、そんな俺にも限度というものがある。
寒いものは寒いのだ。抗うこともできず、どうしようもないことなのだ。だってここは極寒の北国なのだから。
「いやぁ……冬だねぇ」
「うぅむ……冬じゃの」
コタツの中に入りながら食べるミカンは格別に美味である。
芳醇な果実が口の中に透き通り、まろやかな癒しを与えてくれる。
この至高の食物を生み出した者は天才――いや、神にも等しい存在と言えよう。
「何を今更なことを言ってるんだか」
俺の隣で呆れている雪羅もまた、ミカンの魅力に堕とされた堕天使の一人。もぐもぐと美味しそうに食べる姿は和やかで、実に微笑ましい。
「冬って不思議にゃものよね。他の季節と違って無駄に長く感じるんだもの」
「いやほんっと無駄な長さだよね。なんで冬なんてものが存在するんだろうね。ぶっちゃけ冬なんて必要としてないよ。寒いだけの季節に価値なんてないよ。春夏秋冬じゃなくて、春夏秋でいいと思わない? 冬なんて概念なんていっそ滅んでしまえばいいのに。そしたら冬なんて季節は一生巡ってこないよね?」
「雪羅よ、それは自分の存在を否定しているに等しいのではないかの?」
「雪女ならまだしも、私はあくまでつらら女。冬と関連性なんて一切ないから!」
「むしろ関連性ドンピシャじゃろうて」
「止めて! 私を冬の妖怪として扱わないで! 私と冬は水と油なの! もっと分かり易く言えば、桜華と名前忘れたカスの鬼だよ!」
「余程冬が嫌いという意思がひしひしと伝わってくるわね。身に染みる嫌悪感だわ」
未だ克服できていない雪羅の低温体質。こればかりは時間が解決する問題なので、手を施す余地も無い。必然的に冬が訪れてしまうように、どうしようもないことなのだ。
しかし、しかしだ。冬のせいで暇になっているこの現状はどうしようもないのかと言われれば、それはNOと即答できる。
「雪羅の冬嫌いは今に始まったことじゃないから置いておくとして……俺は思うんですよ。俺達はこのまま何もしなくていいのか、と。冬だからこそ趣深い娯楽を手探りで探すべきなのではないか、と。思ってしまうんですよ雪羅さんよ」
「さらりと私の一番の悩みをポイ捨てするだなんて、貴方がそんな外道だとは思わなかったわ。もう貴方とは付き合ってられないわ。唐突で申し訳ないけどコンビ解消よ。私は実家に帰らせてもらいます」
と言ってコタツから出て行く雪羅。
そのままリビングを出て行こうと廊下へ出る襖を開くが、ひんやりとした冷たい空気が雪羅を襲った。
スローモーションで見えない壁に弾き飛ばされる雪羅。そのまま身体は吸い込まれるように元の居場所へと舞い戻った。
「差し詰めここは極寒の監獄ね。お母さんの顔すら拝むことのできない密閉空間。ノリと勢いで外に出られると思い込んでしまった私は浅はかだったのね……」
「お兄ちゃん、寒さのせいでまた雪羅ちゃんが壊れてるけど」
「仕方無いなぁ……。キサナ、雪羅の湯たんぽになってあげて」
「そこは恋人である貴方がなりなさいよぉ! なんで他の人に頼むのよぉ! 照れてるの? もしかして照れてるの? いつまでも初心な心を持ってる弥白が羨ましいっ!」
「うん、少し落ち着こうか。つらら女だけにクールダウンしようか」
「全然上手くないから! 余計にヒートアップしたるわ!」
「落ち着けと言うておろうに、ほれ」
「……温い」
結局キサナが雪羅の膝の上に乗る形となり、人肌の湯たんぽを手にしたつらら女様はクールダウンした。
「で、話を戻すんだけどさ。例えばの話、夏には風物詩というものがあるでしょ? 真夜中に咲き誇る満開の花火然り、縁側でプールに足を付けながら貪り尽くすスイカ然り、色々とやることにバリエーションがあるのが夏の魅力。現に俺達も夏ははしゃいでいた記憶しかありません」
