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今一度君に告白を

 特にこれといって何もない平和な冬の日。俺はコタツに入りながら、とある雑誌と睨めっこをしていた。


「ふむふむ……流石は都会で生み出された知識。こんな田舎じゃ絶対試せないなぁ……」


白君(びゃっくん)〜、お姉ちゃんと一緒に遊ぼ〜よ〜」


 ぶつくさ唸りながら雑誌に目を通し続けていると、襖をノックした後に九ちゃんが遊びに入って来た。更にその背後にはコン子ちゃんの姿も。


「あ〜、ごめん二人共。今取り込み中だから構ってあげられないんだよね」


「ありゃ、そうなの〜? でも私の目に今の白君(びゃっくん)は暇人そのものに見えるんだけどな〜?」


「……(うんうん)」


 そう言われてしまうのも無理はない。忙しい身分であると言っておきながら、傍から見れば雑誌を読んでいるだけのダラけ人間なのだから。


 でも嘘をついているわけではないし、言い訳をしているわけでもない。これにはちゃんとした理由があるのだ。


「ちなみにそれ何読んでるの〜? お姉ちゃんにも見せて見せて〜」


 両側から二人がそれぞれコタツの中に入ってきて密着してくると、ずいっと身を乗り出して雑誌を覗いて来た。


「デートを進めるための事前準備の秘訣……って、何これ?」


「女性向けの雑誌だよ」


 ここら辺じゃ雑誌を買う場所なんて何処にもないので、実家に帰ってわざわざネットで注文して購入した希少な一冊だったりする。


「女性向けって……白君(びゃっくん)いつの間にそんな性癖に覚醒して――」


「違う違うそうじゃないって。確かに男性が女性向けの雑誌を読むのはイレギュラーなのかもしれないけど、この行為にはちゃんと意味があるんだよ」


「意味? それは一体?」


「ほら、女性向けの雑誌って恋愛関連についての情報が載ってたりするでしょ? そういう情報が欲しくて一冊だけ買ったんだよ」


「なるほど〜。でもだからって女性向けの雑誌を選ばなくても、もっと他に良いものがあると思うんだけど〜……?」


『右に同じ』と書かれたパネルを提示してくるコン子ちゃん。どうやらまだ二人は俺のこの行為に疑問を抱いているらしい。


 俺は一度雑誌を閉じてコタツの上に置くと、腕を組んで目を瞑りながら二人に語り聞かせる。


「俺が思うに、恋愛事情に関しては女性の方が男性より何枚も上手っていうイメージがあるんだよね。だからこそ、こういう雑誌がこうして実在してるわけでしょ? で、この雑誌の内容を理解すれば、少しでも乙女心というものが知れるだろうと踏んだわけですよ」


 この雑誌の内容を言うと、具体的には男に対するアピールポイントが綴られている。そういった情報を逆にこっちが得ることで、向こうのアプローチにいち早く気付くことができるようになるわけだ。


 逆転の発想を活かした恋愛勉強法。これぞ正しく策士と言えるのではないだろうか?


