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変わりゆく子供と親

「おらぁ! 飲めやこの赤っ鼻がぁ! アタシの隣にいて素面しらふぶっこけると思ってんじゃねぇぞ! さぁ飲めすぐ飲めとっとと飲め!」


「騒々しいぞ。少しは静かに酒を飲ぐもぉ!?」


「おうおうどうしたぁ!? 只でさえ赤い顔から火が吹き出そうだってかぁ!? だったら耐性つけりゃ良い話だろ! 熱に慣れるまで寝れると思うなよ赤面太郎がよぉ!? カッカッカッカッカッ!!」


 脇に抱えられた天狗の親分が口にビール瓶を無理矢理突っ込まれている。姉御は姉御で片手に持ったビール瓶を豪快に一口で飲み干してしまい、真っ赤っかな顔で明らかに悪酔いしていた。


「落ち着いてください山姫さん。宴とはいえ、羽目を外し過ぎたら周りに迷惑が掛かってしまいますよ。既に迷惑の嵐に巻き込まれている天狗ひとがいますけども」


「んだぁ赤頭!? お前さんも素面ぶっこいてるクチかぁ!? ざけんなこっち来いやぁ!」


「だ、だから落ち着いてぐもぉ!?」


 天狗に続いて赤頭もビール瓶一気飲みの餌食となり、次から次へと姉御による犠牲者が増えていく。性格からして何となく察してたけど、あの人に酒を飲ませるのは大きな間違いだったようだ。


 まぁ、でも今は宴の真っ最中だしね。酒の席でくらい羽目を外してもバチは当たらない……のかな?


 ちらほらと辺りを見渡していると、どこもかしこも酒に呑まれて賑やかな喧騒が飛び交っている。出店の近くで喧嘩のようなことをしている妖怪もいれば、シートの上でのんびり酒を酌み交わしている妖怪もいる。各々楽しそうで何よりだ。


「ここにいたか。探したぞ弥白殿」


 ノンアルコールの甘酒をちびちび飲みながらのらりくらりと歩いていると、俺と同じようなことをしていたのか、甘酒を片手に持った紅葉狩――呉葉くれはと遭遇した。


「奇遇だね呉葉。君もほっつき歩いてたの?」


「一応見回りのつもりでな。ここの者達は酒の席になると何を仕出かすか分からぬ者が多い。なればこそ、一人くらいはき止める役がいた方がよいだろう」


「真面目だなぁ。こんな日くらいは呉葉も羽目を外せばいいのに」


「そういうわけにもいかぬだろう。それより弥白殿、その呼び方はどうにかならないものだろうか……?」


「えぇ~別に良いじゃん。それにある意味“紅葉”って妖怪としての君の名前でしょ?」


「そうはそうだが……どうにもこそばゆくて慣れなくてな」


 少し照れた様子で頬を染めながら視線を逸らす呉葉。初対面時では間違いなく見られなかったであろう萌えな表情に、胸がキュンとなってしまう。どれだけ勇ましくとも、呉葉も女の子なんだと改めて思った。


 なんで俺が呉葉の呼び方を変えたのかというと、はっきり言ってしまえば俺の勝手な都合だ。


 呉葉は紅葉狩という妖怪として生まれ変わったけれど、霊感体質の人間である俺のように、呉葉も人間とあまり大差無い妖怪だ。故に俺は、呉葉を人間扱いするために呉葉と呼ぶことにしたわけだ。


 するとあら不思議。これまで人間の友達が誰一人としていなかった俺にも、ついに人間の友達ができたという事実が成り立ってしまうわけで、歓喜山の如しである。


「それにしても、妖怪は基本的にのんべえだって知ってはいたけど、ここまで盛り上がれるものなんだね。元々祭り事が好きだったのかな?」


「活気付いた場所は多くあるこの世界だが、実際に祭りを開いたことは一度もなかった。だからこそ、誰も彼もが初体験のことに舞い上がっているのだろうな。これも弥白殿が功を成したことによる影響なのだろう」


「呉葉はともかくとして、俺は皆に何かした覚えはないんだけどね」


戯言たわごとを……。元々は弥白殿が発案したことだろう。其方以外に影響を与えた者がいるわけもない」


 姉御や花田さん、それに皆の助力を得て、暴走していた呉葉を救うことができた俺は、こうして無事に呉葉と和解することができた。


 色々迷惑を掛けたとのことで頭を下げられる羽目になったけど、「恩を着せるためにやったことじゃないから」と言って説得しようと試みた。でも呉葉は納得してくれなくて、何か恩を返させて欲しいの一点張りだった。