「ただ我としては、エメラルドグリーンなるビーチで生える水着の女子を拝むことができなかったのが心残りじゃの。合法的に下着姿も同然の女子のたわわを味わう機会をみすみす逃してしまうとは、我ながら一生の不覚じゃ!」
「そもそもここら辺は海にゃんてにゃいし、海水浴に行くにしたって移動手段もにゃいじゃにゃい。根本的に海に行くにゃんて無理にゃ話よ」
海は無理でも川があるから、やろうと思えばキサナの願望は叶えることはできる。今は冬なので実現不可能ではあるが。
「だがしかし、夏に比べて冬の風物詩は圧倒的にボキャブラリーが乏しい。頭の中に浮かぶものといえば雪、雪、雪。一途な女の子が抱く恋心のように、それは単純かつシンプル過ぎるものなのです」
「弥白、女の恋心は貴方が思っているよりも単純なものじゃないよ。一途であっても想いの形は十人十色。真意はその人自身にしか分からないんだし、弥白の偏見は必ずしも的中している保証は何処にも――」
「些細な例えにそこまで水を差す? すいませんね安直な例え方しちゃって。でも話の流れが変わってしまうから、雪羅さんは少し静かにしていてくれませんかね?」
「…………そう」
「何その悲壮感漂う反応!『所詮はこの人も私の本当の気持ちなんて理解してないんだろうなぁ……』と言わんばかりの目を向けて来るの止めてくれません!?」
「で、結局は何が言いたいわけ?」
何なのこの人。散々人を引っ掻き回して急に本題に戻るとか、温羅兄並みに好き放題やってくれてるよ。寒さで頭おかしくなり過ぎでしょ。
「とにかく、俺が言いたいことっていうのはね。風物詩に限らず『冬といえば?』のバリエーションを増やすべきだと思うわけなんですよ」
「ふむ、これまた興味深い議題が出てきたの。要は冬にできる娯楽を増やしたいというわけじゃろ?」
「exactly!」と、キサナに向けて親指を立てる。
「そんなわけでして、何か思い付くものがあったら挙手を願います。ここで積極的になったらポイント高いよ〜?」
「はい」
まずは皆の意見を伺おうと様子見してみたところ、頭のエンジンがイカれている人が真っ先に手を挙げた。
「はい雪羅さん」
「娯楽とかどうでもいいから、私は毎日コタツの中で温まっていられるだけで満足です」
「…………」
静かにコタツの中から出てリビングを出て行き、キッチンの冷蔵庫の中から氷を一摘み携え、後ろ手に隠しながら再びリビングへと戻る。
雪羅の背後で少し屈み、首の後ろを少しだけ広げてやったところで、摘んでいる氷をぽとんと落とした。
「あみゃぁぁぁ!?」
只ならぬ悲鳴を上げながらコタツの中から飛び出し、リビング内で七転八倒を繰り返す。良い具合に身体が温まってくれることだろう。
「露骨にやる気ない回答だった場合はこのように罰を与えます。二人はこの怠惰な乙女を見習わないように」
「いきにゃりそう言われても、私も雪を使うこと以外に思いつかにゃいわよ」
「我も粉雪プレイという先進的なエッチくらいしか思い付かぬの。氷柱プレイというのもあるにはあるが、素人にはちと刺激が強過ぎるしの」
「たまには煩悩を断ち切って物事を考えにゃさいよ貴女は!」
二人は真面目に考えてくれるものの、これといったインスピレーション迸るアイデアは浮かんでいないようだ。個人的にキサナの案には興味があるけど。
「俺が思うに、皆は冬という先入観に縛られてしまっているんだと思うんだよね。冬だから雪、というのが当たり前になってしまっているからね」
「じゃあお兄ちゃんは違うっていうの?」
「今までは俺も同じ穴の狢だったよ。でも冬に関して冷静に考えた結果、俺はその先入観から抜け出すことに成功したんだ」
この先入観から抜け出すには、冬という季節を意識せずに考えてみればいい。