 ……恋愛に策略とかあんまり良いイメージ湧かないけど。


「ふむふむ、白君(びゃっくん)の言いたいことは分かったよ。でもそれって本当に上手くいくのかな〜?」


『策士が策に溺れて痴態を晒す可能性も捨て切れなくないかと』


「……為せば成るって素晴らしい言葉だよね」


「おぉ〜、鋼のメンタル力だ〜」


 痛いところを突かれてしまったが、正直なことを言えば不安はかなりある。


 何せ俺は、今の今まで自分の本能に従順になって生きてきた人間だ。それ故に、周りに対する気遣いという概念と無縁だったのだ。


 果たしてそんな男が乙女心を理解できるのか? それは実戦に移すまでは分からないことだ。


「さてと……」と俺は重い腰を上げて、雑誌を置きっぱなしに部屋の外へと続く襖に手を掛ける。


「それじゃ、俺ちょっと出掛けて――あっ、雪羅が今何処にいるかって知ってる二人共?」


「雪ん子ちゃんなら自分の部屋のコタツの中で冬眠中だよ〜」


『未来永劫私は団子虫とか言ってた』


「あぁ……そう……」


 冬の季節になってからというもの、雪羅は一向に外に出ることが無くなっていた。理由は単純、極端に寒さに弱いからだ。


 雪羅本人の話によれば、つらら女は思春期の何処かで体温が著しく低下する低温期というものがあるらしい。つまり、今の雪羅がその体温期の真っ只中というわけだ。


 低温期の長さはつらら女限定で人それぞれ変わるらしいのだが、雪羅は一年前から低温期になっていると言っていた。きっと去年の冬も引き篭もり生活を送っていたに違いない。


 でもだからと言って、ずっと家の中で引き篭もっているというのも健康に悪い。肉体的な意味ではなく、精神的な意味で。


 キッカケを与えなければ雪羅は宣言通り、半永久的にコタツの中で団子虫になり続けてしまう。それを阻止するという意味も含めて、俺は雪羅を外に連れ出すことを決めた。


「やれやれ……」と呟きつつ、部屋を出て雪羅の元へと向かう。ここから部屋三つ分離れた場所に雪羅の部屋があるので、手間暇掛けずに彼女の元に赴けるのはありがたい。


 部屋の前で立ち止まり、ノックをせずに襖を開く。どうせコタツの中で団子虫になっているのだから遠慮は無用だろう。


「「…………え?」」


 と、思ってしまった俺は浅はかであった。


 率直に言えば、雪羅はコタツの中から出て来ていた。更に追加情報を付け加えれば、絶賛お着替え中だった。


 過去の話、実家に住んでいた頃はこういうことがよくあった。ただそれは厠姉さんとサトリという長い付き合いの家族相手だったから、恥ずかしいなんて気持ちで悶えるなんてことは一度足りともなかった。


 しかし……しかしだ。相手が自分の好きな女の子である上に、自分の彼女である雪羅が対象となればどうなるか。その結論は、急激に上昇していく己の体温が猿でも分かるように物語っていた。


 俺の顔を見て固まっていた雪羅だったが、この現状を理解した瞬間に顔を赤らめて少し下に俯いた。


 俺は何も言わずに物凄い勢いで襖を閉めて、崩れるように横向きで床に倒れ込んだ。


「あの……えっと……弥白?」


「……取り敢えずちゃっちゃと着替え済ませてくれませんか」


「あっ、う、うん……」


 どうしようもない気不味い空気の中、切実な願いを告げて部屋の外で待ち続ける。


 少しして襖の向こう側からトントンと合図の音が聞こえて来て、重っ苦しい身体を起こして襖を開けた。


「「…………」」


 顔を合わせてしばしの沈黙。俺も雪羅も目を合わせようとせず、明後日の方向にそっぽ向いてしまう。


「団子虫になってるって聞いてたのに……。なんで外に出てるのさ……」


「ずっとコタツの中にいたせいで汗かいてたから……。身体拭いて着替えてたんだけど……」


「タイミングってものがあるじゃん? もしかしたら俺が突拍子もなく現れる可能性もあるじゃん? 何も警戒せずにあまり無防備な姿を曝け出すのはどうかと思うのですが」


「なんで私が悪いみたいな流れになってるの? そもそも弥白がノックしなかったのが悪いと思うんだけど」


「……すいませんでした」


「あっ、うん……」


 照れ隠しとはいえ、それで相手のせいにしようとする俺ってどないやねん。クズか。


 乙女心を学んで来ておいて、出会い頭にこれじゃ論外だ。いきなり躓いたせいで居た堪れない空気になっちゃったじゃないか。


 えぇい、挫けるな弥白。ここで折れては今まで計画していたものが水の泡になってしまう。そんな虚しい結果に落ち着いてたまるか。


「よいしょっと」


 少し目を離していた隙に雪羅がまたコタツの中に入っていき、常時着ている半纏に包まって団子虫状態になったままコタツの中へと消えた。


「ちょい待って雪羅、そんな冬眠ばっかしてたら不健康なこと極まりないよ。せめて顔くらいは出して」


「…………何?」


 甲羅に隠れた亀のように、顔だけぴょこんと生やして来た。そしてその表情はかなり気怠そうだ。しばらく外に出ない世の中のニート達はきっとこういう顔をしているに違いない。


