ジジィもババァも剃り合わない
夏の季節がやって来た。
夏と言えばとにかく暑い。
日本地図で言えば、下に行けば行くほどその温度は異常なものへと悪化していく。
ここは最北の地だから他の土地よりもまだマシな気温ではあるけれど、それでも暑いものは暑い。
しかも俺が住んでいるボロ屋敷には、エアコンどころか扇風機の一台すらない。
故に暑さを凌ぐ場所などなく、唯一涼む方法はうちわを扇ぐことだけ。
でも、それも長続きするものではない。
だから考えた。どうせ暑さを凌ぐ方法がないのなら、せめて良い汗を流して暑さに順応しようと。
その後に気持ち良いシャワーでも浴びて、スッキリさわやか笑顔を決め込んでやろうと。
というわけで、俺はパートナーの猫さんと共に、近くにある山で山登りをしにやって来ていた。
「ふぅ……ひぃ……あ、暑過ぎるわよぉ……」
「大丈夫猫さん? やっぱりキサナと一緒にボロ屋敷にいた方が良かったんじゃない?」
「だ、大丈夫よ。ずっと屋敷で休んでても辛いだけだし、にゃら身体を動かして暑さを忘れようとした方がまだマシだから……」
ちなみに、最初はキサナを山登りに誘ったのだけれど、キサナは動く気力もないまま自室で白目を剥いていた。
お陰でボロ屋敷の改装に座敷荒としての影響が出てしまっていて、若干内装がボロボロになってしまっていた。
キサナは無理だと判断したため、仕方無く一人で山登りに行こうとした。
そしてボロ屋敷を出たところ、偶然猫さんと顔を合わせた。
そこでダメ元で山登りに行かないかと誘ってみたところ、今の現状に至るわけだ。
「本当に大丈夫? まだ山の麓に着いたばかりなのに、現時点でふらふらになっちゃってるよ?」
「このくらいにゃんでもにゃいわ。私はキサと違って、体脂肪に気を遣ってる女の子にゃんだから。この山登りを乗り越えれば、激減ダイエット成功間違いにゃしよ!」
「別に無理してダイエットしなくても良いんじゃない? 猫さんは今のままでも十分綺麗なスタイルなんだし」
「い、今はそういうお褒めの言葉は求めてにゃいのよ! 馬鹿にゃこと言ってにゃいで早く登るわよ!」
「ん、分かったよ。でも本当に辛くなったら言ってね? それと水が欲しくなったら俺のリュックに氷水入れてあるから、飲みたくなったら勝手に取って良いから。後は虫除けスプレーも一応して、タオルも用意してあるから首に巻いておいて。それから――」
「分かった分かった! 準備はもう良いから、早く登ろうってば!」
「そう? 猫さんがそう言うなら……」
客観的に見てもかなり辛そうなのに、そこまでしてでもダイエットしたいらしい。
妖怪も人間と同じで、物を食べれば太るようになるんだと実感させられた。
でも無理して身体を壊したら本末転倒だし、危なくなったら猫さん担いでボロ屋敷の方に戻ることにしよう。
見た感じ山はそこまで険しいわけではなく、緩い坂が長く続いている……が、先の先までは見通せないので、今の段階じゃまだまだ未知の領域。
だが、だからこそ山登りは面白く、奥が深いのだ。
山登りはただ体力を使うだけの苦行というわけじゃない。
場所によっては良い景色に癒されるし、自然に囲まれてる感じが心を落ち着かせてくれる。
静かな場所が好きな俺としては、絶好の場だと言える。
ただ、猫さんには荷が重いようで、景色を見る余裕も無ければ心を落ち着かせる暇もない。
先へ先へと登って行くにつれて、その顔色は熱でより赤くなっていくばかりだった。
「ぐぅぅ……美容のため……美容のためにぃ……」
猫さんはそう言うが、今の行いはむしろ美容を悪化させていることに気付いてない。
このまま放っておくと白目剥いて気を失ってしまうことは必然だし、やはり強がらせて無茶はさせるべきではない。
でもまだ登り始めたばかりだし、猫さんの気持ちを尊重してあげたい思いもある。
手を貸すくらいなら、猫さんも拒まずに受け入れてくれるだろうか……?