先んじてやりたいことや趣深いことを絞り出し、それらを冬と照らし合わせていく。そうすることで、これは冬と適合しても不自然ではないかもしれないという考えに発展するわけだ。
発展したアイデアはやがて冬と適合し、最適解へと結ばれる。これぞ冬という理を覆すインスピレーションというものだ。
「皆が思い付かないようなので、俺が当初実行しようとしていた娯楽を実行しようと思います。異論は認めません」
「珍しく強引ね。Sにでも目覚めたわけ? だから私にこんな容赦無い仕打ちができたと? 誰の影響でそうなったのか教えてくれる?」
「……想像に任せます」
「まぁこう見えて私はどちらかというとM寄りの人――もとい妖怪だから良いのかもね」
頭イカれてるせいで予想外の性癖まで発覚。今このタイミングで知りたくなかった衝撃の真実である。
キサナが食い付いて話がまた逸れてしまわないように、俺は前以て準備していた物をコタツの上に置いた。
「何これ? DVDプレイヤー?」
「そう、これはDVDプレイヤーです。Blu-rayが当たり前となっているこのご時世ですが、これはあくまでDVDプレイヤーです。ビデオテープじゃないだけまだマシだと思って」
「こんにゃど田舎の何処で調達してきたのよこんにゃ物」
「妖界の中古屋に売ってたんだよ。税込で五千五百八十円」
「リアルにゃ金額ね。で、これで何を鑑賞するつもりにゃの?」
「ホラー映画」
反射的に愛と雪羅がコタツから抜け出して立ち上がり、今度は二人セットでリビングから出て行こうと襖を開く。
バリアにも似た冷え冷えの空気が障壁となって二人の前に立ち塞がり、跳ね返されるように再び定位置へと舞い戻った。
「何じゃその珍妙な反応は。まさかとは思うが、お主らオバケが怖いと申すのかの?」
「オバケが怖いって? ははっ、まさかまさか。仮にも私は妖怪なんだよ? 似たような存在に対して恐れを抱くわけないでしょう?」
強がりを見せる雪羅。明らかに動揺を隠し切れていないけど、そのまま押し通すつもりなのだろうか。
「そうよ、その通りよ! 妖怪だけど怖いわよオバケが! 何か文句でもある!? 誰にだって苦手にゃものはあるんだから、仕方にゃいじゃにゃい! 怖いものは怖いのよ!」
「すいません嘘ですやっぱり私も怖いです」
いとも容易く折れていた。プライドと素直な本音を天秤に掛け、後者が優ったわけだ。
「そもそもなんでホラー映画!? 冬に見るものじゃないよね!? 只でさえ寒いっていうのに、余計に身が凍ることになるでしょ!」
「違う、違うんだよ雪羅。これは君のことを思って企てたことなんだよ。低温体質を克服するには、少しずつでも寒さと向き合うことが重要だと思ったんだよ。決して怖がる雪羅と愛の反応を見て楽しみたいとか、そんな不純なことは一切考えてないから。ほら、俺の目を見たら嘘ついてないって分かるでしょ?」
「嘘ついてる目なんだけど!? 悪ふざけする時の目と表裏一体なんだけど!?」
「流石は雪羅、俺のことをよく見ているね。俺の恋人なだけあるよ」
「全っ然嬉しくないその褒め言葉!」
余程ホラー鑑賞が嫌なのか、雪羅は拒みの姿勢を一向に崩さない。苦手なんじゃないかとは薄々感じてはいたが、まさかここまでとは思わなんだ。
「ちなみにシロよ。内容としては大雑把にどんな感じじゃ?」
「微エロ要素を含んだちょいエロホラー。趣向としてはひたすら逃走系。健全な辱めシーンもあって自然と固唾を呑むこと間違い無し」
「よし見よう、今すぐ見よう、有無を言わさず見よう」
鼻息を荒くしながらDVDプレイヤーをセットし始めるキサナ。頭の中身は既にピンク一色である。
「ままま待ちにゃさいキサ! 私と雪羅ちゃんはまだ認めていにゃいわよ! それに映画鑑賞にゃらコメディ映画とかでも別にいいじゃにゃい!」