「一つ話……というより提案か。ひとまず聞いてくれる?」


「十文字以内にまとめてくれるのであれば」


 条件きっついな。しかし一言で言い表せば事足りる。


「外出デートしない?」


「……………………」


 気怠そうな表情から一新して、非常に複雑そうな顔になる。


『デートには行きたい。でも外が寒過ぎて外出する気が起きない。というかなんで今? もっと早くに言って欲しかったんですけど。色々とタイミング悪くない?』といったような思いが伝わって来ている気がする。全くその通りである。


「今更過ぎる話なんだけどさ。雪羅と正式な恋人同士になってからというもの、未だにデートの一つすらしたことなかったでしょ? 言うの遅いっていうのは自覚あるし、低温期に外に出たくないって気持ちも分かるんだけど……やっぱ駄目かな?」


「……ちょっと待って」


 そう言ってまたコタツの中に潜っていくと、手に何かを持ってまた這い出て来た。


「表なら行く……裏なら行かない……」


 手に持っていたのは一枚のコインだった。


「お邪魔しました」


「あぁ!? 待って待って待って!」


 人の誘いをコイントスで決めようとする姿に多少イラッときて、これはもう駄目だと思って出て行こうとすると、団子虫娘は慌ててコタツの中から飛び出して来た。


「いえいえいいんですよ、そんなに冬眠がお好きなのであればご自由にどうぞ。こっちはキサナ達でも誘って雪合戦でもしてくるので。何処かの誰かと違って俺はアウトドア派なんですよ。ダラけ道一直線のインドア派はスナック菓子食べながらソシャゲに没頭してればいいですよ」