猫さんに許可を取らず、不意に左手を握ってみた。
「にゃっ!? にゃ、何するのよ!?」
「いやぁ、手を引いてあげたら少しは楽になるかなぁって思って」
「そ、そんな気遣いされるほど私は衰弱してにゃいわよ……」
返事は否定的なものであったけど、掴んだ手を払い除けるようなことはされなかった。
むしろか弱い力できゅっと握り返してきて、照れ臭そうに視線を逸らして頬を赤く染めていた。
駄目だよ猫さん、そんな可愛い顔されたら内心盛り上がって夜中に興奮して眠れなくなっちゃうよ。
やはりこの世において最も無敵なのは純粋無垢な可愛さよ……。
早過ぎず遅過ぎずのペースを保ちつつ、猫さんの手を引いて山を上がっていく。
自然と汗が流れて出て、俺も多少息が荒くなって来た。
「手汗凄くて気持ち悪いだろうけど、さっきよりはまだマシになったかな?」
「べ、別に私は気にしてにゃいわよ……少しは楽ににゃったし……」
「それは良かった。でもこれで歩けなくなるまで消耗したら、その時はおんぶしてあげるから安心してね。おんぶした際に背中から伝わってくるであろう胸の感触に興奮したいとか、決してそういう目的じゃないので」
「余計にゃ一言で安心できにゃくにゃったんだけど!? そういう目的にしか聞こえにゃいんだけど!?」
「違う違う冗談なんだよ。俺はふくよかな胸やスベスベの太ももよりも、ぷにぷにした耳を触りたい派の人間だから。断然耳フェチの愛好家みたいな?」
「そこまで具体的にゃ性癖聞いてにゃいわよ! キサといいシロ君といい、にゃんで貴方達はそういう恥ずかしい発言を平気で言えるのよ!? 少しは自重しようとか思わにゃいわけ!? ていうか前にも似たようにゃこと言ったわねこれ!」
「はははっ、自重なんてしたらそれこそ危険だよ猫さん。俺もキサナも日々悶々する羽目になって、毎晩ムラムラすることになるよ? 二人揃って惨めな大人デビューすることになるよ? 性欲に飢えた者同士が獣の如く交じり合っちゃうよ?」
それはもうじっくりねっとりと……ね。
「知ったことじゃにゃいわよそんにゃ性欲事情! 止めにゃさいよ本当に! ニュースでシロ君の顔写真見る可能性とか洒落ににゃってにゃいわよ! テレビ持ってにゃいけど!」
「はははっ、そこまで言っちゃうか〜」
正直に暴言を吐き過ぎたようで、ペチンッと頭を叩かれてしまった。
いけないいけない、つい猫さんの可愛さに当てられて本当に盛ってしまった。
一応世間にはムッツリスケベで通してるつもりだから、この辺で流石に多少はそういう発言を控えなくては。
「もう……山登りにゃんだから、今日はそういうのはもう駄目よ。やらしい話より自然の話とかをする努力をしにゃさいよ」
「自然……分かった、やってみるよ」
猫さんがそう言うなら仕方無い。持ちネタを多く持ち合わせているわけではないのだけれど、愛猫家の名に懸けてこの使命を全うして進ぜようぞ。
きょろきょろと辺りを見渡し、試行錯誤した後にふと一つのネタが思い浮かんだ。
「猫さん。一つ話をしても良いかな?」
「……普通の話にゃらね」
「ん、それじゃ話すけど、山って見た通り高くて広い場所だよね」
「まぁそうね。そのせいでこんにゃに疲れてるんだし」
「疲れるのはしょうがないよ、そのために来てるようなものなんだから。それでさ、この辺ってド田舎なだけに住民がかなり少ないでしょ? それってつまり、相当の物好きじゃなかったらこの山に人が来るわけないってことだよね」
「でしょうね。だからこそ私達妖怪が多く住み着いているんだし」
「うんうん、やっぱりそうだよね。だから思ったんだよ俺。この山は絶対と断言して良いくらい人目に付くことはない。それってつまり――」
俺は猫さんの目を真っ直ぐに見つめ、ニッコリと満面の微笑みを向けた。
