神に歯向かう一本の糸
その大昔、蠱毒という呪術があった。
犬や猫などといった動物の霊魂を使用した呪術であり、それによって他者に害を成すことや、自在に福を手にすることができる。
過去の人々にとってそれは全知全能なる神の力と崇められ、麻薬に縋るように蠱毒を使役する者が続出していたんだとか。
だが、それにより多くの動物達の命が人間の手によって殺められ、それを見越した役人達の法令により、蠱毒は禁術とされた。
蠱毒という忌まわしき禁術が禁術となってから幾年もの月日が経過し、衰退の一途を辿ることで人々の記憶から忘れ去られた。
だが、記憶から消えてしまったとしても、その出来事を聡明に書き記した書物は未来に引き継がれてしまうもの。
事実、俺はその書物を手にしていた。妖怪図鑑の中には、蠱毒の詳細が事細かく記されていたのだ。
意図的に災害を齎す力でもない。生活を豊かにするための資産でもない。俺が欲していたのは、愛という存在だけだった。
その願望――いや、欲望に執着した俺は、蠱毒の内容の中に見つけてはいけないものを見つけてしまった。
死者の蘇生。生死の概念を越えた、この世の理に反した究極の禁術。この時の俺は、本気でこの力のことを信じて疑わなかった。
この禁術が成功すれば、また愛に出会うことができる。当たり前だったあの日常が戻って来てくれる。
迷いはなかった。何を犠牲にしてでも愛を蘇らせるため、その禁術を実行に移した。
まず必要なのは、死んだ犬か猫の肉だった。
不幸中の幸いか、この辺は街から離れた自然ばかりの地ということもあって、野犬や野良猫が数多く蔓延っていた。
その中には飢え死にしてしまう犬猫も例外ではなく、死体の肉はあっさりと手に入った。
肉が手に入った後は単純作業だ。小箱か何かにその肉を入れ、一週間奉る。そして一週間後、その肉を生のまま食べるだけでいい。
そうすることで己の身を依り代とし、願いを叶えてくれる神様を召喚することができるのだ。
宗教染みたイカれた召喚術。客観的に考えてどうかしているとしか思えない。
しかし俺は実行した。全ては“自分”のために。
そうして、“こいつ”は俺の元に現れたのだ。
俺の願いを叶える――ためではなく、俺という罪人に呪いを与えるために。
「十年と少しか……。これでもお前は長生きした方だ。幾度となく精神崩壊する兆しはあったというのに、よく今日という日まで耐えていたものだな」
姿も形も無かった呪いそのものと化していた“奴”が、暗闇の中にその姿を現す。
闇に溶け込む漆黒のマントに身を包んだ犬頭。妖怪の類いであることは一目瞭然の神様。
「こうして話すのは久し振りだね……犬神」
呪いに縋り付いた者を逆に呪う神様。そして、呪われた人間を死ぬその時まで拝み続け、その惨めな姿を見て嘲り笑う畜生妖怪。
妖怪と言うよりは、悪魔と言っても過言ではない。それが俺に取り憑いた呪いの正体だ。
「ようやく全てを思い出した気分はどうだ? 少しずつ蓄積された記憶が呼び覚まされ、今では自ら死を望んでいるのであろうな」
「…………」
こいつのしていることは悪魔の所業であることに変わりはない。だが、その悪魔に取り憑かれてしまったのは他でもない、自分自身のせいだ。
だからこそ、俺は犬神を恨むことなんてできなかった。むしろ、罪深い俺を罰してくれていることにありがたみすら感じていた。
呪われた瞬間から愛という存在を忘れ、死人にも等しかった俺は突如回復し、何事も無かったかのように当たり前の日常に戻った。
だが、呪われたその日から、見覚えのない猫が目の前で死ぬという悪夢を時折見るようになり、その夢を繰り返し見続ける内に、愛の存在を徐々に思い出していった。
俺には愛という家族がいた。愛は俺が妹のように可愛がっていた猫。しかし愛は“何か”が原因で死んでしまった。それが最近まで呼び覚まされていた愛の記憶。
そして最後に蘇った記憶が、愛が死んだきっかけの全て。だから俺は今日までまともに生き続けていられたのだ。罪悪感をこれっぽっちも感じていなかったのだから。
「死した者は如何なる術を持ってしても蘇ることはない。そんな世の摂理を覆そうとするから、己が身を壊すことになる」