「こう見えて私もアウトドア派だから! 昔は子供は風の子元気の子の代名詞みたいな人だったから!」


「そんなワンパクガールも今や半ニート状態ですか。親が見たら悲しむねこりゃ」


「うぅ……ぐうの音も出ない……」


 とは言え、寒いものは寒いのだから仕方無いとも言える。一方的に責めるのも悪いだろう。


「そもそも弥白も弥白じゃない。こういうお誘いはもっと早い時期に誘うものなんじゃないの?」


 ぷっくりと頬袋を膨らませてじっとりとした目になると、さっき思っていたであろう思いを口に出して来た。それを言われてはどうしようもない。


「俺だって人の子なんだよ。チキンになる時だってあるさ」


「チキン……? 羽が生えたりするの?」


「そういう天然は桜華だけで間に合ってるよ」


「冗談よ。別にそんな意識し過ぎなくてもいいのに」


「まぁ雪羅は受け身側だから軽い気持ちでいられるんだろうねぇ……」


 雑誌の情報曰く、恋人の初デートは男の本質を見定められる重要な機会。もしエスコートに失敗すれば、見限られることも少なくないんだとか。


 それに今までの経緯を思い返してみると、雪羅という恋人に対する扱い方を蔑ろにしていたとしか思えない。


 一度そういった話で雪羅を悲しませていたこともあったんだし、既にその時から見限られてしまっている可能性もあり得なくはない。


 だからこそ考えてしまうのだ。考え過ぎてしまうのだ。初デートで上手い配慮もできずに失敗ばかりを繰り返し、俺に対する雪羅の想いが冷めてしまうのではないか、と。


 そもそも雪羅は俺の何処を好きになってくれたのか。今になって考えてみたが、その答えは出てこない。一体俺の何が良いのやら……。


「気難しく考えないでいつもの感じでいればいいのに。その方が弥白っぽいよ」


「その言い方だとまるで俺が頭の軽い人間だと言われてるように感じるのですが」


「軽いでしょ。性格とか雰囲気とか全てにおいて」


「失敬な! 俺にも硬い部分はあるよ!」


「ふーん……。ちなみにそれは何?」


「夜限定で下の方が硬くなる」


「…………」


 普段皆が温羅兄に向けるような冷たい視線を向けられる。鋼のメンタル持った温羅兄と違ってこっちは打たれ弱いのだから勘弁願いたい。


「まぁ今のは軽い冗談として」


「ほら、冗談すらも軽いでしょ。将来的にタラシ男になるのが目に見えてるわね」


「……俺ってそんなに信用無い?」


「本気で落ち込まないでよ冗談なんだから」


 人を言葉で弄んでニヤニヤと笑う団子虫娘。人の気も知らずに憎たらしい奴め。


「で、結局どうなのさ? 来てくれるの? それともお断り? はよ答えんかいグータラ娘」


「そんなに頼まれては断るのも可哀想だよね〜?」


「うわっ、めっちゃムカつくその対応」


 隙あらば背中に雪でも突っ込んでやろうか。やったらやったで半殺しと言う名の返り討ちにされそうだけど。


「でも弥白の言うことにも一理あるし、たまには外に出ないと駄目だよね。今から支度するから先に外出て待っててもらっていい?」


「それだと俺が消えた瞬間にまた団子虫になる可能性があるかと」


「ちゃんと行くってば。数年掛けてでも約束を守った私が貴方を裏切ると思う?」


「う〜ん、それは絶大な説得力ですな」


 言い負かされてばかりの俺を見つめながら、雪羅は楽しそうにころころと笑っていた。




〜※〜




 先に狐屋敷を出て十分くらい玄関で待っていると、俺が何時ぞやにプレゼントした防寒具一式を身に付けた雪羅がやって来た。


「うぅぅ……。少しはマシになったけど、それでもやっぱり寒いものは寒い……」


 苦笑しながらガクブルに震えている。自分で誘っておいてなんだけど、これで本当に大丈夫なんだろうか。


「それで、デートするのはお互いに望むところとして、行き先とかは決めてるの?」


「えっと……」


 ここで振り返るあの雑誌の情報内容。デート先の有意義な場所を脳内でリストアップしてみる。


 王道所の映画館。静かな空間でスクリーンに没頭しつつ、恋愛映画を見て良い感じの雰囲気作りを可能とするベストプレイスだ。


 ちょっとお洒落なレストラン。普段より良い物が食べられる上に、食事を摘みながらゆっくりと談笑することができるリラックス空間だ。


 様々な物が取り揃えられたデパート。数多くの店を巡りながらウィンドウショッピングを嗜み、良い物を見つけられればプレゼントを上げて好感度アップを狙える有意義な場所だ。


 そして最終的に導き出される結論は――


「……田舎って何も無ぇ」


 映画館? レストラン? デパート? やれやれ、笑わせてくれるぜ。そんな場所がこんなド田舎にあるわけないじゃないか。何が参考資料だバカヤロー。


 唯一賑わいのある場所として妖界があるにはあるが、あそこはアダルティーな店が多い上に、昼夜問わずに騒がしい。ゆったりとしたデートを楽しむには不釣り合いな場所だろう。


