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吹き荒れる再会の冷風

「うっはぁ、呆気ねッスわ〜。所詮は河童ってやつ? 皿割れてたら何もできないとかウケる〜」


 チャラ男のくせに図体がでかくて、こんな馬鹿みたいな力の持ち主とか凄い腹立つ。ネックレスやらピアスやらじゃらじゃらつけやがって、豚に真珠もいいところだ。


「つーわけなんで、今度こそ人間は俺チンが――」


「待て」


 若頭がやられたことによってターゲットは俺一人となり、猿妖怪が若頭を踏み付けてからこっちに歩み寄って来る。


 しかしその最中、紅葉さんが早走りで近寄って来ると、猿妖怪の首筋に刀身を添えて足を止めた。


「ちょいちょい、何のつもりッスかね紅葉さん?」


「其方は出しゃばり過ぎだ。少しは自重してくれないだろうか。人間に恨みがあるのは其方だけではないのだ」


「そりゃそッスけど、別に誰が人間殺そうとも同じじゃね? 結局は殺すことになんだし、人間殺すのに手柄もクソもないっしょ」


「…………」


「あっ、もしかして紅葉さんまで実はこの人間に肩入れしてた的な? だから俺チンのこと止めたんじゃね」


「其方の妄想を正当化しないでくれないだろうか。……だが、そこまで言うのであればもうよい。其方の好きにすればいい。その人間を本当に殺せるのならばの話であるがな」


 味方同士のはずなのに、二人の間に険悪なムードな流れる。こう言う時に掛けるべき言葉といえば……。


「止めて! 俺のために争わないで!」


「「…………」」


 無視ですか……そうですか……冷たいなぁもう……。


「な〜んか引っ掛かる言い方じゃね? まるで俺チンじゃこの人間を殺せないように聞こえたんスけど?」


「皮肉を言ったつもりはない。ただ此方が言いたいのは、そこの人間は易々と殺せるような弱者ではないということだ」


「はぁ? この人間が? ケケケッ、いやいやそりゃないっしょ〜。紅葉さーん、もしかして一度この人間取り逃がしたから弱気になってんじゃね〜? マジウケるんですけど〜」


 この猿公……さっきから言わせておけば好き勝手言いやがって。もう我慢ならん。


「おい猿公」


「あん? なんスか〜人間ちゃん?」


「いいかよく聞け。紅葉さんはな、君なんかよりも百倍は強いぞ。実際に紅葉さんに殺されかけた俺だからこそ分かるんだよ。少なくとも、見た目で相手の強さを決め付けて慢心するような君じゃ、絶対に紅葉には敵わないね」


「……ふんっ」


 本人にはむしろ喜ばしくない素っ気ない反応を取られたけど、こんなチャラ男に色々決め付けられるのだけは納得いかん。


 若頭がやられて一度は取り乱したけど、もう弱音は吐かない。紅葉さんには敵わなくとも、こいつには一矢報いる以上の戦果を突き付けてやる!


「ケケケッ、自分を殺そうとした人を褒めるとか馬っ鹿じゃね〜の〜? つーかお前何様? 今から殺される分際で生意気じゃね?」


 ペラペラと無駄口を叩く猿公。そして無駄に過ぎていく時間。


 こんな時、姉御ならなんて言うか。きっとこう言うはずだ。


「御託はいいからとっととかかって来いや」と。


 挑発に乗り、猿公はこめかみをピクリと動かすと、俺に向かって殴り掛かってきた。


 大振りの右。力強く、当たればひとたまりも無い一撃。


 でも、遅い。紅葉さんの剣戟や姉御の蹴りに比べれば、余裕で見切ることができる。


 少し屈んで一撃を躱し、一旦距離を取るために尻尾巻いて逃げ出した。


「ちょいちょい、喧嘩売っといて逃げるとか無いっしょ。ざけんなよテメー」


 完全に頭に血が上っているのか、顔を真っ赤っかにさせて不気味な笑みを浮かべながら追い掛けて来る。あぁ、こいつやっぱりそういう奴か。


 相手の挑発で簡単に振り回され、短気なせいで冷静な思考をすることができず、肉食動物のように視界が狭まって周りが見えなくなってしまう。こいつは、そういう力任せの脳筋馬鹿だ。