因果応報。呪いに頼ろうとしたことが全ての間違い。遠回しにそう伝えて来ていることが分かった。
今なら自分が犯した愚行が愚行であったと理解できるが、後悔は後には立たないもの。過ぎてしまったことである以上、もう二度と取り返しはつかないのだ。
俺はもう、皆がいるあの日常には戻れない。
俺には眩し過ぎた陽だまりのような居場所。本来、俺はそこにいるべき存在ではなかったのだ。
暗闇に手を伸ばしても、一筋の光さえ見えてこない。手は空を切り、下へ下へと静かに身体が沈んで行く。
こつん、こつん、と死の足音が近付いて来る。奈落の底に住んでいる死神が迎えにでも来てくれたのだろうか。
生憎だが、俺は“そっち側”に行くつもりもない。
地獄でも、ましてや天国でもない。
俺が堕ちるのは、誰もいない無の空間。
全てから忘れ去られた忘却の間。永遠の孤独が続く、地獄よりも耐え難く辛い場所。
そこに行き着くことで、俺はようやく罪を償うことができるのだろう。
「別れの時が近いようだ。いつしか忘れることになろうが、最後の遺言くらいには耳を傾けてやろう」
「…………」
幼い日々の記憶。キサナ達と出会った新しい記憶。辛いことの先にあった、皆との優しい思い出。
騒がしい日々が印象的な非現実的な思い出の中に、俺はたった一人の存在の姿を目の裏側に映し出す。
こんな俺を心の底から愛してくれた妖怪。許してくれるとは思わないが、最後にこれだけは伝えたかった。
昔に一度伝えた言葉。一蹴されてしまったが、彼女の生きる糧が再び見つかりますようにと願う、無責任な遺言。
「君を愛してくれる人はいつかきっと――」
その言葉を言い切る前に、名も知らぬ誰かが雪羅の隣にいる情景が思い描かれる。
何の感覚もないはずなのに、ズキリと胸に痛みが生じる。
「本当……最後の最後まで最低だ……」
俺のいない場所で幸せになる彼女の姿を見るのが辛い。その隣は俺の場所だと、押し付けがましい醜い心が主張してくる。
断ち切ろうとも断ち切れない最後の未練。唯一繋ぎ止められた一本の糸が、奈落の底に落ちて行く俺の身を離さない。
「……もう諦めてくれよ」
「ふざけるな」と、聞こえるはずのない声が聞こえたような気がした。
〜※〜
「これが全ての全容です。そうしてシロちゃんは犬神に呪われてしまったんです」
心臓の動悸が収まらないまま、私は咄嗟に立ち上がった。
「ひっでぇ顔だなお前。そんな状態で戻ったところでどうにかなるとは思えないがな」
「黙れっ!!」
ひぃさんの皮肉が今は心底不愉快だった。乱暴な言葉を使ったことに罪悪感なんて微塵も感じない。
「気持ちは分かります雪羅さん。私だって最初はどうにかしようとしたんです。居ても立っても居られなくて、あらゆる手を尽くしました。でも犬神の呪いは想像以上に強力で、唯一干渉できる私でも呪いを拭い取ることは不可能でした」
「唯一干渉できるって……。厠神さんは実際にその犬神を見たんですか?」
「これでも一応私も神様ですからね。神様の力に干渉できるのは、同じ神様だけなんです。ですが私は所詮厠の神様なので、呪いをどうこうできる力を持ち合わせていないんです」
つまり、犬神と同等以上の力を持った神様の協力を得ることができれば、弥白の呪いに干渉できるということだ。
と言っても、私の知り合いの神様なんて厠神さんくらいしか思い付かない。せいぜい神様に近い力を持った人達くらいしか……。
「厠姉さん。私思ったんですけど、誰かの霊力と同調した状態で呪いに干渉したりはできるんですか?」
「同調ですか? 試したことはないですけど……」
「このまま何もせずに傍観するわけにもいきませんよ。打てる手は打って最後まで足掻きましょう。そうですよね雪羅さん?」
「うん!」
霊力の同調なんて具体的にどうすればいいのかなんて分からないけど、今は厠神さんしか頼れる人がいない。この望みに賭けるしかない。
「そういうわけでひぃさん、私達少し出掛けてきますね」
「勝手にしろ。だが狸と覚、お前達は私の世話をしろ」
「な、なんで我が貴様の世話など……」
「そうですよ! 今はそんなことしてる場合じゃ――」
「拒否権無しな。とっとと腰を揉め、腰を」
嫌々ひぃさんの背中に乗る二人を尻目に、厠神さんと共にリビングから退出する。