「勢いで決めたところあるから、行き先とか全然決めてませんでした。どないしましょ」


「弥白のことだからそんなことだろうとは思ってたけどね」


 好感度ダウンの音が聞こえた気がした。またもや挫けそうだ。


「仕方無いなぁもう……」


 雪羅は呆れたように笑うと、俺の手を取って前を歩き出した。


「一つだけ行ってみたい場所があるから、まずはそこに行くって感じで良い?」


「あっ、はい……」


 逆にエスコートされちゃったよ。逆に気を遣われちゃったよ。男の尊厳なんてあったものじゃない。


「情けない彼氏ですいません……」


「だから大袈裟だってば。変に気を遣わなくてもいいから、いつもの弥白でいてよ。慣れないことをすると疲れるでしょ?」


「それはそうだけど、たまには気遣いをしないと雪羅に見限られると思ってるんだよこっちは」


「そんなこと考えてたの? また馬鹿なことを考えて……」


「馬鹿って言うことは無くない!?」


 こちとら真剣になって考えていたというのに、それを一言で馬鹿と一蹴されるのはあまりにも酷過ぎでは? 雪羅ってこんな辛辣な人だったっけ……?


 ガラスハートのひび割れに胸を痛めていると、雪羅は眉を(ひそ)めながら苦笑すると、そっと俺の頰に手を添えて来た。


「ずっと一緒にいるつもりだって言ってくれたじゃない。そう言ってくれて嬉しいと思っていた私が、今更弥白を見捨てるようなことをすると思う?」


「……いや」


「でしょう? それに、弥白が思ってる以上に私は貴方のことが好きなんだからね。そういうところをちゃんと自覚してくれないと困っちゃうよ」


 言葉が出ずに固まってしまう。面としてそんなことを言われてしまっては、恥ずかし過ぎて何も言えなくなってしまう。


 柄にも無く羞恥心に悶えるだなんて、やっぱり雪羅相手だと調子が狂う。今日の雪羅には敵いそうにもない。


「って、なんでこんな恥ずかしいことを言ってるんだろ私……」


 羞恥心に悶えているのは雪羅も同じようだった。なんだか申し訳ない気持ちになる。


 いつもの俺でいて欲しい……か。色々と取り繕うとして空回りしてばっかりだし、確かに変に意識するのは俺に合ってないのかもしれない。


 他の恋人達と同じようなことをする必要はない。俺達は俺達らしくあればいい。きっとそんな風に雪羅は思ってくれているんだろう。


「……ん、分かったよ。不器用な頭であれこれ考えるのは止めにする」


「うむ、分かれば宜しいのです」


 偉そうにドヤ顔を浮かべる雪羅。


 さて、ここからはいつもの俺として振舞ってよくなったわけだ。ということなので――


「ひゃぁぁ!?」