 どれだけ拒んでも効果はなく、おまけに天狗の親分まで同じことを言い出してくる始末。これはもう逃げられないなと悟った俺は、「ここにいる全員で宴してみたい」と冗談のつもりで言ってみた。


 で、結果がこの有様。天狗の指示によって本格的な宴のセッティングが施され、宴というかお祭り騒ぎになってしまったわけだ。そこら中に数え切れない出店が立てられていて、そんじゃそこらの町でやっているような祭りとは比べ物にならない規模だ。


 実は俺も祭りなんて一度も経験したことがないからどんなものかと気になってはいたけど、まさかこんなに幼心が刺激される行事だとは思っていなかった。これは良い思い出に残るだろうなぁ。


「ちなみにこの祭りってどのくらい費用掛かってるの?」


「生々しい質問だな。しかし此方も親分殿の指示に従っていた者の内の一人でな。資金の方は親分殿しか知らぬ」


「そうなんだ。でもきっと相当使ってるよねこれ……。結果大成功だからいいんだけど、天狗の親分には負担掛けちゃったなぁ」


「何を言う弥白殿。むしろ親分殿は喜んでいたぞ。『よもやこのような日が来るとはな……』と、滅多に笑わぬ親分殿がふと笑みを見せていたくらいだ」


「そっか。なら細かいことは気にしないでおくよ」


 きっとここにはまだ、人間を良く思っていない妖怪はいると思う。呉葉は俺という人間を理解してくれたけど、俺以外の人間を完全に信用したというわけではないのだから。


 でも、今回のことで人と妖怪の溝が少し縮まったこともまた事実。まだまだ時間は掛かるだろうけど、少しずつでいいからまた更に溝が縮まってくれれば良いなと思う。


 そのためにも、今後も俺はこの世界に出入りしようかなと思ってる。まだまだ知り合ってない妖怪が沢山いるし、もっと交流を深めたいと思うから。


 ……それにここ、萌えを感じる妖怪多そうだし。


「おうお前さんら! 賑わってっか~?」


 さっきまで少し遠くの方で暴れていた姉御が、沢山の空の酒瓶を担いでやって来た。というか飲み過ぎでしょこの人。妖怪とは言えども、酒って一日にこんなに飲めるものだっけ?