「おい白髪」
まだ何か皮肉を言い足りないのか、出て行こうとしたところで呼び止められた。
「何ですか。言っておきますけど、もう貴女の皮肉話に耳を貸すつもりはありませんよ」
「そうじゃねぇよ。ただ、やることちゃんとやってこいって言っておきたかっただけだ」
「……貴女に言われるまでもありませんよ」
「弥白を宜しく頼む」という間接的な言い方。本当に素直じゃない人だ。
やっぱり私、この人が嫌いだ。
〜※〜
「雪羅ちゃん!」
全速力で屋敷の方に戻って来て襖を開くと、涙目になったにゃーちゃんが縋るように寄って来た。
「シロ君の呼吸が止まり掛けてて! どうしようこのままじゃ!」
「っ……」
布団で寝ている弥白の傍に座り、左胸に耳を近付ける。
心臓のリズムが極端に遅くなっている。呼吸をしているのかすら怪しい状態だ。
「して、残念姉さんを連れて来たようじゃが、何か解決策は見つかったのかの?」
「残念姉さんって何ですか! 賭けになりますが、私の力でシロちゃんの呪いに直接干渉します。ですが私一人の力ではどうしようもないので、誰かと霊力を同調させないといけなくて……」
「なるほど、そういう手があったわけじゃ。ならば、同調するものが厠神に霊力を流し込めばいい。その状態で干渉すれば、同調した者もシロの精神世界に入ることができるじゃろうて」
「霊力を流し込むってどうやって……。そもそもにゃんでキサがそんにゃこと知ってるわけ?」
「いや、それっぽいことを言っただけで、本当にそれで上手くいくのかは分からぬの」
「こんにゃ時に冗談言ってる場合じゃにゃいでしょ!」
「でも試す価値はありますよ! 皆さんお願いできますか? 人数は多い方が効果がありそうですし」
「いや、人数が多過ぎても厠神に負担が掛かる恐れがあるじゃろ。雪羅に猫よ、お主ら二人で行くのじゃ」
「うん、分かった。やろう、にゃーちゃん」
「雪羅ちゃん、やる気満々にゃのは別にいいんだけど、霊力の操作のやり方が分からにゃいんだけど私……」
「全神経を研ぎ澄まして集中して、厠神さんに流し込めば大丈夫」
「う、う〜ん……? 取り敢えず言われた通りにやってみるね」
霊力操作に関しては、氷柱を生成する時のような感覚と同じなはず。後は本当に霊力を同調できるかどうかが鍵だ。
二人で厠神さんの背中に触れて、厠神さんが弥白の額に両手を重ねる。
「それでは……入りま――」
「あっ、ちょっと待ってくれんかの?」
がくんと首を曲げて気が抜ける厠神さん。釣られて私達も気が抜けてしまった。
「さっきからにゃんにゃのよ貴女は!? こっちは真面目にやってるんだから、水を差すんじゃにゃいわよ!」
「まぁ聞け猫よ。もし霊力の同調が成功したとして、シロと再会することができた時。彼奴を救い出す鍵となるのは……猫、お主じゃ」
普段は滅多に見せない真面目な表情。そもそも初めて見たかもしれない今のキサナからは、言葉では表現できない不思議めいた何かを感じた。
「にゃんで私にゃのよ。どう考えてもシロ君を救えるのは、一番シロ君と親密にゃ関係の雪羅ちゃんじゃにゃい」
「“今のお主”にとってはそうじゃろうの。要は、お主が変わることができるかどうかの話じゃよ」
「……? 何の話をしてるのよ?」
……なんとなくだけど、薄々“その可能性”については思うところがあった。
妖怪図鑑を何度も見ている私には分かる。もし“あれ”が俗説ではなく真実なのだとしたら、ありえない話じゃない。
もしかしたら、キサナも私と同じことを考えていたからこそ、にゃーちゃんを弥白の元に向かわせようとしているかもしれない。
キサナも信じているんだ。私と一緒で“その可能性”を。
「さぁ、時間は待ってはくれぬ。我達の主様を救うのじゃ」
「そ、それでは、今度こそ入ります!」
改めて厠神さんの背中に触れて、全ての霊力を出し尽くす感覚をイメージし、全力で注ぎ込む。
厠神さんの両手が白色に淡く光り輝き始め、光が弥白の身体を包み込んで行く。
「くっ……」
同調が成功したのか、それとも失敗したのか、徐々に意識が失われていく感覚に襲われる。
「意識を委ねて下さい! シロちゃんの精神世界に入ります!」