 気付けの一発として、雪羅の背中に雪の一摘みを入れ込んだ。思わず跳ね上がる雪羅は着地時にバランスを崩し、やたら派手に滑って転んでいた。


「はははっ、これで鈍った身体も治るってもんでしょ。目覚めが良くなった気分はどう?」


「それはもう……お陰様で重い身体がすっかり軽くなったよ……。今なら駆け回る元気も有り余ってるくらいね……」


 ゆらりと起き上がる雪羅の手元には、例の氷柱が握られていた。


「まさかとは思うけど、そんな尖った物を投げるだなんてことはしな――」


 ギラリと雪羅の瞳が輝いた瞬間、俺は咄嗟に真横に飛び込んだ。


 今さっき俺が立っていた場所を数本の氷柱が通り過ぎ、その先にある木に突き刺さった。貫通力は無くとも、十分に殺傷能力のある武具と見た。


「大丈夫……痛いのは一瞬だから」


「やっべ、完全にキレてらぁ」


 久し振りに病みスイッチオン。その一瞬の痛みを恐れ、尻尾を巻いて逃げ出した。


「なんでこんな冬の季節にホラー体験せにゃいかんのだ!」


「自業自得でしょうがぁぁぁ!!」


 地獄の耐久レース勃発。凶器を持った憤怒する死神を背に、俺はひたすら先へと駆け進んで行った。




 半永久に走り続けて行くに連れて、雪羅の動きが著しく鈍くなっていく。怒り任せに走ってしまったせいで、スタミナ配分に気を使っていなかったようだ。


「ゼェ……ゼェ……もう……無理……」


 ついに体力を切らしてうつ伏せに倒れてしまう雪羅。さっきまでの覇気が消え失せていることを確認しつつ、傍に寄ってポンポンと背中を叩いた。


「大分身体火照ったんじゃない? 雪羅にしてはよく持った方だよ」


「これだけ走って息切れしてないって……。無尽蔵の体力ね……」


「こう見えて鍛えてますから。始めたのは最近だけど」


 ぐったりと動かなくなっている雪羅の身体を持ち上げて背に背負う。じんわりとした感触が背中から伝わって来て、雪羅一人だけ良い汗をかいていた。


「行き先ってこっちで良い感じ?」


「そのまま真っ直ぐで大丈夫……」


「しばらく動けそうにない?」


「誰かさんのせいでね……」


「この状態で仰向けに倒れたら怒る?」


「……怒るだけで済むと思う?」


 これ以上の悪ふざけは本気で自分の身を滅ぼすことになると、目が笑ってないその悍ましい笑顔が物語っていた。


「しょうがないなぁ……。背中に当ててくれているおっぱいの感触を対価として、今だけ黙って荷車になってあげましょう」


「余計な発言はしなくていいから早く進みなさい」


「へ〜い」


 ずっしりと更に身を預けて来て、俺の胸元に回している両腕の力が少し強まる。雪羅なりに甘えて来ているんだろうか。今まで一切こういうことして来なかったから少し小っ恥ずかしい。


