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緑色と窮地の食事会

 妖怪だけが生きる世界、妖界。人間禁制の隔離世界であり、万が一にも人間が侵入して来た場合、その人間を容赦無く無慈悲に殺める。


 唯一現実世界へ帰ることができる方法は、妖町の中心部にあるという境界門を潜り抜けることのみ。そのためには、妖怪の巣窟に自ら足を運ばなくてはならない。


 ある意味自殺行為に等しい手段ではあるが、他に手が無い以上はその手段を選ばざるを得ない。しかし無策で突っ込んだが最後、風前の灯火である俺の命は完全に消滅することになるだろう。


 だから考えた。無い頭を捻り上げて、俺なりのアイデアを一つだけ導き出した。それが本当に良策なのかは分からないけど、何も試さずに例の人斬り娘に見つかるのを待つよりはマシだと思い至った。


「弥白。本当に行くつもりなんだな?」


 心配して声を掛けてくれるお姉さんだが、その表情は心配というよりも、俺に対して呆れているように見えた。


「勿論。まずは町中を探索して情報を得ないといけないし、となると手段はこれしかないでしょ」


 俺は堂々と胸を張り――狐の仮面の下でニヤリと笑った。


 そう、この仮面こそが俺の作戦概要の全て。その名も『顔さえ隠せば以外と人間だってバレないんじゃね?』作戦である。


 以前、俺はこの狐の仮面を被ってお狐仮面となり、何度か親しい者達を(あざむ)く行為をしていた。顔を隠すだけでなく、それっぽいキャラを演じて声質も変えていた。それなのに一目見られて正体を看破されていた。


 なんでも皆の話によれば、俺の変装は雰囲気で分かってしまうらしい。でもそれは俺のことをよく知っている人限定の見切り方というわけで、初対面の人相手なら俺が何者なのかということに気付かないはず。そう踏んでの仮面隠れ作戦だ。


 あの人斬り娘にさえ出会さない限り、俺の正体は隠し通せるはず。妖怪といってもキサナのように人間と姿が同一の妖怪もいるくらいだし、パッと見で妖怪か人間かを見分けられる奴なんて義妹(サトリ)くらいなものだ。


「それじゃ行ってくるよ。ここから真っ直ぐ山を下れば町あるんだよね?」


「あぁ。五分も歩けば町全体が見渡せる場所にまで行けらぁ。到着は二十分ってところだがな」


「そっか、分かった。それじゃお世話になりました、お姉さん」


「おう。また機会があったら会おうや弥白。お前さんが死なないように武運を祈っててやっからよ」


「はははっ、そりゃ頼もしいや」


 お礼の意味を込めて頭を下げ、俺は小屋を出て行った。何となくだけど、あの人とはまた近々会えるような気がした。


 お姉さんの助言の通りに、教えられた方角に向かって真っ直ぐに歩いて行く。不幸にも裸足なせいで早く歩けないけど、余計な傷を増やすよりはマシだ。


 あの子に追い回されていた最中、裸足で走っていたせいで足が怪我だらけで凄いことになっていた。お姉さんから包帯をもらって応急処置をしておいたものの、やっぱりちゃんとした手当をしないと歩くだけでも痛みが響く。早いとこ町に着きたいものだけど……。


「…………おぉ!?」


 鋭利なものを踏まないように注意して歩き続けていると、木々の道を抜けて広い道に出た。するとその先には、かつて見たこともない絶景が広がっていた。


 見渡す限りの輝かしい光。恐らく建物の光なんだろうけど、その数が異常なまでに多く、まるでイルミネーションを思わせるようなグラデーションだ。


 遠目から見る限り、あそこはかなりの量の店がありそうだ。木造建築の建物のみの古い街道をイメージしていたけど、どうやら俺が住んでいる田舎村よりも明らかに文明が開花された場所らしい。