「濡れ透け濡れ透け濡れ透け濡れ透け濡れ透け……」
「もう駄目だ手遅れだった! 完全にスイッチ入っちゃってるし!」
セットの邪魔をしてくる愛を物ともせず、揺らがぬ硬い煩悩が衝動的にキサナを突き動かし、滑らかな手際の良さで鑑賞の準備が整えられた。
「せ、せめてエロは無しにしにゃさい! こんにゃ真っ昼間から見たくにゃいわよ! ていうか時間帯限らず見たくにゃいけど!」
「やれやれ、しょうがないなぁ……。じゃあ今日は無難に貞子でも見ようか。微エロホラーは大人の時間帯に持ち越しということで」
「うぅむ、多数決ならば仕方あるまい。今夜のメインディッシュは涎を垂らしながら我慢するとしようかの」
「見ないという選択肢に目を向けて欲しいんだけどなぁ……」
電源を付け、DVDプレイヤーが再生される。
テレビで映画鑑賞なんて生まれて初めてのことだ。それもホラーというものに関わったことがないから、どれくらい怖いものなのか楽しみだ。
「弥白、もう少し左に詰めて。ほら早く」
「お兄ちゃん前開けて前!」
「ふむ、ならば我は左の方に座るとするかの」
「キサナは私の右っ!」
「あっ、はい……」
雪羅を中心に左右に俺とキサナが座り、俺の膝の上に愛が座った。ホラーを楽しむ以上に、怖がり組二人の反応を見ていた方が面白いかもしれない。
モノローグが終わり、本格的に貞子の上映会の幕が開く。
物語の流れとしては、呪いのビデオを見てしまったことで呪われてしまい、一週間以内に呪いを解かなければ貞子によって呪い殺されてしまう。そしてその呪いを解くために、貞子の遺体を探すという内容……だったはず。
なんとまぁタイムリーな内容だろうか。今となっては過ぎた話だが、呪いというキーワードには複雑なものを感じてしまう。
映像は早速貞子の呪いによって呪い殺された犠牲者が現れていた。なんてリアルな死に顔だろうか。恐怖に染まり切ったその表情が、貞子の脅威そのものを表現しているかのようだ。
「待ってもう心折れそうなんだけど」
「まだ序盤じゃろうて。この程度で挫けていては話にならぬぞ」
「こ、これ本当に映画にゃのよね? 実際にあった話とか、そういうわけではにゃいのよね?」
「…………どうだろうねぇ」
「含みのある言い方やめにゃさいよ! 意図的に声低くしたでしょ今!?」
ビビリにビビリ出す怖がり組。やばい、めっちゃ楽しくなってきた。俺って案外Sなのかも。
滞りなく物語が進行していき、次々と続出する犠牲者達。そしてついにあの有名シーンが流れる時が来た。
テレビの映像の中にある井戸より這い出る、不健康に見える白い肌のか細い手。焦らすように、ねっとりとした動きで貞子が姿を現す。
「…………」
「シロよ、雪羅が白目剥いているのじゃが」
「はいはいそういう演技いいからちゃんと見ようね〜」
「嫌! やめて! 私の目尻に触れないで!」
「あばばばば……」
清姫を連想させるボサボサに伸びた真っ黒な髪の毛。圧倒的髪の長さで顔は見えずとも、ひたり、ひたりと一歩ずつテレビ側に向かって歩み寄ってくる。
「ほほぅ、スタイルいいね貞子。スリーサイズどれくらいだろ?」
「ふむ……一見ボロく見える白い服じゃが、目を凝らすとそのボロさ加減がエロさを際立たせているの。新たなジャンルの扉が見えそうじゃ」
「こんにゃ時にまでやらしい考察!? 逞しいにも程があるわよ!」
貞子とテレビとの距離が詰められていき、貞子が画面に向かって禍々しい手を伸ばしてくる。
そしてついにその手が画面へと届き、テレビの中よりリアル貞子が時空の壁を越え、実体となって這い出て来た。
「……あり? なんか急に3Dに変わってない? 貞子がすぐ目の前にいるように見えるんだけど」