 だとしたら、俺が負ける要素は――ゼロだ。


「口寄せ!」


 親指の爪を噛んで血を流し、走り際に掌を地面に叩きつける。


 例の如く煙幕が発生して、煙幕が掛かる一瞬の間に猿公が足を止めているのが見えた。


「弥白貴様ぁ! さっきはよくもズタボロに――」


「ごめんタヌっち! お詫びは後で必ずするからさ! フォーメーションDでお願い!」


「何っ? ……ふんっ、ならば仕方あるまい。今は我の力を貸してやろう」


 全身包帯グルグル巻きになりながらも、今が戦闘中であることを察してくれたタヌっちは、俺の案に乗ってくれて戦略の第一段階を実行した。


「変化!」


 煙幕の中で更に煙幕を発し、タヌっち十八番妖術の一つである『変化の術』を発動。姿形が硬い球に変化した。


(けむ)いんスけど〜。小細工はいいからとっとと殺されろや」


「ふんっ! 地獄の狭間へ落ちるのは貴様の方だ!」


「行くよタヌっち! 方角は――二時!」


 声が聞こえた方角からして、奴はさっきから動きを止めているはず。勘を信じて、二時の方角へと手裏剣を投げ放った。


「おっとぉ!」


 予想通り、猿公は二時の方角に立ち尽くしていた。だが何か仕掛けてくることは見越していたようで、投げた手裏剣を片手で摘んでキャッチされてしまった。


「忍者っぽいことしても無駄でした〜! 俺チンの動体視力ナメんなっつの〜!」


 後ろに手裏剣を投げ捨て、迷うことなく煙幕の中に突っ込む。


「はい捕まえた〜! このまま寝首握り潰すんでシクヨロ〜!」


 大量発生していた煙幕が晴れていく中、猿公はチェックメイトを確信して手に力を込めて首を締め上げた。


 ――タヌっちの。


「……は?」


「ば……馬鹿め……貴様が見ていたのは……幻影の写し絵だ……弥白ぉ!」


 地面に落ちた手裏剣が煙幕を吹き上げ、姿形が俺へと“変わる”。


「取ったぁ!」


 右腕を大きく振り被り、口寄せした際に拾っておいた大き目の石ころを全力投球。猿公の後頭部目掛けて解き放った。


 勢い良く放たれた石ころは、吸い込まれるように後頭部へと飛んで行き――


「……ケケケッ」


 後ろを見ずに、咄嗟に首を横に傾けることで躱された。


「な……んで……」


「ケケケッ……ケーケッケッケッ! ブァーカ! 俺チンのことを甘く見過ぎたな? “その程度の投擲力”なんて、俺チンなら直接見ずとも躱せんだっつの〜!」


「ち……畜生……」


 膝をついて地面を殴り付ける。万策尽きたという証だ。


「手間取らせやがって……でももう終わりッスねぇ〜!」


 首を締め上げていたタヌっちを離して、タヌっちが地面に落ちると同時に俺の方へと身を振り向ける。


「ケケケッ! チェックメイトだ人間〜! 俺チンの勝ち〜!」


「……そうだね。こりゃ流石にチェックメイトだよ」


 俺は立ち上がり――不敵に笑った。


「“貴様”のな」


「あん?」


 そして、俺はぼそっと呟く。


「変化解除」と。


 同時に俺達の姿形が煙幕に包まれ、お互い元のあるべき姿へと戻る。


 俺は懐に隠し持っていた座薬銃弾式の短銃を取り出し、銃口の部分を猿公の尻穴に突き刺した。


「チェックメイト」


 引き金を引き、六発の銃弾全てを尻穴に撃ち放った。