 気付くと俺は、その町に目を奪われたまま駆け出していた。


 幸いもう険しい道は抜けたため、走っても怪我をするような要素はなかった。怪我の影響でズキズキと傷が痛みはするものの、とても我慢できない痛みというわけではなかった。


 そして走り続けること数十分。俺は町の入り口に到着した。


 そこはまるでネオン街のような景色で、何処もかしこも見たこともないアダルティーな雰囲気に満ち溢れていた。


 言葉も出ず、感無量だった。こんな都会みたいな 場所に初めて来たというのもそうだけど、今俺の視界に映る店の名前がこう……“アレ”な店ばかりだから。


 街中に入って行くと、何ともいやらしい顔付きの妖怪のおっさんばかりが歩き回っている。健全な未成年の弥白君としては場違いにも程がある。


 自然と足取りが早歩きになるも、男としての興味本位の意志が俺の目を右往左往させる。うわっ、垢舐めとかやばいよあれ。絶対舌でアレなことする店だよ。

 

 こうも童貞の妄想力をこうも刺激してきやがるとは……流石は都会だぜ!


「あら? あらあらあら? お兄さん、もしかして一人?」


 いけない妄想に夢を膨らませていると、不意に呼び込みのお姉さんに声を掛けられた。にょろにょろと首を伸ばしているところを見ると、メジャー妖怪の“ろくろっ首”か。


「ねぇねぇ、うちに少し寄っていかない? 沢山の可愛い子がお出迎えしてくれるわよ。それにご所望とあらば、あんなことやこんなことも……ね?」


 首を伸ばして至近距離まで近付いて来て、耳元でそっと囁かれる。はっきり言って滅茶苦茶エロい。口元にホクロがある女性って、なんでこんなにエロく見えるんだろう?


 なんてお馬鹿な疑問を抱いてる場合じゃない。今は一刻を争う状況なのだから。


「ごめんよお姉さん、俺って恋人がいるからさ。こういう店はNGなんだよね」


「あら、そうなの? でもたまには違う味を味わうのも一興よ」


「いやぁ、俺まだその子の味を一度も味わってないものでして。一度味わった上で検討させてもらうよ」


「ふふっ、ひょっとしてお兄さんは初心なのかしら?」


「……どうかなぁ」


「照れちゃってもう〜。お兄さん可愛いっ」


 すりすりと頬擦りして来ながら「次は遊びに来てね〜」と緩い釘を刺され、お姉さんと別れた。いかがわしいことは厳禁だけど、そういうこと抜きであの店に遊びに行ってみたいなぁ。