「◯◯◯◯する絶好の聖地と言っても過言じゃないよね」
瞬間、煌びやかに光る爪で顔面を縦にスラッシュされた。目では追えぬ圧倒的な速さで。
引っ掻かれた顔面の部分からどぴゅっと血が吹き出る。その血の量こそが猫さんの怒り具合をはっきりと示してくれていた。
「今の何処が自然の話? もしかして私を馬鹿にしてるの? それともその罪で切り刻まれたいの?」
「くっ……ごめん猫さん。俺なりに自然な感じでそういう話に持っていけてたつもりだったんだけど、俺はまだ青二才だから会話術を自在に駆使できなくて……」
「自然にゃ話ってそういう意味じゃにゃいわよ! 馬鹿にゃの!? 阿呆にゃの!? そもそも脳味噌欠けてるの!?」
「そんなこどぅぁ!?」
猫さんから罵声を浴びせられた瞬間、直後背中にただならぬ衝撃が叩き込まれ、うつ伏せに倒れた後に思い切り後頭部を踏まれた。
感覚的に何者かが俺を踏み台にして駆け抜けていったような気がしたが……既にその謎の人物の後ろ姿は見えなくなっていた。
「……今ので脳味噌欠けたと思う」
「自業自得でしょ。もう……」
差し伸べられた手を握ると起き上がらせてくれた。
なんだかんだ言いながら優しくしてくれるその性格が愛らしい。
踏まれた後頭部を軽く摩ってみると、人間の足跡が付いた感触がした。でもあんな動きができる以上はまず人じゃないだろうし、きっと人型の妖怪の仕業だろう。どんな妖怪なのか見当も付かないけど。
「ちなみに猫さん、今通り過ぎて行った人って見えた?」
「ううん、そんにゃ余裕はにゃかったわ。それ以前に私には影すら見えにゃかったわね」
ふむ、猫さんも光速妖怪の姿形は見れなかったと。
彗星の如く突如現れた謎の妖怪……かぁ。唐突だけどなんか楽しくなってきた。どんな場所でも己の好奇心の高ぶり具合は引っ込みつかずに健在らしい。
きっと今の妖怪は数分後には山の天辺に辿り着いてるに違いない。ゴールに丁度目的の妖怪がいるとなると、さっきまでの意欲の有り様がガラッと変わってくる。今ならもっと速く山を登って行けそうだ。
とにかく時間が惜しい。あの光速妖怪の正体を看破するために、一刻も早く天辺へ登ろう。
「さぁ頑張ろうか猫さん。俺に君の本気ってやつを見せてくれ!」
「にゃ、にゃに急にテンション上げてるのよ。若干キャラが変わってにゃいシロ君?」
「俺は二重人格みたいなものだからね! はーはっはっはっ! さぁ二人一緒に目指そうじゃないか! あの輝きし山頂へ! 全てが報われる頂きの地へ!」
「鬱陶しいテンションね。ここにキサがいにゃくて良かったと思うわ」
自分でも変なスイッチが入っている自覚はあるけど、今の調子を保てばいくらでも歩けそうだ。
心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉があるが、あれはもしや自分が同じくらい……いや、それ以上に熱く燃え滾っているから火が涼しく感じるんじゃないだろうか? それ即ち、俺も身と心を熱くさせれば、それこそ自然に影響が出てくれるかもしれない。
どこまでこの気合を維持できるのかは未知数だけど、行けるとこまで行ってやろうじゃないか。日本男児たるもの、常に熱く、勇ましく、そして漢であれ……と誰かが言ってたような言ってなかったような。
猫さんに気を遣いながらも、徐々に徐々にと歩く速度を上げていく。しかしそれを繰り返しているうちに更に疲労していき、猫さんの息がかなり荒くなってきた。
「ちょ……シロ君……早っ……もう少しゆっくり……」
「もう少しだ猫さん! もう少しだけ頑張ってみよう!? そうしているうちに君も山と同化して、どれだけ登り上がろうとも辛さなんて消え失せるさ! さぁ踏み締めて一歩一歩を! その前進が君を良き希望の未来へ導いてくれるさ!」