「あ……あばぁ……」


 猿公の身体は痙攣を起こし、特に足をガクガクと震わせて立っているのもままならない状態になる。


 尻穴から思い切り銃口を引っこ抜き、こつんと足先で膝の後ろを蹴ってやる。


 か弱い力によって膝のバランスを崩した猿公は、そのまま前のめりに倒れて行き――尻から汚い音と飛沫を撒き散らして気絶した。


 これぞ、俺とタヌっちが二人で考え生み出した、変化の術を俺にも掛けて三段構えの騙し打ちを決定打とする戦法。騙し打ちのDを象徴とした、フォーメーションDだ。


「ナイス演技タヌっち。終始ヒヤヒヤしてたけど上手くいったね」


「当然だ。貴様が光なら我は影。決して合わさらぬモノが混合し、万里不滅の力を得た以上は、我らに敗北の文字は不滅だ」


 駆け寄って来たタヌっちと気持ち良くハイタッチ。二体一っていうのは卑怯だったかもしれないけど、こっちはステータス的に圧倒的に劣ってたんだ。充分対等な条件だったはずだ。


「やばっ、そろそろ俺も霊力切れそう……。協力ありがとねタヌっち」


「……まぁいい。さっきのことは水に流しておいてやる。さらばだ、我がライバルよ」


「……さっき?」


 口寄せに使う霊力が尽くと同時に、タヌっちは俺の実家へと戻って行った。気になることを言って去って行っちゃったけど、まぁいっか。


「まさか本当に比々に勝つとはな。奇妙な術を使う人間だな、貴様は」


 比々を倒せはしたけど……これが終わりじゃない。むしろ、ここからが俺にとっての本番だ。


 近付いてくる紅葉さんを見据えながら立ち上がり、俺も紅葉さんの元へと歩み寄って行く。そして、歩幅五歩分のところでお互いに立ち止まった。


「山姫殿といい、ゲロ河童といい、先程の狸妖怪といい……一体貴様は何者だ。何故人間の身でありながら妖怪と共にいる?」


「そんなの決まってるじゃん。皆が俺の友達だからだよ」


「友達だと……? 皆を(たぶら)かしている身で、よくそんな綺麗事を言えるものだ」


「誑かしてなんかいないよ。姉御も、若者も、タヌっちも、そして俺も。皆自分の意思で繋がりを持ってるんだよ。人間が妖怪と仲良くしてるからって、人間が妖怪を操る術を使ってるという君の認識は間違いだ。それは君だけの偏見だよ」


「戯言を……人間と妖怪が心を交わすことなど不可能だ。絶対にな」


 紅葉さんは刀を持つ手に力を込め、腕を横に伸ばす。


「それは違うよ。不可能でも無ければ、この世に絶対なんてものはない。君がなんと言おうとも、妖怪と人間は心を通わせられるんだ。他でもない、俺の存在がその証明だよ!」


「……やはり貴様と言葉を交わすのは不要であったな」


「君が人間をどれだけ憎んでいるのかは分からない! 憎んでいること自体は分かるけど、その憎悪の大きさがどれだけのものかなんて分かるわけがない! それは紅葉さん自身にしか分からないことだから!」


 今度こそ殺す気で、刀を構えて歩み寄って来る。ゆっくりと、隙の一つも見せずに、俺の首だけをただ見据えて。


 怖気付くな、目を逸らすな、怯むな、臆するな、逃げ出そうとするな。理屈じゃ無理だ不可能だと分かっていたとしても、決して現実から目を背けようとするな。


 この時そこが……妖怪と人間の溝を縮めるための第一歩なんだ!