「奇遇じゃのシロよ。我も同じように貞子が見えているわい」
「ていうか実際に出て来てるのよ!! ぎにゃぁぁぁ!?」
映画の世界の時空を越えるどころか、二次元と三次元という越えられないはずの壁さえ越え、貞子が現代へと召喚されてしまった。
俺の霊力が二次元に生きる奇怪な存在をも引き寄せてしまったのか、もしくはこのDVDプレイヤーが曰く付きの物だったのか。何にせよ、このままでは俺達がリアル貞子に呪い殺されてしまう。
雪羅に退治してもらう手を一足先に考えたが、白目を剥いた演技が演技ではなくなり、本当に気絶してしまっていた。口から泡が出ているのが何よりの証拠である。
「こういう時は取り敢えず巻き戻してみるのが定石じゃろうて」
貞子の対処に困り果てていると、キサナがリモコンを操作して映像を巻き戻した。
すると、三次元の世界にいた貞子の動きが高速になり、液晶画面の向こう側へと巻き戻っていき、再び井戸の奥底へと消えて行った。
一旦一時停止し、井戸が見える例の場面で映像が止まる。
「どういう原理でこっちの世界に来てるのあの幽霊!? 本気で死ぬかと思ったじゃにゃい!」
「いやはや中々のスリルじゃったの。流石の我も肝が冷え冷えじゃ」
「この危ない橋を渡る感じ……ゾクゾクするよね。これだからホラーというものは面白い!」
「何にも面白くにゃいから! 洒落ににゃってにゃいのよ! 遊びにまで危険性を持ち込まにゃいでくれにゃいかしら!?」
「いやでもこれ本当に面白いよ。これってもしかして、もう一回再生したら出てくるんじゃない?」
「試してみる価値有りじゃの」
「え? 嘘でしょ? 馬鹿じゃにゃいの貴方達!?」
「「馬鹿ですが何か?」」
「開き直ればいいってものじゃ――って、本当に再生ボタン押してるし!?」
再び映像が再生され、井戸の中より貞子が再びそのおどろおどろしい姿を現す。
ひたり、ひたりと着実に一歩を踏み、またもや次元の壁を越えて俺達の元にやって来た。
「ほらやっぱり出てきた。凄くないこれ? 俺も三次元から二次元に行ってみたいんだけど」
「誰しも一度くらいは憧れる事象じゃの。しかもこの能力を自由自在に操ることができれば、やらしいことをしている現場で直にやらしいプレイを拝むことができるのではないか……?」
「ほほぅ、そういう発想があったとは。やはりキサナ、君は底知れない天才だったか……」
「どう考えても底知れない馬鹿でしょうが! それより早く巻き戻しにゃさいよ!」
「まぁ待て愛よ。せめてバストにワンタッチした後で……」
「煩悩より身の危険を考慮しにゃさい!」
愛はキサナからすぐさまリモコンを取り上げ、映像を巻き戻してからDVDプレイヤーの電源を落とそうとする。
「あっ、待って愛。電源切る前にやりたいことあるから消さないで」
「どうせまたしょうもにゃいことでしょ! お断りよ!」
「しょうもないと言えばしょうもないんだけど、少なくとも俺達の身に危険は及ばないからさ。それならいいでしょ?」
「……本当でしょうね?」
「本当だよ。ほら、嘘ついた目してないでしょ? むしろ澄んだ瞳に見えるでしょ? これが純粋無垢の所以ってなもんですよ」
「私の目には嘘臭くしか見えにゃいんだけど……。悪ふざけも程々にしにゃさいよお兄ちゃん」
愛からリモコンを奪還し、再び映像を再生させる。
「して、シロよ。今度は何をするつもりじゃ?」
「いやさぁ、この貞子って恐らく意思があるわけでしょ? こっちの世界に干渉してきてるわけだし。つまり、この映像の中でもリアル貞子は生きてるってことだよね?」
「……? つまり何が言いたいのよ?」
「つまり、貞子には“体力”があるということ。で、俺は貞子の体力に興味を惹かれているわけなんですよ」
「体力とな? どういうことじゃ?」