「うわ酒臭っ……。勘弁してよ姉御」


「んだぁ、別に良いじゃねぇかこんな日くらい。つーか紅葉よぉ、お前さんまで素面ぶっこいてんのかぁ?」


「すまないな山姫殿。どうにも此方は酒の味が好ましく思えないのだ。苦味のあるものよりも、甘酒のような甘味が感じられる物がどちからといえば好みだ」


 まさかの甘味系女子。やっぱ女の子だわ呉葉。どっかの酒豪と違って。


「カカカッ、女みたいなこと言う奴だなお前さん」


「姉御、元々呉葉は女の子だよ?」


「……え?」


 冗談ではなく、素で驚く様子を見せる姉御。嘘でしょこの人……。


「紅葉……お前さん女だったのか……!?」


「いや当たり前だろう! 其方は此方を何だと思っていたのだ!?」


「あれだよほら、所謂、性別のない妖怪的な?」


「どう見ても性別の判別がつく見た目であろう!? 人を見る目が無いにも程があるぞ山姫殿!」


 全くだ。それに、この強気でお馬鹿なところがどっかの誰かにそっくりだ。ゲスじゃないだけ全然マシだけど。むしろ男気溢れてて格好良いからいいけど。


「だが……ふぅむ……弥白殿、其方の目から見てどうだろうか?」


「どうって、何が?」


「無論、此方の見た目のことだ。やはりこの格好では此方は女子(おなご)に見え難いのだろうか……?」


 姉御のお馬鹿が呉葉にも移ってしまった。スタイルと顔からして、女の子以外に考えられる要素がないだろうに。


「大丈夫だって、普通に可愛い女の子だから呉葉は。確かに呉葉は勇ましくはあるけれど、根本的な部分はちゃんと女の子だよ」


「根本……というと?」


「絶妙な大きさのおっぱい」


「なるほど」と純粋に頷く呉葉。ここに猫さんがいたら絶対怒られてるだろうなぁ。「堂々とセクハラしてんじゃにゃいわよ!」とか言って。


「カカカッ、大胆な発言するじゃねぇか弥白。お前さん、さてはオープンスケベだな?」


「いやいや何を言うか姉御。俺は歴としたムッツリスケベだよ」


「そもそもムッツリスケベは堂々と手前(テメェ)をスケベなんて言わねぇんじゃねぇか?」


「……痛いとこ突くね姉御」


 今までずっと誤魔化してきたのに、やっぱりそうだったのか俺。ずっと内気なスケベだと思っていたのに、いつの間にか内なるスケベ心は外に公になってしまっていたらしい。地味にショックだ。


「やっぱあれか? お前さんも胸が好きなのか? 揉み心地抜群のよぉ」


「ふむ……やはりそうなのか弥白殿」


「ちょっと呉葉さん? やはりって何? 勝手に人のフェチを決め付けるのは宜しくないなぁ」


「んだよ、だったら違うってのか? 男なんてどいつもこいつも巨乳に飢えてる変態みたいなもんじゃねぇか」


「確かにそれは否定し切れないけど、俺の一番は胸じゃないよ。えぇ、それだけは胸を張って言えますとも」


「根拠があって物申しているようだな。して、その最上とは?」


「え? 何? 言わなくちゃいけない流れなのこれ?」


「たりめぇだろ。この流れで黙秘はさせねぇぞ」


「しょうがないなぁ……」


 ただ、この話をするには“根本的な話”をしなくてはいけなくなる。少し長くなりそうだけど今は宴中なんだし、うつつを抜かしても文句は言われないか。


「そもそもね、俺の場合は身体的部分でいうフェチズムが好みってわけじゃないんだよ。でも敢えてそれをフェチズムとして言い表すなら、仕草フェチってところかな」


「仕草フェチ……独特な趣きであるな。だがいまいちピンとこない」


「同感だ。マニアック過ぎだろ。なんだよ仕草フェチって」


「……俺はね、妖怪という生き物に常に求めてるものがあるんだよ。所謂、萌えというやつだね」


「萌え……火事のことか?」


「“燃え”じゃなくて“萌え”ね。要は、ちょっとした動作からくる胸の高鳴りみたいなものだよ」


「うぅん? 具体的にはどのようなものだろうか?」


「そうだねぇ……呉葉、ちょっと髪を解いてくれない?」


「うむ、承知した」


 ちょっとした疑問も抱くことなく髪の後ろに手を伸ばすと、ゴムを解いて綺麗な長髪を靡かせた。


「で、もう一回髪を縛ってもらえるかな?」


「今解いたのにか? 別に構わないが……」


 流石に今度は疑問を抱かれたが、嫌がるような素振りは見せず、口にゴムを咥えて後ろ手に髪を掻き上げた。


「はいそこ〜、いいねいいね呉葉さ〜ん! 良い萌えアクションですよぉ〜!」


「「…………」」


 何故二人は俺を白い目で見つめて来るのだろうか。一体俺が何をしたと?


「訳分からねぇよ。急にテンション上げやがって気持ち悪い奴だな」


「いやいや何言ってるのさ姉御。女の子が口にゴムを咥えたまま髪を搔き上げるという一連の動作は、一部の男からしたらムラムラ要素という興奮剤になり得るんだよ。つまりはそういうことで――」


「時に山姫殿。酔いの方はもう覚めたのか? ようやく大人しい感じになったようだが」


「あぁ、昔からアタシは酔うのも早けりゃ覚めるのも早くてな。だから常時飲んでねぇと酔っ払えねぇんだ」


「あの〜二人共? これから妖怪萌えについての真骨頂という重要点を語るところで――」


「だが二日酔いにならなそうでよいではないか。此方としては羨ましい体質だ」


「酒ってのは最初から強いもんじゃねぇ。飲んで吐いてを繰り返して慣れていくもんなんだよ。アタシも昔は毎日のように吐いてたしな」


 そっちから聞いてきたくせに! 興味無くなったら即座にポイか! どうせそうやって未来の夫も飽きたら捨てるんだろ!? 酷い! 最低! 男たらし!


