卑しい覗きと無頓着な覗き
冬に似合った美味しい食べ物は何か?
人によって思い付くものは様々なのだろうが、俺が真っ先に思い付くのは鍋一択だ。
寒い季節に身体を温めることができる。料理の手間が圧倒的に掛からない。沢山作れる上にコスパが良い。料理を作る者にとって至極の一品と言えるだろう。
鬼屋敷の鬼達と狐屋敷の妖狐達は食欲旺盛なので、材料の数は必然的に山のようになるわけだが、食材確保はいつもお世話になってる畑怨霊のお陰でいくらでも揃えられるので助かった。田舎の妖怪クオリティ恐るべしだ。
今晩は大勢で鍋を囲み、俺も久しく大量の食べ物を喰らい尽くした。途中から大食い大会にまで発展し、ついつい意地を張って食べ過ぎてしまった。
そう……食べに食べて、腹を満たして、それだけで俺は満足できるはずだった。
「あ゛ぁぁぁ〜……」
ぽっこり膨らんだ腹がギュルギュルと唸り声のような音を響かせ、消化されたアレが便器の中へと落ちていく。踏ん張れば踏ん張る程流れていき、しかし腹の痛みが治まることはない。
慣れないことをするから腹を壊してしまうのだ。すぐ調子に乗ってしまうからこんな惨めな末路に辿り着くのだ。沢山食べる子は元気に育つというけれど、それにも限度があるんだと身を以て理解した。
「随分とまぁ魘されてやがんな。人の身であれだけ食えばそうもなるわな」
ずっとトイレに立て籠もって孤独を味わっていると、ドアの向こうから温羅兄の声が聞こえて来た。様子を見に来てくれたんだろうか。
「その様子だとしばらく出て来れそうにもねぇようだな。自業自得だから仕方無ぇけどよ」
「ぐうの音も出ないッス。こんなに出してんの生まれて初めてだよ。出るわ出るわで自分のことながら引いてるし」
「それだけ消化器官が良いってことなんじゃねぇのか? 知らねぇけどよ」
そう言われると俺はまだ救われている方なのかもしれない。便秘気味だったのなら数日は腹痛に悩まされる羽目になっただろうから。
「しかしまぁ……なんだ。テメェもあっさり罠にハマるもんなんだな」
「罠? 何の話さ」
「……テメェが大食いに夢中になってる時だ。順調に勝ち上がっていた途中、急に腹痛が起こってお前は呆気なく脱落した」
「そりゃあれだけ食べれば腹も壊すでしょ」
「いや、実はそうじゃねぇ。テメェが腹を下した一番の原因は、テメェが飲んでいた水に俺がこっそり下剤を紛れさせたことにあるわけなんだなこれが」
「へー、そうだったん……は?」
今なんて言ったこのゲス鬼? 下剤紛れさせたとか言ったか? てことは、俺が今こうなっている原因というのは……。
「やりやがったなゲス野郎!」
「ヒャーハッハッハッ! 普段は俺が一方的に坊にやられてっからな。たまには仕返ししてもバチは当たらねぇだろ」
気持ち良く鍋を食べられなかった原因は自分のせいにあると思っていたが、そんなことは無かった。俺としたことがゲス鬼如きの罠にハマるだなんて屈辱だ。
「これは報復だぜ坊。俺達を差し押さえといて女連中に一人だけちやほやされやがって、なんでテメェばっかモテモテになってんだっつの。これは俺だけじゃねぇ、俺達鬼組の意思だ。たまには俺達のことも尊重しろや!」
要は八つ当たりか。なんて見苦しいことか。そういうことばかりしているから女の子と縁を結べないというのに。
「ついでにもう一つ嫌がらせとして、そこのトイレの紙は予め回収しておいた」
「なん……だと……?」
そう言われてトイレットペーパーを確認してみると、そこにあるはずの紙が無くなっていた。度し難いゲス鬼のやることがここまで残酷だとは思わなんだ。
「つまり今のお前は、二つの手の内の一つを犠牲にしなきゃならねぇってこった。糞ってのは案外臭いが染み付くもんだからな。手から臭いを取り除くのは困難だろうよ。そこで俺はお前に正真正銘の糞野郎というあだ名を周りに吹聴してやる。そうなればお前の株は大暴落! 寄って来る女も寄って来なくなる手筈ってなぁ!」
「……うわぁ」
何をここまで拗らせたらこんな鬼に育ってしまうのだろうか。今日まで生きてきた温羅兄の成長過程って一体……。
「さぁさぁどうする坊!? 右手か!? それとも左手か!? どっちでも好きな方を選んでくれてもいいぜぇ!? どっちにせよ糞野郎という汚名からは逃げられないからなぁ!」
圧倒的優位に立っているが故に調子の乗り方が普段よりもかなり鬱陶しい。さて、どうやってこの雪辱を果たしてやろうか。
「…………何やってんのあんた」
「……あん?」
