猫の重みはあるべき場所へ
「ほんっっっとうにすいませんでした!!」
事後の後始末として、俺は多大な迷惑を掛けたお詫びに、皆に向かって土下座の領域を超えた寝下座をこれまでの人生において初めて試みていた。
「どう思うにゃーちゃん? ふざけてると思う? それとも真面目にやってると思う?」
「一応真面目にやってると思うけど、日頃の行いのせいでふざけてるようにしか見えないわね」
「じゃあ有罪で」
何だその判断基準。理不尽極まれりか。
「いや、あの、本当にすいませんでした。病んでたんですよ自分。こう見えて以外と精神的に病み易い人種なんですよ。今回のことでそれをよく理解して頂けたと思うんですけど」
「そうね、病み体質だってことはよく分かった。悩みの種を抱えていながらも周りに頼ろうともしていなかったし、所詮私は頼りにならない存在に見られていたこともよーく分かった」
言葉のナイフが俺の心臓を切り刻む。我が許嫁は俺の対応に相当ご立腹のようだ。
「あ〜……いや〜……ほ、ほら、俺としては雪羅に長生きして欲しいと思ってるからさ。呪いで死に至るような危険に巻き込みたくなかったという計らいがあっての行動だったわけでして……」
「私からしたらそれで弥白が死んだら本末転倒なわけだけど、まだ見苦しい言い訳で悪足掻きするの?」
笑っていない冷酷な目で俺を見つめながら、右手から冷え冷えの冷気を発生させる。下手すれば今度はつらら女の呪いで殺められてしまいそうだ。
「……とまぁ、冗談はここまでにして。昔は立場が逆転していて私が救われていたわけだし、ぐちぐちと話を長くするつもりはないわ」
「ただね」と、雪羅は悲しそうな目をしながら言葉を紡ぐ。
「弥白、もうお互いに隠し事をするのはやめよう? 弥白が私を大切に思ってくれているように、私も弥白を掛け替えのない存在と思ってるんだよ? 今回のように自分一人だけでどうにもならない状況に追い込まれたら、迷惑云々関係無しに報告して欲しいの。どう?」
巻き込まないように配慮するのではなく、お互い傷付くことも承知の上で支え合いたい。それが雪羅の答えだった。
人が一人で生きていけないように、妖怪もまた一人では生きてはいけない。頼るべき時は頼るべきなのだと、身に焼き付く程に学んだ。
俺という存在を失うことが最も怖い。そう思っていた雪羅に対し、俺は自分の死を主張していた。今思えば随分と酷い事をしていたと思う。
罪の意識に捉われ過ぎていたために視野が狭くなり、周りが見えなくなっていた。最も大切な存在の想いにすら気付けないくらいに。
雪羅や他の皆を大切に思うだけでは駄目だった。皆が大切に思ってくれている自分自身のことも同時に大切にしなければいけなかったのだ。俺はそれを理解していなかった。
この教訓はもう二度と忘れてはならない。雪羅のことを想うのであれば尚更だ。
「うん、分かった。今後は何かあったら真っ先に雪羅に頼るようにするよ。でもその逆もまた然り、だからね?」
「……ん」
雪羅は微笑みながら頷いてくれた。
大事にしよう。俺を救うために必死になってくれた、この愛情深い妖怪を。
「よし、これで私の用は終わり。ここからは二人の時間よ。そういうわけだから、キサナと厠神さんは別の部屋で待機ってことで」
「そうですね。積もる話もあるでしょうし、私達は席を外しておきましょう」
「え? 我は徹底的に蚊帳の外扱い? やだやだ、構ってくれないと我死んじゃう」
「はいはい構ってあげるからお外に出てましょうねー」
「子供扱いするでない! こう見えて我は立派なアダルティーな大人じゃ! 脳内ピンク一色のそれはそれはやらしい大人――は、離せ! 離すのじゃ雪羅よ! 我から自由を奪うとは何事じゃぁぁぁ……」