「顔が騒々しいぞ弥白殿。酒の席とはいえ、少しは慎め」


「急に辛辣になったね呉葉……。俺はまことに悲しいよ。君なら俺の特異性を理解してくれると思ったのに」


「特異だっていう自覚はあんのかよ。お前さんはそれで良いのかよ?」


「性分というのは直らないものなんだよ姉御。でも今までで理解してくれた人はちゃんといるし、むしろ直す気は更々ないね! 異常人結構!」


「……やはり其方は救い難い戯け者であるな。だからこそ、こうして此方は納得させられてしまったのだがな」


 呆れられようとも、笑ってくれるならそれで結構。こちとら罵詈雑言には慣れとるのでね。


「つーかよ、いつまでここで立ち話するつもりだ? 長話すんならどっか落ち着いた場所にでも移動して、そこでゆっくり話そうや」


「それもそうだな。弥白殿もそれで宜しいか?」


「……いや、悪いけど俺は遠慮しておくよ。色々見て回りたいからさ」


「んだよノリ悪ぃな。それでもアタシの舎弟か〜?」


「まぁまぁ、今回は勘弁してよ。今後もここには頻繁に顔を出すようにするつもりだからさ。それじゃ、またね」


 酔った姉御って十中八九くどくど話垂れ流しそうだし、姉御のことは呉葉に任せておこう。二人みたいな無尽蔵の体力なんてとても残ってないしね。


 より親密な関係になった二人の元から離れて、再び広場の中を適当にフラつく。


 妖怪だらけでごちゃごちゃしてるせいで、何処に誰がいるのか全く見分けが付かない。呉葉達はともかくとして、他の皆は何処に行ったんだろう?


「「ジャスティス俺の目が皿に〜♪ 皿を割られて意志朦朧(いしもうろう)〜♪」」


 何処からかイケボなカラオケボイスが聞こえて来た。これは境界門の方からだろうか? 宴で歌自慢とは、これまた粋なことを考える妖怪がいたものだ。


 人混みを掻き分けて境界門の方へと向かい、ひょっこりと頭を出して覗いてみる。


「「oh〜♪ oh〜♪ 尻子玉〜♪ 玉が抜け落ちただの尻〜♪」」


 そこには異様な二人組が境界門の階段上に立ち、喉自慢などという軽いノリではなく、本格的な演奏の真っ最中だった。


 一人は河童の若頭。低い椅子に座って足を組んでいて、サングラスをかけたままギターを弾いている。それっぽくしているわざとらしい表情が実に不愉快だ。


 そしてもう一人は大雪さん。演歌を歌えばプロ並みのダンディー声で熱唱していて、その美声で多くの女妖怪を熱狂させている。まさかあの人にあんな特技があったとは……。歌詞は大分クソだけど。


 ぷにっ


「ん?」


 ふと後ろから頰を突っつかれて振り向いてみると、目の前に『雪爺LOVE』と書かれた団扇があった。いつの間にこの短時間でグッズ化されたんだろう……。


「どうですか弥白君。天狗の親分さんに頼んで作ってもらってみたのですが」


「そんなドヤ顔されてもなぁ……」


 自信満々な表情を団扇の横から覗かせる氷麗さん。相変わらず天然で可愛らしいお人ですこと。思わずこっちの頰が緩んでしまうよ。


「正直言ってインパクトに欠けるかなぁ。ただ字を達筆に書くんじゃなくて、もっとデザインを工夫しないと」


「むぅ、そうですか……。大雪さんは褒めてくれたのですが……」


 苦笑しながらしょぼんと落ち込んでしまう。そりゃあの人は氷麗さんに甘々だからね。甘過ぎて見ているこっちが胸焼け起こしそうなくらいだし。


「それよりあれってどういうこと? 何の繋がりがあってコンビ組んだの、あのお二人さん」


「実は瀕死になっていた河童さんを大雪さんが介抱していたのですが、その後にお二人がお話をして仲良くなりまして。それで河童さんが大雪さんをお誘いしまして、今に至るということです」


 つまりは河童のおふざけに付き合ったってわけね。真面目そうに見えて実はノリノリなとこあるからな大雪さん。河童も河童でまたあの安い演技を披露してたんだろうなぁ……。あ〜、反吐が出る。


「そういえば弥白君、身体の方は大丈夫なんですか?」


「うん、大丈夫。この通りだよ」


 腕をぐるぐる回して痛みがないことをアピールする。


 呉葉に思い切り蹴りを入れられて動けなくなっていたけど、奇跡的に骨は一本も折れていなかった。今まで結構な修羅場を乗り越えてきていたからか、自然と身体が丈夫になっていたのかもしれない。