 一旦気持ちを切り替えて、今一度町の中心部を目指して歩みを進める。


「ざけんな緑色がぁ!!」


「うぉ!?」


 突然の怒声に一瞬心臓が身体ごと跳ね上がった。


 すぐ近くから聞こえて来たようで、小走り気味に現場へと向かう。


 そして俺は、思わぬ人物の姿を目にして……白けた。


「フッ……それ以上はよせ。皿が割れてしまうだろう」


「うっせぇ緑色! 金無しで女妖(にょよう)と遊べると思ってんじゃねぇぞ! 貧乏人はとっとと出て行きやがれぃ!」


 ベージュ色のトレンチコートに身を包んだ緑色は、いかがわしい店の警備員らしい人に蹴り飛ばされ、店を追い出されていた。


「足癖の悪い男だ……。男はクールでスマートにいることこそが絵になるというのにな……」


 無残な扱いを受けても尚、緑色は平然とした様子で立ち上がり、コートのポケットから葉巻――ではなく、キュウリを取り出して口に加えた。


 煙が出るわけでもないキュウリを葉巻のように扱い、目には見えない空想の煙を吐く動作をする。目に掛けたグラサンの眉間部分を指でくいっとあげて、ふと不敵に笑った。


「……今日も良い月明かりだ。……いや、この町の女の魅力という光に目を当てられているだけ……か」


 俺は緑色の横顔を飛び蹴りで吹っ飛ばした。


 条件反射のように放たれた飛び蹴りによって緑色が仰向けに吹き飛んでいき、先にあった木箱に頭から突っ込んだ。


 ぱらぱらと木箱が崩れる音が鳴る中、俺は無理矢理緑色の後ろ首を引っ張って路地裏へと移動した。


「ごふっ……ったく、良い日と思った矢先に厄日か。俺も年貢の納め時だな……」


「喧しいわ。俺も大概だけど、君程この場所に場違いな奴はいないわ馬鹿」


「何? その声は……主のガキか?」


「そうだよ俺だよ。でもガキじゃなくて弥白って呼びなさい」


 仮面を外して顔を見せる。まさかこんなところで河童の若頭に出会うとは思わなかった。というか、こんなところでこの人とだけは再会したくなかった。


「何故人間のお前がここにいる? ここは人間不可侵領域の場所のはずだ」


「それは後に追い追い説明するとして、ここで知り合いに会えたのは良かったよ。不服でもあるんだけど」


『フッ……いつから俺はこうも嫌われ役を買うようになったのか……。罪深く、愛されやすい男の(さが)ってやつ……か』


 俺は緑色の頰を引っ叩いた。


「いってぇな!? さっきから人をサンドバッグ扱いしてんじゃねぇ!」


「ならそのウザさが半端ないダンディ路線止めようか。安い演技見てると殺意沸くんだよね俺」


「……相変わらずデンジャラスな野郎め」


 文句を言いながらも身に付けていた装備品を外して、素の河童の姿に戻った。安いダンディ姿よりは幾分かマシになったかな。


「それで、こんなところで一体何してんだ? お前知らないのか? ここでの人間の扱いがどんだけ殺伐としてんのかってこと」


「知ってるよ。だから仮面を被って変装してたんだし。で、若頭。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「この町の詳細についてなら聞くだけ無駄だぞ。俺もここに来たのはつい最近だし、地理も全然把握できてないからな」


 戦力外認定。俺はまた仮面を被って路地裏から出て行った。


「ちょちょちょ待てよ! 人を蹴っ飛ばしてお別れって、そりゃあんまりじゃないか!?」


「役立たずの安い河童に用などないわ」


「河童を安くみるんじゃねぇ! 妖怪としてメジャーだけどレアなんだぞ? 人間界じゃ妖怪のスターってやつなんだぞ俺は!? 何せ、免許取らないと捕獲出来ないからな河童!」


 そういや河童免許が取れる場所があるんだったっけ。何の興味もないけど。実際こんな人を捕獲して何になるって話だ。


「へぇ、そう。それじゃ俺もう行くから」


「だからちょっと待てって。ここで会ったのも何かの縁だろ。ほら、もう少し先にある飯屋にでも寄って酒でも酌み交わそうや。つーか腹減ってんだよ俺」


「知らんわ。それに俺まだ未成年なんですけど」


「なら気分だけでも味わえ。それにこの町の情報が欲しいってんなら、店を開いてる連中に聞くのが効率的じゃねぇか? 長く店開いてる奴なら色々知ってるだろうしな」


 ふむ、一理ある。今までのことを全部含めて、初めて河童が良い発言をしたような気がする。


「まぁ君に聞くよりは何倍もマシかもね。でもあんまり目立つと危険だから、できれば人気(ひとけ)の少ない店がいいかな」


「なら決まりだな。取り敢えずここは妖怪がわんさかしてるから、町外れの方まで行ってみるぞ」


「分かった」


 ここからは二人行動ということで、若頭という意外なパーティーメンバーを加え、町の外れを目指して移動を再開した。


 本当なら一目散に中心部に向かいたいところだけど、この町は予想以上にかなり広い。お姉さんはそんなに広くないような発言をしていたけど、俺からしたらそんなことは全くなかった。


 どっちが北でどっちが南なのかすら分からないし、適当に歩いたら迷子になる可能性が大きい。それにうろうろしてたらあの子に会う可能性も高まるし、得たい情報は確実かつ安全に入手していこう。


 若頭が勝手に話し出した与太話を聞き流しながら歩いていると、いつの間にか自然と人混みが少なくなっていた。周りの建物を見た感じだと、アダルトエリアからは抜け出せたようだ。