……どうやら俺が直接手を下す手間が省けたようだ。温羅兄の馬鹿声を聞きつけたのか、桜華が駆け付けてくれたようだ。
「弥白様が心配で様子を見に来てみれば……。で、そんなにトイレットペーパー持って何やってんのよ」
「……ふぅ」
桜華が現れた時点で状況は詰んでいるが、温羅兄は緊張を解くように息を吐いた。この様子だとまだ足掻くつもりのようだ。
「まぁ聞け脳筋。俺はな、この不平等な世の中に改変を齎そうとしてんだよ」
「……で?」
「はっきり言って坊のカリスマ性は俺達鬼組と比べると圧倒的だ。でもそれっておかしくねぇか? 俺達も散々テメェら妖狐組にセクハラ働いて来たが、そりゃ坊も大概だろうよ。こっちは事あるごとに半殺しにされてんのに、なんで坊だけ皆ウェルカムなんだっつの。これって明らかに依怙贔屓されてるよな? なぁ?」
「……で?」
「テメェらは気付いてねぇんだ。坊の掌の上で転がされ、弄ばれていることによ。悪いことは言わねぇからテメェも俺に協力しろ。これ以上坊の前でビッチに成り下がるくらいなら、自分を弄んでやがる色ボケ野郎に復讐を果た――おい待て、どっから取り出したその金棒。テメェの裾の中は四次元ポケットにでもなって――」
そこで温羅兄の言い訳が途切れて、ぐしゃりと何かが潰される生々しい音が聞こえた。
「その言い分で私が納得すると思っていたとしたら、そろそろあんたも末期みたいね。元々人としても鬼としても終わってるゲスだけど」
温羅兄は何も言い返さない。正しくは言い返せない。口を聞くことも話すこともできなくなっているのだろうから。
「弥白様、決して覗かないので開けて頂けますか?」
紙を受け取るために鍵を開けてドアを少しだけ開くと、トイレットペーパーを持った桜華の腕が入って来た。
そしてその少し後、顔を半分だけ覗かせて来た。
「助けてもらっておいて何だけど、言ってることと違うのでは?」
「……な、何のことでしょうか」
少しニヤついて視線を逸らす桜華。実はむっつりだったようで。
「とにかく助かったよ。ありがと桜華」
「お礼を言われるほどじゃありませんよ弥白様。あっ、それとこれも使って下さい。
トイレットペーパーをくれた後に続いて、小さな錠剤が詰められた小瓶も渡して来た。
「腹痛薬です。即効性というわけではないんですけど、効果はてきめんなので宜しければどうぞ。ラムネみたいなものなので水無しで飲んでも大丈夫です」
「何から何まですまないねぇ」
介護される老人になった気分で薬も受け取る。これで多少は腹の痛みも和らぐことだろう。
「…………」
錠剤を一つ取り出して口の中に含む。本当にラムネのような味がして、薬とは思えないお菓子感覚だ。
「…………」
さて、後は出すもの出せば済む話になった……が。
「あの、桜華さんや? いつまで覗いてるつもりなので?」
「……どうぞお構いなく」
「気にしないでと言われてもなぁ……」
見えないようにはしているが、こちとら下半身スッポンポンになっているのだ。これじゃ用が済んでも起き上がれない。
「……何してるのそこで」
「あ゛っ……」
一向にドアを閉めてくれる気配がないまま時が過ぎていくと、今度は雪羅の声が聞こえて来た。桜華に続いて俺を心配して様子を見に来てくれたとみた。
「あまりにも時間が掛かってるから様子を見に来てみれば……。桜華ってそういうキャラだったっけ?」
「いや、あの、その、これはほんの出来心と言いますか……。弥白様の大胆な姿を見られる貴重な場を見過ごせないとか、そういう下心に満ちた行為ってわけじゃなくて……ね?」
「意味の分からない言い訳はいいから早く閉めなさい」
「……すいません」
雪羅に説教されたことでパタリとドアを閉めてくれた。これでようやく一安心――
「大丈夫弥白? 自業自得とはいえ、心配だから見に来てあげたよ」
と思いきや、今度は雪羅がドアを開けてチラリと中を覗いて来た。桜華同様、若干の下心を抱いているかのような目を向けて。
「お腹の具合はどう? 少しは落ち着いた?」
「お腹の方はともかくとして、君達のせいで少しも落ち着けないことは確かですねぇ」
「ふーん……」
遠回しに引っ込んでくれと伝えたつもりだったが、上手く伝わってくれていないようで、雪羅はドアを閉めずにジッと俺の様子を伺っている。
「すいません、恥ずかしいのでそろそろ閉めて頂きたいのですが」
「……どうぞお構いなく」
「えぇい! 二人して何なんだよもう!」
欲求不満だとでも? 私も少しは溜まってるんですアピールしてるつもりであると? だからって人がトイレしてるところを観察してくるか普通……?