 喜ぶべきなのかは微妙なところではあるけれど、結果的にはこうして大団円を迎えたのだから結果オーライだ。終わり良ければ全て良しってね。


「弥白君は心配ばかり掛けるんですから。あんまり無茶ばかりしてはいけませんよ?」


「あはは……。皆に耳が痛いほど言われてるよ、その言葉」


「それだけ皆さんは弥白君のことが好きなんですよ。中でも私達は特にですよ」


 すると、ライブ中で人前であることも気にせず、氷麗さんがギュッと俺のことを抱擁してきた。嫌ではないけど流石に小恥ずかしい。


「ねぇ氷麗さん。ちょっとここから移動しない? 話したいことが沢山あるからさ」


「えぇ、良いですよ。それじゃ、人の少ない静かな場所に移動しましょうか」


「だったら俺、良い場所を知ってるよ。蜘蛛の巣っていう店なんだけど」


「あっ、私もそのお店知っていますよ。ならそこでゆっくりお話しましょうか」


「うん!」


 それから俺達は蜘蛛の巣に移動して、そこで色んな話をした。


 キサナと出会い、他にも色んな妖怪達と出会って仲良くなったこと。雪羅と再会して、またあの熊風と一悶着あったこと。桜華の家で居候することになって、そこでハチャメチャな日々を送っていたこと。とにかく、印象に残っていることは全部話した。


 氷麗さんは笑顔のまま話を聞いてくれて、時折頭を撫でてくれたり抱き締めてくれたりと、三年前のあの頃を彷彿とさせるような時が蘇ったかのようだった。


 途中でライブを終えた大雪さんと若頭も合流して、その後に呉葉と姉御にも見つかってしまい、最終的には蜘蛛の巣の皆も混ざって、いつものような騒がしい宴会になっていた。嫌いではないんだけど、たまにはゆっくりさせて欲しかったのが本音だったり。




 そうして時は流れ、皆が寝静まった頃。俺の膝の上で(いびき)をかいて寝ている姉御を跳ね除けて、俺は一人立ち上がってこっそり店を出た。


「……っ!」


 ふと空を見上げると、自然と目が皿になった。夜のようにずっと暗かった紫色の空が、いつの間にか青空に変わって太陽の陽が差し込んでいたから。


「まさかこの世界で太陽の光を拝むことになるとはな。これは必然か偶然か。お主はどう考える、小僧」


 気付くと、すぐ横に天狗の親分が立っていた。空を見上げながら口元を緩ませていて、珍しくも穏やかな表情をしていた。


「そりゃ偶然に決まってるじゃん。俺は何もしていないし、世の中はいついかなる時でも何が起こるか分からないんだからさ」


「ふっ……。ならばそういうことにしておこう」


 思わせ振りな発言を……。天候を変える能力なんて俺にあるわけないのに。あくまで俺は、人より霊感が強いだけの“人間”なのだから。


「……妖怪となった紅葉を拾ったのは他でもない、この私だった」


「…………」


 何も言わず、ただ黙って天狗の話に耳を傾ける。


「出会ったばかりの頃の彼奴は、妖怪である私達が相手でも一向に心を開こうとはしなかった。当然だろうな。信頼していた殆どの者達に裏切られ、母親という唯一の希望を殺められてしまったのだから」


 最初から妖怪達と仲が良いわけではなかったんだ。人間不信ならぬ、妖怪不信にもなって心を閉ざしてしまっていたんだろう。


「だがそれでも私達は、彼奴を見捨てようとはしなかった。紅葉もまた私達と同じで、存在そのものを拒まれた犠牲者の一人。そのような者を見捨てられるわけがなかったのだ」


「……分かるよ。俺も過去に似たような人と会ったことがあるからね」


 呉葉と雪羅はよく似ている。人間不信になり、人間を憎むようになってしまった、人間と何も変わらない妖怪。きっと天狗もあの時の俺と同じような気持ちだったんだろう。


 ……なんてね。俺には全部分かってる。今の言葉が“建前”であることくらい。


「幾度となく拒まれ続け、それでも私達は紅葉の闇を取り払おうと努力した。その結果、彼奴は私達妖怪に心を開いてくれるようになったものの、根深く巣食っていた憎悪の心を取り払うことはできなかった」