「暑っ苦しい! いつからそんにゃ熱血キャラににゃったのよ!? しかも瞳がキラキラしちゃってるし!」
「いや、気分を上げてあげれば猫さんもその気になってくれると思って」
「今度は急に冷めてるし! よくもまぁ自在に気分の上げ下げできるわね!?」
一応大声でツッコミを入れられるだけの元気は有り余っているようで、そうこうしているうちに道が緩い坂から険しいものへと変化してきた。ここらが本腰の入れ時のようだ。
「シロ君……私にゃんか気持ち悪くにゃってきたんだけど……暑さと疲労で吐きそう……」
「ありゃ……なら少し休憩する? 十分に落ち着ける場所はないけど」
「それでも良いから……も、もう駄目ぇ〜」
そこで猫さんの体力がピークを超えてしまい、ぐるぐると目を回しながら倒れてしまった。地面に倒れる前に身体を支えてやり、木が背凭れに来るように座らせてあげた。
「や、やっぱり来にゃい方が良かったのかしら……」
「まぁまぁそう言わずに。天辺についた達成感とか良い思い出になるものなんだから」
「私の場合はこの暑さを味わってる時点で苦い思い出だけどね……」
くたくたの猫さんにキンキンに冷えている水を差し出すと、また目にも止まらぬ腕使いによってペットボトルを取られ、凄い勢いで水が激減した。
ものの数秒で水を飲み切り、口元を手の甲で拭き取りながら手を扇代わりにパタパタと扇ぐ。そこは着物の胸元を摘んでバッサバッサとして欲しいものだが……おっと、睨まれてしまった。
「何よ。じっと見つめにゃいでくれにゃいかしら」
「いやぁ、今の汗だくな猫さんを写メにしてキサナに送ったら、どんな反応で返って来るかなって思ってさ。こんな暑さでもキサナは発情できるのかな?」
「知らん」
「ん〜、清々しい程にバッサリだね」
暑さと疲労が災いしたのか、猫さんの機嫌がいつもより悪くなってしまっていた。返し言葉に鋭い棘があるのがその証拠だ。これはしばらくは動けそうにないか。
リュックから一応持って来ておいたうちわを取り出し、猫さんにも風が当たるように扇ぎながら鬱陶しい程に大地を照らす太陽を見上げる。こんなに天気は良好なのに、どうして気候は風一つ吹かせてくれないのだろう。そんな嫌がらせ誰も求めていませんよ。
「あのぅ……そこのお兄さん……」
「ん?」
今後の気候の在り方について具体的に考察してボーッとしていたところ、何処からか小柄の老人が現れた。背中には荷物が入った風呂敷を担いでいて、いかにもド田舎にいそうな古臭い着物を着ていた。
「どしたのお爺さん? もしかしてお爺さんも山登りに?」
「えぇそうなんですが……実はついさっき運悪くも腰を痛めてしまいまして。もし宜しければ、頂上近くまで背負ってくれませんかのぅ?」
老人になってからも健康的なことをするのはまだ良いけど、流石にこんな場所に一人で来るのは間違いだろうに。せめて若い連れの一人や二人くらい連れて来れば良かったのになぁ。
できることなら背負って登ってあげたいところだが、お爺さんには悪いけど俺の優先すべき相手は猫さんの方。故に“他の妖怪”の相手をしている暇はない。
「ごめんよお爺さん。流石に人一人背負って山を登るような余裕はないんだよね。残酷なこと言うけど、他の人を当たってくださいな」
「そ、そんな殺生な……ならせめて帰り道の時に――」
「甘ったれてんじゃにゃいわよ!!」
できるだけ事を穏便に済ませようとした矢先、ずっと黙ってイライラしていた猫さんが爆発した。怒りの余りに眼球が充血していて、今にもお爺さんをぶん殴りそうなくらいに顔の形相が凶暴なものに変わっていた。この前の豆腐小僧に殺意を向けていた桜華さんにクリソツだ。