「だけど憎んでばかりじゃ駄目なんだ! いつまでも過去のしがらみに囚われ続けていたら、君は変わることができない! でも人間の罪を許して欲しいなんてことを言うつもりはない! 俺はただ――」


 右上から左下にかけての袈裟懸けの一振り。気が狂いそうな程に集中し、刀を振ってくるタイミングに合わせて短銃の銃口部分で受け止めた。


「生憎だが、此方に変わるつもりは毛頭ない。今はただ、貴様を殺すことができればそれでよい」


「頑固者だなぁ……それにせっかちだ。なんとなくどっかの誰かに似てるかも」


「知ったことではない」


「うわわっ!?」


 一太刀目を止められたものの、紅葉さんの剣戟の猛襲が始まり、あらゆる角度から真剣の刃が飛んでくる。


 一太刀でもまともに受ければ絶命。その緊張感が雑巾の水を絞り取るかのように、俺の集中力を増長させていく。まるで自分が自分じゃない動きでそれらを躱し、受け止める。


 ただ反撃しようにも隙は一切見えず、下手に蹴りなんてしたら足を斬られる可能性の方が大きい。おまけに銃弾も全て比々に打ち込んでしまったため、やはり反撃の決定打となるものがない。


 ジリ貧だ。このままじゃいずれ追い詰められる。何か……何か手立ては――


「考え事とは余裕だな」


 剣戟を全てギリギリで捌いていたせいで、俺は知らず内に紅葉さんの戦術という先入観に捉われてしまっていた。その無意識な判断が、俺の付け入る隙にされてしまった。


 意識がかすみそうになりながら、何度目か分からない剣戟を受けようとした時だった。先程まで荒ぶるように振るわれていた刀が紅葉さんの手元から離れ、腹部を狙った蹴りを放ってきた。


 打撃を使ってくることを予想の範囲内に入れておく余裕が無かったことが災いし、モロに鳩尾部分に蹴りが入った。まるで焼き印を押し付けられたような激痛が迸り、身体が少し宙に浮いて吹き飛ばされた。


 吹き飛んだ先の建物に背中から激突し、稲妻が迸ったような激痛が全身に行き渡る。ぐらりと身体が前に崩れ、受け身を取る余力も残っていないままうつ伏せに倒れ込んだ。


 痛みのせいで全身麻痺して指先一つ動かせない。妙に既視感を覚える感覚だ。


「昔にもあったなぁ……こんなこと」


 でも昔と違うのは、今の俺の周りにはもう味方が一人もいないということ。助けが入る余地のない絶対領域。どうにも今度こそ絶対絶命らしい。


「足掻くだけ足掻いて無様だな。だが丁度よい機会だ。貴様にも過去の此方と同じ目に遭わせてやろう」


 動けないまま紅葉さんに止めを刺されないまま、刻一刻と時間だけが過ぎていく。


 やがて、遠くのあらゆる方角から騒がしい足音が聞こえてくる。後に喧騒も混じって来ると、この世界に住んでいる大勢の妖怪達がこの場へと駆け付けて来た。


「い、いた! あれが人間!」


「噂に聞いていたよりは随分小さいな……」


「バッカお前、見た目だけで判断するなよな。あの紅葉さんを殺すような生き物なんだぞ?」


 俺と紅葉さんの周りでがやがやと騒ぎ立てる妖怪達。妖怪図鑑で見たことのある妖怪もいれば、全く知らない妖怪も大勢いる。


 これほどまでにいるのか。人間界を追われ、この世界に逃げ込んできた妖怪達は。


 そしてその事実は、こんな大勢の妖怪達の数だけ、人間に恨み妬みを抱く者がいることを物語っていた。


 皆の視線から感じる恐れと怒り。誰一人として、瀕死の俺に手を差し伸べてくれる者はいない。当然だと分かっていながらも、その現実が悲しくて、寂しくて、たまらなくなった。