 更に奥を目指して歩くと、大きな十字路に出た。俺達はなんとなく妖怪の少ない道を選び、ちらほらと見える店を見回していく。


「……ん? おい弥白」


「うん?」


「あの店なんだけどよ。妙に見覚えないか?」


「見覚えって……あっ」


 若頭が指を差している一軒の店を見て、俺も若頭も目を白くさせた。


『蜘蛛の巣』。ここには無いはずのあの店が、全く同じ見た目でそこに実在していた。


「見た感じだと客が少なそうだが……どうする?」


 俺達の予想が的中していたとしたら、あの店には例のドS店主がいるはず。あの顔を思い出すと、悪い後味しか残らなかったあの魔の夜のこと思い出してしまう。


 でも一応は知り合いの妖怪だし、他の見知らぬ店に入るよりは比較的安全かもしれない。それにあの人は、酒さえ飲ませなければ比較的良人のはず。歳を弄ればアウトだけど。


 何にせよ、ここ以上に条件が良い店は見つからないだろうし、迷ってる暇はないか。


「うん、あそこで食事しよっか。あんまり歩き回りたくないし」


「よっしゃ、なら俺もまた着替えないとな」


 と言うと否や、さっき脱ぎ捨てていたはずの衣服一式をまた着こなし、安いダンディを改めて着飾りながら店の暖簾をくぐっていった。


 俺も後に続いて暖簾をくぐると、案の定あの人がカウンターに立ってキセルを吹かしていた。


「あらいらっしゃ……ついにこっちにまで来たのね貴方……」


「久し振りだなマスター。いつものを頼む」


「いつものと言われても分かるわけないでしょ。馬鹿なの?」


 蜘蛛の巣のマスターこと女郎蜘蛛のお姉さんは、見覚えのある河童を一目見た瞬間に表情を苦くさせて溜息を吐いていた。


「お客様よ〜テケちゃん。出迎えてあげて〜」


「了解ッス〜!」


 厨房の方にお呼びの声が掛かると、元気なことが取り柄のテケテケのテケちゃんが出て来た。


 カウンター席に座っている若頭の隣に俺も座り、ほぼ同時にテケちゃんもカウンターのテーブル上にぴょいんと飛び乗って来た。


「いらっしゃいッス! ご注文は何にしまッスか?」


「……ファジーネーブルを」


 俺は河童の頰をぶっ叩いた。


「どうしてもダンディ路線突っ走りたいなら、まずその女の子寄りの酒のチョイスを止めようか。どんだけ好きなんだよファジーネーブル」


「フッ……名前がそれっぽいからさ……」


「それっぽい名前だったら日本酒とかワインにいっぱいあるでしょうが。大人の貫禄を知らしめたいなら若い人向けのカクテルじゃなくて、アルコールの強い大人の飲み物を選びなさい」


『このお子様は何も分かっていないようだ……。若者は弱く、大人は強いという先入観に捉われていては、見えるものも見えてこなくなる……。若気の至りっていうのも可愛いもんだ……』


「ハードボイルドに人をディスってんじゃないよ。正直に言いなよ。お酒あんまり得意じゃないって」


「……マスター。ウイスキーを一杯頼む」


 強がって四十度の化け物酒をオーダーする無謀者。折角素直になれるチャンスを与えてやったというのに、俺はもう知らん。


「そっちの仮面の人は何にするッスか?」


「あ~……俺はお酒いいかな。オレンジジュースと枝豆一つずつで」


「んん? なんか聞いたことあるような声ッスね?」


 特に声を変えずに喋ったところ、テケちゃんが目を細めてじ~っと顔を覗いてくる。仮面被ってるから無意味な行為ではあるけれど、こう集中的に見られるとやっぱり動揺してしまう。


「はて、何処で聞いた声だったッスかね~? 確か結構最近に聞いた声なような気が……」


「こら、失礼よテケちゃん。あんまり人の顔をジロジロ見るものじゃないわ。油売ってないで早くコツさんに伝えてきなさい」


「ん~……了解ッス。悪かったッスね、お客様」


「い、いやぁ別に」


 お姉さんの助け舟が入り、どうにか正体を隠し通せたようだ。一応知り合いではあるけれど、この人達からは前の件で恨まれている可能性が大きい。ここは申し訳ないけど、偽りの仮面を被らせてもらおう。


 少しして「お待たせいたしましたッス!」と注文の品が運ばれてきて、枝豆をいくつか口の中に含んだ。そういえば今日はまだ殆ど食事という食事ができてなかったし、何が起こっても大丈夫なように食べれるだけ食べていかないと。