「どうですか弥白様? 腹痛薬の効果出て来ましたか?」
一度引っ込んだ桜華がまた半分顔を覗かせて来た。これなんてプレイなの?
「趣味が良いとは言えませんよお二方。何? 日頃調子に乗ってる俺に対する嫌がらせのつもり?」
「ゲス鬼じゃないんだからそんなことしないよ」
「そうですよ。弥白様をお慕いはすれど、恨みを抱くだなんてありえません」
「ならこの仕打ちは一体何なんですかね」
「「…………どうぞお構いなく」」
答えになってない返答が返って来る。なんで今日に限ってこんな積極的になっているのやら……。
「「あっ……」」
「うん?」
どうやってこの場を凌ごうかと試行錯誤を繰り返していると、ふと二人が俺の頭上の方を見て口を開いた。まさか第三の刺客が現れたとでも?
気になって後ろに振り向いてみる。すると、上の方に位置付けられている窓から見知らぬ何者かが覗き込んで来ていた。
「……誰だ君は」
「…………」
何処ぞの誰とも知れぬすだれハゲのおっさんは、返事を返して来ることなくただジッとこっちを見つめて来ている。ここまで来ると最早イジメだ。
このおっさんが何処からやって来たのかは知らないが、霊気を感じるということは妖怪であることは分かる。それと、どういう妖怪なのかも大体見当がついた。
恐らくこのおっさんの正体は“加牟波理入道”に違いない。相手がトイレで用を足している際に何処からともなくふらりと現れ、こうして人間の無防備な姿を覗いてくるという変態妖怪の一種だ。
女の子に覗き行為をされるのはまだ許せるのかもしれないけど、おっさんに覗かれるのは溜まったものじゃない。さっきから鳥肌立ちっぱなしだし、落ち着かなくて出したいものも出せない。
確かがんばり入道を追い払うには、特定の合言葉のようなものがあったはず。何時ぞやに妖怪図鑑で見たことがあったけど、こんな時に限ってその合言葉をド忘れしてしまった。
とにかく言えるだけ言ってみよう。まずは相手を否定していく形で。
「馬鹿! ハゲ! 窓際族! 安月給! 給料泥棒! リストラ常連者!」
「…………」
全く反応無し。雰囲気からして弱々しい社会人のような顔なものだから、こういう攻め方されると弱ってくれると思っていたのだが……。
「気色悪い妖怪ですね! 覗き行為をするなんて最低ですよ!」
「随分と良い趣味してるみたいね。自分がどんな愚かなことをしてるのか分かってるのかな?」
人の事を言えない少女達がなんか好き勝手言ってる。類は友を呼ぶということなんだろうか。
「ブーメランな言葉を投げ掛けてる暇があるなら、早々にこの場を去って頂きたいのですが」
「「どうぞお構いな――」」
「そっか分かったよ。それじゃ今から君らに素でブチ切れるけど、絶対後悔しないと心に固く誓っておいてね?」
ニッコリと笑顔を浮かべてそのように告げると、二人は青白くなった顔を引っ込めて静かにドアを閉めて行った。
あの二人は後でガッツリ説教するとして、残るは窓から覗くおっさんのみ。思い出すんだ、忘れてしまったあの合言葉を!
「加牟波理入道……加牟波理入道……んん〜……」
名前を呟いている内に、頭にその言葉が入ることを思い出した。“加牟波理入道”という言葉の後に何かが入る。その肝心の言葉はなんだったか……。
ここは一旦冷静になって、まずはこの状況を考察してみよう。
大をしている人間の元に突如として現れたおっさん。彼は何を思い、同性である人間の大する姿を覗いて来ているのか。その心と同調することさえできれば、自ずと答えに辿り着くのでは?