「聞け、皆の者! この者こそが此方達を人間界より追放し、光の差さぬこの世界へ追い込んだ悪の権現! 愚劣で劣悪なる人間だ!」


 紅葉さんの演説が中心部全域に行き渡る。恐らく、この世界に住む妖怪達全員に行き届いているであろう。


「人間は此方達に容赦などしない! 命乞いをしても聞き届けず、慈悲も情けも持たぬ! 自分達の思い通りに事を運ばせるためならば、虚言を真実にすり替えてでも事実を捻じ曲げる! 人間は悪だ! 妖怪の生命の存続を妨害せし危険因子だ!」


「そ、そうだそうだ! その通りだ!」


「紅葉さんの言う通りよ! 人間は害悪なのよ!」


 紅葉さんの演説が意思となって周囲に伝わっていき、一人、また一人と共感と同感の声を上げる妖怪が増えていく。


 やがてその意思は全域に広がり、中心部にいる妖怪達が想いの叫びを打ち明ける。


 悲鳴のような悲痛の叫びがこだましていき、一つ一つの憎しみの感情が人間と妖怪との溝を広げていく。


 遠く、遠く、ただでさえ広かった溝は更に広がっていく。手を伸ばしても決して届くことのない溝は、俺の前から離れて行ってしまう。


 どれだけ足掻いても、辿り着けない。俺が繋ぎ止めようとしていた溝は……あまりにも遠く、深すぎた。


 煮え切れない想いが胸を締め付けて、息が苦しくなっていく。


 なんで俺はこんなにも無力なんだろう。どうして俺は倒れているんだろう。何故俺は目の前にいる女の子の一人すら救えないんだろう。


 彼女の希望はこの手にある。でも俺の言葉は彼女には届かない。


 俺には――彼女を救えない。


「だが人間にも弱点はある! 一人では何もできない無力な下等生物だと言うことだ! 現にこの人間を見よ! 多少奮闘したものの、結局はこの有様だ! どれだけ大口叩こうとも弱者は弱者! 妖怪一人にすら敵わない愚かで惨めな末路だ!」


 紅葉さんは落としていた刀を拾い上げ、倒れている俺に向けて切っ先を向けた。


「此方はまだ、人間に対する憎しみを復讐として返し切れてはいない! だが其方達にも憎しみの種は平等に植え付けられているはずだ! その種を少しでも取り除くために、皆でこの人間を袋叩きにするのだ! さすればこの人間も身を以て知ることになるだろう! 此方達が抱いた憎悪の全てを!」


 足で押されて身体を転がされ、仰向けになる。周りにいる妖怪は全員俺を見下していた。


「だが……妖怪は人間と違い、慈悲深い生き物だ。本当ならば遺言を残させずに殺すところであったが、この者はこれから此方達の復讐の念を少しでも取り除く贄となる存在。せめてもの最後に、これからこの人間の最後の言葉を聞こうと思う」


 再び刀の切っ先を俺に向けて、紅葉さんは目を細めた。


「さぁ、これが貴様の最後の言葉だ。貴様を殺す此方達に対する恨みの言葉の一つでも言い残すがよい。そうして誰からも救われぬまま、一人惨めに死んでゆけ」


「…………」


 伝えたいことなら山程ある。でもきっと紅葉さんは、一言言う分しか許してくれないだろう。


 人間のことを許して欲しいと言っても無駄。もっと話を聞いて欲しいと言っても無駄。何を言おうとも、紅葉さんを変えることはできない。


 だったら最後くらいは、自分が言いたいことを言おう。皆を変える言葉ではない、その存在を知った時から今の今までずっと思っていた簡単な言葉を。


「……俺は」


 目を閉じて、過去の出来事の全てを振り返る。


 楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと、それら全てが詰まりに詰まった思い出をこの一瞬で思い返す。