か弱い力で暴れるキサナを脇に抱えたまま、雪羅は厠姐さんと共にリビングから退出していった。
残されたのは猫さん――もとい愛一人。そわそわして落ち着かないまま正座をしていて、俺と目を合わせないようにしている。
これはあれだ。集団でいる時は普通に話をするのに、二人きりになった途端に気まずさが発生し、お互いに何も話さなくなってしまうという、実はあまり仲が良くない間柄で起こる現象だ。
冗談じゃない。俺と愛があまり仲が良くない間柄であると立証してしまうなど、あってはならないことだ。
正直に言えば愛とこうして一対一で話すことに俺も気まずさを感じている。でもこうして奇跡の再会を果たしたからには、元の間柄に戻りたい。
よし、まずはこの空気を払拭しよう。そして話ができる場から整えるのだ。
やはりこういう時は軽い冗談を言うに限る。ツッコミに長けた愛であれば、必ず反応してくるはずだ。
「……丁度いい。愛、一つ君に聞いておきたいことがあるんだ」
「な、何よ?」
神妙な顔立ちで話を持ちかける俺。真面目な話をするつもりなんだろうと思っているのか、愛は姿勢を正していた。
「愛は現在、ここからそう遠くない場所にある洞穴で一人暮らしをしているんだよね?」
「あぁ、うん、そうよ。意外と住み良い場所で満足しているわ。で、それが何よ?」
「……皆にも言えることかもしれないけど、愛っていつも同じ着物を着ているよね。それはつまり、毎日同じ着物を着て過ごしているということ。てことは、その着物には愛の匂いがこれでもかというくらい染み付いているわけで――」
刹那、顔面に握り拳が飛んできて、べっこりと顔が凹んだ。グーで殴りおったよこの猫。
「何を話し出すかと思えばまた変態トーク……。昔はこんな人じゃなかったのに、いつからお兄ちゃんは変態になってしまったというの……」
「失敬な。今も昔も愛に対してムラムラしてるよ俺は」
「失敬なのはそっちでしょうが! 今になって私の思い出を汚しに掛かるの止めてくれないかしら!?」
「でも愛は愛で変わったよね。昔は一度だって引っ掻かれたことなかったのに、今じゃグーを叩き込んでくるし。暴力的なのはよくないですよ」
「しょうもない話に花を咲かせようとしたお兄ちゃんが悪いでしょ」
「……というか愛、俺の呼称は“お兄ちゃん”だったんだね。やっべ、今になってめっちゃ萌えてきた。身体が火照ること火照ること」
「真面目に話する気ないでしょお兄ちゃん!? あぁもう、気を遣って大人しくしていたのが馬鹿馬鹿しくなってきたわよ……」
「あ、そう? まぁそれが狙いだったから、俺としては好都合だよ」
「……そんなことだろうとは思ってたけどね」
「ハァ……」とため息を吐く愛。
暫しの沈黙が流れ、愛は今一度意を決して口を開く。
「……ごめ――」
「『ごめんなさい。私がもっと早くに全部を思い出していれば、こんなことにはならなかった』……で、合ってる?」
「っ!」
目を皿にして驚く反応を見せる。一字一句間違えていなかったからこその反応だろう。
「愛、お互いに謝るのはもう止めよう。それをやり始めたからお互いキリがないだろうし、後悔するのはもううんざりだからさ。……なんて、そんなこと言える立場なのか疑わしいところだけどね」
「……分かったわ。もう昔のことを持ち出すのは止める。今となっては全部解決した話だものね」
肩の荷が下りてくれたのか、愛はほっと息を吐いていた。
「てことで、これからは過去の話じゃなくて、これからの話をしよっか」
「それは別にいいんだけど、具体的に何の話をするのよ?」