言われるがままに対抗することを止め、電源が切れたテレビのようにぷつりと一瞬意識が途切れる。
瞬く間暇もなく視界が暗闇に包まれ、綿のように軽くなった身体が奈落へと吸い込まれていく。
目を開けると、辺り一帯はやはり何もなく、何処までも暗闇だけが見えていた。
「これって上手くいったってことにゃの!?」
すぐ側にはにゃーちゃんと厠神さんの姿が。暗闇の中にいるはずなのに、その姿ははっきりと認識できる。
「同調は成功したようです! ここまではサトリちゃんの計画通りです!」
「それで、シロ君は何処にいるの? 何処もかしこも真っ暗で何も見えにゃいけど」
「……一番奥にいると思う」
「奥? 分かるの雪羅ちゃん?」
「うん。間違いないよ」
なんとなくだけど、この先から弥白の気配を感じる。勘に近いものだけれど、この感じはきっと気のせいなんかじゃない。
「順調に進めていますね。以前は精神世界に入った瞬間に拒絶されたんですけど……」
「ちなみに、拒絶ってどんな感じで拒絶されたんですか?」
「えっとですね……。なんかこう、黒くもやもやしたワカメみたいなものがわらわら出てきまして――あっ、そうそう、丁度あんな感じのやつです」
下へ下へと落ちていく先に指を差す厠神さん。
禍々しい邪気のようなオーラを纏ったもやもやが、うねうね動きながら伸びて来ているのが見えた。
「呑気に説明してる場合じゃにゃいでしょ! やばいんじゃにゃいのあれ!?」
「どどどどうしましょう!? 同調さえ上手くいけば大丈夫だと思っていたのに!」
「二人共、私の後ろに隠れて!」
霊力に形を成し、霊力を冷気に変換して自分の身体を包み込む。
二人も含めて全身を氷塊で包み込み、下に向けて鋭利な氷柱を造形する。
「邪魔をするな!」
氷柱が邪気を穿ち、あらゆる方向から迫り来る邪気を氷塊によって弾き飛ばす。
念には念を入れて小型の氷柱を氷塊の外に発現させ、邪気に向けて一斉に解き放つ。
数え切れない邪気を貫通していき、纏まり付いていた邪気の勢いが失われると、暗闇の中に引っ込んで完全に消え去った。
「さ、流石ね雪羅ちゃん。そういえば雪羅ちゃんって、あの化け物熊を一蹴してしまうようにゃ強さだったわね」
「ひぃさんに負けず劣らずの勇ましさです! むしろその勇ましさが恐ろしいくらいです! 足が竦み、肩が震え、身が凍るくらい怖いです!」
「厠神さん、それむしろディスってますよね?」
普段ならもう少し追求しているところだけど、今は弥白の元に辿り着くことだけに集中する。
「…………っ! 見つけた!」
一体何処まで落ちたんだろうか。暗闇の奥におどろおどろしい渦のようなものが見え、そのすぐ近くに弥白と犬神らしき存在を捉えた。
「弥白!」
弥白に向けて手を伸ばしながら落下していく。
「うっ!?」
ようやく弥白の元まで辿り着き、その身を抱き寄せようとした刹那、目に見えない何かが障壁となって阻み、一瞬手に激痛が走って思わず引っ込めた。
「大丈夫ですか雪羅さん!?」
「はい、何とか。でも今のは一体……」
「呪いによる防壁です。恐らく犬神が張ったものかと」
黒いマントに身を包んだ犬頭の化け物は、私達を一瞥して鼻を鳴らした。
「小賢しい連中だ。よもや一蓮托生なる手段で、これほど強い霊力を持った娘を連れて来ようとは。赤子の手を捻るが如く、私の邪気を退けるか」
「そんにゃことどうでもいいわよ! 御託はいいからさっさとシロ君返しにゃさい!」
「フッ、お前がそれを言うとは皮肉なことよ。自分の立場を理解しておらぬ愚かな猫よ」
目くじらを立てるにゃーちゃんを見つめながら不敵に笑う犬神。
「弥白! 返事をして! 意識はあるんだよね!?」
「無駄だ。今の此奴は身も心も闇に捕らわれただけの虚無の存在。姿形がただ残っているに過ぎない」
瞳から光が失われて虚ろになっていて、精気がまるで感じられない。若干息はしているようだが、いつ死んでもおかしくないような状態だ。
手に氷柱を持って見えない障壁を壊そうと試みるが、障壁に接触した瞬間に氷柱が粉々に砕け散った。これも呪いの力なんだろう。
「貴方の目的は一体何? 何故弥白を呪うの? 貴方が呪いの神様だから?」