 そして俺は――笑った。


「昔も今もこれからも……俺は妖怪が大好きだよ」


「……最後の最後まで虚言に染まった人間だ」


「やれぇ!」と紅葉さんの号令が掛かる。


 絶対が存在しないこの世界で絶対と言い切れる自信のある言葉すら信じてもらえなかったけど、最後に言い残せたのなら俺は満足だ。


「「「…………」」」


「……?」


 あれだけ騒がしかった喧騒が消えていた。飛び交っていたはずの憎しみの叫び声一つすら聞こえず、まるで無の世界にでもなったかのような感覚だった。


「……どうした。何故誰も動かないのだ?」


 皆は俺を見て固まっていた。その表情に憎しみや殺意といった感情は見て取れず、全てが焦りと戸惑いに

変わっていた。


「何を躊躇している! この人間は脆い! 皆の手に掛かれば数秒も持たずに息絶えるはずだ!」


 紅葉さんは何度も呼び掛けるも、やはり誰一人として動く妖怪はいない。


 ……何だ? 何が起こってるんだ?


「な、なぁ紅葉さん。本当にその人間は悪い人なのか?」


「っ!?」


 何が起こっているのかは分からない。どうして急にそんなことを言い始めたのかも分からないけど、皆に何かが伝わっていることだけは理解できた。


「ちょ、ちょっと通して欲しいッス! 前が全然見えないッス!」


 何処からか聞き覚えの声が急に聞こえて来たと思いきや、上半身だけで生命活動を維持している逞しき妖怪、テケテケのテケちゃんが人混みを掻き分けて来ているのが見えた。


 それにテケちゃんだけではなく、厨房係のがしゃどくろことコツさんに、蜘蛛の巣の店主である絡新婦のお姉さんもいた。


 お姉さんは相変わらず能天気にキセルを吸っていて、ボロ雑巾のようになった俺を見て眉を伏せながら笑っていた。


「随分と外が騒々しいと思って見に来てみれば……侵入した人間がまさか貴方のことだったなんてね、坊や」


「うわわっ!? こりゃ予想以上に酷い有様ッスね!? 大丈夫ッスか悪戯好きの人間さ~ん!」


「見たところ酷い怪我のようですね。治療してあげないと危険そうですよ」


「ま、待て! 止まれ!」


 テケちゃんとコツさんが二人で近付いて来ようとしたところで、紅葉さんが刀を構えて止めに入った。


「どういうことだ。其方らまでもが、この人間の顔見知りだと言うのか」


「顔見知りというか、人間界の方で経営している店の方で来店してたお客様ッス。悪戯好きの人間さんでッスが、悪い人間さんではないんッスよ」


「実は僕達のお店の常連さん……茨城童子と言う方なんですが、その人間は茨城童子さんのご友人なんです。茨城童子さんは人を見る目がありますし、その人間さんを信用しても大丈夫だと思いますよ紅葉さん」


「な……にを……」


 二人の証言により、周りの妖怪達が再びざわつき出す。それぞれが疑問を抱き、ただ不思議そうに俺のことを見つめていた。


「くっ……其方らまでこの人間の毒牙に犯されているというのか……」


「失礼ね、私達は至って正常よ。それによく考えてみなさい紅葉さん。そんな人間の坊やが私達に何かができると思うかしら? せいぜいウチの厨房係の股間にチ○コを取り付けられるくらいなものよ実際」


「何で今その話を持ち出すんですか姐さん! 公然の場ですよ!?」


「チ○コ……」「え? チ○コ……?」とちらほら声が上がる。チ○コ発言が乱立する公然の場ってまたシュールな……。


「だ、だがこの人間は妙な妖術を扱うのだ! ならば妖怪を意のままに操る術を使えてもおかしくはないはずだ!」


「そうね。でも仮に私に対してそういう妖術が使われていたとしたら、私から何かしらの妙な霊感を感じるはずよね? それを踏まえた上で私の霊感を感じてみなさい。私は正常だと分かるはずよ」