「あ〜……特に内容とかは考えていないんだけど、取り敢えずは今後の愛の暮らしについてとか? ほら、こうして再会できたわけだし、また一緒に暮らしたいなぁと思ってるわけで……」
「あぁ……それもそうね。でもいいのお兄ちゃん? 私と一緒にいたらまた嫌なこと思い出したりしちゃうんじゃ……」
「ふーん……。それが愛が気を遣っていた理由だったわけ?」
「うっ……」
愛を見る度に思い出す、目に焼き付いてしまった忌まわしき記憶。きっとこれは一生背負い続けるものなんだろう。
でも、それでいいのだ。この記憶を思い出すことができたからこそ、愛と再会することができた。この記憶があるからこそ、妖怪となった愛と向き合うことができる。
ただの猫だろうが、妖怪の猫又だろうが、俺にとってはそんなことどうでもいい。たとえ姿形が変わろうとも、愛に対する想いは変わらない。
「愛、一つ我儘言っていい?」
「我儘? 何?」
少しずつでもいい。離れてしまった距離感を元に戻すために、俺は自分の頭の上に指を差す。
「昔はここが愛の定位置だったでしょ? だからまた乗っていて欲しいな〜って思って」
「あ、あぁ、そういうことね」
俺の意図を理解した愛は変化して猫の姿に戻り、軽い身のこなしで卓袱台の上から俺の頭の上に飛び乗った。
モフッとした柔っこい感触がする重量感。人肌にも似た温もりが頭部を暖め、自然と昔を思い出す。
「久し振りに乗ったけど、昔よりも周りが高く見えるわね」
「そりゃ成長期ですから。幼少期と比べたら高くなってるに決まってるでしょ」
「でも居心地の良さは何にも変わってないわ。あ〜……落ち着く」
「ふわぁ……」と眠たそうに欠伸を漏らす愛。
今が夏場なら縁側にでも行って日向ぼっこするところだが、生憎今の季節は冬。日向ぼっこするどころか凍え死んでしまう。
でも、たったこれだけのことなのに、愛との距離が少し縮まった気がする。我ながら単純だ。
「何だか眠くなってきたわ。このまま少し寝ていいかしら?」
「…………」
「……お兄ちゃん?」
「……うん? 何?」
頭の上から俺の顔を除いてくる愛の顔が霞んで見える。
熱くなっている目頭に手を当てて、卓袱台の上に額を乗せる。
そのまま顔を隠して固まっていると、頭の上にぽたり、ぽたりと僅かな水滴が落ちる感触が伝わって来た。
愛は身体を丸め、小刻みに身体を震わせる。
それは寒さによる震えではなく、ましてや怯えているわけでもない。元通りになるはずがなかった形が元通りになり、そこから溢れ出す幸せの証。
「ただいま、お兄ちゃん」
「……おかえり」
嬉しい時にこそ出すべきものが、彼女の頬を幾度となく滴る。
その顔は“愛”という名に相応しく、愛情が花となって咲き誇っているように見えた。
〜おまけ〜
「そういや愛さ」
「うん? 何よ?」
「いつの間にか普通に“な”を言えるようになってるよね」
「っ!? た、確かに! 気付けば私の最大のコンプレックスが解消されてるわ! なんでこんなことに気付かなかったの私!?」
「もしかしたら記憶を失っていたことが何らかの影響を及ぼしていたのかもしれないね」
「何にせよ、これで“な”弄りを受けることはもう二度とないってことね!」
「俺としては“にゃ”を言ってる愛の方が可愛らしくて好きだけど」
「冗談じゃないわ、もう二度と御免よ! 露骨に自分が猫又だとアピールしているようで本当に恥ずかしかったんだから!」
「でもその方が個性があっていいと思うけど」
「そんなことで私の個性を主張したくないわよ! とにかく、私はもう二度と言わないわよ! 今後一切絶対に言わにゃいから!」
「……うん? 言わにゃいの?」
「言わにゃっ……言わにゃ……にゃ……」
「……大団円っと」
「にゃんでよぉぉぉ!?」