「……強がりも程々にしないと駄目ね」


 呆れた様子でふと呟くお姉さん。その理由を察して横を見ると、緑色の体表を真っ赤にさせた赤河童がそこにはいた。手には少量の量が減ったウイスキーのジョッキが握られていて、白目を剥いて既に気を失っている。


 酒に飲まれるとはまさにこのこと。愚かな河童よ、安らかに眠れ。


「ねぇお姉さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「あら、何かしら――っと、ごめんなさいお兄さん、ちょっと待ってね」


 早速情報収集をと思ったところで、お姉さんは店の出入り口の方を見ながら俺に手のひらを向けて来た。


 このタイミングで新しいお客が入って来たんだろうか。あんまり妖怪の目に付きたくはなかったけど、一人くらいなら別に問題ないか。


「あっ、紅葉さんじゃないッスか。いらっしゃいッス!」


「頻繁に入店してすまないテケテケ殿。今日もここで少し休ませてはもらえないだろうか」


「勿論構わないッスよ。姐さん、紅葉さんが来たッス~」


 前言撤回。妖怪一人が相手だとしても、絶対に気を抜いちゃ駄目みたいだ。


 恐る恐る出入り口の方を見ると、来店してきたお客はやっぱり例の人斬り娘の紅葉さんだった。最悪だ。最悪のタイミングでこの短時間にまたエンカウントしてしまった。


 いやでもおかしくない? あの子はまだ山の中で俺を探し回っていたはずだ。もしかしてあの俊足の足があるから、もう山全体を探し終えていたとでも? 無尽蔵の体力を目にして感心してしまったよ。


 店の中に入ってくると、俺のすぐ傍で立ち止まった。内心でぶるぶると身体を震わせていると、何の意図があってか頭を下げて来た。


「すまないお客人。私も隣に同席して構わないだろうか?」


 ……仮面効果有りなようで、彼女は俺だと分かっていないご様子。喉が詰まりそうになるもホッとして、こっちも頭を下げ返した。


「はい、良いですよ。そもそも俺……僕も同じお客なんですから、許可を取る必要はないですよ」


「そうか。それでは失礼ながら同席させてもらおう」


 紅葉さんは笑みを浮かべると、腰につけていた刀を抜いてカウンターテーブルに立てかけ、清廉された動作ですぐ隣の席に座った。


 気付くと、枝豆を握る俺の手が僅かに震えていた。大丈夫だ、平常心を保て俺。まだバレてはいないんだ。情報収集も大事だけど、それよりも今はこの場をどうやり過ごすかだけ考えるんだ。


 頭をフル回転させてみるが、ついさっき刻み込まれた恐怖の記憶のせいで刀に目がいってしまい、物を考える余裕がなかった。もしこの距離で俺がさっきの人間だと気付かれたら、間違いなく俺の首は宙を舞うことになる。


 命懸けで居酒屋で枝豆食べるってどんな状況? こんなシチュエーション聞いたことないんですけど!