「だってさぁ、井戸って結構な深みがあるわけじゃん? その中から息を切らすことなく平然とよじ登って来るその体力及びに筋力。SA○UKE出場者も舌を巻く程のアスリートとして、目を見張る素質を持っていると思ったんだよね」
「これまた独特な着眼点じゃの。言われてみれば尋常ではない身体能力かもしれぬの」
「でしょ? だからさ、そんな超人貞子の限界を見極めてみようよ。一見細身な身体つきであるあの貞子には、体力の底があるのかどうか……」
リモコンを構え、再び再生ボタンを押す。
例の如く貞子が井戸の中より這い出て来て、やがて二次元から三次元の壁を越えて来る。
「はいもう一回」
巻き戻して井戸の底まで追いやり、また再生ボタンを押して貞子が井戸から登って来る。
「はいもう一回、それもう一回、やれもう一回……」
永遠とその作業を繰り返し、貞子は井戸の登り降りを永久に繰り返す。
「いつににゃくドSにゃんだけどこの人……。呪いとは別に封印されていた性癖まで解かれちゃったのかしら……?」
「元々シロはS寄りの人間じゃ。見慣れている我にとっては何ら不自然ではないの。それより、気になるのは貞子の方じゃ。これだけ井戸の登り降りを繰り返しているにも関わらず、息一つ乱していないとは……」
そもそも幽霊に体力の底が存在しないのか、貞子は膝をつく傾向を一切見せない。恐るべき忍耐力である。
「ゆっくり歩いて来るのを待ってるのも何だか面倒臭くなってきちゃったし、早送りも使ってみよう」
「え?」
次元の壁を越えて来る寸前で止めるようにして、貞子の動きを巻き戻しと早送りによって完全支配。高速で登り降りをひたすら繰り返させる。
「戻して送って戻して送って戻して送って戻して送って……」
「……この遊びのせいで恐怖が何処かに行っちゃったわ」
「はっ!? わ、私は一体……」
「おぉ、目が覚めたようじゃの雪羅よ。さぁ、お主もシロのドSっぷりをじっくり拝むのじゃ」
「ドS? そんなこと幼少期の頃から知って――って、これは何をやってるの?」
「貞子の身体能力テストじゃ。我達は今、幽霊の限界を目撃することとなるのじゃ」
「またしょうもないことを考えるんだから……」
ようやく雪羅が意識を取り戻したところで、僅かに貞子の動きに変化が現れたのを見逃さなかった。
巻き戻した後で一度再生ボタンを押し、その挙動を伺ってみる。
「む……? 貞子の手がガクガクしとるの」
いつものように井戸から手が這い出て来るが、ついに体力に支障が生じたのか、ピクピクと痙攣を起こしていた。
さっきまでよりも明らかに登って来る速度が遅くなっているが、何とか井戸からよじ登ってくると、千鳥足でふらふらしながらこちらの方へ近付いて来る。
「よし、それじゃもう少し頑張ってみようか」
罪のない者を呪い殺してくるような巨悪相手に慈悲など無用。容赦無く定位置に戻し、井戸の底からリスタートさせる。
よじ登って来る速度が更に下がり、苦しそうに震える手が這い出て来て、老婆のような動きで井戸から登って来た。
しかしこちら側に歩き出そうとした瞬間、何かに躓いて仰向けに倒れてしまった。痙攣は腕から全身へと巡り、かなりキツい状態になっている。
「ほらどうした、それでも“あの貞子”かい? 他者を呪い殺すことを生き甲斐としてるんだろう? 倒れてる暇はないんじゃないの〜?」
「別の意味で見てられにゃくにゃってきたんだけど。貞子がいたたまれにゃいんだけど」
「しかし実際に彼奴は多くの犠牲者を出しているのじゃ。これくらいの罰を受けるのは必然じゃろうて」
しばらく倒れたままの貞子を傍観していると、よろりと身体を起こしてゾンビのように手を伸ばしながら近寄って来る。
画面に手が届きそうになる瞬間にリモコンを操作し、今度は井戸を登り切ったところで敢えて止める。