「私利私欲で願いの力を酷使しようとする人間を呪い殺すことこそが、犬神たる私が生きる意味だからだ。過去に幾度と無く呪いの儀式を行う者達に取り憑き、その度にその愚かな人間を殺めて来た。この男もその一人に過ぎないというわけだ」
「弥白はただ愛という家族ともう一度再会したかっただけよ! 愛に生きてもらいたかったからこそ、弥白は願いの力を――」
「己の中に空いた穴を満たすため、この男は家族を蘇らせようと思い至った。家族のため、などという言葉は所詮建前でしかない。お前が言おうとしているそれは綺麗事だ。この男は自分のために家族を蘇らせようとしたに過ぎない」
「…………その通りだよ」
「っ!? 弥白!?」
「ほう、まだ意識があったか。中々にしぶとい罪人よ」
失われていたと思っていた意識が覚醒したのか、もしくは元々意識はあったのか、枯れた声でぽつりと弥白が呟いた。
「犬神の言う通り、俺は自分の罪を清算するために……謝るために愛を生き返らせようとしただけだよ。その結果がこれだけどね。惨めなことこの上ないよ」
虚ろな目が私を捉え、睨んだような目付きで私の瞳の奥を覗き込んで来る。
「俺は自分のために禁忌に手を染めるような人間だよ。それなのに、なんで自分の身の危険を顧みずに助けに来るんだよ。下手したら君達も呪いの影響で死ぬかもしれないのに」
「……理由は二つある。一つは、貴方に恩返しをするため」
「恩返し? 何のさ?」
「私に生きる希望をくれたこと。弥白も覚えてるでしょ?」
あの雪山で弥白と出会い、私の閉ざされていた心を外に解き放ってくれた。あの出会いが、あの出来事が、あの日々がなければ、今の私はここにはいない。
この恩義をいつか返そうと思っていた。恩ばかり売られている関係から、対等な関係になりたかった。一方的に寄り掛かるんじゃなくて、寄り添い合って歩きたい。それが今の私の願いであり、一生の夢だ。
「……今更だけど、この際だから言っておくよ。あの時雪羅を命懸けで助けようとした本当の理由は、死ぬための真っ当な理由が欲しかったからだよ」
目を背け、笑いながら弥白は言う。
「ただ何の意味もなく自殺するだけじゃ、愛を殺した罪から逃げたいがための死になる。それが嫌だったから、死ぬべきタイミングを見計らっていた。それがあの時だったってだけだよ」
「知ってる弥白? 弥白は嘘をつく時、一瞬だけ耳をぴくりと動かすの」
「…………」
弥白は左手で自分の耳を触る。
動いているわけがない。今のはカマをかけるための嘘なのだから。
「そこで耳に触れるってことは、自分が嘘をついていると自白しているようなものだよ弥白」
「……聞き分けのない奴だよ君は」
「その台詞、そのまま貴方に返却するわ」
「いい加減にっ……。もういいだろ! 見捨ててくれよ! 忘れてくれよ! 愛に続いて雪羅まで失ったら俺は……。だからこの糸を切って終わりにしてくれ! 俺はもう死にたいんだよ!」
たった一本の青白い糸が弥白の右手首に絡み付き、重力に逆らって弥白の身をぶら下げている。
この糸が――繋がりが私のものなのだとしたら、断ち切れることは絶対にない。
「見捨てないし忘れない。貴方がいない世界で私は生きようと思わない。貴方が死ぬと言うのなら、私も貴方の隣で一緒に死ぬ。重い女と言われようとも関係無い。もうずっと前から決めていることだもの」
「何なんだよ……。だったら俺にどうしろって言うんだよ! これからもずっと愛を殺した罪を背負いながら生きろって!? 死ぬより苦しい苦痛を味わいながら生き続けろだなんて言うのか君は……?」
後悔と涙が頬を滴り、虫を噛み締めるように歯を食い縛る。
ずっとその苦しみを背負いながら、弥白は周りに幸福を与え続けていた。
弥白が与えてくれた幸福によって救われた妖怪は数知れない。私もその妖怪の内の一人だ。
自分だけは救われない存在であることを受け入れ、周りの妖怪が救われていく光景を目にしていた時、弥白はどんな気持ちでいたんだろうか。
取り残すわけにはいかない。未だ一人だけ歩き出せていないこの人を置いていくつもりはない。
後ろを振り返れば、私達を羨ましそうに見ている弥白の孤独な姿。その手を引くのは他の誰でもない。
私と――愛だ。