 私達? いや、違う。本当は“私”だ。


「彼奴を救ってやれないことに悔やみ続け、そうして長い年月が過ぎた頃。何の前触れもなく、お主はこの世界に現れた。これも必然か偶然かは分からぬが、お主をこの酒屋で一目見た時、私は思った。妖怪である私達には不可能であろうとも、人間であるこの者ならもしやとな」


 どうやら俺は随分と買い被られていたようだ。勝手に期待されても困るんだけどね。むしろ俺は何もできないことの方が多いんだから。


「だったらなんであの時に俺の正体を呉葉にバラしたの?」


「紅葉がどれだけ人間を憎んでいるか、実際にこの目で確かめたかったのだ。結果的にお主を危険な目に遭わせてしまったが、もしもの時は私の妖術で逃すつもりであった」


 そう言えばあの時、俺が動けなくなっているところを呉葉が斬り掛かろうとした寸前に、天狗が呉葉のことを呼び止めて少し長話をしていたっけ。あれは時間稼ぎのつもりだったのか。


「しかし河童の思わぬ奇襲により、お主らは山の中へと自力で逃れていった。私は単独でお主の後を追い、あの試練をお主に突き付けた」


「でもその真意は、試練と称して俺に呉葉を救って欲しいと頼んでいた。そういうことだよね?」


 天狗は無言で頷いた。


 やっぱりそういうことだったんだ。もしあれが本物の試練だったのなら、呉葉が暴走化した時に助けに入ってくれるわけがなかったから。


「私は……紅葉を救うことから逃げてしまった。私では無理なのだと諦め、赤の他人であるお主に己の都合を押し付けてしまった。しかしお主は結果的に紅葉を救い、彼奴の闇を取り払った。私は……お主を羨ましいと思うと同時に、弱い己が憎くて仕方がない……」


 その通りだ。確かにこの人は自分に課した責任から逃げてしまった。俺に全部丸投げしたのも事実だし、この人が弱いってことも事実だ。


 でも、ただ逃げてたわけじゃない。この人もちゃんと最後には戦っていた。俺を助けるためではなく、呉葉を救うために身体を張っていた。それもまた事実の一つだ。


「……確かに天狗も弱い心の持ち主なのかもしれないけどさ。でも何もできなかったわけじゃないじゃん。それに俺だって一人じゃ結局何もできなかったんだよ? その点を踏まえると俺も天狗と一緒だよ」


「いや、それは違うな。何故なら、お主は死にそうになったその瞬間まで紅葉のことを諦めてはいなかった。これだけ長く生き長らえながらも、諦めてしまっていた私と違ってな」


「でも最後に天狗は戦ったじゃないか。天狗が呉葉を止めてくれていなかったら、きっと俺は死んでいたと思うよ。だからそんなに自分を卑下しないでよ。呉葉を救うことができたのは俺一人のお陰じゃなくて、皆のお陰なんだからさ」


「……そう言ってくれるだけで、私は報われたよ」


 嘘付け。ちゃんと顔に書いてあるぞ。心残りはまだあるって。


「ただ……私の役目はもう終わった。これから紅葉は変わっていくことだろう。だからこそ、私はもうこれ以上彼奴の傍にいるわけにはいかない」


 何故、とは聞かなかった。それも全部分かっているから。


 天狗は俺に背を向けると、前方に時空の穴のようなものを開ける。あれを通って瞬間移動のような妖術を使っていたわけか。


「小僧。差し出がましいと思うだろうが、最後に私から一つ頼みがある。これからも紅葉と交流を深めてやって欲しい。私の望みはそれだけだ」


 そうして、天狗は時空の穴の中に消えようとする。


「……“また”逃げるのかよ」


 寸前のところで、天狗の足がぴたりと止まる。


「……そうだな。これで彼奴から逃げるのは二度目になってしまうが、それでも私はこれ以上彼奴と――」


「三度目だろ。君が……あんたが呉葉から逃げようとしているのは」


「…………何?」


 まさかと言った顔をする天狗。そりゃ驚きもするだろう。天狗は何も言っていないのに、俺はもう天狗の“正体”を知っているのだから。


「俺はもうあんたの正体を知っている。だから、また呉葉から逃げようとするのは絶対に許さない」


「……いつから気付いていた?」


「反魂香を使って花田さんを召喚した時だよ。それで気付くことができたんだ」


 霊感というのは、あることを行うことによって、自分の霊感が相手の体内に混ざるようになっている。それは、相手と“交わる”時だ。


 例えば、氷麗さんと大雪さんはお互いの霊感が自分の体内に混ざっている。だから二人は正真正銘の夫婦であると立証できるわけだ。


 ちなみにその二人の存在のお陰で、俺は密かにこの仕組みのことを偶然知ることができていた。でもまさかその偶然が一つの謎解きに活躍することになるだなんて、今まで思ってもいなかった。むしろ思ってた方がおかしな話なのだけれど。