「親分さん」とお姉さんは天狗の親分を呼ぶと、境界門のところでずっと傍観していた天狗が羽を羽ばたかせて飛翔し、お姉さんの隣に着地した。


「……確かに操らている形跡も痕跡もない」


「なっ……」


 天狗の言葉に耳を疑い、驚きの様子を隠せない紅葉さん。しかしそれでも尚、倒れている俺のことを強く睨んできた。


「貴様ぁ……一体どんな姑息な手法を用いた!? 答えろ!」


「聞き分けのない子ねぇ。だからその子は何もしてないって言ってるじゃない!」


「店主殿は黙っていてくれ!」


 他人の話を聞こうとせず、真実から目を背けるようにして俺の目を一心に睨んで来る。


 認めない。認めるわけにはいかない。彼女の目からは、焦りの色が混じった否定の心が見え透いていた。


 俺も決して目を背けようとせず、立ち向かう意味を込めて紅葉さんの目を一心に見つめた。


「ずっと聞きたかったことがあるんだ。紅葉さん、もしかして君が本当に望んでいることは――」


「此方の質問に答えろ!! 無駄口を叩くな!!」


 ――急に空気が冷たくなり、ひんやりと冷たい風が頬を撫でる。


「大丈夫ですよ」と、冷風は俺に告げていた。


「いいや言わせてもらう! そして聞かせてもらう! きっと君が望んでいるのは、人間への復讐を果たすことなんかじゃない! 君は――」


「黙れぇぇぇ!!」


 怒りに身を任せて刀を振り上げる紅葉さん。だが、俺は恐ろしいくらいに落ち着いていた。


 首元目掛けて振り下げられる光景を最後に、俺は安堵して目を瞑る。


 またその“声”が聞けたことに歓喜し、目の端からほろりと一雫の涙が零れ落ちた。


「死に様を晒――っ!?」


 周囲の冷気が凝縮されて形を成し、俺の身を守るように巨大な氷柱が出現した。


 刀を持つ紅葉さんの腕が氷柱によって跳ね飛ばされ、身体ごと宙に浮いた紅葉さんは身を翻し、後退りしながら受け身を取って着地した。


「何だ……何が起きたというのだ……?」


「……どうやら、ようやく駆け付けて来たようだな」


「駆け付けた? さてはまた奴の手が回った妖怪か。一体何者だ!」


「気を張れ、紅葉。決して警戒を怠ってはならぬ」


「何? それはどういう……」


 そっと暖かい温もりに包まれ、ぎゅっとその身に抱き締められる。


 この世界に来てから妖怪レーダーで感じ取っていた覚えのある二つの霊感。若頭や絡新婦のお姉さんのものかと顔を合わせた時には思ったけど、それは違ったんだとようやく確信できた。


 いるはずがないと思ってた。でもそれは違った。俺が最初に思っていた通り、二人は確かにここにいてくれた。


「よくここまで頑張りましたね、弥白君」


 冬のせせらぎのような声が、俺の身と心を潤すように癒していく。


「勇敢なる少年よ。後は全て私達に任せておけ」


 吹雪のような勇ましい声が、俺に絶対的な安心感を与えてくれる。


 三年経とうとも何も変わらない。二人の愛情からは、強い母性と父性の想いが伝わってくる。


 氷麗さんと大雪さんは、何も変わっていなかった。


 ――ただ一点を除いて。


「其方達は何者だ! 何故その人間を庇う!?」


「何故……ですか。理由なんてあるわけがないのですが、強いて言うのであれば――」


 氷柱が粉々になって消滅し、二人の姿が周囲の妖怪達の前に公となる。


 吹き荒れる冷風が、氷麗さんの前髪を靡かせる。そして俺は、彼女に強く抱き締められながら“それ”を見た。


「この子は……私達の大切な子供ですから」


 髪に隠れて光を失っていたはずの“右目”は青く光り輝いていて、我が子を守ろうとする母親の強き意志を映し出していた。

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