これはあくまで俺の仮説だが、奴は恐らく同性愛者だ。そうでもなければ、野郎が大する姿なんて見ようと思わないだろう。
大する野郎の姿に興奮を覚える。それがこのがんばり入道の真意であり、目的。であれば、その気持ちを萎えさせる発言をすればいいのではないか?
「加牟波理入道見て見なさい。見る価値の無い水々しい大ですよ。今晩カレー食べられなくなりますよ」
「…………」
反応無し。合言葉にしては長過ぎたか。もう少しコンパクトにすれば効果があるかも。
「加牟波理入道下痢お好き?」
「…………」
駄目か……。下痢をしようがしまいが関係ないというわけだ。
つまり、糞の形には拘りがない。奴が惹かれているのは、便器に座って用を足している人間の姿にあるのかもしれない。その確率が今の検証で上がったぞ。
ということは、便器に座る人間の姿を見て萎える言葉を投げ掛けるのが正解に近いということだ。
……どんな言葉言えばそんな萎えさせ方できるんだ。
「加牟波理入道……実は私は女です」
「嘘付けやカスが」
「えぇ……」
初めて返事が返って来たと思いきや、バレバレの台詞にストレートに罵倒された。口悪いなこいつ。
何なんだよもう、分かんないよ合言葉だなんて。今となっては奴の首を狩り取る手段しか思い付かないよ。かの織田信長の如く、残酷無慈悲の精神で眉間に火縄銃ぶっ放してやりたいよ。
「……ん? 織田信長?」
なんだろう……なんか今ビビッと来たような気がする。例の合言葉に何らかの繋がりがあったような無かったような気が……。
織田信長と言えば、一番の有名どころとして本能寺の一件が思い浮かばれる。家臣の一人である明智光秀による謀反により、第六天魔王が火の中に死に絶えたという……。
……いや違うな。そんな話と加牟波理入道がどう繋がるんだって話だ。そういう殺伐としたものじゃなくて、もっとこう愛着感が湧くようなキーワードだったはず。
愛着感……つまりは可愛いという言葉に繋がる。そしてそのキーワードから導き出される織田信長の接点と言えば……。
「……お市」
そうだ、お市だ。織田信長の妹である絶世の美女。このお方が合言葉に関しているのやもしれん。
絶世の美女との関係があると考えると、加牟波理入道のゲイ説の可能性が極めて薄くなる。きっと加牟波理入道はお市様のような可憐な女性が好みなのだ。うん、そうに違いない。
……じゃあなんで男が大する姿を観察してるんだって話だ。
まずい、またスタート地点に戻って来てしまった。考え過ぎてしまっているせいで何が正しくて何が間違っているのかも分からなくなって来た。
「あぁもう……放っといて欲しいんだけど……む?」
放って……? 何だこの感じは? 聞き覚えのある合言葉に近しいイントネーションだったような気が……。
「ほ……ほう……いや違うな……ほほ……ほと……」
出掛かってる。先っちょだけはみ出て来ている感覚がする。まるで今の俺の尻の穴から出ようとしているアレのように。
「ほと……ほと……仏様?」
いや違う。こんなハゲが神々しい存在とお近付きになっているわけがない。でも段々と近付いて来ているのを感じる。後少し先にゴールが見えて……。
「…………ハッ!? そうだ思い出した! 確か加牟波理入道ホト――」
「加牟波理入道ホトトギス、だろうが」
「…………え?」
凄まじい自然治癒能力で復活したのか、開かれたドアの先から温羅兄の声がトイレ内に響いた。
すると、加牟波理入道の姿は煙となって消え去り、沈黙の中でぽとりと俺のアレが便器の中に落ちて行く音が聞こえた。
「ったく、さっきから何やってんだ坊。この程度の合言葉も知らねぇだなんて、妖怪博士の名が泣くぜ?」
「…………」
必死に大することを耐えて考えに考え抜いた正しき答え。しかしそれは、空気の読めないゲス鬼の一言によって水の泡となった。
ブチリと切れる血管の音。その怒りの矛先は言うまでもない。
「き……貴様ァァァ!! 俺の頑張りを! 俺の努力をよくも! 返せぇ! 俺のウンコの努力を返せぇぇぇ!!」
「……何言ってんだ? ついに頭イカれたか?」
「イカれてんのは貴様の神経だろうがァァァ!! 俺のウンコうがぁぁぁ!!」
「なんでそんな乱心して――おい馬鹿止めろ! “それ”を手掴みするだなんてどうかしてんぞ! や、止めっ……ぎゃぁぁぁ……」
その後、俺がウンコ男というあだ名をしばらく付けられたのはくだらない余談である。