「にしても、この店に此方以外のお客人がいるとは珍しいな」


「クククッ、失礼しちゃうわね紅葉さん。貴女がいない内にもお客は稀に入ってきてるんだから」


「そうか、それは失礼した」


 この店の常連客なのか、紅葉さんの話し方がとてもスキンシップだ。ついさっき俺を殺しに来てた時とは大違い。いや、むしろこっちが紅葉さんの本当の顔なんだろう。


 二人の会話をボーっとしながら聞いていると、ふと紅葉さんがまた俺の方に振り向いてきた。無意識に肩がビクッと跳ね上がってしまう。


「此方は紅葉という者だ。其方の名前を聞かせてもらっても良いだろうか?」


「えっと……」


「……いや、すまない。別に無理にとは言わん。どうも其方は此方に怯えているようだからな。迷惑を掛けたなら失礼した」


「ち、違います違います! 別に僕は怯えていたとはいうわけではなくてですね!? その……あ、貴女があまりにも綺麗だから緊張してしまいまして!」


「あら……クククッ」


 上手い言い訳を考えた末、何故か口説くような結果に。


 本音ではあるんだけども、絶対に今言うべき発言でないことだけは確かだった。いくらなんでもテンパり過ぎだろう。俺としたことがなんて情けない。


「綺麗……」


 紅葉さんの方を見やると、無表情のまま目を丸くさせていて、後に人懐っこい笑顔でくすりと笑った。


「他者にそのようなことを言われたのは初めてだ。容姿を褒められるとは、妙にこそばゆいものなのだな」


「酒屋で女の子をナンパだなんて、もしかしてチャラ男ッスかお客様?」


「いやいや違いますって! 僕はそういうつもりで言ったわけじゃないですから!」


「冗談ッスよ。可愛いお人ッスね~お客様」


 からかわれて三人の女性の笑いものにされる俺。屈辱だ。この俺が雪羅とキサナ以外の女の子にからかわれるだなんて。


「お世辞でも嬉しいものだな。礼を言うぞ、名を知らぬお客人」


「別にお世辞ってわけでもなかったんですけど……まぁいいや」


「ところでお客人。其方ここでは見ぬ顔だが、もしや最近こちらの世界にやって来た者なのだろうか?」


 動揺あまりに自然と全身に力が入ってしまう。下手な発言はするなよ俺、常に気を遣って喋れ。


「そう……ですね。僕がここにやって来たのは最近の話です」


「やはりそうだったか……。最近まで長い年月、苦しい思いをしてきたことだろう。よく耐えたものだ、お客人。其方は強い心を持っているようだ」


「苦しい思いって……どういうことですか?」


「ん? そんなの決まり切ったことだろう。其方は今まで人間界で世を過ごしていたのだろう? それで辛い筈がなかろう」


「えっと……すいません、やっぱり言ってる意味がちょっと分からないです。人間界で暮らしていたから辛い思いをするって、なんでそう思ったんですか?」


「む? いや、そうか……そういうことか。其方は妖怪との間に最近生まれた者か。ならば知らないのも無理はない」


 話が見えてこない。良い話ではないということだけは分かるけど、でも聞かずにはいられなかった。


「貴女は……一体何を知っているんですか?」


「此方だけが知っていることではないのだが……いや、すまんなお客人。今のは聞かなかったことにしてくれ。知らぬが仏だ」


「えぇぇ……そこまで話しておいて何も言わないって、それは流石にあんまりじゃないですか? 僕は気にしませんから、どうか教えてもらえないでしょうか?」


「そう……か。其方自身が望むのならば致し方ない。ならば単刀直入に言おう」


 すると、さっきまで柔らかい表情だった紅葉さんの顔付きが変わり、初めて出会った時と同じ目を浮かべた。強い怨念が込められた、闇の深い眼差しを。


「此方達妖怪にとって……人間がこの世で最も害悪である悪魔のような存在だからだ」


 包み隠すことのない恨み辛みが募った重い発言。急に胸が締め付けれるように痛み出し、紅葉さんの目を見ていられなくなって前を向いた。


「そこまで言うからには、昔何かがあったってことですよね? 人間と妖怪との間で何があったっていうんですか?」


「私も事細かくは知らん。だが、此方個人の忌まわしい人間との過去なら、昨日のことのように覚えている。決して忘れることのない、地獄のような記憶を……」


「……聞かせてください」


「この酒屋に辛気臭い空気が漂うことになるが、それでも良いというのであれば話そう。できることなら、其方にも人間の悪意を知っておいてもらいたいのが此方の本音だが」


 人間との忌まわしい記憶。ここまで人間を恨んでいる妖怪の姿を見るのは、三年前に見たきりだ。


 放っておけなかった。見過ごすことができなかった。それが危ない橋を渡ることになると分かっていても、見て見ぬフリなんてできなかった。


 妖怪は良心的な存在だと、俺はよく知っている。そして誰よりも妖怪が好きだと自負している。だからこそ、彼女をここまで変えてしまった人間の所業を確かめないわけにはいかない。余程のことならば、俺は彼女に謝らなくてはいけないのだから。


 彼女が出会って来た、人間達の代わりとして。


「……もう随分と昔のことだ」


 そして紅葉さんは、重い口をそっと開いた。


「此方は……元々人間だったのだ」


「……え?」






 今より語られるは、数百年前に生きていたたった一人の少女が、人間の手によって人間から妖怪に生まれ変わるまでのお話。


 いや――人間の手によって、人間から妖怪に“仕立て上げられた”お話である。

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