「さっきあんたは言ってたよね? 妖怪として呉葉が自分と同じ辛い思いをしていた妖怪だから、見捨てられるわけがなかったって。でもそれは嘘だよね? だってそれは建前なんだから」


「お主は……一体何処まで……」


「全部だよ。あんたのことなんて全部丸分かりだ。あんたがどうして呉葉を救うことにそんなにも執着したのか。そんなのもっと単純で簡単な理由だろ」


 はっきりと自覚させるために。有耶無耶に誤魔化されないために。大声で口に出してその答えを堂々と言ってやった。


「あんたが……呉葉の実の父親だからだろ!! 嘘偽りない本当の自分の子供だから、あんたは何が何でも呉葉さんを助けようとしたんだろ!! でもそれは呉葉のためじゃなくて、自分のためにだ!! あんたが人間の頃に犯した呉葉への罪を償って許してもらうためにな!!」


 ぐうの音も出ずに俯いて押し黙る。その反応は図星であるという証拠だ。


「でも結果的にあんたはまた逃げ出した。これが最後のチャンスだったのに、子を守る親の責任から逃げ出したんだ。結果的に呉葉さんは変わることができたけど、あんたは根本的なところが何一つとして変わっちゃいない。自分の身可愛さに現実から目を背ける臆病者のまんまだ」


「……その通りだな。失って初めて気付いても、何もかもが遅過ぎた。妖怪として奇跡的に生まれ変わることができたにしても、今更彼奴の親を名乗ることは――」


「だからそれが逃げだって言ってんだろ! あんたが呉葉の親を名乗ることができるのかを決めるのは、たった一人の娘の呉葉自身だ! あんたが勝手に自分の価値を決め付けてんじゃねぇ!」


 未だに逃げ腰になっているこの人に心底腹が立つ。


 妻と子を振り回すだけ振り回して、その後に自分の愚行を理解することができた。でも、まだこの人は肝心なことができていない。それを済ませようとせずに逃げ出したから、俺はこんなにも怒っているんだ。


 合わせる顔がない? 知ったことか。逃げ出そうとするというのなら、俺がぶん殴ってでもここに留まらせてやる。


「天狗、もしあんたがどうしても呉葉の元から離れたいと言うのなら、ケジメをつけてから何処ぞへと消え失せろ。そのケジメが何なのかは、言わなくても分かるよな?」


「……あぁ」


 自分の正体を呉葉に知らせ、呉葉の中にまだ唯一残っているであろう父親への憎しみを受け止める。それができない限り、呉葉の元から去るのは許されない。それがこの人の贖罪(しょくざい)だ。