歩けど歩けど巻き戻される時間。ゴールは目の前に見えているが、辿り着ける兆しは見えない。それもそのはず、わざとそうやって希望をチラつかせて行き先を阻んでいるのだから。
「ほらほらどうした、そんな歩みじゃ一生こっちに辿り着けないよ? 本気を出さないとずっと続いちゃうよ?」
俺の挑発に乗ったのか、風に煽られるカーテンのようにゆらゆら動いていた貞子だったが、突如鮮やかなフォームで全速力で走って来た。
「うわっ!? あれ絶対怒ってるわよ!?」
「いやいや、逆ギレされても困るんですけど。悪いの十割あっちなんだし」
動きが加速しようがやることは変わらない。タイミングが早くなってしまったにせよ、画面の外には出さないように映像を巻き戻し、終わりのないマラソンが始まる。
だが、マラソンの終わりは呆気なく訪れ、再び貞子はうつ伏せに倒れてしまった。
全身より迸る大量の汗。はっきりと聞こえてくる苦しそうな息遣い。只でさえ血色の悪い肌が、より青白くなってしまっている。
「ねぇお兄ちゃん、そろそろ許してあげたらどう? このままだと貞子が死ぬ――というより成仏しちゃうと思うんだけど……」
「幽霊は成仏することが一番の救いだと思うので却下」
「そもそも趣旨が変わってない? 私達って冬のホラーを楽しもうとしてたよね?」
「一応ホラー体験してるじゃん。雪羅もさっきまで気絶してたでしょ」
「してたけど、さっきまでの恐怖が嘘のように消えちゃってるんだってば。ずっと怖がってるよりは良いんだけど……」
「……むっ? シロよ、画面を見るのじゃ。貞子が音を上げて降参しとる」
キサナに言われるがままに画面を見ると、貞子がうつ伏せに倒れたまま白旗を振っていた。かの有名幽霊がなんと情けない姿を……。
「あの伽椰子と肩を並べるあの貞子が降参? 君には幽霊としてのプライドがないのかい?」
「……幽霊のプライドって何? 妖怪のプライドすら知らない私に教えて欲しいんだけど」
「しょうがないなぁ、じゃあ後一回だけ画面にタッチできたら許してあげよう。ほら、最後の力を振り絞って。サライ流してあげるから」
ラジカセは常備していないので、俺自ら熱唱することで貞子に闘志を注ぎ込む。
宛ら今の貞子は、二十四時間マラソンの最終地点を走るランナー。産まれたての子鹿のような足取りで一歩一歩を噛み締め、希望と言う名のゴールへと前進する。
「も、もう少しよ! 頑張って貞子!」
「ゴールは目と鼻の先! 完走まで後ちょっとだよ!」
「有終の美を飾るは今ぞ! 己の責務を果たしてみせるのじゃ!」
ひたむきに頑張る貞子の姿に、堪らず皆がエールを送る。努力の結晶が今、報われようとしている。
そしてついに貞子の手が画面へと届き、歓声が貞子を出迎え――
「じゃ、お疲れっした〜」
時間を巻き戻し、井戸を登り切った辺りのところで再生ボタンを押した。
何が起こったのか分からないといった様子で固まる貞子。身体が硬直し、しばらくしてようやく自分が井戸の上にいることに気付く。
既に体力は限界を迎えていて、指の一本すら動かすことがままならない。故に、重心が崩れることは明白だった。
グキィッ!
力無く井戸の中へと落下していき、生々しい骨が折れる音を最後に、映像が途切れて再生が強制終了された。
自動的にDVDプレイヤーが起動し、円盤をセットする場所が開く。
円盤は粉々に砕け散っていて、それはまるで今の貞子の状態そのものを表しているかのようだ。
沈黙する一同。誰も何も喋ろうとせず、使い物にならなくなった円盤をジッと見つめている。
「……よし、この調子で次は呪怨の伽倻子を見――」
「「却下で」」
この日以来、俺がホラー映画に携わることは二度となかったという……。