「腰を痛めた? そんにゃ嘘が通じるとでも思ってるのかしら? 貴方アレでしょ? そうやって相手の弱味に漬け込んで背中におぶさろうとする子泣き爺よね? こっちは只でさえ暑さでイライラしてるのに、更にイライラの追い打ちを掛けてきて一体どういうつもり? もしかして喧嘩売ってるのかしら? 身の程知らずが付け上がってんじゃにゃいわよジジィ」
普段の猫さんとはまるで別人のような物言い。そこに俺が口を挟む隙間は一ミリもなかった。
「いや、あの、違うんですよ猫又さん。騙そうとかそういうつもりではなくて、ワシは妖怪としての勤めを果たそうと日々努力をですね……」
「何が勤めよ、馬鹿じゃにゃいの? 妖怪が人間に悪戯どうこうする時代にゃんてもう終わったのよ。つまり貴方がしようとしていることはもう時代遅れにゃのよ。過去に捕らわれた俗物は山奥でひっそり暮らしてれば良いのよ。一人で囲炉裏をつんつん突っついていれば良いのよ」
ちなみに子泣き爺の本分とは、相手の背中におぶさって徐々に重くなっていき、最後にはその重量で相手を潰すというもの。つまり、今山登りをしている俺達にとっては害悪以外の何者でもない。だから猫さんも余計に苛立っているのかもしれない。
それにしても一方的な会話だ。子泣き爺はなんとか妖怪としての威厳を守ろうと必死になっているけれど、その何もかもが猫さんの辛辣な言葉によって粉々に打ち砕かれている。まさか猫さんにこんな一面があったとは驚きだ。
……俺も罵倒されてみたい。きっとキサナも理解して賛同してくれるはず。
「……シロ君、一つお願いがあるのだけれど」
こっちを振り向く猫さんは黒い笑みを浮かべていた。明らかに暑さと怒りで我を失ってしまっている。いつもの優しさは何処へやら。
「さっきの熱血キャラみたいにゃやつ、このジジィに向けて演じてくれにゃいかしら。できれば頂上に着くまで」
「別に構わないけど、でもそれに一体何の意味が?」
「いいからやりにゃさいよ! これは命令よ! それと私はもう歩けそうににゃいから、ここからはおんぶしてくれても良いわよ」
「猫さんのご命令とあらば……」
これでようやく猫さんの胸の感触が楽しめる……という邪念は悟られないように表情を硬くして、タオルで身体を一通り拭いた後に立ち上がり、リュックを猫さんに背負ってもらった後に猫さんを背負い上げた。
子泣き爺の横を素通りして少し上まで歩くと、呆然と立ち尽くしている子泣き爺を方を振り向いて頭の中を切り替える。
「さぁ子泣き爺さん! その重い腰を上げて! ほら早く! そんなへっぴり腰じゃいつまで経っても山は攻略できないよほら!」
「いやだからワシは別に山登りに来たわけじゃなくて……」
「弱音を吐く暇があるなら登ろう! 下を向く暇があるなら上を向こう! さぁ早く! ほら早く! やれ早く! そら早く!」
「ちょ、ちょっと待ってくれぇ……ワシは本当に体力はなくてぇ……」
「諦めんなよ!? もっと暑くなれよぉ!? 高齢者だからって毎日家の中で引きこもっていたら、それこそ老化が早まって本末転倒だぁ! 長生きたいなら進めぇ! 強くなりたいなら駆け上がれぇ! さぁもっともっとヒートアップしていこうぜぇ! なぁ爺さん!? なぁなぁなぁ!? バイプス上げていこうぜぇ!?」
いつまで経っても登って来ないので、自ら子泣き爺さんの元に駆け寄って背中を押してやり始めた。
「上がれぇ! 御託を言わずにまずは上がれぇ!」
「わ、分かったから! 分かったからワシのペースで上がらせてくれ! じゃないとワシ死んじゃう!」
「妖怪が死ぬわけにゃいでしょ馬鹿じゃにゃいの。いいからさっさと登りにゃさいよ。それで男が名乗れるの?(にやり)」
「熱血と腹黒の板挟み!? そんなにワシが気に食わなかった!?」
それから俺は、熱血キャラを保ちながら子泣き爺さんと共に山を駆け上がった。