「今俺が呼んでくる。絶対に逃げるなよ」


「いや、その必要はない、弥白殿」


「っ! 呉葉!」


 蜘蛛の巣の暖簾をくぐろうとしたところ、さっきまで寝ていたはずの呉葉が逆に向こう側から姿を現した。


「もしかして聞いてたの? 意外とやらしいなぁ呉葉」


「人聞きの悪いことを言うな弥白殿。少なくとも、此方には聞く権利のある会話だったはずだ。そうだろう?」


 俺ではなく、天狗の方を見て呉葉は問う。以前程ではないが、その目付きは睨むように鋭くなっていた。


「まさかとも思っていなかったが……其方が“伍助殿”だったとはな。何故今まで隠していた、という質問は野暮なのだろうな。聞かなくとも此方には分かる」


 見るからに呉葉を恐れて視線を逸らし、目を合わせようとしない。


「背けるな」とすぐに呉葉は言った。娘に言われてしまった以上は、天狗も言う通りにせざるを得ない。言われるがままに、天狗は呉葉と目を合わせた。


「其方が自身の正体を此方に晒した。それが何を意味するか、其方には分かっているな?」


 腰に差した折れた刀を引き抜き、天狗の鼻先に切っ先を向ける。そのままゆっくりと近付いて行き、天狗もまた黙ってその成り行きを見届ける。


 刀と天狗の距離が目と鼻の先となり、呉葉はゆっくりと刀を上に振り上げる。


 そしてそのまま刀を勢いよく振り下ろし――紙一重でピタリと止めた。


「……何故だ」


 天狗は問う。最も憎んでいるはずの自分をどうして斬らないのか。


 呉葉は呆れたように鼻で笑い、刀と鞘を地面にそっと投げ捨てた。


「此方はもう誰かを憎むことを止めたのだ。それは父様である其方も例外ではない。たとえここで其方を斬ったところで、誰かが報われることはない。無意味なことに時間を費やすのはもう懲りているのだ」


 きっと、今までの呉葉なら迷わず天狗を斬り捨てていたと思う。でも今それをしなかったのは、確実に呉葉が変わり始めているという証拠。


 そんな彼女を見て、俺は思わず微笑んでしまう。変わってくれたことが心から嬉しいから。


「許すというのか……。我が子であるお主を散々利用し、最後には見捨てようとしたこの私を……」


「其方は自分の罪滅ぼしのために此方の元から離れようとしなかった、ということだったな。ただその時、其方もいいだけ苦しんでいたのであろう。今になって気付いた此方への罪悪感をひた隠しにし、永遠に此方の元にいる。それは其方にとって何よりも辛い日々であっただろう」


 ずっと本当のことを言えずに、罪の意識を感じながら長い年月という日常を過ごした。相当な精神力が無ければ不可能だったことだろう。それはきっと、天狗の唯一の強さだったと言えるのかもしれない。


 そして呉葉は、その辛く果てしない天狗の日々を理解してあげている。憎しみを抱く相手の言葉を聞こうともしなかったあの彼女が、一番憎んでいたであろう父親の罪を。


「だから、もうよい。此方も、其方も、痛痒(つうよう)という呪縛に縛られるのは終わりにしよう。これからは憎むのではなく、許すことも覚えていくのだ。お互いに……な」


「……ぉぉ……ぉぉぉ……っ!!」


 呉葉は笑う。その昔、三人で幸せに暮らしていた時に浮かべていたであろう微笑みで。


 天狗――伍助さんは地に跪いて泣き崩れ、叫ぶように何度も泣き喚いた。苦痛の日々が今ようやく報われたことにより、自分を縛っていた全ての枷が外れたように見えた。


 これで本当に一件落着だ。本当に良かった。


「……さてと」


 俺も皆の元に帰るべく、境界門がある方角へと歩き出す。


「弥白殿」


 こっそりといなくなろうとしたけど、やっぱりそうもいかないようで、咄嗟に呉葉に呼び止められてしまった。


「良かったね呉葉。花田さんとはもう一緒にはいられないけど、これからは伍助さんが……父親が傍にいてくれる。君はもう一人になることはないよ」


「……其方には最後の最後まで世話になってしまったようだな」


「さて、何のことやら。俺はただ、呉葉が伍助さんを許してあげたところを見てただけだよ」


「また戯言を……。其方は極度のお人好しだな」


「違いますぅ〜、俺は歴とした皮肉屋ですぅ〜」


「あくまで認めないつもりか。この頑固者め」


 少し腹が立ったのか、腕を回しながら近付いてくる。流石にもう呉葉に暴力振られるのは御免被る。


 でも、その不安は杞憂に終わった。殴られると思いきや、背中に手を回されて抱き締められてしまったから。


「此方達に光を与えてくれたこと。此方を見捨てず、大切なことに気付かせてくれたこと。全ての意味を込め……其方に心からの感謝を」


「……どういたしまして」


 今の呉葉達の心の中のように、眩しいくらいの太陽がキラキラと眩く。


 呉葉も伍助さんも、これからは前を見据えて生きていくことだろう。その先にはまた違う障壁が立ちはだかっているのかもしれないけど、二人の傍に皆がいる限りきっと大丈夫。何せ、今の呉葉は誰よりも強い妖怪(にんげん)なのだから。


 俺なんかよりもずっと逞しくて、魅力的な女の子。本当に彼女は何処かの誰かさんに似ているなぁ。


 さぁ、俺も帰るべき家に帰ろう。その誰かさんが待っている、あの暖かい日常の元へ。

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