 特にこれといって会話を交わすこともなく、風音一つ聞こえない雪道を黙って歩き続ける。そうしている内に、前方にキラキラ光る何かが見えて来た。


「ん? なんだろあれ」


「行けば分かるよ。きっと驚くと思う」


 言われるがままに雪羅が示す方向へと進んで行く。そして光の近くまでやって来たところで、思わず「おぉ……」という声が漏れた。


 そこは元々湖だった場所。水面が全体に行き渡るまで凍り付き、広々としたスケートリンクとなっていた。しかも人っ子一人いるわけないので、完全に俺達の貸し切り状態だ。


「こんな場所にこんな湖があったんだね。この辺りの地形は知り尽くしているつもりだったけど、そんなことはなかったみたいだね」


「まだ暖かい頃に一人で色んな場所を散歩してて、その時に見つけてたの。弥白が学校に行ってる間は時間があるから」


「なるほどね。で、冬になったら凍ってるだろうから、スケートで遊べるんじゃないかと踏んでいたわけか」


「そういうこと。中々趣深い場所でしょう?」


「うん。でも俺この世に生まれてからスケートなんてしたことないよ。そもそもスケート靴もないのにどうやって滑るつもり?」


「経験云々はともかくとして、即席で靴を作ることは簡単よ。もう動けるから下ろしてもらうね」


 普通に動ける分には回復したようで、俺の背中から降りるとその場に屈み込んだ。


「何するつもり?」


「まあ見てて」


 雪羅は自分が履いているムートンブーツの足裏に手を当てると、ピキピキと音を立ててスケート用の刃を造形した。


「ほら、これならスケート靴の代わりになるでしょ?」


「度々思うけど、雪羅のそれって利便性高いよね。ぶっちゃけ羨ましい」


 ただのムートンブーツがスケート靴に変貌を遂げて、続いて俺の冬靴も即席スケート靴に生成してもらう。これで準備は完璧だ。


「まずはお手本見せてよ。何も知らないままだと絶対転ぶし」


「お手本も何も、こういうのは勢いさえあればどうにでもなるでしょ」


「……ん? ちょい待ち、その口振りは雪羅もやったこと無いと聞こえるんだけど――」


 雪羅は雪道からスケートリンクに降り立ち、取り敢えず普通に滑ろうと前へ進んだ。


 そして一秒と保たれることなく、つるんと滑ってまた派手に転んでいた。


「あの、雪羅さん?」


「大丈夫大丈夫、今のは序の口だから。軽いウォーミングアップみたいなものだから」


 何事も無かったかのように起き上がろうとするものの、立ち上がった瞬間にまた転ぶ。


「違う、違うから。ちゃんと滑れるんだよ? 昔お母さんに手解きしてもらってたし、普通に滑るくらい造作もないの」


 と言いつつまた転ぶ。


 言い訳する度にまた転ぶ。


 めげず、懲りず、幾度と無く転んで転んで転び続ける。


「っ゛!!」


 あっ、頭から転んだ。あれは痛い、絶対に痛い。あまりもの痛さに転げ回ってるし。


「テンション上がってるところ悪いんだけど、さっきから一メートルも進んでないんですが雪羅さんや」


「…………」


 ついに起き上がることを諦めて、横に倒れながら哀愁が漂う背中を向けられる。こんなことで拗ねなくてもいいのに。


「どれどれ……」


 どんなものなのかと俺も立ち上がり、スケートリンクの上に立ってみる。それから普通に滑るイメージを頭の中で連想しながら進んでみる。


「あれ、なんだ簡単じゃん」


 雪羅があれだけ転んでいるから難易度が高いものだと思っていたが、実際にやってみればすんなり滑ることができた。なるほど、これは中々楽しいかも。


「〜〜〜っ!」


 雪羅は顔を赤くさせながらぷっくりと頬袋を膨らませ、八つ当たりでスケートリンクを手で叩いていた。親に玩具を買ってもらえずにいきり立っている子供のようだ。


 ここでまた挑発しては何されるか分かったものじゃないので、ここは空気を読んで救いの手を差し伸べてみる。


「バランス感覚さえ掴めば雪羅も滑れるようになるよ。ほら、支えになるから手掴んで」


「……うん」


 ムスッとしたまま俺の手を取ると、覚束無い足取りでありながらも立ち上がることに成功。生まれたての子鹿のような姿に吹き出しそうになるが、ここで笑ったらやはり何されるか分かったものじゃない。


「少しずつ進むよ。やばくなったら言って」


「既にやばいんだけどどうしたらいいの?」


「じゃあ進みまーす」


「言っても意味無いと!?」


 すぅーっとゆっくり後ろに下がって滑り出すと、雪羅の表情の変化が忙しくなる。これでなんでスケートしようと提案したのやら……。


「転ぶ転ぶ転ぶ! そろそろ転ぶから! また頭から転ぶから!」


「大丈夫だって、支えてあげてるんだから。……それじゃそろそろ手を離すね」


「え?ちょ、ちょっと待って! こんなところで一人にされたら向こう岸に戻れな――ぁぁぁぁぁ……」




〜※〜




 どれくらいスケートで遊んでいたのか、気付けば空が暗くなり始めていた。そして雪羅がこれまで何度転んだのか、さりげなくカウントしていたのに途中から分からなくなってしまっていた。