滴る汗、軋む骨、眩く太陽、その全てが夏という過酷さを表現し、それを実感させられる度に俺と子泣き爺さんの歩みは止められた。
だがそれでも俺達は諦めることなく、果てしない先にある輝かしき達成感を求めて山を登り続けた。ある時は食物に飢えたハイエナのように四つん這いになって進み、またある時は酒に飲まれたサラリーマンのように千鳥足になって進む。
そして約二時間後。ついに俺達は頂上――ではなく、半分のところまで登り切った。
「……なんか、思ってた以上に高かった」
「下調べも無しに登るからこうにゃるのよ!」
全くだ。見た感じ余裕だなと判断していた過去の自分が恨めしい。体力には比較的自信があったけど、既に俺にも限界が訪れてしまった。地に手を付いたまま動けなくなっていて、もう一歩も登れる気がしない。達成感とかもういいから滅茶苦茶帰りたいとすら思ってる。
子泣き爺さんも一応付いて来ていたが、今は俺の隣で四つん這いになりながらゲロゲロに嘔吐していた。死ぬことはない妖怪であっても、体調は普通に崩すことが地味に立証された。
「で、どうするのよ。帰るの? これだけ私に迷惑掛けといて? これだけ死に目に合わせておいて?」
「……出来心ですいませんでした」
トゲトゲしい言葉が心に何度も突き刺さり、堪らずほろりと涙粒が出た。もうその場の思いつきで無謀なことに挑戦しようとするのは止めよう。その思考は己の肉体と精神を滅ぼし兼ねない。
ボロ屋敷に帰ったらとにかく猫さんに尽くそう。いや、俺が望む前に恐らく猫さんが強制的に言ってくるだろう。例えそれがどんなに鬼畜なものであったとしても、俺に拒む権利などない。
……世知辛ぇなぁ。
「子泣き爺さん。悪いけど今日はここまでにして、俺達はもうとんずらするよ」
と話し掛けてみるが、返事は帰って来なかった。というか既に気を失っていた。涎を垂らして白目を剥いたその顔は至極嘆かわしい。
でも背負って帰るつもりはない。故に俺は無残にもリタイアした同志を放置し、後ろ髪に惹かれる思いを捨てて帰路に着いた。
「待て待て待て待て若輩よ! それで終わりか諦めか! えぇんかえぇんか!? それでえぇんかなぁなぁなぁ!?」
すると、今度は爺さんだけじゃ飽き足らず、山の先の方からエンカウントで婆さんが出現した。老体にブルマの体操着姿という、夢で見なくとも悪夢と思えるほどのポルノ描写だ。
「後もう半分やぞ半分!? なのにここらで撤退!? そんな過ちという失態!? こんな格好している私ぁ変態!?」
どうしよう、ウザすぎて張り倒したい衝動に駆られてきた。他人をぶん殴りたいと思ったのはいつ以来だろうか。
「そんな変態はターボババァ! 数多の道を光速で駆け巡るブースト老婆! イケてるイケてる? 人力上等ババァはイケてる? なぁなぁなぁなぁ若輩よ!?」
「あの、すいません婆さん。そろそろ俺も殺戮の覇道を歩んで第二の曹操になっちゃいそうなんで、構うならあっちの爺さんの方にしてください。できれば介抱もお願いします」
「冷たい寂しいむさ苦しい! 近年のヤングは根性無し! おまけにおまけに甲斐性無し! 流石の婆も興味無し!」
「シロ君、こいつ斬り刻――」
「気持ちは分かるけど耐えよう猫さん。俺もこれでも我慢してる方だから」
散々なディスられ様だった。でもこれで別れを告げられるなら安いものだと思えた。この暑さで気が滅入っている中、あの破壊的ウザさは最早凶器。二重の意味で俺達は早々に立ち去ろう。
「さぁさぁさぁさぁご老人!? 貴方も登ろう駆け巡ろう! 私ぁの足はターボジェット! 気付けばそこは頂上よ!」
ズドーンッ!
尻目に見たのは婆さんが爺さんを無理矢理背負う姿。そして、魔法のように消えて奈落の底へ減り込んで行った姿だった。
これがホントの“落ち”……なんつって。