「つ、疲れたぁ〜……。くたくたでもう動けない……」


 滑るというより転び続けることで体力を消耗したようで、雪羅は低温期であることを忘れているかのように雪の上に倒れ込んだ。


「俺も久し振りにこんな身体動かした気がするよ。最近は激しい運動控えてたからねぇ」


「私の場合は運動と言っていいのか微妙だったんだけどね。あぁ、転び過ぎて身体の節々が痛い……」


 俺はともかくとして、雪羅は明日の筋肉痛を逃れることは無理だろう。只でさえ身体を動かすことをサボっていたのだから。


「そろそろ帰ろっか。歩く力くらいは残ってるでしょ?」


「……ん」


 起き上がろうとせずに両手を伸ばして来る。こう見えてこっちも結構疲れてるんだけどなぁ。


 仕方無しに背中を向けてしゃがみ込むと、青虫のように地を這って背中にくっ付いて来た。まるで寄生虫のようだ。


 雪羅をまた背負って立ち上がり、寄り道せずに帰路につく。夕飯までには歩いてでも間に合うだろうし、急ぐ必要もない。ゆっくり歩いて帰ることにしよう。


「今日は楽しんでもらえたかな?」


「……うん」


「そっか、なら良かったよ」


 後ろでどんな顔をしているかは分からないが、ご満足の返事をもらえて何よりだ。


「たまには寒い日に外に出るのも悪くないでしょ?」


「……うん」


「寒いからこそ身体を動かす。それを繰り返してれば低温期なんて気にならなくなるよきっと」


「……うん」


 返事が乏しくなっている。疲労感が溜まって眠くなってるんだろう。人肌に寄り添って安らいでいるのだから眠気が増すのも当然か。


「眠いなら寝てもいいよ。屋敷に着いたら起こすから」


「大丈夫……もう少しお話ししていたいから……」


「そう? まぁ好きにしてくれていいんだけどさ」


 会話をご所望ということで、適当な話題を思い付いては振っていく。これといって何も面白くない話だが、雪羅は俺が呟く度に何かしらの反応を示していた。


 いつもの刺激的な日常とは懸け離れた静かな空間。毎度お祭り騒ぎでわちゃわちゃするのも嫌いじゃないけど、雪羅と二人きりでゆったりするのも悪くない。むしろこっちの方が好きかもしれないとさえ思う。


 雪羅は今何を考えているのか。俺と同じようなこと思ってくれているんだろうか。気にはなるが、直接聞くのは(はばか)れる。


「……弥白」


「うん?」


「……ううん、何でもない。ただ呼びたかっただけ」


「ははっ、なんじゃそりゃ」


 今日の雪羅は一段と甘えて来る。今までそういうことをして来なかった分、色々と溜まっていたものがあったのかもしれない。


 特別なことをしているつもりはない。ただ背中に背負って他愛も無い会話を交わしているだけだ。それだけのことなのに、時間が過ぎていくに連れて胸の中が何かで満たされていくのを感じる。


 この感覚は覚えがある。それは、氷麗さん達の小屋で雪羅と一緒に暮らしていた時に感じていたもの。それがなんていう気持ちなのか、それもよく知っている。


「雪羅」


「……?」


 あの時は死ぬ間際に残したい言葉だった。ただ雪羅を助けることに必死になっていたから、ムードもなにもあったものじゃなかった。


 だからまた伝えたいと思った。数年の時を経ても揺らがずに抱き続けて来たこの気持ちを。再会した時にも伝えたこの言葉を。


「好きだよ」


 雪羅以外にも俺を想い、慕ってくれる人達がいることを最近知った。だけどこうして雪羅と一緒にいることで今一度知ることができた。


 俺の一番近くにいて欲しい彼女は、雪羅以外に考えられないと。


 雪羅からの返事は無い。でもまた久し振りに俺の気持ちは伝えられたし、今日はもう満足だ。


「…………うん?」


 反応が無いまま放置していると、ふと右頬を指で突っつかれた。


「どしたの? 悪戯なら今は勘弁――」


 横顔を覗こうと首を傾ける。すると、左頬を手を当てられた。


 そうして雪羅は、俺の唇にそっと口付けを交わして来た。正真正銘のキスだ。


「私も大好き。ずっと愛してる」


「…………………………」


 大人のキスとは程遠い触れるだけのキス。しかし口付けを交わす時間はそこそこに長く、女の子独特の香りが漂って来て、更には濃厚で甘い味がした。


 早鐘の如く加速していく鼓動のリズム。急激に上昇していく我が肉体の体温。全身の穴という穴から吹き出る汽笛のような蒸気。


 気付けば俺は雪羅を地面に下ろしていて、その場にうつ伏せで倒れて白目を剥いたまま倒れ込んでしまっていた。


「や、弥白!? 大丈夫弥白!? ねぇってば!?」


 意識がぶっ飛んで行ってしまったので、この後の記憶は正直あまり覚えていない。


 しかし今日という日の出来事を境に、俺はしばらくの間だけ雪羅の顔をまともに見られなくなってしまっていた。

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